「あなたの婚約者を寝取ってやった」と仰いますが、そのクズは私のではなく王女殿下のモノですよ
「シノ・アルバーン。あなたの婚約者をいただいたわ」
この夜は、王宮で夜会が行われていた。
夜会には、貴族や官僚だけでなく王都にいるさまざまな分野のVIPたちが集まっている。
もちろん、王族のメンバーも参加している。
談笑しているわたしたちの前にやって来て、いきなり宣言された。
しかもわたしの婚約者をいただいたという。
そう宣言したのは、アリス・ブレナン。伯爵令嬢だ。
彼女は、ブレナン伯爵の後妻との子ども。伯爵は、いまは亡くなっている前妻と結婚する前からその後妻と付き合っていたという。なんでも、その後妻は身分を偽って伯爵に取り入ったとか。つまり、伯爵は手玉にとられたわけだ。そして、前妻が亡くなって葬儀直後に屋敷に招き入れた。まるで書物の「悲劇のヒロイン」の話のように。
アリス自身は、市井で育った。だからというわけではないが、ムダに贅を好み独占欲が強い。それから、他人のモノを奪うことがライフワークのひとつらしい。
そんなアリスが、わたしの婚約者をいただいたと宣言したのだ。
おもわず、わたしの隣にいる王女と顔を見合わせてしまった。
オルセン王国の王女ハリエット・クレヴァリーは、わたしとほぼ同じ時期に産まれた。母が王族の乳母を務めていたため、双子の姉妹のようにして育った。もっとも、容姿はまったく違うし性格も異なるけれど。それでも、わたしたちは赤ん坊の頃から仲がいい。彼女とだけではない。彼女の兄たち、つまり王子たちとも仲がいい。
ひとり娘のハリエットは、とにかく両親、つまり国王と王妃に可愛がられている。が、彼女はよくあるワガママで気取った王女ではなく、性格がとにかくいい。この大陸一の「美姫」とも名高い彼女は、だれからも愛されまくっているのだ。ただ、彼女は奔放で活発すぎる。宮殿でジッとしていることが大嫌いで、ふだんからボランティアや慈善活動など、王都だけでなく王国中を駆けまわっている。そんな彼女を護衛する騎士たちは、いつも大変な思いをしている。
もっとも、彼女は剣と体術が騎士並みだ。いや。実戦不足の騎士なら、彼女にこてんぱんにやられてしまう。それはわたしも同様だ。実際、ふたりで刺客を撃退したことがあった。
とにかく、いまもそんな彼女や仲のいい令嬢たちと慈善活動で見かけたイケメンの話で盛り上がっていたところだった。
そこでアリスの「婚約者をいただいた」宣言だ。
「ああ、いまのは公爵令嬢向けのお上品な言い方だったわね」
王女からアリスへ視線を戻すと、彼女はさらに近づいて来て声のトーンを落とすことなく言った。
「ぶっちゃけ寝取った、ということよ」
それから、大笑いし始めた。
「その顔、その顔よ。公爵令嬢といえど、わたしの美貌とお茶目さにはかないっこない。ざまぁってやつね」
黙っていると、アリスは勝ち誇ったように叫んだ。
いまや宮廷音楽団の演奏も止み、大広間にいる全員が彼女に注目している。
「美貌とお茶目さ?」
令嬢のひとりのつぶやきが聞こえてきた。
そこじゃない、とは思う。だけど、そう思うのも当然だ。
「ざまぁって、どういうこと?」
「ざまぁみろっていう意味よ」
「それはわかっているわ」
いっしょにいる令嬢たちが、困惑しつつ言い合っている。彼女たちだけではない。この場にいるだれもが困惑している。
それはそうだ。ざまぁされるいわれはない。というか、これまでアリスとは一度も接点がなかった。
ざまぁをされる理由はいっさいない。
身に覚えがなさすぎる。
「ほんとその顔、素敵だわ。わたしは、屈辱にまみれまくったその顔を見るのが大好きなの」
わけがわからなすぎる。
「どうしたのよ? なにかいいなさいよ。ああ、なるほど。口惜しさのあまり何も言えないのね」
彼女は、わけのわからないことを自問自答している。
「あの、あなたはどちらさまかしら?」
見るに見かね、聞くに聞きかね、そう尋ねたのは王女だ。
王女は、アリスのあまりにも無礼で理不尽な態度にわざとそう尋ねたのだ。
「そういうあんたはだれよ? ははん。シノ・アルバーンの取り巻きね。やめておいた方がいいわ。彼女、もう終わりだから。わたしが奪った彼女の元婚約者というのはね、大公家子息なの。アンディ・バッキンガム。下級貴族のあんたでもその名前くらいなら聞いたことあるでしょう? わたしが大公夫人になれば、王族以外のすべての人々の頂点に立てる。つまり、やりたい放題というわけ。だから、あんたもいまのうちにわたしに媚を売っておいた方がいいわよ。シノにくっついていたら、ぜったいに後悔することになるから」
「アンディ・バッキンガム?」
「アンディ・バッキンガム?」
またしても王女と顔を見合わせてしまった。
「彼、今夜は所用で遅れてくるの。なんなら、紹介してあげてもいいわよ」
そのとき、王女の専属の護衛騎士ライリー・ジャクソンがこちらに向ってくるのが見えた。護衛騎士とはいえ、通常はスーツ姿だ。王族の騎士団は、昔はつねに甲冑姿だったとか。現在、そういう因習は打ち捨て、その場に応じた格好をするようになった。それでも、その精神は昔からかわらない。その証拠に、彼はアリスのあまりにも非礼で無礼で愚かな言に反応し、すぐさまやって来たというわけだ。
ライリーの表情は険しい。無礼きわまりないアリスをすぐにでも血祭りにあげそうな勢いだ。
いままさにライリーのごつい手がアリスの肩をつかもうとしたタイミングで、王女がかすかに首を振った。すると、アリスの肩へと伸ばされたライリーの手が急停止した。
「ですが……」
反論しかけたライリーを、王女は目力で黙らせた。
「バッキンガム大公家子息の噂は、聞いていますわ」
そして王女は、そう言って微笑んだ。
「でしょう? 有望株よ。まっ、そもそも大公家の嫡男というところで勝ち組だけど」
「その大公家子息を、あなたはシノから奪ったと?」
「そうよ。さっきも言ったように、寝たの。そうしたら彼、わたしにまいったわけ。いまや彼は、わたしにゾッコンよ」
「どうして? どうしてそんなことをするのかしら? シノがあなたになにかしたのかしら? 彼女の婚約者を奪うようななにかを、彼女があなたにしたわけ?」
「存在が鬱陶しいの。はやい話が、公爵令嬢というだけで目障りなの。ワガママ放題のやりたい放題。鬱陶しいったらありゃしないわ」
本人を前に、よくこれだけ言えるものだ。ある意味感心した。
大広間内の人たちは、アリスのわたしにたいする誹謗中傷や悪口雑言をどのように思っているだろう?
「失礼だけど、あなたは以前にも他の方の婚約者を奪い取っているわよね? アリス・ブレナン伯爵令嬢という名前は、人の婚約者を奪うことで有名だと、たったいま思い出したわ」
王女は、シレッと嘘をついた。
アリスが他の人の婚約者を奪い取ることは事実。これまで、その被害にあったご令嬢はすくなくない。
その噂というか事実を、王女がたったいま思い出したということが嘘なのだ。
「だって、寝たらみんなわたしにゾッコンになるんだもの。しょうがないでしょう? わたしは悪くない。婚約者がありながら、わたしと寝てわたしに惚れる男たちが悪いのよ」
アリスは、よりにもよって男性側だけが悪いと言いだした。
まぁ、たしかに男性も悪い。それから、愚かだ。しかし、彼女は最初から他人の婚約者を奪う目的で近づくのだ。彼女にこそ非がある。
「ほら、やっと来た」
アリスの言う通り、大広間の入り口に現れた。
アンディ・バッキンガムが。
彼は、キョロキョロと周囲を見まわした。そのタイミングで、周囲の人垣が崩れた。みな、これから起こることを期待している。つまり、アンディがわたしたちをすぐに見つけられるよう場所を開けたのだ。
そのかいあってか、アンディがこちらを見た。
「やあ、遅くなってごめん」
彼は、こちらに向かってきた。人々は、その彼が通りやすように道を開ける。
「アンディ、ほんとうに遅すぎるわ。なにをしていたのよ?」
アリスは、わたしに勝ち誇った表情を見せてからうしろを向いてアンディを出迎えた。
「すまない。どうしてもはずせない約束があってね」
「わたしをエスコートし、ここにいる人たちにわたしを紹介してくれなきゃダメでしょう?」
アリスがアンディを責めたときには、彼はわたしたちの前で足を止めていた。
「もしかして、怒っているのかい? まだ両陛下が来ていないんだ。ギリギリセーフだろう?」
「そういう問題じゃないわよ。あなたがわたしを紹介してくれないから、わたしが自分でアピールしなきゃならなかったじゃない」
「機嫌をなおしてくれよ」
「高くつくわよ。たとえば、宝石をいっぱいあしらった首飾りとか?」
「なあ、ハリエット」
アンディは立ちはだかるアリスの肩を乱暴に押し、王女をハグしようとした。
「ちょっ、ちょっと、なにをするのよ?」
アリスは、ムダに高いヒールをはいている。アンディに肩を押され、いとも簡単に大理石の床上に尻もちをついてしまった。が、乱暴を働いたアンディは、王女に気が向いていてそのことに気がついていない。
というか、アンディはアリスにまったく気がついていないようだ。
それもどうかと思うが、面白すぎる。
「アンディ、アンディったら、とにかく起こしてちょうだい」
アリスは、怒りで真っ赤になっている。
「ああん? だれだ、おまえ?」
アンディは、そこでやっとアリスに気がついたようだ。
「『だれだ、おまえ?』ですって? あなたの婚約者のアリスよ。この前、寝たでしょう?」
ここは、宮殿の大広間。とてもではないが、アリスの言葉やアンディの態度はこの場にふさわしくない。
「寝た?」
アンディはしばらくの間記憶の糸をたどっていたが、やっと思い出したらしい。
そして、彼はさすがにヤバいと判断したのか王女をチラリと見た。
「知らないな。おまえのような品のない女など、一度たりとも見たことがない。というか、寝ただなどとあらぬ誤解を与えるようなことを言うな。これはもう訴えてもいい事案だぞ」
「な、なんですって? あなた、あれだけわたしにゾッコンだったじゃない」
「だから、おれはおまえのことなど知らないといっている。おれには、婚約者がいる。そのおれが、他の女と寝るわけがないだろう?」
「この大噓つきのろくでなしっ!」
面白すぎる。
この場にいるだれもが、笑いを嚙み殺している。本来なら怒り狂わねばならない王女でさえ、苦笑している。
もっとも、王女は怒りと諦めと呆れを通り越しての苦笑だろうけど。
そのタイミングで、国王と王妃登場の触れがあった。
アンディとアリスを除く全員が頭を垂れる中、国王と王妃が大広間に現れた。ふたりは、大広間内の高座に設えられた玉座に着席した。
国王から許されて頭を上げると、高座のすぐ下にはバッキンガム大公夫妻とわたしの両親であるアルバーン公爵夫妻。それから、青年貴族が控えているのが見えた。
「なにか揉め事かな?」
国王が尋ねた相手は、王女である。
王女はたったいままで起こっていたことを、つぶさに語った。
その内容に眉をひそめたのは、バッキンガム大公夫妻と青年貴族だ。
「ブレナン伯爵夫妻っ!」
王女の説明が終ると、国王が鋭く呼んだ。
「は、はい」
人々の間からよろめき出てきたのは、ブレナン伯爵とその後妻だ。
伯爵は、亡くなった前妻がまだ生きている頃からその後妻と関係があった。アリスは、その後妻との子どもなのだ。
「みなまで申す必要はなかろう? おまえの娘は、今回のことだけでなくいろいろ問題を起こしている。いや。娘だけではない。おまえ自身もだし、おまえの後妻もだ。よって、三人とも追放を命じる。ブレナン伯爵の爵位と家名は、長女に継がせる」
亡くなった前妻との子どもである長女は、よくある後妻と義妹にいびり虐めいびられまくっていたのだ。
「そ、そんな……。アリス、おまえのせいだぞ」
「ど、どういうことかわからないわ。お父様だって、アンディをひっかけろっていったじゃない。いいえ。アンディだけじゃない。裕福な貴族子息をモノにしろってけしかけたわ」
途端に親子で口論が始まった。
「アンディ。おまえも同様だ。クズは、どこまでいってもいつまで経ってもクズだ。今宵も、どうせどこかのレディとすごしていて遅刻したのだろう? よって、わが娘との婚約は破棄。この王国から追放する。なお、バッキンガム大公家は次男のアンティが継ぐこととする」
「嘘だっ! どうしておれが……」
「あたりまえよ。遅すぎるくらいだわ」
狼狽えるアンディに王女が冷たく言った。
「レディ遊びだけでも許せないのに、大公家子息の立場を笠に着てやりたい放題。わたしのことが気に入らないとはいえ、度が過ぎたのよ」
「いや、待ってくれ。わかった。これからはちゃんとする」
「もう遅すぎるのよ、クズ野郎」
王女が鼻を鳴らすと、大広間内から拍手が起こった。
「それから、寝取り屋さん」
王女は、まだ親子で口論しているアリスの方を向いた。
「あなたがいくら生まれながらの貴族ではないとはいえ、自分の国の王女の顔や名前くらいわかってなきゃね。それから、寝取った相手のことも。アンディは、わたしの婚約者だったの。シノの婚約者じゃない。シノの婚約者は……」
「わたしだ」
バッキンガム大公夫妻といっしょにいる青年貴族が近づいてきた。
アンディとまったく同じ顔の青年貴族だ。
「わたしの名は、アンティ・バッキンガム。クズ野郎ことアンディ・バッキンガムの弟だ。わたしは、これまで外交官として諸外国を飛びまわっていたが家督と爵位を継ぐために戻ってきた。これからは、外務大臣補として外交に携わることになる」
アリスは、アンティとアンディを見比べた。
「嘘っ、そっくり」
「双子だからね」
アンティの返しが冷静すぎてジワジワくる。
「王女殿下、兄の不始末をどうお詫びしていいか……」
「アンティ、そんなことはどうでもいいのよ。それよりも、わたしの幼馴染ともいえるシノをしあわせにしてちょうだい」
「わかっております。シノには、いままで寂しい思いをさせました。これからは、いままでの分も含めて彼女を愛することをこの場で誓います」
つぎは、わたしが顔を真っ赤にする番だ。
「この度、バッキンガム大公家子息のアンティ・バッキンガムとアルバーン公爵家令嬢のシノ・アルバーンの婚儀がきまった。みな、祝福を」
国王の宣言に、大広間内に歓声があがった。
「シノ、待たせたね」
「おかえりなさい、アンティ。ちょっとしたトラブルがあったけど、終わりよければすべてよし、ね」
「きみの言う通りだ。これからは、きみが嫌がっても離さないからそのつもりで」
「それは、わたしの言う台詞よ」
「じゃあ、ついでに口づけね」
王女が急かすなり、アンティに口づけされた。
しばらくして彼の唇から解放されたタイミングで、王女にささやいた。
「王女殿下。つぎは、あなたの番ですよ。ねぇ、護衛騎士さん?」
王女の隣に立つライリーにウィンクすると、彼の強面が真っ赤になった。
ライリーは、王女が大好きなのだ。いや。愛しているのだ。そして、王女もまた彼のことを……。
困難なことかもしれないが、王女とライリーがしあわせになれるようアンティとともに応援と協力は惜しまない。
「わたしたちだけでなく、みんなでしあわせになろう」
そこまで考えたとき、アンティのささやきとともにまた唇をふさがれた。
彼の唇によって。
(了)




