第6章 (5)師弟
静寂が、炎の爆ぜる音と風の唸り声だけが響く戦場を支配していた。星詠みの寺院の瓦礫と、横たわる兵士たちの亡骸が、月明かりと炎の赤色に照らされ、残酷な美しさをもって浮かび上がっている。シルヴァと、黒いローブを纏った女。二人の間には、もはや言葉を交わさずともお互いが誰かは分かっていた。彼らの瞳だけが、この場のすべての真実を物語っていた。
二人はしばらくの間、ただ無言で対峙していた。夜風が、二人のローブを静かに揺らし、立ち上る土煙が、彼らの間に薄い霞をかける。女は、フードの奥で、悲しげな微笑みを浮かべている。その表情は、まるで遠い昔に交わした約束を思い出し、そして、それが決して叶うことのない夢だと悟ったかのように、儚く、そして切なかった。
「…いつかは、来ると思っておりました…」
女の静かな声が、夜の空気に溶け込んでいく。その声には、シルヴァを再び見つけられたことへの安堵と、そして、この再会が、永遠の別れを意味することを悟った、深い悲しみがにじんでいた。
「予感はしておった。理由を語らぬまま、わしの前から消えたときから、いづれこうなることを。外れることを祈りながらな。」
シルヴァの声は、いつもと同じ、静かで感情の読めない声だった。しかし、その奥には、娘を案じる父親のような、深い愛情と、そして、その予感が的中してしまったことへの、どうしようもない苦しみが込められている。彼は、彼女が、この道を選ばないことを、どれほど強く願っていたことだろう。
「『力』を求め続け、何をする?語らぬのなら、そのまま葬るしかない。わしの手で…」
シルヴァの言葉は、悲しげで優しい響きを持っていた。だが、その瞳には、揺るぎない決意が宿っている。彼が、彼女を前にして、この言葉を口にするまでに、どれほどの葛藤があっただろうか。彼は、彼女を実の娘のように愛している。しかし、彼女が選んだ道は、多くの命を犠牲にする、破滅の道だ。彼は、愛する者を、自らの手で止めなければならない。その事実が、彼の心を、深く、深くえぐる。
女は、シルヴァの言葉に、再び沈黙した。彼女の心は、激しく揺れている。シルヴァの言葉は、まるで鋭い刃のように、彼女の心の奥底に突き刺さっていた。彼女は、フードの奥で、唇を固く噛みしめる。そして、やがて、堰を切ったように、言葉を紡ぎ始めた。
「……シルヴァ様には、感謝しております。」
その言葉は、悲しみと、そして、深い敬意に満ちていた。彼女は、シルヴァと出会った、遠い過去を思い出していた。感情のない人形のような自分を、一人の人間として、優しく、時には厳しく導いてくれた、彼の姿。
「彼を取り戻すため、『力』を求め、騎士団に入り、あなたのもとで恐れ多くも弟子として接していただきました。」
彼女の声が、わずかに震える。それは、彼女が、彼と過ごした日々を、どれほど大切に思っていたかを物語っていた。彼女は、無機質な日々の中で、シルヴァという温かい光に触れ、人間としての感情を、少しずつ取り戻していっていたのだ。
「抜け殻のようだった私に、いつも親身に話しかけ、気にかけて下さいました…こんな無感情の私に、時に怒り、笑い、そして喜怒哀楽を取り戻させようとして下さいました…」
彼女の声は、過去の記憶を辿るうちに、感情を帯びていく。それは、彼と過ごした、かけがえのない日々への、感謝の言葉だった。彼女の瞳は、過去の情景を映し出し、温かい光に満ちていく。
「そして、あなたの全てを教えて下さいました…禁忌にまで手を出す私を、心から心配して下さいました…」
彼女の言葉は、まるで、壊れかけたオルゴールのように、途切れ途切れに、しかし、深い愛情を込めて語られた。彼女は、シルヴァが、彼女の研究を、どれほど心配していたかを知っていた。しかし、彼女は、立ち止まることができなかった。彼女には、どうしても取り戻したいものがあったからだ。
「今だからわかります…本当の父のようにさえ、感じておりました…」
その言葉は、彼女の心の奥底に隠されていた、最も大切な感情だった。彼女は、その言葉を口にすることで、彼女自身の心を、自らえぐり、そして、シルヴァへの深い敬意と愛情を、今、この場で、最期の言葉として伝えたかったのだろう。
女は、シルヴァを見つめた。その瞳は、悲しみに満ち、一筋の光るものが、彼女の頬を伝って流れ落ちた。それは、彼女の心が、まだ、人間としての感情を失っていないことを示す、ただ一つの証だった。
シルヴァは、彼女の涙を見て、一瞬、心が震えた。彼は、彼女の言葉が、すべて真実であることを知っていた。連れ戻した彼は、彼女の心に、温かい光を灯してくれたと思っていた。しかし、その光は、彼女の心を、より深い闇へと誘ってしまったのだろうか。
「ならばどうしてこうなった?止まれないのか?わしに出来ることはないのか?まだ間に合うじゃろ!戻ってこい!」
シルヴァの声は、震えていた。それは、彼女を失いたくないという、彼の切実な願いだった。彼の瞳には、彼女を救いたいという、強い思いが満ちている。彼は、この悲劇を、自分の手で終わらせたいと願っていた。
しかし、女は、その願いを、静かに、しかしはっきりと拒絶した。
「あなたが私に教えてくれた力で、私は強くなれた…彼を連れてくることができた…でも、違った……」
彼女の声は、悲しみと、そして、どうしようもない絶望に満ちていた。彼女は、シルヴァから教わった力で、大切な存在を取り戻すことができた。しかし、その結果は、彼女が望んでいたものとは、遥かにかけ離れていたのだろう。
「無理よ…今更。動き出した運命は止められない…止める気もない!」
彼女の語気が、一気に強まる。それは、彼女の心の奥底に隠されていた、強い怒りと、そして、悲しいまでの諦めが、今、溢れ出したかのようだった。
「もう語ることはないでしょ…止めたいなら…殺して……」
彼女は、悲しい顔で微笑んだ。その笑顔は、彼女の心の悲鳴だった。彼女は、シルヴァに、自分を止めてほしいと願っていた。そして、それは、彼女自身が、この悲劇を終わらせたいと、心の底で願っている証拠だった。
シルヴァは、彼女の言葉に、深く、深くため息をついた。彼の顔から、すべての感情が消え去る。彼の瞳は、もはや、彼女への愛情ではなく、この国の未来を背負う、一人の戦士としての、冷たい決意に満ちていた。
「仕方あるまい…そうさせてもらう…」
彼の声は、静かだった。しかし、その声には、彼女を殺さなければならないという、彼の悲しいまでの覚悟が込められている。彼は、ゆっくりと、しかし確かな動きで、魔法を放つための構えをとった。彼の身体から、淡い魔力の光が溢れ出し、夜の闇を照らし出す。
女もまた、それに呼応するように、構えをとる。彼女の全身からは、冷たく、不気味な魔力が溢れ、右手には常に魔力が通い、深く冷たい光を放っていた。二人の間には、緊張した空気が張り詰め、静かに、しかし、確実に、死闘が始まろうとしていた。
夜空の月は、二人の姿を静かに見守っている。そして、その光の下で、一人の男が、愛する者を、自らの手で葬ろうとしていた。それは、悲劇的な、そして、美しい、愛の物語の、最期のページだった。




