第1話:不浄な運命は、お掃除させていただきます
わたくしの十五年の人生は、今日、終わった。
そう思ったのは、父であるアルブレヒト子爵の書斎に呼び出され、冷え冷えとした声で宣告を受けたときのこと。
「セレスティナ。お前には、ブルボン伯爵様の愛人になってもらう」
目の前に立つ父の顔には、娘に対する情など微塵も感じられなかった。あるのは、ただ、無能な娘という名の不良債権を、少しでも高く売り払おうとする商人の顔だけ。
ブルボン伯爵といえば、領地経営に失敗して多額の借金を抱える我が家が、金を借りている相手だ。そして、齢五十を超え、頭は寂しく、腹は豊かに膨らみ、若い娘をいやらしい目つきで品定めすることで有名な、あの好色な老人。
(いやいやいや、無理無理無理! なんで私がそんなオッサンの愛人に!? 前世で平和な日本に生きていた女子高生の私に対する罰ゲームか何かなの!?)
一ヶ月前。わたくしは十五歳の誕生日を迎え、神殿でスキルの授与式に臨んだ。この世界では誰もが十五歳になると、神から生涯を共にするスキルを授かる。騎士の家系ならば剣術系を、魔法使いの家系ならば属性魔法を。そして由緒正しき貴族であるアルブレヒト子爵家の長女であるわたくしには、それ相応の、家の役に立つスキルが期待されていた。
けれど、わたくしが授かったスキルは――『お掃除』。
その瞬間、父と母の顔から表情が消え、弟のクリスに至っては「姉さんがそんなゴミスキルなんて、僕の将来に傷がつくじゃないか!」とあからさまに軽蔑の言葉を吐き捨てた。戦闘にも、生産にも、何にも役に立たない、メイドや下僕が持っているようなスキル。貴族令嬢としては、最悪の外れスキルだった。
それからの一ヶ月、わたくしは屋敷の中でいない者として扱われた。そして今日、ついに借金のカタとして売られることが決まったのだ。
「……承知、いたしました」
か細い声でそう返事をすると、父は満足げに頷き、「三日後、伯爵様がお迎えに見える。それまで大人しくしていろ」と言い放ち、わたくしを部屋から追い出した。
自室に戻り、ベッドに倒れ込む。涙は出なかった。
人間、本当にショックなことがあると、脳内物質が出て逆に冷静になるというけれど、まさにそれだ。脳がフル回転を始める。
(冗談じゃない! 誰があんなハゲデブオヤジの慰み者になるものですか! 前世では慎ましく生きてきたんだから、今世くらい自由に生きたい! そうだ、逃げよう。家出よ、家出!)
決意は早かった。幸い、父はわたくしを無価値な存在だと思っているから、監視も緩い。三日もあれば準備はできる。
わたくしはガバッと起き上がると、クローゼットの奥から、乗馬用に使っていた丈夫な革袋を取り出した。
◇
家出決行は、二日後の深夜。
月明かりもない、新月の夜を選んだ。人間が深い眠りにつくと言われる時間帯。
(着替え、少しのお金、それから護身用の小さなナイフ……)
クローゼットの隅で荷物をまとめていると、背後で静かにドアが開く音がした。心臓が跳ね上がる。振り返ると、そこには蝋燭の皿を持ったメイドのアンナが立っていた。彼女は、わたくしが物心ついた頃からずっと身の回りのお世話をしてくれている、母親のような存在だ。
「お嬢様……。やはり、行かれるのですね」
アンナの声は震えていた。見つかってしまった。もう、おしまいだ。わたくしが諦めて顔をうつむくと、アンナは静かに部屋に入ってドアを閉め、足早にこちらへ寄ってきた。
「これを、お持ちください」
差し出されたのは、ずしりと重い革袋と、鞘に収められた一振りのダガーだった。
「アンナ……?」
「旦那様の話は、立ち聞きしてしまいました。許せません……! お嬢様ほどの御方が、あのような男の元へ行かされるなど!」
アンナは目に涙を溜め、固く唇を噛んでいた。
「お嬢様なら、きっと大丈夫です。その『お掃除』のスキルで、この腐敗した貴族社会の汚点を、すべて綺麗に洗い流してくださいませ!」
(え、話が壮大すぎませんこと!? お掃除は物理的なお掃除の話であって、社会の腐敗とかは専門外ですわよ!?)
どうやらアンナは、わたくしのスキルに何かとんでもない可能性を見出しているらしい。その大きな勘違いに戸惑いつつも、彼女の優しさが胸に沁みた。
「ありがとう、アンナ。……このご恩は、一生忘れません」
革袋の中には、銀貨(1万ソル)が数枚と大鉄貨(1千ソル)が数十枚入っていた。アンナがこつこつ貯めてきた、なけなしのお金だろう。
わたくしはアンナと固く抱き合い、彼女に見送られてそっと部屋を抜け出した。幸い、警備の兵士も居眠りをしており、誰にも見つかることなく、わたくしはアルブレヒト子爵家の屋敷を後にした。
◇
目指すは、隣国の自由都市。そこなら冒険者ギルドもあるし、身分を隠して生きていけるはずだ。
屋敷の裏手から続く森へ入る。貴族の令嬢が一人で歩くような場所ではないけれど、今はそんなことを言っていられない。
(とにかく、強くなるのよ、私。自分の身は自分で守れるようにならなければ……!)
そう決意を新たにした、その時だった。
ガサリ、と前方の茂みが揺れ、緑色の醜い肌をした小さな人型の魔物が姿を現した。ぎょろりとした目が、暗闇の中で爛々と輝いている。ゴブリンだ。物語で読んだことがある。人間、特に女を好んで襲うという、下劣な魔物。
「ヒ……ッ!」
喉から悲鳴が漏れる。足がすくんで動かない。ゴブリンは涎を垂らしながら、下卑た笑みを浮かべてじりじりと距離を詰めてくる。
死ぬ。捕まって、弄ばれて、殺される。ブルボン伯爵の愛人になるのと、どちらがマシだっただろうか、なんて馬鹿な考えが頭をよぎる。
(いや、どちらも嫌に決まってる! ここで死ぬために家出してきたんじゃない!)
わたくしは震える手で、アンナにもらったダガーを抜いた。けれど、剣など握ったこともない素人に何ができるというのか。絶望が心を支配しかけた、その時。ふと、わたくしは自分のスキルを思い出した。
(『お掃除』……。魔物は不浄な存在と言われているわ。もしかしたら、この不浄な塊に、何かしらの効果があるかもしれない……!)
藁にもすがる思いだった。わたくしはダガーを握りしめたまま、ゴブリンに向かって叫んだ。
「お掃除!」
わたくしがイメージしたのは、ゴブリンの足元。まるでフローリングの床にワックスをかけ、ピカピカに磨き上げるように、その一点を徹底的に滑りやすくするイメージ。
すると、次の瞬間。
ツルンッ!
奇妙な音と共に、ゴブリンが盛大にバランスを崩した。まるで、氷の上で足を滑らせたかのように。
そして、不運なことに――あるいは幸運なことに、ゴブリンが転んだ先には、人の頭ほどもある尖った石が転がっていた。
ゴッ!
鈍い音。
ゴブリンは頭から石に激突し、白目を剥いて動かなくなった。
静寂が森を包む。わたくしは、目の前で起きたことが信じられずに立ち尽くしていた。
(た、倒した……? 私が?)
気絶しているだけかもしれない。わたくしは震える足で一歩、また一歩とゴブリンに近づく。そして、意を決して、握りしめたダガーを、その心臓めがけて突き立てた。
生々しい感触が手に伝わる。けれど、不思議と怖くはなかった。生きるために、強くなるために、これは必要なことなのだと、自分に言い聞かせた。
ふぅ、と息をつき、安堵したのも束の間。
ザッ、ザザッ……!
周囲の茂みが一斉に揺れ、暗闇の中から、いくつもの赤い光がこちらを睨みつけていることに、わたくしは気づいてしまった。一つや二つではない。その数は、十を超えているようだった。
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