第5章 (22)ナンバリング
エライザとアリサの心に希望の光が灯った一方、バッシュの心はまだ晴れなかった。スコールとリズの告白は、彼らの研究が「禁忌」ではないという安心感をもたらしたが、同時に、バッシュ自身の存在が、その禁忌と無関係ではないという、拭い去れない疑念を植え付けていた。
バッシュは、皆が安堵の表情を浮かべる中、一人、静かに思考を巡らせていた。リズが語った「禁忌」。それは、人間の魂を『器』に宿すこと。そして、その実験は失敗に終わったと。
(じゃあ、俺は…なんなんだ…?)
彼の頭の中で、あの忌まわしい光景が、再び鮮明に蘇る。無機質な白い部屋、無数の『器』、そして、体に黒いひび割れを走らせ、静かに崩れ去っていくその姿。もし、あの実験が失敗に終わったというなら、なぜ、自分はここにいる?なぜ、自分だけが、完璧な人間として存在している?
そして、背中に刻まれた「875」の刻印。それは、読み取りで見た、あの『器』に刻まれていた数字と酷似している。それは、単なる偶然ではないはずだ。自分の体は、禁忌の実験の上に成り立っているのではないか。もしそうだとしたら、自分は、あの悲しい実験で唯一成功した、異質な存在なのだろうか。
彼の心は、嵐のように荒れ狂う。自分自身のアイデンティティが、根底から揺らいでいた。
そんなバッシュの様子を、エライザは見ていた。彼の顔に浮かぶ、喜びとも、悲しみとも違う、複雑な感情。それは、いつも彼が纏っている、穏やかな表情とはかけ離れていた。
エライザは、不安にかられ、そっとバッシュのそばに歩み寄った。
「…バッシュ、大丈夫…?」
彼女の声は、まるで、壊れやすいガラスに触れるかのように、優しく、繊細だった。バッシュは、その声にハッと我に返った。彼は、心配そうに自分を見つめるエライザの瞳を見て、無理に笑みを浮かべた。
「ああ、大丈夫だ。少し、考え事をしていただけだ。もう、平気だ。」
バッシュはそう言ったが、その笑顔は、どこかぎこちなく、彼の瞳の奥には、拭いきれない不安の色が残っている。
「…嘘。」
エライザは、静かに、しかしはっきりと答えた。
「その笑顔、嘘だわ。…無理しないで。大丈夫じゃないよね?一人で悩まないで…私、力になりたいよ。」
彼女の言葉に、バッシュは胸を打たれた。エライザは、自分の心の奥底を、すべて見透かしている。彼女の優しさが、彼の心を、じんわりと温かくしていく。彼は、もう、エライザに嘘をつくことはできなかった。
バッシュは、深く息を吸い込むと、スコールに視線を向けた。彼は、この問いを、今、この場所で、彼にしか聞くことができない。
「スコール。お前に聞きたいことがある。」
バッシュの真剣な眼差しに、スコールは、いつもの軽薄な笑みを消し、静かに頷いた。
「俺の背中の「875」という刻印、これは何なんだ。そして、俺が見た記録にあった『器』の数字と、どう繋がっている?」
バッシュの問いかけに、スコールは、一瞬だけ目を見開いた。そして、まるで、すべての真実を悟ったかのように、静かに、しかし確信に満ちた声で答えた。
「…そうか。やはり、お前は、それを見たのか…」
スコールはそう言って、リズに視線を向けた。リズは、無言で頷く。彼女もまた、バッシュの背中の刻印に、何かを感じ取っていたのだろう。
スコールは、再びバッシュに視線を戻すと、ゆっくりと、しかし、はっきりと語り始めた。
「ナンバリングは、実験、研究においては必ずするものだ。もし、昔、禁忌を研究として行っていたのであれば、それはナンバリングに間違いない。それは、実験対象を識別するための、単なる記号だ。」
スコールの言葉に、エライザとアリサは、息をのんだ。バッシュの背中の刻印は、彼の名前でも、何か特別な意味を持つものでもなく、物として識別するための「記号」だったというのか。その事実に、アリサは悲しげに瞳を伏せた。
「お前の背中の刻印は、そのナンバリングである可能性はある。しかし、それが実験体なのか、何かの試作品なのか、それとも、別の目的で付けられたものなのか…それだけでは、何とも言えない。」
スコールの言葉は、バッシュの心に、新たな波紋を広げた。バッシュはあの禁忌の実験で、唯一成功した「人間」ではないのかもしれない。しかし、それが事実だとしても、「禁忌」に関わっているという可能性は否定できない。。
「だが、一つだけ言えることがある。禁忌の実験は、完全に失敗に終わったはずだ。それは、この国に残された、歴史の真実だ。」
スコールは、そう言って、バッシュの瞳を真っ直ぐに見つめた。彼の瞳には、嘘偽りのない、真実を語ろうとする固い決意が宿っている。
「お前は、あの実験の産物ではない。それは、俺たちの知っている歴史と、技術では、あり得ないことだ。」
スコールの言葉は、バッシュの心に、わずかな安堵をもたらした。しかし、彼の心は、まだ完全に晴れてはいなかった。
「でも…もし、あの禁忌の実験が、実は成功していたとしたら?そして、その事実が、この国の歴史から抹消されていたとしたら?」
バッシュの問いかけに、スコールは口を固く結んだ。その可能性は、彼らも否定することはできない。
「それは…わからない。だが、俺たちを信じてほしい。俺たちは、この国の真実を、お前と一緒に見つけたいんだ。」
スコールの言葉に、バッシュは深く頷いた。彼の心は、まだ、完全に彼らを信じることができなかった。しかし、彼らが、自分と同じように、真実を求めていることは、確かだった。
エライザは、そんなバッシュの様子を見て、再び彼のそばに歩み寄った。彼女は、何も言わずに、ただ、そっと彼の手に触れた。その温かさが、彼の心を、静かに、しかし深く満たしていく。
「…大丈夫。私たちは、一緒だわ。どんな真実が待ち受けていても、怖くない。だって、私には、バッシュがいるもの。」
エライザの言葉に、バッシュの瞳に、わずかに光が宿った。彼は、エライザの手を強く握り返した。彼女の温かさが、彼の心を、再び温かい光で満たしていく。
アリサもまた、そんな二人の様子を見て、満面の笑みを浮かべた。
「そうだよ、バッシュ!ぼくたち、チームでしょ?何があっても、みんなで乗り越えよう!」
アリサの明るい声が、会議室の重い空気を、温かく、そして希望に満ちたものへと変えていく。
バッシュは、そんな仲間たちの温かさに触れ、再び、前を向くことができた。彼の心の中には、まだ拭いきれない疑念が渦巻いている。しかし、彼には、真実を共に探してくれる仲間たちがいる。そして、その真実を、決して一人で背負う必要はないのだ。
彼らのローレル王国での旅は、今、真実を求める旅へと、その目的を変えた。そして、その旅の終着点で、彼らがどのような真実と向き合うことになるのか、それは、まだ誰も知らない。




