第4章 (1)それぞれのゆく道
皇国騎士団の本拠地、王城の一室。重厚な石壁と高い天井が、権威と静けさを感じさせる。部屋の中央に置かれた大きなテーブルを挟んで、二つの人影が向き合っていた。一人は皇国騎士団の副団長、キース。精悍な顔つきに、鍛え上げられた体が堅牢な鎧に包まれている。そしてもう一人は、緑のローブをまとい、金の耳飾りがきらめく美しい女だった。
「…ふむ。エルフの里は消え、封印は緩んだ。そこまでは良いわ。」
女の声は、氷のように冷たく、しかし芯のある響きを持っていた。彼女の指先が、テーブルの上に置かれた地図の、バリスの街を示す一点をなぞる。
「あの様子だと鍵のエルフはいつでも手に入る。問題は、エルフの里で見つけられなかったもうひとつの『《《あれ》》』よ。」
女は鋭い視線をキースに向けた。キースは、その圧力にわずかにたじろぎながらも、冷静に応じる。
「はっ…ただいま、全力で捜索を続けております。ですが、手がかりは未だ見つかっておりません。」
「まだ探し出せないの?」
女は、苛立ちを隠そうともせず、テーブルを指先で叩いた。カツ、カツ、と乾いた音が室内に響き渡る。
「我々が里を消すことになったあの作戦…深くを知るグラハムが、その『《《あれ》》』について何か知っている可能性もございます。意識が戻れば、聞き出すことも可能かと。もう少し、時間をいただきたく…」
「エルフの巫女が持っているのではなかったのか?そう聞いていたのだけれど。」
「はい。ですが、我々が里を捜索した際には、発見できませんでした。巫女も、その所在を告げる前に…」
キースの言葉を遮るように、女は冷たく言い放った。
「言い訳は良いわ。一刻も早く見つけなさい。あの娘自体はただの『鍵』。だが、『その先』には、それがないと行けないものよ。探しなさい、キース。そして、他の封印も探し出し、消しなさい。」
女の瞳の奥には、狂気にも似た光が宿っていた。
「ローレル王国を滅ぼす力…絶対的魔力源泉の解放…その先にあるもの…。早くあの方へ渡さないと…」
女は不敵に笑い、その場を後にした。残されたキースは、彼女の言葉が持つ途方もない重みに、ただ唇を噛みしめることしかできなかった。
ロイドは、グラハムの様子を見るために治療院へ足を運んだ。治療院の中は、昨日までの緊迫した空気から一転し、穏やかな時間が流れている。ゴールドウィンが、グラハムのベッドの傍らで脈を測っていた。
「ゴールドウィン、グラハム様の容態はどうだ?」
ロイドの問いに、ゴールドウィンは安堵したような表情で顔を上げた。
「ああ、ロイド。呪いは完全に消え去った。容態は安定し、少しずつ回復に向かっている。ただ、長らく呪いに蝕まれていたため、意識が戻るにはもう少し時間がかかるだろう。」
ロイドは大きく息を吐き、安堵した。
「それは何よりだ…」
その時、中庭の方から楽しそうな声が聞こえてきた。窓の外を見ると、サヤカがソフィアとシャボン玉を飛ばして遊んでいる。ソフィアの屈託のない笑顔に、ロイドの表情も少しだけ和らいだ。
「バッシュと嬢ちゃんは、今朝早く旅立った。ローレル王国を目指す。」
ロイドは、静かにゴールドウィンに告げた。ゴールドウィンは、驚きながらも、すぐに納得したような顔で頷いた。
「そうか…彼らには、旅をする理由ができたからな。グラハム様が目覚める前に、彼らが真実に近づいてくれるといいんだが…」
「ああ。奴らの狙いが、この国の一部にあると分かった以上、ここは危険だ。だから、約束してきた。」
ロイドは、窓の外で遊ぶソフィアに視線を向け、決意に満ちた表情で続けた。
「グラハム様が目覚めるまで、いや、たとえ目覚めても、ここは俺たちが死守すると。どんなことがあっても、ソフィアも、グラハム様も、誰にも渡さないと。バッシュたちも安心して旅立てるだろう。」
ロイドの言葉に、ゴールドウィンは深く頷き、力強くロイドの肩を叩いた。
「頼む、ロイド。お前の言葉は、この上なく心強い。」
二人は、それぞれの決意を胸に、グラハムの目覚めを静かに待つ。バッシュたちが新たな旅に出た一方で、彼らもまた、それぞれの場所で戦いを続けていく。
ロイドがゴールドウィンと言葉を交わしていると、治療院の扉が静かにノックされた。その瞬間、ロイドは背筋を凍らせた。ノックの音の直後、扉の向こうから尋常ではない威圧感が押し寄せてきたからだ。それは、圧倒的な力と、長い年月を重ねた魔力の波長だった。
(いったい、何者だ…?)
ロイドは反射的に身構え、警戒しながらゆっくりと扉に近づいた。扉を開ける。緊張の一瞬。そこに立っていたのは、見覚えのある白髪の老紳士、シルヴァだった。
「…シルヴァ…様!なぜ、ここに!?」
ロイドは驚きを隠せない。シルヴァは、ロイドの驚きを意に介することなく、静かに治療院の中へと足を踏み入れた。その威圧感は、いまだ健在だった。
「ロイド、ゴールドウィン、久しぶりだな。ずいぶんと賑やかになったではないか。」
シルヴァはそう言うと、周囲を見渡し、グラハムのベッドに視線を向けた。そして、ゆっくりと部屋の中央まで進むと、椅子に腰を下ろした。その動作の一つ一つが、重厚な威厳を放っている。
「グラハムは大丈夫なのか?様子はどうなのだ?」
シルヴァの問いかけは、静かでありながらも、深い慈愛と、そして鋭い探求心に満ちていた。
シルヴァの問いかけに、ゴールドウィンがグラハムの容体を詳しく説明した。
「はい、シルヴァ様。呪いは完全に解けました。今は体力の回復を待つばかりで…ただ、意識が戻るにはもう少し時間がかかるかと。」
「そうか。呪いは解けたか。解呪…エルフか…」
シルヴァはそう言うと、静かに目を閉じ、深く考え込む。その表情は、まるで宇宙の星々を読み解くかのように険しく、そして遠くを見つめているようだった。ロイドとゴールドウィンは、その言葉を静かに待った。
やがて、シルヴァはゆっくりと目を開け、ロイドに視線を向けた。
「やはり、魔術師団の動きはおかしい。グラハムが持っているであろう情報、そして例の『鍵』…すべてが繋がってくる。この場所は、奴らにとって格好の標的になるだろう。」
ロイドは、シルヴァの言葉に、身構える。シルヴァの洞察力は、彼らが考えていたよりも遥かに深い場所まで及んでいるようだった。
「では、どうすれば…」
ゴールドウィンが不安そうに尋ねる。シルヴァは、椅子に深く腰掛けたまま、静かに、しかしはっきりと告げた。
「じゃが、わしがここにおったらどうだ?そうそう手は出せまい。」
ロイドの心臓が、大きく跳ねる。彼はシルヴァが何者であるかを知っていた。皇国随一の魔術師。一騎当千の力を持つとされ、一人で何千もの敵を相手にできるとまで言われる伝説的な存在だ。そんな彼が、ここに留まるというのか。
ロイドは、驚きと感謝の念が入り混じった表情で、シルヴァに言葉を返した。
「シルヴァ様…それは、あまりにも…いいのですか?」
シルヴァは、ロイドの言葉に静かに微笑んだ。
「ロイド。ここに寝ているこいつを、奴らの好きにはさせん。わしは、この国が壊れていく様は見たくない。それに…グラハムは、わしにとって特別な存在だからな。」
シルヴァは、そっとグラハムの顔に手をかざす。その手から放たれるかすかな光が、グラハムの顔を優しく包み込んだ。
「わしにできることは、ここでグラハムが目覚めるのを待つこと、そしてお前たちを、奴らの魔の手から守ることだ。」
「シルヴァ様…!」
ロイドは、深く頭を下げた。ゴールドウィンもまた、その慈悲深い決意に、静かに敬意を表した。
「ソフィアとサヤカにも伝えておこう。ここからは、わしが守り手の一人だとな。」
シルヴァの言葉は、まるで揺るぎない城壁のようだった。彼という圧倒的な存在が加わったことで、治療院に満ちていた緊張と不安は、確かな安堵へと変わっていった。バッシュたちが遠い地で戦いを始めた今、このバリスの街でも、それぞれの戦いが始まろうとしていた。
バッシュたちは街を出て、馬を走らせること数日。周囲の景色は、賑やかな街並みから一変し、深い森へと変わっていた。道は次第に上り坂となり、やがて視界が開けると、深く切り立った巨大な岩壁に挟まれた、薄暗い渓谷へと差し掛かった。
風が岩肌を這うように吹き抜け、不気味な音を立てている。道は細く、馬がようやく二頭並んで通れるほどだ。谷底には、ごうごうと音を立てて流れる濁流が見える。空を覆うようにそそり立つ岩壁には、苔むした木々がしがみつくように生え、太陽の光もわずかしか届かない。
「ここが、星詠みの寺院へと続く道だね。なんだか、空気が違う…」
エライザは、その圧倒されるような自然の威容に、どこか不安げな声を漏らした。アリサもまた、背負ったリュートを抱え直し、真剣な表情で周囲を警戒している。




