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視線の絡み合う先  作者: 柚月
その後の番外編
6/6

芽生える独占欲

 いつまでも子供のようにレーゲンの手を煩わせているわけにはいかないと、ヴィーゼは少しずつ自分でできることを、増やしていった。

 数ヶ月経てばある程度のことは自立できるようになってきたので、次は料理に興味を示した。

 レーゲンは簡単な料理なら出来るが、そもそも食事への興味がないらしく、栄養の偏りが心配だったからだ。


「通いのアルンド婦人に料理を教わりたいのだけど、いいかしら?」

「ああ、いいんじゃないか。アルンド婦人には俺からも頼んで置くよ。給金も相談したいし。」


 通いの家政婦として、 独り立ちをした子供のいる婦人が来てくれているので、彼女からヴィーゼは料理を習うことになった。

 包丁を持ったことすらなかったので、まずは手でちぎれるレタスでサラダなどを作り、徐々に料理に 慣れていく。


「また手付かずだわ……」


 通常は何人かいるはずの辺境教会の業務を一人で熟しているレーゲンは忙しく、なのにヴィーゼと過ごす時間は絶対に削らない為、昼食を疎かにしがちだった。

 そこをどうにか改善しようと、ヴィーゼは奮闘した。

 片手で食べられる軽食が作れるまで短期間で成長できたのは、レーゲンを案じる気持ちが強かったからだ。


 辺境の地は中央とは違い、冬が早く訪れる。

 そのため寒さに強い品種の林檎の木が植えられており、長い期間に様々な品種の林檎を楽しむことができた。

 いつしか日曜礼拝の後に出されるお菓子はヴィーゼが焼いたアップルパイが定番となるが、それは数年後のことである。




 隣国が敗戦した。

 俄に隣国と国境を接する辺境に緊迫した空気が流れ始めた。

 辺境伯の治める領地内では、辺境教会は国境から一番離れた場所にある。

 教会を中心としたここは、村よりは規模の大きな街が出来ていたので、国境の近くに住む辺境伯の親類貴族が越してきたと話題になっていた。


「なんだかきな臭くなってきたわいね。

となりの領にいる次女夫婦が呼び寄せてくれたんで、そっちに住むことにしたよ。」

「まあ、寂しくなりますわ。アルンド婦人、お体にお気をつけてくださいね。」


 別れもあれば、出会いもある。

 早速、日曜礼拝を訪れた辺境伯所縁の貴族の中に、年若い女性が混じっていた。

 辺境伯の妹が嫁いだ男爵家の長女、つまり辺境伯の姪だ。

 こざっぱりとしたワンピースを着た令嬢は、 かねてからこの地域の司教への目通りを願っていた。

 満を持しての挨拶に、乙女の心が踊る。

 歳若く司教であることは出世の見込みがあるということだ。

 いずれ 中央教会に栄転することが多く、独身の司教は地方にいる貴族令嬢にとっての格好の結婚相手であった。


「マブロス司教様紹介してもよろしいですかな? こちらは僕の親類の娘でエカテリニと言います。」

「お目にかかれて光栄ですわ、司教様。」


 軽く膝を折り礼をするエカテリニは、楚々とした令嬢の微笑みをレーゲンに向けた。


「 こちらこそ、よろしくお願いします、エカテリニ嬢。

 国境でのことは、わたしも聞き及んでいますよ 。

 故郷を離れるのは、さぞや、心苦しくお思いのことでしょう。

 何かありましたら遠慮なく教会を頼ってください。」


 心の中を見透かすような澄んだ青い瞳にエカテリニを映して、穏やかにレーゲンは微笑んだ。

 物腰が柔らかく紳士的で、聖職者らしい清らかで清澄な雰囲気を持つレーゲンに、エカテリニは好感を持った。


「 まあ、なんて心強いことでしょう!

この町には知り合いもおらず、心細く思っていたところなのです。

司教様の優しいお言葉に、不安が安らぎましたわ。

「 神はいつも、私たちを見守っています。

エカテリニ嬢、教会はいつでもあなたのために開かれていますよ。」


 どれだけの借りてきた猫を何匹と重ねれば、これだけの厚い面の皮ができるのであろう。

 理性では分かっている、あれが外行きの聖職者としてのレーゲンの顔だということは。

 なのに、胸に重しを乗せられたかのような気持ちになったのは、何故であろう。

 目元を隠すようなベールのついたトーク帽を被り、

エカテリニ達の背景となって日曜礼拝を手伝っていたヴィーゼは、片付けをする手を止めないように苦慮した。

 

 明らかにあの令嬢は彼に好意を持っている。


 妙齢の溌剌とした女性と、それも彼に好意を持っている女性と交流するレーゲンの姿を初めて見たことに気づいた。

 生家である伯爵家ではヴィーゼは先妻の娘であり、後妻と父親の間に嫡男や次女が産まれてからは、 何かを望んでも、 誕生日に一言のお祝いの言葉が欲しいというささやかな願いですら、 叶えられない立場であった。

 衣食住には不自由のない生活だった。

 それで十分だと思い込む。

 いずれ望むことをやめるようになったのは、自分の心を守るために、必要なことだった。

 何かへの執着心が薄い、何かを欲しがることのない自我の薄い性格は、そうやって形成された。

 

 そのヴィーゼに、いま、ひっそりと独占欲が芽生えたのだった。

 


 全ての参拝者が帰宅の途についたことを確認し、レーゲンは貼り付けていた微笑みを、すっと真顔に戻した。

 肩こりを感じて首を回すと、裏方として手伝いをしてくれているはずのヴィーゼを探した。


「ヴィーゼ、何処だ?」


 辺りを見回すと、席に残されていた聖書や賛美歌のパンフレットを片付けている姿を見つけて、足早に近付いた。


「いつもありがとう。

疲れただろう、後は俺がやるから……」


 レーゲンに声をかけられて、ヴィーゼの細い体に緊張が走った空気を感じて、レーゲンは言葉を飲み込んだ。

 振り返ったヴィーゼが、こくりと喉を鳴らす。


「大丈夫よ。最後まで手伝うわ。………レーゲン。」

「いま、」

「レーゲンって、これからは、そう呼びたいの。

……駄目かしら?」

「っ、まさか。駄目な訳がない、嬉しいよ、ヴィーゼ。」


 レーゲンが願った呼び捨てにさえ恥ずかしがっていたヴィーゼが、何か緊張感を漂わせながらも、自分から歩み寄ろうとしてくれている。

 どんな心境の変化だろう。

 今日は何か変わったことがあっただろうかと、今日一日を振り返ってーーーまさか。


「男爵家の令嬢か?」

「っ!」

「まさか、嫉妬したのか?あのヴィーゼが?」


 ヴィーゼは真っ赤になって唇をひきむすんだが、否定はしなかった。

 どこか拗ねたような表情で見上げてくる。

 艷やかな唇がほんの少し、尖っていた。


「否定しないんだな。」

「……だって、嘘はつけないもの。」


 体が痺れるような甘い衝撃が、レーゲンを襲った。

 レーゲンからも、もう少し距離を縮めたくて、ヴィーゼの額にそっと口づける。

 髪を無意識に手で梳いたり、腰や肩を自然に抱き寄せたりする癖に、唇への口づけは躊躇しているのだ。


「ここへの口づけを、許してほしい。」


 切なげに眉を顰めて、レーゲンはゆっくりと親指の腹でヴィーゼの唇をなぞった。


「ヴィーゼ、聞き飽きる位、何度でも言ってやる。 俺にはお前だけだ。」


 ヴィーゼ以外はどうでもいい。

 皆塵芥に等しい。


「信じたい。……信じていいの?」


 ぽろっと、ヴィーゼのガーネットの瞳から涙が一筋。

 淑女として育てられてきた彼女が、感情を表に出して泣くことなんていつぶりだろう。

 幼子のようないとけなさに、レーゲンの胸は締め付けられた。


「何も出来なくて、貴方に迷惑ばかりかけてしまって、貴方に嫌われてしまわないか、不安で仕方なかったの。」

「ヴィーゼ、信じてくれ。お前がそばにいてくれるだけで、俺は幸せ なんだ。」


 隣で微笑んで、一緒に食事をとって、手をつないで眠る。

 平穏な何気ない日常ほど、幸福なことはない。

それはお互いが、お互いへの思いやりを感じ取っているからこそだ。

 攫うようにして始まった2人の同居生活だったが 、一歩一歩、着実に信頼を重ねてきたはずだ。


「レーゲン、貴方をお慕いしています。」

「ヴィーゼ、愛している。」


 吸い寄せられるようにレーゲンはヴィーゼの朱い頬に手を添えて、腰を屈めた。

 自然と2人の距離は縮まり、真夏の陽射しに長く伸びたその影が、ぴったりと重なり合ったのだった。

 



つらつらと失恋の泣き言を綴るエカテリニからの手紙を読んで 、だからあそこの司教はやめとけと言ったのに、と辺境伯はぼやいた。


ーーなぁんか怖いんだよ、あの司教。



 他のことになど目がいかなくなるほど、愛に溺れて、自分に溺れてくれればいいのに。

 いっそ自分がいなければ生きていけないほどに溺れてくれればいいのに。

 

 ヴィーゼと抱き合いながら、

 ふと、レーゲンは、ほの暗く考えてしまうのだった。

やっとキスシーンまで行きました。

よろしければ★を頂けると嬉しいです。


本作は短編「視線の行方」「視線の絡み合う先」「聖女の瞳は輝く」と登場人物が繋がっているので気が向いたらぜひご覧ください。

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