第6章 (7)慈愛
シルヴァとの死闘を終え、ミレディーは、ぼろぼろの身体を引きずるようにして、星詠みの寺院の最深部へと向かった。彼女の全身は、魔法の反動と、シルヴァとの激しい戦いによって、深い傷を負っている。しかし、身体の痛みなど、彼女の心の痛みに比べれば、取るに足らないものだった。彼女の瞳からは、大粒の涙が、尽きることなく溢れ続けている。それは、シルヴァを手にかけた、彼女自身の罪を洗い流そうとするかのように、止めどなく流れ落ちていた。
寺院の最深部。そこには、ただ一人、女性が静かに座していた。星詠みの巫女、セレス。表向きは大僧正として、振る舞ってはいたが、封印の地を護る星詠みの巫女として、この場に存在することが彼女の役割であった。彼女は、寺院の奥に広がる、無数の光の粒が瞬く、壮大な空間の中央に、まるで、この寺院の光そのものであるかのように、穏やかな微笑みを浮かべ、ミレディーを待っていた。
ミレディーは、セレスの姿を見て、胸が締め付けられるような思いに駆られた。彼女は、セレスを助けたかった。この寺院の破壊が、彼女の命を奪うことを知っていたから。
「…逃げてくださいと、言いましたよね…」
ミレディーの声は、悲痛に満ちていた。彼女は、セレスに、何度も、この場所を離れるように懇願した。しかし、セレスは、その言葉に耳を傾けることはなかった。
セレスは、ミレディーの言葉に、静かに微笑んだ。その笑顔は、この世のすべての悲しみを乗り越えたかのように、穏やかで、そして、慈愛に満ちている。
「私は、この場所と共にあります。…私は、星詠みの巫女。そして、この寺院は、私の魂そのものです。この場所を離れることは、私の存在そのものを否定することになります。」
セレスの言葉は、まるで澄んだ水のように、ミレディーの心に染み渡っていく。彼女は、セレスの言葉が、決して、諦めや、絶望からくるものではないことを理解した。それは、彼女の使命と、そして、この寺院への深い愛情からくる、揺るぎない決意だった。
セレスは、ミレディーの瞳を、真っ直ぐに見つめた。その瞳は、深い悲しみを湛えている。セレスは、ミレディーの瞳の奥に、まだ、人間としての温かい感情が残っていることを見て取った。
「あなたには、まだ人の心が残っています。きっと、まだ間に合うはずです。道は一つじゃない…いくらだって変えられるのです。」
セレスの声は、優しかった。しかし、その言葉には、ミレディーの心を突き動かす強い力が込められている。彼女は、ミレディーに、まだ、やり直せる道があることを示そうとしていた。
「道は、自分が選んで、変えていくのです。間違ったのなら、やり直せばいい。きっと、道は続いています。」
セレスは、そう言って、優しく微笑んだ。その笑顔は、ミレディーの心に、温かい光を灯していく。ミレディーは、セレスの言葉に、何も答えることができなかった。彼女の心は、激しく揺れ動いていた。シルヴァの言葉と、セレスの言葉。二人の言葉が、彼女の心を、温かく、そして、深く満たしていく。
それ以上の会話はなかった。ミレディーは、ただ、セレスの顔を見つめ、涙を流し続けた。そして、最後に、彼女は、心の底から、感謝の言葉を口にした。
「…ありがとうございました…」
その言葉は、彼女が、セレスと出会った、遠い日の思い出を、すべて物語っていた。
―――あの日―――
彼を助け連れ出した後、傷ついたボロボロの、素性のわからないミレディーたちを介抱してくれたのは、セレスだった。
「大丈夫よ!きっと助かるわ!助けてみせる!絶対に!だから、あきらめないで!彼のためにも生きなさい!」
ミレディーは声を絞り出して言った。
「…彼だけ…でも…」
「ダメよ!あなたが良くても、残された彼はどうするの?彼の隣にあなたがいないでどうするの!生きなさい!2人とも必ず助けるから!」
セレスは瀕死の私を涙を流しながら勇気づけて治療してくれた。絶対無理だと思っていた。しかしセレスは献身的に治療し、看病してくれてミレディーは回復することができた。
―――――――――――――
(私が失くした優しさを教えてくれた人…)
本当に、死なせたくなかった。だから、前もって、言いに来た。だが、ダメだった。彼女の涙は尽きることなく、溢れ続けた。彼女の心は、感謝と、悲しみと、そして、彼女自身の無力さへの後悔で、深く満たされていた。
ミレディーは、そのまま、静かにセレスに背を向け、去っていった。彼女の足音は、静寂な空間に、悲しい響きを立てていた。
ミレディーが去ってから、しばらくして、星詠みの寺院は、轟音を立てて、全て崩れ落ちた。寺院の崩壊は、まるで、この国の悲劇的な歴史の終焉を告げるかのように、空に、巨大な土煙の柱を巻き上げた。しばらく、空は、寺院の炎と、立ち込める土煙によって、真っ赤に染まっていた。そして、やがて、その赤色は、静かに、そして、確実に、夜の闇に飲み込まれていく。そこには、瓦礫と、無数の死体だけが、取り残されていた。
夜の闇が支配する戦場。そこには、もはや、炎の音も、悲鳴も、何もなかった。ただ、冷たい風が、瓦礫の上を吹き抜ける、不気味な静寂だけが、広がっていた。グスタフは、その静まり返った戦場を、一人、歩き続けていた。彼の心は、不安と、そして、どうしようもない焦りで満ちていた。彼は、シルヴァを探している。彼の無事を、ただ、ひたすらに願っていた。
グスタフは、瓦礫の山を乗り越え、シルヴァの戦いが見えていた戦場の中央へと進んでいく。彼の足元には、無数の死体が転がっている。しかし、彼の瞳は、ただ、シルヴァの姿だけを求めていた。
そして、ついに、彼は、その姿を見つけた。瓦礫の山に横たわる、一人の男。彼の身体は、氷の槍に貫かれ、冷たくなっていた。彼の顔は、穏やかで、まるで、安らかな眠りについているかのようだった。しかし、その顔に、微かな笑みが浮かんでいるように見えたのは、グスタフの希望的観測だったかもしれない。
「…シルヴァ様…!」
グスタフは、その名を叫び、彼の元へと駆け寄った。彼の身体は、冷たかった。そして、彼の心臓に、もう、鼓動はない。その事実に、グスタフの心は、絶望の淵へと突き落とされた。彼は、膝から崩れ落ち、シルヴァの身体を抱きしめ、声を上げて泣いた。彼の涙は、シルヴァの冷たい頬を濡らし、彼の心に、深い後悔と、そして、どうしようもない無力感を植え付けていく。
「なぜ…!なぜ、私を…置いていったのです…!」
グスタフの声は、悲痛に満ちていた。彼は、シルヴァを、一人で行かせたことを、深く後悔していた。もし、自分が、もっと強く、もっと賢ければ、彼を救うことができたのではないか。その思いが、彼の心を、容赦なく打ち砕いた。
しかし、グスタフは、すぐに顔を上げた。彼は、このまま、絶望に打ちひしがれているわけにはいかないことを知っていた。彼は、シルヴァの最期を、ロイドたちに伝えなければならない。そして、彼らが、この国の未来を、自分たちの手で切り開いていくために、この事実を、彼らに託さなければならない。
グスタフは、シルヴァの遺体を、抱きかかえたまま、立ち上がった。しかし、この場所から、遠く離れたバリスまで、彼の遺体を運び出すことは不可能だった。そして、この場所は、いずれ、この国の歴史から、抹消されるだろう。彼は、不本意ながらも、シルヴァを、この場所に埋葬することを決意した。
彼は、瓦礫を動かし、地面に、小さな穴を掘り始めた。その作業は、彼の心を、より深く傷つけていく。しかし、彼は、その痛みに耐えながら、静かに、そして、丁寧に、シルヴァの墓を作っていった。
彼は、シルヴァの遺体から、いくつかの遺品を取り出した。彼がいつも身につけていた、小さな懐中時計と、そして、彼が娘からもらった、小さな人形。それらを、彼は、自分のポケットにしまい込んだ。
そして、彼は、静かに、シルヴァの遺体を、墓穴に埋葬した。彼は、土をかぶせ、その上に、大きな石を置いた。そして、その石に向かって、静かに祈りを捧げた。
「…安らかに…シルヴァ様…」
グスタフの瞳からは、涙が、止めどなく溢れ続けていた。それは、悲しみと、そして、彼への深い敬意の涙だった。彼は、この場所を、永遠に忘れることはないだろう。
しかし、彼は、再び、前を向いた。この場所で、立ち止まっているわけにはいかない。彼は、シルヴァの最期と、ここで見たこと起きたこと全てを、ロイドたちに伝えなければならない。
グスタフは、静かに、馬に跨った。そして、彼は、夜の闇の中を、バリスへと向かって、手綱をとった。彼の背中には、シルヴァの遺品、そして心の中には、彼が託された、残る者へ国を託すという重い使命が乗せられている。彼は一刻も早く戻らねばと、さらに思いを込め馬を走らせた。




