第3章 (15)想いの力
治療院の扉を開けると、そこには先日までの激戦の跡が生々しく残っていたが、すでにロイドたちが応急処置を施したのだろう、散乱していた家具は片付けられ、以前よりは整頓されていた。
バッシュとエライザ、そしてロイドが足を踏み入れた瞬間、奥の部屋から小さな足音が駆け寄ってきた。
「エライザお姉ちゃん!」
ソフィアが、その小さな体をエライザ目掛けて全力で飛び込ませた。エライザは両腕を広げてソフィアを受け止め、優しく抱きしめる。ソフィアの顔には、エライザに会えた安堵と、父親への心配が入り混じった複雑な表情が浮かんでいた。
「ソフィアちゃん!ごめんね、怖かったでしょう?」
エライザはソフィアの頭を撫でながら言った。
「うん…でも、サヤカお姉ちゃんがずっと一緒にいてくれたの。お父さんのこと、大丈夫かなって、心配で仕方なかったの…」
ソフィアの言葉に、エライザはサヤカの方を見た。サヤカは、そっとソフィアの背中を撫でていた。一見するとクールで冷静に見えるサヤカだが、その行動からは確かに優しさが滲み出ている。
「サヤカさん、ありがとう。ソフィアちゃんのこと、助けてくれて。」
エライザが感謝を伝えると、サヤカは少し照れたように首を傾げた。
「いえ、当然のことをしたまでです。ソフィア様の不安を、少しでも和らげられればと…」
ソフィアは、エライザの腕の中でサヤカを見上げ、小さな声で呟いた。
「サヤカお姉ちゃん、見た目はちょっと冷たいけど、お話するととっても優しいの!」
その言葉に、サヤカの表情にわずかな笑みが浮かんだ。エライザは、そんな二人の様子を見て、少しだけ心が温かくなるのを感じた。
一方、ロイドは足早に奥へと進み、グラハムの傍らにいるゴールドウィンの元へ向かった。
「ゴールドウィン、グラハム様の容態はどうだ?変わったことは?」
ロイドの問いに、ゴールドウィンは重い口を開いた。
「ああ、ロイド。残念ながら、容態に変化はない。未だ意識は戻らず、呪いの進行も止まっていないようだ。」
ゴールドウィンの声には、疲労と無念さが滲んでいた。グラハムの容態が思わしくないことに、ロイドの顔にも陰りが差した。彼らはこれ以上、何をすべきだろうか。
ロイドは、グラハムの容態に変化がないと告げたゴールドウィンに、静かに、だがはっきりと言い放った。
「今から、解呪を試す。」
ゴールドウィンは、その言葉に驚きを隠せない。
「できるのか、ロイド!?」
彼の声には、戸惑いと、かすかな期待が入り混じっていた。
エライザは、ソフィアをそっと抱きしめ、顔を上げた。
「ソフィアちゃん、待っててね。お姉ちゃん、頑張ってくるから。応援しててね!」
ソフィアは、小さな手でエライザの服をぎゅっと掴み、不安そうに頷いた。エライザはソフィアから離れると、バッシュのもとへ駆け寄る。その瞳には、決意の光が宿っていた。
「バッシュ!私、試してみる!」
バッシュは、エライザの揺るぎない覚悟を受け止め、力強く頷いた。
「行こう。」
そして、バッシュ、エライザ、ロイドの三人は、グラハムが横たわる病室へと向かった。彼らの足取りは、それぞれの思いと決意を乗せて、重く、そして確かなものだった。
病室の扉を開けると、そこにはグラハムがベッドに横たわっていた。その顔は蒼白で、意識のないまま苦しげに眉をひそめている。その痛々しい姿に、エライザは思わず息を呑んだ。
その様子を見たバッシュは、エライザの正面に回り込み、彼女の目をまっすぐに見つめた。
「大丈夫だ、エライザ。自分を信じろ。俺はいつでも信じている。」
バッシュの力強い言葉が、エライザの心にじんわりと染み渡った。不安と、未知の力への恐れが入り混じる中で、バッシュの揺るぎない信頼が、彼女に確かな勇気を与えてくれる。彼の言葉は、迷いを打ち消し、自分の中に眠る力を信じるようにと、優しく、しかし強く促していた。彼女は深く呼吸し、自らの内側にある精霊石の輝きを感じ取ろうとした。
エライザはグラハムの横にゆっくりと膝まずくと、手にしていた装飾のある短剣をグラハムの胸の上にそっと置いた。そして、自身の首元に輝くペンダントを強く握りしめ、静かに祈り始めた。
エライザは、グラハムの胸に置かれた短剣と、自身が握りしめるペンダントに意識を集中し、静かに囁き始めた。それは、古の巫女たちが精霊に捧げた祈りの言葉であり、森の民エルフとしての精霊への深い感謝が込められていた。彼女の声は、病室の静寂に溶け込むように響き渡り、やがてそれは、澄んだ歌声のように変化していった。
エライザの心の中には、グラハムが元気な姿に戻る明確なイメージがあった。呪いが解け、彼の顔に血の気が戻り、ソフィアと共に笑い合う姿を、強く、強く願った。その思いが波紋のように広がり、彼女のペンダントが淡く光を発し始めた。光は次第に強さを増し、エライザの小さな体を包み込むように輝く。それに共鳴するように、グラハムの胸の上の短剣も、神聖な光を放ち始めた。
バッシュは、その光景を固唾を飲んで見守っていた。エライザの全身から放たれる光は、彼女の純粋な思いの結晶のように見えた。ロイドもまた、驚きと期待の混じった表情で、その奇跡的な光景を見つめている。サヤカとゴールドウィンも、信じられないものを見るかのように、その場に立ち尽くしていた。
しかし、エライザの表情は、まだ苦しげだった。
(まだ足りない…!)
彼女は必死に、力の限り祈り続けた。体中の魔力が、まるで泉のようにペンダントと短剣に注ぎ込まれていくのを感じる。しかし、呪いの根深さが、彼女の力を阻んでいるかのようだった。
その時、病室のドアの向こうから、ソフィアの小さな叫び声が、エライザの耳に届いた。
「お父さん!」
ソフィアの切なる声を聞いた瞬間、エライザの祈りは一層強く、確固たるものへと変わった。グラハムを救いたいという彼女の純粋な願いが、極限まで高められたのだ。エライザと短剣は、それまでとは比べ物にならないほどの強い光に包まれ、病室全体がまばゆい輝きに満たされた。
その光は、数瞬の間に最高潮に達し、そしてまるで嵐の後のように、静かに落ち着いていった。光が収まると、病室には祈りを終えたエライザと、静かに横たわるグラハムの姿だけが残されていた。
まばゆい光が収まった病室に、重い静寂が訪れる。膝まずいていたエライザの体が、大きくよろめいた。バッシュはとっさに彼女の正面に回り込み、その小さな体をしっかりと支える。エライザは、肩で大きく息をしながら、疲れ果てたようにバッシュにもたれかかった。その顔は青ざめ、額には汗が滲んでいる。
バッシュは、彼女の髪を優しく撫でながら、耳元でそっと囁いた。
「よくやった、エライザ。」
その声は、彼女の心を包み込むような温かさだった。エライザは、その言葉を聞き、バッシュの顔を見上げた。そこに映るのは、自分を信じ、支え続けてくれた彼の優しい眼差し。その瞬間に、彼女を覆っていた緊張と疲労が一気に限界を超え、安堵に満ちた笑みがこぼれたかと思うと、そのままバッシュの腕の中で、すうっと意識を失った。
バッシュは、そっとエライザを抱き上げた。その間にも、グラハムのベッドから、かすかな変化の兆しが訪れる。
「!」
ロイドの息を飲む音が聞こえた。バッシュも、グラハムの顔を見た。そこには、これまで貼り付いていたような死の気配が消え、まるで枯れた大地に水が満ちるように、生気がゆっくりと戻っていくのが見て取れた。顔色はほんのりと赤みを帯び、苦しげに歪んでいた眉間の皺も、少しずつ和らいでいく。そして、かすかだが、確かに呼吸の音が、先ほどよりも規則正しく、深く聞こえ始めたのだ。
ゴールドウィンは、信じられないものを見るようにグラハムの脈を取り、その手が震えている。
「これは…!」
彼の声は、驚きと、そして確かな喜びに震えていた。エライザの祈り、そして精霊石の力は、確かにグラハムの呪いを打ち破ったのだ。




