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人間は、思っているより視野角が狭いらしい

作者: P4rn0s
掲載日:2026/04/06

人は、揃っているものに安心するらしい。


同じ方向に流れる人波とか、同じ音で鳴る信号機とか、

同じ規格で作られた箱の中で生活していることとか。


そのくせ、少しだけズレていることには、

驚くほど無関心だ。


気づいていないのか、気づかないふりをしているのか、

それとも本当にどうでもいいのか。


たぶん、その全部だと思う。


朝、交差点に立つ。

信号が青に変わる。

人が動き出す。


その瞬間、いつも少しだけ、流れが歪む。


左から来るはずの人が、右に寄る。

それを避けるために、自分も右に寄る。

正面から来た誰かと、ほんの一瞬だけ進路を譲り合う。


その一歩分の躊躇が、妙に気持ち悪い。


車は左側を走る。

自転車も、左側を走る。

それはルールで、例外はない。


なのに歩く人間だけは、

どちらに寄ってもいいことになっている。


いや、違う。


「どちらに寄ってもいい」


のではなくて、


「どちらにも寄っている」


のだ。


その曖昧さを、誰も指摘しない。


エスカレーターに乗る。

前の人は右に立っている。

左側は空いていて、急ぐ人が通っていく。


別の街では、これが逆になる。


そんなことを知っているのに、体は勝手にその場の流れに従う。


考える前に、合わせてしまう。

そのことに、少しだけぞっとする。


電子レンジの「600W」という表示を見たとき、

ふと考えたことがある。


この600Wは、本当に同じ600Wなのか。


東と西で、電気のリズムが違うと聞いたことがある。

同じ数字を使っているのに、実際の力は微妙に違う。


それでも誰も気にしない。


数字が同じなら、それで納得してしまう。


沖縄の牛乳は、946mlらしい。


1リットルではない。

中途半端なその数字が、やけに気になる。


昔の単位の名残だとか、工場の関係だとか、

理由はいくらでもあるのだろう。


でも、理由があることと、納得できることは、少し違う。


揃えられるはずのものを、

揃えていないまま放置している感じがする。


ヤード・ポンド法を笑う人を見たことがある。


「インチとかフィートとか、分かりにくいよね」


と。


その通りだと思う。


でも、その人はエスカレーターでどちらに立つかを、

毎回周りに合わせて決めている。


電気の周波数が地域で違うことも、特に気にしていない。


気づいていないのか、気づいていても無視しているのか。

どちらにしても、少しだけ滑稽に見えた。


揃っていないものを、揃っていると思い込むこと。

それが、この国のやり方なのかもしれない。


完全に統一するには、コストがかかる。


時間も、労力も、反発も。

だから途中でやめる。


ある程度揃ったところで、「これでいい」とする。


残ったズレは、日常の中に溶かしてしまう。

そして僕たちは、そのズレを、

まるで最初から存在しなかったものみたいに扱う。


本当は、ずっとそこにあるのに。

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