表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

トンネル

作者: 日進 月歩
掲載日:2026/02/08

茨城県のとある場所に、新しいトンネルができるらしい。

突貫工事だと聞いて、菜花は幼馴染の昭文を連れ、半ば冷やかしのつもりでその場所へ向かった。

近くには海があり、風の中にはつねに潮の香りが孕まれていた。

その物静かな風景とは裏腹に、工事の音だけが低く、絶え間なく響いている。トンネルの入口近くでは、作業員の男が二人、鉄材を運んでいた。ヘルメットを深く被っているため、顔立ちはよく分からない。

クレーン車を使わないのだろうか。

そんなことを考えながら眺めていると、昭文がふと、こんなことを言い出した。

「トンネルって、集まるんだよな」

その横顔を見やったが、昭文は無表情で何を考えているのかよく分からない。

「集まる? 何が」

「さあ。この世のものじゃないやつ」

「抽象的すぎる」

菜花はトンネルの中がどうなっているのか、急に気になりはじめた。

入口の奥は影に沈み、昼間だというのに、どこか別の世界につながっているようにも見える。

トンネルには、昔から不思議な魅力がある。

こちらと向こうを隔てる境界線のようでいて、同時に、それを曖昧にする場所でもある。

向こう側には、自分の知らない世界があるのではないか。

そんな考えが、ふと頭をよぎった。

――トンネルは、向こうへ行くためのものというより、こちらを置き去りにするためのもののように見えた。

「夜中、トンネルの中に入ってみない?」

「やめとけよ」

「ええ? 完成前のトンネルなんて、そうそう見られないでしょ。せっかくだし、覗くだけでもさ」

「連れていかれるぞ」

「あはは。そんなわけないじゃん」



夜中の一時ごろ、菜花と昭文は、再びトンネルの近くへやって来た。

物音はひとつも聞こえない。風さえ止まったようで、その静けさがかえって耳を痛くさせた。

菜花は懐中電灯を手にすると、トンネルの中へ一歩踏み入れた。

途端に、空気が変わった。

体感温度は二、三度は低い。吐く息が、白く、細く浮かび上がる。

まるで、別の世界に足を入れてしまったようだった。

菜花は思わず身震いをした。

懐中電灯の光は、奥へ進むほど頼りなくなっていった。行き止まりのはずなのに、なぜかその先にも、道が続いているように見える。

壁際に滲んだ影が、歩くたびにわずかに形を変える。そのたび、誰かが立っているようにも見えたが、目を凝らすと、ただの凹凸にすぎなかった。

それでも、足音だけはおかしかった。

二人で歩いているはずなのに、音が多い。

一拍遅れて、別の誰かの靴底が同じように地面を叩いている気がする。

「菜花」

昭文が低い声で言った。

振り返ると、彼は奥を見つめたまま、動かない。

「ここ、前から人がいたんじゃないかな」

「…作業員でしょ」

そう言いながらも、菜花は自分の声が震えているのに気づいた。

昼間見た作業員の姿を思い出そうとしたが、顔がどうしても浮かばない。

懐中電灯の光が、ふと揺れた。

その瞬間、奥の暗がりでいくつもの白いものが、同時にこちらを向いたように見えた。

数ははっきりしない。

一人とも、十人ともつかない。

ただ「集まっている」という感じだけが、異様に強く残った。

菜花は思わず立ち止まった。

「帰ろう」

そう言ったのは、昭文のほうだった。

「今すぐ」

次の瞬間、背後で乾いた音がした。

何かが落ちたのか、ぶつかったのか分からない。だが、その音をきっかけに、空気が一斉に動いた。前からも、後ろからも、気配が押し寄せてくる。

「走れ」

昭文が、菜花の腕を掴んだ。その力は、驚くほど強かった。

入口のほうへ駆け出そうとした、そのとき。

昭文の手が、ふっと離れた。

「…いいから」

暗がりの中で、昭文が笑った気がした。

だが、それが本当に笑みだったのかどうか、菜花には分からない。

「外に、いろ」

「昭文――」

名前を呼んだ瞬間、背中を強く押された。

よろめきながら振り返ったときには、昭文の姿はもう暗闇に溶けていた。代わりに、奥のほうで、誰かが静かに立ち止まったような気配だけが残っていた。

菜花は、何も考えずに走った。

懐中電灯の光が、何度も壁を掠める。

転びそうになりながら、ただ出口だけを見つめていた。

背後から、呼ばれた気がした。

だが、それが昭文の声だったのかどうか、確かめる勇気はなかった。





あれから十年が経った。

菜花は結婚し、子を産んだ。

帰省するたび、あのトンネルのことを思い出す。

近くまで足を運んでみると、「立入禁止」と書かれた看板が立てかけられ、フェンスが巡らされていた。ただのトンネルとして、そこにひっそりと佇んでいる。

葉の茂った蔦が、入口を覆っている。

その奥には、かつて確かに続いていたはずの道が、今も変わらず、ただ、続いているだけだった……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ