攫う
他国で婚約者のいた貴族令嬢に惚れ込んで、攫うことまで考えていたレーゲンに、神託が降った。
ヴィーゼの婚約が解消された、彼女は国を出ようとしている、と。
レーゲンは司教としてのつてを使って、彼女のことを調べ上げていた。
窮地に立たされたヴィーゼに配慮の欠片もない元婚約者が、赦せなかった。
子爵家の嫡男として領地運営に携わり、その秘書と浮気していたことも調べていた。
貴族のくせに隙だらけの男だ。
平民である秘書に更にのめり込むように裏から手を回して誘導するのに、苦労はしなかった。
いずれ報復するが、まずは何よりヴィーゼの保護が先だ。
婚約解消と言っても先妻の娘であるヴィーゼをないがしろにしていた伯爵のことだから、支援金の為に、ヴィーゼの幸せなど考えない、悪辣な条件の契約を探して来るに違いない。
伯爵家は、潰す。
ヴィーゼを害する物は全て許さない。
完膚なきまでに、潰してやる。
今はヴィーゼの顔なじみの仕立て屋にいる、と、次の神託はいとも簡単に彼女の居場所を告げてきた。
仕立て屋の裏口から入っていく古着屋、暫くして同じ裏口から、街娘の色褪せたワンピースを着て、スカーフで髪を隠した彼女が緊張を隠しきれない様子でこっそりと出てきた。
どんな変装をしていても、一目で彼女だと分かった。
最初は偶然を装い優しく声をかけて、保護を申し出るつもりだった。
しかし、レーゲンはヴィーゼを自分だけのものにしたいと言う衝動を、抑えきれなかった。
長い睫毛がヴィーゼの滑らかな白い頬に影を作っていた。
眠らせた彼女を攫ったレーゲンは、奇跡を使って一晩のうちに遠く離れた教会のベッドに彼女を横たえた。
抱き上げた時に細い首筋から薫る甘い女の匂いに、くらりとした酩酊感を覚えて、とっさに唇を噛みしめる。
飽きることなくヴィーゼの寝顔を見つめていると睫毛が震えて、その意識の覚醒を知らせてきた。
ゆっくりと、瞼が開く。
夢現のガーネットのような紅い瞳に、レーゲンの歪んだ笑みを浮かべる姿が映り込んでいた。
息を飲んだヴィーゼが、レーゲンの存在を認識したことに気づいて、暗い喜びがこみ上げてくる。
ヴィーゼは上半身を起こし、後退るようにベッドボードに背中をつけた。
「そんなに警戒しなくても、これ以上は何もしないから安心しろよ、ヴィーゼ。」
「レーゲン様、まさか貴方がこんなことをなさるなんて、信じられません。」
「噓をつくなよ。薄々、俺の視線に気づいていただろう?」
「そんな粗野な口調が本性でしたのね。清廉な司教様だ思っていましたのに。」
「ははっ、よく言う。」
肩を揺らし、嘲るようにレーゲンは笑う。
「お前は一度も、俺の視線から逃げなかっただろ?」
視察した教会でヴィーゼと出会ったのはほんの数回。
彼女は、始めは婚約者と一緒に教会に併設された孤児院を訪問していたが、婚約者は急用ができたのか、先に帰ったようだった。
教会の司祭がレーゲンにヴィーゼを紹介し、二人は挨拶を交わした。
静謐な聖職者の仮面を被り、丁寧な口調での当たり障りのない社交辞令が機械的に口から飛び出てくる。
レーゲンはヴィーゼの美しい姿を目に焼き付けようと、 瞬きもせずに見つめ、内心は熱に浮かされたような欲に塗れていた。
忘れるはずがない。
そんなレーゲンの不躾な視線から目を逸らさず、社交用の貼り付けたような微笑みすら忘れて、困惑したように頬を染めていたヴィーゼの姿を。
「満更でもなかった癖に。」
からかうように笑みを深めて、レーゲンは艷やかなヴィーゼの長い髪に指先を絡めた。
怖がらせたいわけではないので、軽い口調を心がけて、レーゲンは悪戯っぽく微笑んだ。
「確かに、視線を感じていたわ。貴方のものかもしれないとも、気づいていました。でも、」
ヴィーゼにはその時、婚約者がいた。
慕わしい気持ちが滲みでてしまうだろうから、決して言葉を交わすことはできない逢瀬。
恋情を隠さないレーゲンの視線に応えるようなヴィーゼの視線は熱に潤んでいて、互いに静かに絡み合っていた。
「何度、攫っちまおうと思ったことか……」
当時を思い出し、レーゲンは切なく目を細めた。
ヴィーゼの頬を撫でようと手を伸ばして、ヴィーゼが頬を朱く染めて、思わず目をふせたことに気づく。
ーー拒まないでくれ。
ヴィーゼに怯えた表情で見つめられることを想像しただけで、気が狂いそうだ。
レーゲンは伸ばした手を握りしめ、くくっと自嘲するように喉奥を震わせた。
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本作は短編「視線の行方」「聖女の瞳は輝く」と登場人物が繋がっているので気が向いたらぜひご覧ください。




