第4章 (8)遺跡
アリサの言葉に導かれ、バッシュたちが巨大な岩の門をくぐると、目の前に広がる光景に言葉を失った。鬱蒼と生い茂る木々の合間に、ぽっかりと開けた空間が広がっている。天蓋のように広がる葉の隙間から、まるでスポットライトのようにさんさんと降り注ぐ光が、足元の苔むした大地を幻想的に照らしている。空気はひんやりと冷たく、森の匂いと、どこか金属が錆びたような独特の匂いが混じり合っていた。
「……すごい…」
エライザが、か細く息を呑んだ。バッシュも、その光景に圧倒され、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
「だろ?」
アリサが誇らしげに微笑み、馬を降りて歩き出した。バッシュとエライザも馬を下ろし、彼の後を追う。
足を踏み入れたのは、かつては栄えたであろう、朽ち果てた遺跡の跡だった。石造りの壁は蔦に覆われ、いくつもの構造物が倒壊している。その中には、なぜこんなものがここにあるのか、理由の分からない奇妙な「機械」のような残骸も点在していた。滑らかな金属の板や、複雑な歯車が、土に埋もれ、錆びついている。
「ここは、おそらく大戦の頃の遺物だろうね。あのわけの分からない機械みたいなのは、きっとローレル王国のものさ。彼らの科学技術は、この時代でも群を抜いていたからね。」
アリサの説明を聞きながら、バッシュは奇妙な機械の残骸に触れた。ひんやりとした金属の感触。その時、彼の脳裏に、初めて見たはずのこの「機械」の構造が、まるで既知の知識であるかのように流れ込んできた。初めて触れたはずなのに、この機械がどう動くのか、何に使われていたのか、不思議なほど明確に理解できる。胸の奥から、初めてではない、懐かしいような感覚が込み上げてきた。
「バッシュ、どうしたの?」
隣から、エライザの優しい声が聞こえてきた。森に入ってから、彼女は明らかに体の調子が良さそうだった。故郷を思い出すかのように、その表情は穏やかで、頬にはわずかに赤みが差している。精霊で満たされたこの森が、彼女の心と体を癒しているのがよく分かった。彼女の瞳は、好奇心に満ちて輝き、時折、まるで精霊と対話しているかのように、森の奥へと向けられていた。
「すごいね…まるで、故郷に帰ってきたみたい…」
エライザは、そう呟き、深く息を吸い込んだ。
そんな二人を、アリサが少し離れた場所から呼んだ。
「おーい、二人とも、こっちだよ!」
アリサが立っていたのは、半ば土に埋もれた石碑の跡だった。その周りには、砕け散った石の破片が散乱している。アリサが手に取ったのは、その破片の一つだった。その破片には、古めかしい文字が刻まれている。
「これだよ、僕が見つけたかったのは。この文字、きっと何かを物語っている。」
アリサは、石の破片を手に、バッシュとエライザに問いかけた。
「ぼくには読めないんだ。何かわかるかい?」
バッシュは破片を覗き込むが、そこに刻まれた古めかしい文字は、彼の知るどの言語とも違っていた。思考を巡らせるが、まるで壁にぶつかるように何も理解できない。
「いや…わからないな…」
バッシュがそう答え、ふとエライザに視線を向けると、彼女は破片に刻まれた文字を、まるで食い入るように見つめ、何かを呟いていた。その表情は、文字を読んでいるというよりは、文字そのものに吸い込まれているかのようだった。
「エライザ?どうした?」
バッシュが呼びかけると、ハッと我に返ったエライザは、慌てたように顔を上げた。
「え?あ…私…」
彼女は、何かを言おうとするが、言葉に詰まってしまう。その瞳は、困惑と、そして微かな恐怖に揺れていた。
「読めるのかい?その文字が…」
アリサが興味深そうに尋ねると、エライザは首を横に振った。
「読めるわけじゃないの…でも…頭の中に、何かが流れ込んでくる感じ…」
彼女は、壊れてはいるが、確かにそこにある石の破片を指差した。
「精霊を祀っていたみたい…この場所に、たくさんの精霊が集まってた…でも、その精霊たちは…とても悲しんでいた…」
エライザは、そう言いながら、頭を抱えるように両手で顔を覆った。彼女の表情は、まるで精霊たちの悲しみを、自らのことのように感じ取っているかのようだった。バッシュは、エライザの様子に、再び強い警戒心を抱く。この場所は、やはりただの遺跡ではない。
アリサは、そんなエライザの様子を静かに見つめ、しばらく沈黙した後、一つの提案をした。
「この先、もう少し奥に、祭壇のようなものがあったんだ。もしかしたら、もっと詳しいことが分かるかもしれない。」
エライザは、わずかに躊躇したが、真実を知りたいという強い想いが、その恐怖を上回った。彼女は、力強く頷いた。
「…行こう、バッシュ。」
バッシュは、エライザの手を優しく握り、彼らは祭壇へと向かった。
祭壇は、遺跡の中央に位置する、円形の広場の中央にあった。苔むした石造りの祭壇には、古びた星図が刻まれており、その中心には、精霊石のようなものが置かれていた痕跡がある。空から降り注ぐ光が、祭壇を厳かに照らし出していた。
エライザは、祭壇に近づくと、その中心に手をかざした。その瞬間、彼女の体が、まるで電流が走ったかのようにびくりと震え、頭を抱え、その場にしゃがみ込んだ。
「うっ…!」
苦痛に満ちた呻き声が、彼女の唇から漏れる。
「エライザ!どうした!」
バッシュは、慌てて彼女を抱きかかえる。アリサもまた、心配そうにその顔を覗き込んだ。
「大丈夫かい、エライザ!?」
しかし、エライザは二人の声に反応しない。彼女の瞳は、一点を見つめたまま焦点が定まらず、荒い呼吸を繰り返している。その時、エライザの心に、言葉ではない、「感じる」という感覚で、精霊たちの声が直接流れ込んできた。それは、絶望と怒り、そして悲しみに満ちた、悲痛な叫びだった。
『ここで…試みた…』
『エルフを生贄に…「力」の解放を…』
『世界の…均衡が…』
『ああ…また、悲劇が繰り返される…』
精霊たちの断片的な声が、まるで彼女の頭を直接揺さぶるかのように響き渡る。エライザは、その苦痛に耐えきれず、絶叫した。
「やめて…!もう…やめて…!」
彼女の小さな体が、小刻みに震えている。そして、絞り出すように、最後の言葉を口にした。
「ここで…試みた…エルフを生贄に…『力』の解放…」
その言葉を最後に、エライザは、まるで糸が切れた人形のように、バッシュの腕の中で意識を失った。
「エライザ!エライザ!」
バッシュは、エライザを抱きしめ、必死に彼女の名を呼んだ。彼女の顔色は青白く、その小さな体は冷たい汗で濡れている。アリサもまた、信じられないといった表情で、目の前の光景を見つめていた。
「…生贄…だと…?」
アリサの呟きが、静かな遺跡に響き渡った。この場所に隠された、あまりにも残酷な真実。それが、エライザの心と体に、深い傷を負わせたのだ。バッシュは、意識を失ったエライザをしっかりと抱きかかえ、静かに、しかし燃えるような怒りの炎を心に宿していた。
バッシュは意識を失ったエライザを抱きかかえ、祭壇から少し離れた、苔むした木の根元にそっと寝かせた。彼女の頬はまだ青白く、その小さな体は小刻みに震えている。アリサは、持っていた毛布をそっと彼女にかけた。
「…大丈夫かい、エライザ」
アリサの優しい声が、静かな遺跡に響く。バッシュは、何も答えなかった。彼の目は、ただ眠るエライザの顔を見つめている。
「彼女の言うことは、どういうことなんだ…?」
バッシュは、低く、しかし感情のこもった声で尋ねた。
アリサは、焚き火の準備をしながら、真剣な表情でバッシュに語り始めた。
「…おそらく、精霊の記憶に触れたんだろう。エルフは、精霊と対話ができると言う。直接言葉を交わすわけじゃない。心で、感情で、記憶を共有するんだ。彼女は、この場所に残された精霊たちの記憶を、直接感じ取ってしまったんじゃないかと…」
アリサは、パチパチと燃え始めた焚き火を見つめた。その炎が、バッシュの険しい表情を照らし出す。
「おそらく…だよ、この場所…かつて、ローレル王国が『力』の解放を試みた場所なんじゃないかな?そしてそのために…エルフを生贄にしようとした…」
アリサの言葉に、バッシュの心臓が大きく跳ねた。
「なぜ、ローレル王国が…?」
「彼らは、科学技術の国だ。この世界に存在する『精霊魔法』のような神秘的な力とは、かけ離れた思想を持つ。そして、彼らはその『力』を、科学で解き明かし、制御しようと考えていた。もちろん今もね。そのために、この遺跡で、精霊と深く繋がるエルフを生贄に、封印された『力』を解放しようとしたんじゃないかな…」
アリサはそう言うと、静かにバッシュの隣に座った。
「セレス様が言っていた…『鍵』と、『あれ』…そして、その『力』。おそらく、ローレル王国が封印の解放に失敗したのは、その『鍵』と『あれ』が揃わなかったからじゃない?彼女の故郷が滅ぼされたのも、もしかしたら、この時の失敗が原因かもしれない…」
アリサは、エライザの寝顔に視線を向け、悲しげな表情で呟いた。
「そして…もし、彼女の言う通り、この遺跡が『力』の解放を試みた場所なら、バッシュが感じたあの懐かしい感覚も、もしかしたら…」
アリサの言葉に、バッシュはハッと顔を上げた。
「…俺の過去と、この場所が、繋がっているとでも言うのか?」
「…わからない。でも、可能性はある。バッシュの背中の刻印…そして、あの指輪…すべてが、この『力』に繋がっているのかもしれない…」
アリサは、そう言って、夜空を見上げた。満月が、森の隙間から顔を出し、静かに彼らを見つめている。
バッシュは、自分の左手の指輪に触れた。この指輪が、自分の過去を解き明かす鍵なのだろうか。そして、その過去は、エライザの故郷の悲劇と、どう繋がっているのか。
彼の心の中には、新たな謎と、そして強烈な使命感が生まれていた。
「俺は…エライザを、決して一人にはしない。」
バッシュは、静かに、しかし力強く誓った。その誓いは、燃え盛る焚き火の炎のように、夜の森を明るく照らしていた。




