深海で、私はまだ名前を持たない
最初にあったのは、暗さだった。
重く、濃く、押し返してくる暗さ。
次にあったのは、空腹だ。
それは欠乏ではない。
崩壊だった。
私は動いた。
‥‥‥動いた、と思う。
力を入れた瞬間、私の内部が剥がれ落ちた。
削れる。
失われる。
その感覚が、そのまま空腹になって私を満たした。
‥‥‥いや、満たさない。
空腹は満たされるものではなく、私を壊すものだった。
何かを得なければ、終わる‥‥‥
何か、を取り込まなければ、ここで消える。
私は広がろうとした。
‥‥‥だが、広がるたびに私が薄くなる。
動けば死に‥‥‥止まっても死ぬ‥‥‥
内部が軋み、境界がほどける。
「私」という感覚が、空腹に食われていく。
——水。
理解した‥‥‥瞬間、遅すぎた。
‥‥‥ここは深海。そして、逃げ場のない場所。
空腹は、もはや痛みに変わった。
内側から引き裂かれるような感覚。
存在そのものが、穴だらけになっていく‥‥‥
私は‥‥‥消えかけていた。
そのとき‥‥‥遠くで微かな流れを感じた。
粒子でも、振動でもない。
わずかな、しかし確かな“動き”。
——来る。
理由は分からない。
だが、本能が告げた。
「待て」
私は、最後の力で広がるのをやめた。
空腹に逆らい、止まった。
死にそうな空腹の中で、私は初めて「選んだ」。
取り込むのか?
逃げるのか?
それとも、変わるのか?
答えは‥‥‥まだ出ていない。
ただ一つだけ、はっきりしていることがある。
この空腹は終わり‥‥‥ではない。
何かが始まる合図だ。
深海は、私に近づいていた。




