第3章 (24)旅立ちの朝
バッシュは、明日の旅立ちに備え、エライザに早く休むように促した。
「明日に備えて、早く休んだ方がいい。」
すると、アリサがにこやかにエライザに声をかけた。
「ここはお風呂も自慢って言ってたよね?じゃあ、ぼくたちは一緒にお風呂入ろう!」
アリサの言葉に、エライザの顔は真っ赤になり、しどろもどろになった。
「えっ、あ、えっと…!」
バッシュとロイドも驚きを隠せない。
「……え?アリサ、何を言っているんだ?」
バッシュが思わず尋ねた。
ロイドも呆れたように腕を組み、
「おいおい、アリサ殿、それはいくらなんでも早すぎるだろう。バッシュとエライザ嬢ちゃんの関係も、まだそういう段階ではないはずだぞ?」
アリサは不思議そうに三人の顔を見渡した。
「ん?……ああ!」
何かを理解したように、アリサは「はっ!」と声を上げた。そして、全員の顔を順番に見ながら、からかうような、それでいてどこか楽しげな声で言った。
「もしかして、きみたち、ぼくのこと男だと思ってたの?」
その言葉に、バッシュ、ロイド、そしてエライザの表情は完全に固まった。
「いやいや、女だよ?」
アリサはそう言って、にっこりと笑った。
「ま、まさか…!?」
ロイドが信じられないといった顔で叫んだ。
バッシュも驚きを隠せない。確かにアリサは端正な顔立ちで、細身でしなやかな体つきをしていたが、これまでの振る舞いや装束、そして吟遊詩人としての佇まいは、完全に男性のものだったからだ。
アリサはそんな三人の反応を見て、くすくすと笑った。
「そりゃそう思うよね。普段からこうだから。一人で旅してるからね、女一人じゃさすがに危険すぎるんだ。だから男装なのさ。」
アリサは自身の軽装に視線を落とした。
「それに、ちゃんと一通りの武芸の心得もあるよ。護身用にはね。だから、そこら辺のチンピラに絡まれることはまずないさ。」
アリサは自身の腰に差されたナイフに軽く触れ、その表情は真剣なものへと変わった。
「危険な土地を旅する吟遊詩人として、身を守る術は不可欠だからね。でも!」
アリサは再びにこやかな笑顔に戻り、人差し指を立てた。
「でも!ぼくは女だよ。だから、エライザ、一緒にお風呂に入ろうって言ったんだよ。」
エライザはまだ頬を赤くしているが、少し安堵したような表情を浮かべた。ロイドは頭を抱え、バッシュは複雑な顔でアリサを見つめている。
ロイドは深いため息をついた。
「まさか、そんな驚きの事実が隠されていたとはな…。アリサ殿、これから嬢ちゃんたちと旅をするなら、もう少し早く教えてくれてもよかったんじゃないか?」
アリサは肩をすくめた。
「だって、その方が面白いだろう?それに、初めから女だって分かってたら、きみたちも警戒しただろう?吟遊詩人は秘密主義なんだ。色々な情報を得るためには、時には素性を隠すことも必要でね。」
ロイドはもう諦めたように笑った。
「やれやれ、秘密主義ね…お前が味方でよかったよ。敵になっていたなら、どこかでとんだ厄介事を抱え込むところだったかもな。」
こうして、新たな旅の仲間であるアリサの意外な秘密も明らかになり、バッシュとエライザのローレル王国への旅は、いよいよ明朝に迫った。
その夜、ロイドの店の2階の部屋。バッシュは窓辺に腰かけ、静かに夜空を眺めていた。満月が煌々と輝き、その光が彼の顔を青白く照らし出す。今日、アリサから告げられた真実が、彼の心を支配していた。
エルフの里は、この国の「力」を求める一部の者たちによって滅ぼされた。そして、その力とは一体何なのか。「鍵」であるエライザの存在、そして、先日図書館で目にした世界樹の秘密を記した書物。全てが一本の線で繋がっていく。
しかし、もう一つ、彼の心を占める大きな謎があった。アリサは、エルフの里が滅ぼされた理由を「力」の封印のためだと語った。しかし、ロイドは以前、彼の腕の「模造の命」が、この世界の真実を解き明かす鍵になると言っていた。エライザの「鍵」と、バッシュの存在。この二つが、どう関係しているのだろうか。そして、自分はなぜ過去の記憶を失っているのか。
彼の指先には、物心ついた頃から身につけていた謎の指輪が鈍く光る。この指輪も、この世界の真実と何らかの繋がりがあるのだろうか。思考を巡らせるほどに、謎は深まるばかりだった。
ふと視線を部屋の奥に向けると、ベッドから小さく安らかな寝息が聞こえてくる。そこには、エライザとアリサが、身を寄せ合うようにして眠っていた。お風呂ですっかり打ち解けた二人は、ベッドで夜遅くまで語り合い、そのまま眠ってしまったらしい。疲労と、ようやく見つけた故郷の真実に打ちひしがれていたエライザの表情は、今は穏やかだ。
(まずはローレル王国へ。そこからだ。)
バッシュは、それ以上考えることをやめた。どんな真実が待ち受けていようと、まずは旅を続けなければならない。そして、隣で眠るエライザを、決して悲しませてはならない。改めて心に誓い、バッシュも静かに目を閉じた。
翌朝、バッシュは早めに目を覚まし、身支度を整えると食堂へと降りていった。そこにはすでにロイドがいて、大きな鍋から立ち上る湯気を前に、忙しそうに朝食の準備を進めていた。
テーブルには、シンプルながらも温かみのある料理が並べられている。 香ばしく焼かれたパンは、外はカリッ、中はふっくらとしていて、ナイフを入れると湯気が立ち上る。 横には、新鮮な卵を丁寧に焼き上げたオムレツが、見るからにとろりとした仕上がりだ。 色とりどりの新鮮な野菜が並んだサラダは、朝の光を受けてきらきらと輝いている。 そして、今日のスープは、鶏肉と根菜をじっくりと煮込んだ、温かくて優しい味がするポトフだった。 食事全体から、ロイドの心遣いが伝わってくるようだった。
やがて、エライザとアリサも食堂に降りてきた。 二人は並べられた朝食を目にし、感嘆の声を上げた。
「わあ…!すごく美味しそう!」
エライザは目を輝かせ、アリサもにこやかに微笑んだ。
「これは…旅の始まりには最高の朝食だね。ロイドさん、ありがとう。」
二人の言葉に、ロイドは満足げに笑い、食事を促した。
「ハハ、遠慮なく食べてくれ。これから先、いつこんな落ち着いた食事ができるか分からんからな。」
四人は賑やかに朝食を囲み、旅の成功を祈って食事を終えた。
朝食を終え、いよいよ出発の時が来た。ロイドが手配した馬が店の前に繋がれている。バッシュの馬は、筋肉質な立派な馬だ。アリサは小柄な馬に跨がり、身軽な様子で手綱を握る。
エライザは、ロイドに別れを告げた。ロイドは抱きしめ声をかけた。
「必ず帰ってこいよ。」
バッシュは、エライザを馬の後ろに乗せ、しっかりと抱え込んだ。
「準備はいいか?」
バッシュの問いに、エライザは頷いた。
「うん!」
アリサが先導し、三人はゆっくりと街を出ていく。ロイドは店の前で、その背中が見えなくなるまで見送っていた。彼の心には、新たな旅へと向かう若者たちへの期待と、彼らの無事を祈る気持ちが入り混じっていた。
三人は、ローレル王国を目指し、まずは星詠みの寺院が立つ渓谷へと馬を進めていった。静かな朝の街に、蹄の音が響き渡り、彼らの旅が今、始まった。




