第6章 (3)赤く染まる空
シルヴァは、ロイドとグラハムの視線を受け止めると、迷うことなく部屋を出た。彼の足取りは軽く、その背中には、これまで見せたことのない、強い決意が満ちている。グスタフは、一歩も遅れることなく彼の後を追った。彼らは、簡単な支度をしたあと、馬小屋へと向かい、それぞれの愛馬に跨る。手綱を握るシルヴァの手は、静かに、しかし、微かに震えていた。それは、これから始まる戦いの重さを、彼自身が感じ取っている証拠だった。
皇都の門を抜けると、彼らは南へと向かって馬を走らせた。夜の帳が降り始め、空は群青色に染まり、星々が瞬き始めている。馬の蹄の音が、静寂な夜の道に、力強く響き渡った。
しばらく走った後、グスタフは、隣を走るシルヴァに、抑えきれない疑問をぶつけた。
「シルヴァ様、なぜお一人で向かわれるのですか?私たちもお供させていただければ、少しでもお力になれたはず…」
グスタフの声は、シルヴァを一人で行かせたくないという、彼の強い思いを物語っていた。しかし、シルヴァは、その問いに、視線を前に向けたまま、静かに答える。
「お主ら数人おっても変わらんじゃろ。相手は軍隊じゃ。」
その言葉は、冷たく、そして現実を突きつけるものだった。彼の言う通り、たとえ数人の精鋭が加わったところで、軍隊を相手にするのは無謀だ。しかし、グスタフは、まだ諦めきれない。
「ですが…」
シルヴァは、グスタフの言葉を遮り、わずかに口元を緩めた。その笑みには、どこか寂しげな色が浮かんでいる。
「わし一人なら、味方を気にせず暴れられるじゃろ?」
その言葉に、グスタフは息をのんだ。彼の言葉の裏には、彼自身が、圧倒的な力を持つ存在であること、そして、その力を存分に振るうためには、仲間という足枷がない方が良い、という、驚くべき真実が隠されていた。グスタフは、シルヴァの真の強さを、今、改めて思い知らされた。
シルヴァは、再び前方に視線を戻し、わずかに目を細めた。その瞳には、遠い記憶が去来しているようだった。
「…それに、なんだか予感がするんじゃ…」
その言葉は、まるで、彼の第六感が、これから起こるであろう、何かを告げているかのようだった。グスタフは、その言葉の意味を理解できず、ただ沈黙するしかなかった。彼の心は、これから何が起きるのか、予想もつかない不安で満ちていた。
馬は、夜の道をひたすら走り続けた。周囲の景色は、徐々に変わり、草木がまばらになり、岩肌がむき出しになっていく。この先に、星詠みの寺院がある。その事実が、グスタフの心をさらに締め付けた。
星詠みの寺院まで、あと少しという場所で、シルヴァは馬を止めた。彼が顔を上げると、遠くの崖の上が、赤く染まっているのが見えた。まるで、巨大な炎が、空を焦がしているかのようだった。その光は、美しさとはかけ離れた、破壊と悲劇の色を帯びていた。
シルヴァは、その光景をじっと見つめ、静かに呟いた。
「始まったか…急ぐぞ。」
その言葉に、グスタフは再び馬を走らせた。彼らの目的地は、もはや寺院ではない。その光が放たれている場所、すなわち、破壊が行われている、戦場だった。馬の速度を上げ、赤く染まった方角へ。彼らの心は、焦りで満ちていた。
そして、彼らは、星詠みの寺院へと続く、切り立った崖の麓にたどり着いた。ここからは、馬では進めない。シルヴァは、馬から飛び降りると、山頂へと続く細い通路を素早く駆け上がり始めた。彼の動きは、まるで風のようだった。グスタフもまた、彼の後を追う。
シルヴァは、崖を登りながら、静かに、しかし切実に、呟いた。
「間に合ってくれ…そこにいるんだろ…」
彼の声は、風に乗って、グスタフの耳に届く。その声には、誰かを案じる、深い愛情が込められていた。グスタフは、その言葉の意味を、理解することができなかった。誰が、そこにいるというのか。そして、なぜ、シルヴァは、そこまで焦っているのか。彼の心は、謎が深まるばかりだった。
崖を登り切り、二人はついに頂上へとたどり着いた。そこに広がっていたのは、グスタフが想像していたよりも、遥かに悲惨な光景だった。
星詠みの寺院は、すでに、原型を留めていなかった。建物の至る所で炎が燃え上がり、石畳は砕け、瓦礫が散乱している。寺院の周囲には、皇国騎士団と、第一魔術師団の兵士たちが、まるで破壊を楽しむかのように、さらに寺院を破壊し続けていた。彼らの顔には、この国の未来のためという、歪んだ正義感が満ちている。
シルヴァは、その光景を、一瞬、呆然と見つめた。彼の瞳に、深い悲しみの色が浮かぶ。しかし、その悲しみは、すぐに決意へと変わった。
「…まだ、間に合う!」
シルヴァは、そう叫ぶと、破壊が行われている戦場へと、走り出した。彼の足は、風に乗るかの如く、瓦礫の間を駆け抜けていく。彼は、この国の未来を守る一人の戦士として、この悲劇を止めようとしていた。
グスタフもまた、シルヴァに続こうとした。しかし、シルヴァは、背中を向けたまま、静かに言った。
「お前はここまでじゃ。ありがとう。」
その言葉には、グスタフへの感謝と、そして、彼を危険な場所に巻き込みたくないという、彼の優しさが込められていた。グスタフは、その言葉に、一瞬、戸惑った。しかし、彼の瞳に映る、シルヴァの背中は、これまで見たことのないほど、強く、そして、孤独な決意に満ちていた。
グスタフは、シルヴァの強い決意を感じ、その場に留まることを決意した。彼は、この戦いが、彼の力の及ばない場所で行われることを悟ったのだ。
「…シルヴァ様…」
グスタフは、ただ、その名を呼ぶことしかできなかった。彼の瞳には、シルヴァを案じる涙が浮かんでいた。しかし、彼は、その涙を拭うことなく、ただ、シルヴァの背中が、破壊と炎の中に消えていくのを、静かに見つめていた。何があろうと全てを見届け残ったものに伝えると。
シルヴァは、戦場の中央へと駆け込んでいく。彼の心には、悲しみと怒り、そして、この悲劇を止めなければならないという、強い使命感が渦巻いていた。彼は、一人の男として、そして、一人の親として、愛する者を守るために、今、戦いの舞台に立つ。彼の孤独な戦いが、今、まさに、始まろうとしていた。




