14P迷走間奏曲
「はぁ」
ユーリは重々しい溜め息を落とす。
衝撃の新事実が発覚したものの……。
(魔導書は回収しないといけないんだよねぇ~)
気が進まないし、魔導科の生徒達からは殺気立った視線を感じるが、司書としての職務は果たさないといけない。
皆、魔導書に記された“紋”をまるで魔導書を王立学院図書館に縛り付けるための“枷”のように思っているようだが、それは“紋”の作用の側面にしか過ぎない。
魔導書に“紋”が記される理由のために司書達は必至で魔導書を回収しているのだ。
「『特に、『一級魔導書』以上の魔導書の回収は早急に』」
エリアーゼの言葉を反芻したユーリは溜息と共に回収ノルマの魔導書リストを取り出す。
と、ショルダーバックから一緒に突っ込んでいた一枚の資料がひらりと落ちる。
「あ」
ユーリが身をかがめて拾い上げようとするより先に、節張った大きな手がそれを拾い上げる。
「アデラ・ヴィ・シンファーナ?」
アヴィリスが資料の一番上に記された名を読みあげる。
「ああっ、返して!!」
アヴィリスが拾い上げた資料にはどこか挑発的な笑みを浮かべた女生徒の絵姿が小さく描かれていた。
「こいつがお前のターゲットか?」
「ターゲットって……あたしは暗殺者ですか?」
「似たモノだろう?」
くぃっと天井を指差したアヴィリスの人差し指の上から、地響きのような振動と埃が落ちてくる。
「……」
無表情のアヴィリスの視線を受けたユーリは何とも言えない顔でアヴィリスの指した天井を見上げて溜息をつく。
魔導書回収は熾烈を極めているらしい。
「とりあえず、返して」
仏頂面でユーリが広げた手の上にアヴィリスは肩をすくめて拾い上げた資料を返す。
「それにしても、王立学院図書館は随分と太っ腹だな」
「?」
魔導科寮の廊下を歩くユーリの背後でアヴィリスがぽつりと呟く。
「『一級魔導書』は王都の王立魔導図書館では魔導師認定試験に受かった“魔導師”しか借りられない。……だというのに、ここの学生は申請さえ通れば『一級魔導書』も『危険魔導書』も借りられると聞く」
ブツブツと呟くアヴィリスの声音に隠しきれない羨望と妬みを感じ取ったユーリは歩みを止めて彼を見上げる。
歩みを止めて不思議そうな顔でこちらを見上げてくる少女に気づいたのか、アヴィリスがふとにやりと、不敵に唇を釣り上げる。
「魔導師まがいの学生風情には過ぎたモノだと思わないか?」
「何が言いたいの?」
アヴィリスの言葉に表情にどこか馬鹿にするような、嫌味な色を感じたユーリは眉をひそめる。
「いや?ただ、その学生が『一級魔導書』をどの程度読み解けるのか、疑問に思っただけだ」
「……」
どうやらアヴィリスはあの一瞬で資料に書かれた、アデラ・ヴィ・シンファーナの借りた図書の履歴を読んだらしい。
アデラ・ヴィ・シンファーナが借りていた図書は学生らしい選択だった。
ここでネックになるのが、けして『魔導科の学生らしい』選択ではないというところだ。
人が読んだ本を集めて積み上げれば、その人の職業や性格、歩んできた人生がわかる。
そう言ったのは誰だったか。
昨夜、エリアーゼから受け取った資料を読みたがった『禁制魔導書』達も、資料を呼んだ後に断言した。
<この娘は『一級魔導書』を手にしたところで読み解けなどしない>
そして、その上でユーリに問うた。
<手に余る事がわかっているであろう魔導書を、この小娘は何故手にしたのかのぅ?ユーリ>
「アヴィリスさんも、アデラさんが『一級魔導書』を読めないと思うんだね」
「………………そこまで断言はしないが、まぁ、読めなさそうだと思ったのは確かだ」
「………………………そうですか」
がっくりと肩を落として力なく呟くユーリにアヴィリスは不審そうに眉を跳ねあげた。
「読めない魔導書を持っていても使う事は出来ないだろう?」
「じゃあ、何で読めない魔導書を貸出期間過ぎても返してくれないわけ?アデラさんは」
ジロッとユーリがアヴィリスを上目遣いで睨むという器用な行動をしてみせた。
「…………ああ、なるほど」
ユーリの視線の先でアヴィリスが納得したように頷く。
魔導書を借りたのがアデラ・ヴィ・シンファーナだとしても、現在魔導書を保持しているのがアデラ・ヴィ・シンファーナである保証はない。
ユーリは溜息をついて歩き出す。
「魔導科に、行くのか?」
アヴィリスが気怠げに見上げた窓の先には古い小城がある。
黒く見えるほど濃い色を纏う林の中で悠然と佇む、魔導を学ぶ者たちの本拠地。
『世界の真理』に挑む“無謀者”の巣窟。常識の通用しない異世界の中心がそこにある。
「いいのか?あのアリナとかいう娘がいうには、普通科のしかも司書のお前がいま魔導科の校舎に入るのは危険らしいぞ?」
「………………………せっかく覚悟決めたっていうのに、出鼻くじいて決心鈍らせるようなこと言わないでくれないかな」
ユーリはげんなりした顔で肩を落とす。
アデラ・ヴィ・シンファーナの行き先について心当たりはないか、ユーリはアリナに訊いた。
『占術学部の四年生。アデラ・ヴィ・シンファーナ?』
あまり上級生徒は交流がないのか、アリナはこてんと首を傾げ、眉根を寄せて考え出した。
『確かな事は言えませんが、占術学部では何か、大がかりな魔導の実験をしているそうで、生徒もその準備に借り出されているとか…』
『大がかりな、魔導………』
ユーリの脳裏に『禁制魔導書』階で『禁制魔導書』達が科学科の技術の台頭で占術学部の立場が危ういというような事を話していた事を思い出す。
(ヤな予感…………)
じわっと背中に冷たい汗が滴り落ちる感覚にユーリは身を震わせる。
『ええ、ですから、おそらく占術学部の使用している実験棟に行けば会えるとは思いますが……』
ふと、アリナが難しい顔で言いづらそうに言葉を濁した事に気づく。
『アリナ?』
『………これは根も葉もない噂話なのですが……』
わずかに視線を逸らし気味にアリナらしくない気弱な口ぶりで彼女は言う。
『今回の魔導書回収は、魔導科が『学研』に失敗するよう科学科に加入したい普通科学部の者たちが起こした陰謀だという話が出回っていて、普通科の生徒が魔導科校舎に近づいたら、迎撃しようという一派がいるようで………』
『………………迎撃って……、一般人に対する魔導攻撃は禁止されてるでしょ?』
『………………………禁忌を犯しかねない空気をひしひしと感じます』
『…………………………わぉ』
アリナの切実な表情にユーリは顔を引き攣らせる。
しかし、よくよく考えてみると、『探求の館』の魔導師も魔導科寮の生徒達も一般人のはずの司書達にぽんぽん魔導攻撃を仕掛けている。
魔導という非常識を起こす事を生業とする魔導師。それを目標にしている学生にも常識は通用しないらしい。
深く溜息をついたユーリは、諦めた様に小さく呟いた。
その時、呟いた言葉と同じ言葉をいまアヴィリスの前で口にする。
「でも、行かないといけないんだよねぇ」
とっても嫌です。と声高に訴えかけるような背中を見せつけながら、ユーリは歩みを進める。
アヴィリスはその自分よりはるかに小さな細い背中を見つめていた。
怜悧な美貌はいつものごとく無表情で、何の感情も見受けられず、ただ冷え冷えと凍えるような鋭さだけが浮かび、傍目にはユーリを冷たく睨んでいるようにも見えた。
しかし、彼の鋭く切れるような形をした太古の時代の記憶を内包した宝石のような瞳だけは何か迷うようにゆらりと揺らめいた。
「………行くなら俺も行こう」
「だから、何で付いてくるの?」
迷惑です。という気持ちを隠しもしない表情と声でユーリは唸る。
「ここの学生がどれほどの研究をしているのか興味がある。それに、俺がお前の側にいるのはお前にとって悪い事ではないはずだ」
しれっと応えたアヴィリスは一枚の紙切れを懐から出し、指先から離すと同時に指を鳴らす。
それと同時に魔導陣が描かれた紙切れは消え、代わりに軍服を模した仰々しい宮廷魔導師の制服……の上衣が現れる。
「宮廷魔導師に向かって魔導攻撃が出来る根性のある学生。その面を拝めるなら拝んでみたい」
手早く上衣を纏ったアヴィリスにユーリはきょとんと目を丸くする。
「そりゃあ、攻撃されなくなるならありがたいけど……」
ユーリの手首で心細そうに小さな音を立てたのは、王立学院図書館の紋章と魔導文字や記号が彫り込まれた王立学院図書館司書の証である腕輪。
司書達が持っている、魔導攻撃に対する防具。(ロランは持ってなかった)
もちろん、これも完璧ではない。
ロランが喰らっていたような攻撃を受ければ粉々に砕けてしまう。
「お前には『始まりの叡智』の件で借りがある。それに…」
「それに?」
意味深に言葉を切ったアヴィリスはにやりと唇を釣り上げた。
「お前にうっかり死なれては『禁制魔導書』階に行けなくなる」
「………………………あたしがうっかり死にかけたらあんたも道連れにしてやる!!」
くわっと噛みついたユーリの前をアヴィリスは晴々と笑う。
「それでこそ王立学院図書館司書だ」