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key〜光の先へ〜  作者: 初 未来
閑話 サヤカの休日

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閑話 サヤカの休日

 皇都バリスの喧騒から少し離れた、ゴールドウィンの治療院。普段は病に苦しむ人々や、怪我を負った兵士たちで賑わっているが、ここ最近はグラハムの件もあって、新規患者を制限してることもあり、いつもより穏やかな空気が流れていた。


 サヤカは、手際よく薬草を棚に並べながら、ロイドに声をかけられた。


「サヤカ、たまには休んでいいんじゃないか?気晴らしでもしてこいよ。」


 ロイドはそう言って、優しく微笑んだ。ゴールドウィンも同意している。サヤカは、ロイドやゴールドウィンと同じく、グラハムの忠実な配下だ。騎士団にいた頃から変わらぬ真面目な性格で、その冷たいほどに整った美しい顔立ちとクールなたたずまいは、近寄りがたい雰囲気をかもし出している。しかし、その内には深い優しさを秘めており、特にグラハムの娘であるソフィアにはすっかりなつかれ、実の姉のように慕われていた。


「サヤカ、ソフィアちゃんは俺が見てるから、気にせず出かけてきたらどうだ?」


 ロイドの言葉に、サヤカは首をかしげた。


「いえ、特にストレスもありませんし、気晴らしと言われても…」


 そう言うサヤカは、本当に何をすればいいのか分かっていないようだった。ロイドは、そんな彼女の不器用な優しさを知っているからこそ、半ば強引に休みを与えた。


 翌朝、サヤカはいつものように、規則正しく目を覚ました。騎士団時代に染み付いた習慣は、体に深く刻まれている。洗面所で身なりを整え、鏡に映る自分を見つめた。


「…今日は、何をしよう…」


 鏡の中の自分に問いかけるが、答えは見つからない。彼女の瞳は、まるで静止した湖のように、何も映し出していなかった。しばらく鏡とにらめっこした後、着替えをしようと手を伸ばす。


 その手が、無意識に治療院の制服へと向かい、ハッと我に返った。


「…休み、だったわ。」


 サヤカはそう呟くと、制服から手を離し、クローゼットの奥からシンプルなベージュのシャツと、七分丈ほどの黒のパンツを取り出した。


 朝食もとらず、当てもなく街へ出かけることにした。澄んだ空の下、石畳の道を歩きながら、サヤカはゆっくりと、自分だけの時間を取り戻していく。それは、彼女にとって、忘れかけていた「普通の女性」としての時間だった。


 当てもなく歩くうち、サヤカは噴水広場の近くにある小さな食事処の前にたどり着いた。店先には、木製の白いテーブルがいくつか並べられており、行き交う人々を眺めながら食事を楽しむことができる。サヤカは、その中の一つに腰を下ろした。


 普段、朝食をとる習慣がなかった彼女だが、今日だけは少し違う。店員から手渡されたメニューに目を落とすと、目に留まったのは、ハムと新鮮なレタス、トマトをたっぷりと挟んだサンドイッチ。飲み物は、普段は水しか口にしないが、今日は珍しく香りの良いハーブティーを頼んだ。


 やがて運ばれてきたサンドイッチは、こんがりと焼かれたパンから湯気が立ち上り、ハーブティーの湯気と共に、彼女の心をじんわりと温めていく。サヤカは、ゆっくりと一口食べた。パンの香ばしさ、野菜のシャキシャキとした食感、そしてハーブティーの爽やかな香りが、彼女の口いっぱいに広がった。


「…いつぶりだろう、こんな食事…」


 サヤカはそう呟き、遠い昔に思いを馳せた。騎士団に入る前、まだ何も知らなかった頃の自分。そんな穏やかな日々に思いを馳せながら、彼女の口元には、微かな笑みがこぼれていた。


 広場の噴水からは、清らかな水の音が聞こえてくる。陽光に照らされた水飛沫が、虹色の光を放ちながら舞い上がっていた。サヤカは、ただゆっくりと食事を味わい、行き交う人々の楽しそうな声に耳を傾ける。それは、彼女にとって、忘れかけていた「普通」の休日だった。


 温かいハーブティーを一口飲むたび、彼女の心は次第に解きほぐされていく。街を行き交う人々を眺めながら、サヤカはぼんやりと想像していた。楽しそうに談笑するカップル、子どもの手を引きながら歩く夫婦、真剣な顔で何かの話をしている学生たち。


(もし、騎士団に入っていなかったら…)


 自分も、あんな風に、誰かとデートしたりしていたのだろうか。淡い色のドレスを着て、ロイドやグラハムのような誰かと…いや、誰かと、という想像は、すぐに打ち消した。ロイドもグラハムも、彼女にとっては大切な主であり、仲間だ。


 騎士団という閉ざされた世界で、ただひたすらに剣と向き合ってきた人生。彼女の心には、ロイドやグラハム、そしてソフィアがいるが、それは家族や仲間としての愛だ。異性としての、甘く切ない感情は、知る由もなかった。


 サヤカは、ハーブティーの入ったカップを両手で包み込み、その温かさを感じていた。それは、彼女が心の奥底に封じ込めてきた、ごく普通の女性としての感情が、少しずつ溶け出していくような、そんな優しい時間だった。


 ブランチを終えたサヤカは、当てもなく街を歩き始めた。噴水広場を抜け、にぎやかな商店街へと足を進める。ガラス張りの店のウィンドウに、色とりどりの服やアクセサリーが飾られている。


(今の流行りって、なんなんだろう…?)


 騎士団に入って以来、彼女の服は制服か、実用的な作業着ばかりだった。街ゆく女性たちの着こなしを眺めながら、彼女は少しずつ、この「非日常」に胸を躍らせていく。乗り気じゃなかったはずの休日が、今は心から楽しいと思えてきた。


 そんな中、一軒の服屋のウィンドウに、ふと目が留まった。普段の彼女では決して選ばないような、華やかなドレスや、個性的なデザインの服が並んでいる。思い切って店に入ってみると、店員はサヤカの整った容姿に目を輝かせた。


「お客様!とても良いスタイルをしていらっしゃいますので、ぜひこちらをお試しになりませんか?」


 店員の熱心な言葉に、サヤカは戸惑いながらも、勧められるがままにいくつかの服を試着することになった。


 まず彼女が身につけたのは、鮮やかなスカイブルーのロングワンピースだ。風に揺れる軽やかな素材で、裾には白い花の刺繍が施されている。合わせて、つばの広い白の帽子も試着した。普段は黒や紺といった暗い色しか着ない彼女にとって、その色は眩しいほど新鮮だった。


 次に試着したのは、オフショルダーのブラウスに、ふわりとしたスカートを合わせたスタイル。鎖骨を美しく見せるデザインに、サヤカは少し気恥ずかしさを感じた。鏡に映る自分は、いつものクールな女性ではなく、どこか可憐で、守ってあげたくなるような雰囲気をまとっている。


 最後は、店員が「お客様の雰囲気にぴったりです!」と勧めた、シックな黒の革のジャケットに、タイトな濃紺のパンツを合わせた、クールなスタイルだ。鏡の中の自分は、いつもとは違うが、どこか見慣れた強さを持っているように見えた。


 結局、サヤカは、色とりどりの服の中から、シンプルなものを選ぶことにした。ゆったりとした白のカットソーと、動きやすいカーキのパンツ。騎士団でつちかわれた習慣は、そう簡単には抜けない。


「動きやすさを求めてしまうなんて…職業病ね…」


 サヤカは、新しい服を抱えながら、一人で微笑んだ。その顔には、先ほどまでの迷いや不安はなく、清々しい笑顔が浮かんでいた。


 ウィンドウショッピングを終え、夕刻になった。帰り道、サヤカは通り沿いのお菓子屋の前でふと足が止まった。ガラスケースの向こうには、色とりどりの美味しそうな焼き菓子やケーキがところ狭しと並べられている。イチゴがたっぷり乗ったタルト、チョコレートクリームが何層にも重なったケーキ、見た目も華やかなマカロン。甘い香りが彼女を包み込む。


(ソフィアちゃん、どうしてるかな……)


 ふと、彼女の頭にソフィアの屈託くったくのない笑顔が思い浮かんだ。ロイドは、ちゃんとソフィアと遊んであげているだろうか。そんなことを考えているうちに、彼女の手は、自然とソフィアが大好きな、カラフルなチョコでデコレーションされたドーナツをいくつか買っていた。


 帰る途中、治療院に寄ると、ドアを開けたロイドが、疲れ切った表情でサヤカを迎えた。


「おう、サヤカ、楽しめたか…」


「はい。」


 サヤカは小さく答えたが、心の中では(なんでこの人こんなに疲れているんだろう?)と疑問に思っていた。


 そう思った瞬間、ロイドの足元からソフィアが飛び出してきた。


「お姉ちゃん!」


 ソフィアは、サヤカの足に抱きつき、満面の笑みを浮かべている。サヤカは、そんなソフィアを優しく抱きとめ、そのいつもの冷たい表情からは想像もつかないような、穏やかな笑顔を見せた。


 それを見たロイドは、深いため息をつきながら感心したように言った。


「サヤカ、お前はよく毎日ソフィアちゃんと遊んでやれるな……」


 ロイドが疲れていたのは、一日中ノンストップでソフィアと遊び続けたからだ。その体力に、かつて騎士団で日々鍛錬していたロイドでさえも、完敗だった。


「え?何か言いました?」


 ロイドの呟きを聞き逃さなかったサヤカが尋ねた。


「なんでもない。」


 ロイドは笑ってごまかした。


 サヤカは、ソフィアに買ってきたドーナツを渡した。


「また明日ね。」


 やさしくほほ笑み、声をかけた。ソフィアはドーナツを大事そうに抱え、満面の笑みで「うん!」と答えた。

 ロイドに一言。


「ではまた明日。」


 そう告げ、ドアを出ようとしたサヤカだったが、ふと足を止め、再びロイドの前に戻った。


「これ、どうぞ。」


 そう言って、彼女が差し出したのは、シンプルなバタークッキーが入った袋だった。ロイドは、目を丸くしてそのクッキーを受け取った。


「あ、ありがとう…」


 サヤカは、ロイドのその驚いた顔を見て、少しだけ可笑おかしそうに笑うと、今度こそ治療院を後にした。


 ロイドは、ドアが閉まった後も、手に持ったクッキーを見つめていた。


「………笑った…」


 彼の顔には、驚きと、そしてどこか満たされたような笑みが浮かんでいた。


 家に戻ったサヤカは、ゆっくりと湯船に浸かり、一日の出来事を思い返した。ウィンドウショッピングで試着した、色とりどりの服。噴水広場で見た、楽しそうな人々の笑顔。それから、ソフィアの屈託のない笑顔や、ロイドの疲れた顔。そして、最後に少しだけ笑った私。


 鏡の前で、彼女はそっと微笑んでみた。そこに映っていたのは、いつもとは違う、少しだけ柔らかくなった自分だった。


(こんな日も、悪くないわね…)


 サヤカの心は、不思議と軽くなっていた。まるで、心に積もっていたほこりが、優しく洗い流されたかのように。彼女は、清々《すがすが》しい気持ちでベッドに入り、一日の疲れと、新しい発見を胸に、静かに眠りについた。


 了

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