婿入り予定の無能王子ですが、婚約破棄されたので全財産も一緒に消えますけれど、よろしいですね?
きらびやかなシャンデリアが輝く、ガルアニア帝国の夜会。その中心で、真っ赤なドレスに身を包んだ第一皇女カトリーヌが、一人の青年に扇子を突きつけた。
「ノア・ド・リブラ! 貴様との婚約を、たった今この場で破棄させてもらうわ!」
会場が凍りついた。ノアは伝統だけが空疎に残る小国の第三王子。対して帝国は圧倒的な武力を持つ強国だ。「人質」同然の婿入りだったノアにとって、これは死宣告に等しい。
(……きた、ついにきた! この瞬間のために、三年間『無能』の粉飾決算を続けてきたんだ!)
うつむいたノアの脳内では、前世の敏腕コンサルタントとしての血が騒ぎ、歓喜のダンスを踊っていた。
「理由を……お伺いしても?」
ノアはわざと声を震わせ、弱々しい王子を演じる。カトリーヌは一瞬、苦しげに瞳を揺らしたが、すぐに冷酷な仮面を被り直した。
「帝国は今、周辺諸国との緊張状態にあるわ。必要なのは『強さ』なの。貴様のような、毎日ソロバンばかり弾いている陰気な男に、この国の未来は背負えない! これは、帝国を愛する私が下した苦渋の決断よ!」
カトリーヌの横では、筋肉隆々の勇者が鼻で笑っている。会場からは「国のためには仕方ない」と、彼女の決断を支持する声さえ漏れた。
「帝国のため……ですか。後悔はされませんか?」
「ええ! 貴様のような寄生虫に割く予算など、我が帝国には一銅貨も無いのよ!」
「――承知いたしました」
ノアがスッと顔を上げた。その瞬間、彼を覆っていた「弱々しさ」が霧散し、射抜くような鋭い視線がカトリーヌを捉えた。
「では、婚約破棄を謹んでお受けいたします。……つきましては、私が運用を任されていた『帝国中央銀行』の全資金を、今この瞬間をもって引き揚げさせていただきます」
「は? 何を言っているの? そんなもの、手切れ金として置いていくのがマナーでしょう?」
ノアは薄く、残酷なほど美しい笑みを浮かべた。
「殿下、勘違いなさらないでください。あそこにある金は、私を信じて世界中の商人が預けた『信用』そのものです。運用主(私)が解任されれば、彼らは一斉に資金を引き揚げ、帝国との取引を停止する。……これこそが、私が三年間かけて仕込んだ『帝国の首輪』だったのですが……お気づきになりませんでしたか?」
「な……!?」
カトリーヌの顔から血の気が引いた。彼女の脳裏に、ノアが夜遅くまで執務室でソロバンを弾き、帝国の帳簿を「整理」していた姿が蘇る。あれは奉仕ではなく、帝国という巨大企業を自分なしでは倒産する体に作り替える作業だったのだ。
「明日からこの国ではパン一つ買えず、騎士への給料も支払われない。貴女が愛する帝国を、貴女自身の手で『破産』させた……ただそれだけのことです」
「待ちなさい、ノア! そんなこと……っ!」
カトリーヌが縋るように手を伸ばすが、ノアは優雅に翻したマントでそれを拒絶した。
「あとの計算は、そちらの勇者様にでも任せるんですね。筋肉で金利が下がるといいのですが」
ノアは愕然とする一同を背に、一切の未練なく出口へと歩き出す。扉に手をかけ、一度だけ立ち止まった。
(……ふぅ。これでようやく、ブラックな職場ともおさらばだ)
張り詰めていた肩の力が抜け、胸の奥から温かな安堵が込み上げてくる。手の中のソロバンを一回、軽やかに弾いた。
「さて。今日からは、私の人生も『黒字』に転じるわけだ」
扉が閉まると同時に、背後から絶望に満ちた悲鳴が聞こえ始めた。だが、夜風に吹かれるノアの耳には、それが何よりも自由で、心地よい門出の調べに聞こえていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
「守ってあげたくなるような無能な王子様が、実は国を裏で操る敏腕コンサルタントだったら……」という妄想を詰め込んだ一作でした。
カトリーヌ皇女にとっては、彼の献身的な「事務作業」こそが帝国を支える生命線だったのですが、失ってからその重さに気づいても、もう計算は合いません。 最後、ノアが弾いたソロバンの音は、彼にとっては自由への合図、帝国にとっては崩壊へのカウントダウン。そんな対比を感じていただければ幸いです。
「筋肉で金利が下がるといいですね」というセリフは、書いていて一番楽しかったポイントです(笑)。
もし「ノア様のその後が気になる!」「もっとこっぴどく破滅する帝国が見たい!」と思っていただけましたら、評価や感想、ブックマークなどで応援いただけると、作者のモチベーションという名の収支が大幅な黒字になります!
また別の物語でお会いしましょう!




