第3章 (11)老人
その頃、バッシュは「ローレル王国について」という資料から得た情報を整理し、関連する書物を読み漁っていた。
「疑似人体」「超電磁砲」「科学技術」「『875』…」
これらの言葉が、彼の頭の中で複雑に絡み合い、一つの巨大な謎を形成していた。ローレル王国が行っていた禁忌の実験。そして、その実験と自身がどう繋がっているのか。
彼は、次に「古代文明の兵器」「失われた科学技術」といったキーワードで書架を探し始めた。もしかしたら、この世界にも、かつて彼の知識を超える技術が存在していたのかもしれない。
そんな中、彼の目に飛び込んできたのは、「世界樹の秘密」という題名の、厚く古びた書物だった。その装丁は、図書館の他の書物とは異なり、どこか有機的で、生命の息吹を感じさせるような独特の紋様が施されていた。バッシュは、なぜかこの本に強く惹きつけられ、無意識のうちに手を伸ばしていた。
「世界樹の秘密…?」
バッシュは、その本を手に取り、静かにページを開いた。彼の直感が、この本が自身の謎を解き明かす、新たな手がかりになると告げていた。
「世界樹…それは、世界を繋ぐ命の樹…」
小冊子には、古の時代から語り継がれる「世界樹」の伝説が記されていた。それは、単なる伝説ではなく、世界の根源に関わる、真実を語っているかのようだった。
「世界樹は、世界中に張り巡らされた根を通じて、あらゆる生命の源となるエネルギーを循環させている…」
バッシュは、その記述に眉をひそめた。エネルギー?それは、彼が知る剣や魔法の知識とは異なる、どこか科学的な響きを持つ言葉だった。そして、このエネルギーが、世界中の生命に影響を与えているという。
そして、彼の目を釘付けにしたのは、その後に続く、驚くべき記述だった。
「…そして、そのエネルギーは、時として暴走し、世界に甚大な被害をもたらす。その暴走を鎮めるため、古の賢者たちは『制御装置』を創り出した…」
「制御装置…?」
バッシュは、その言葉に息を呑んだ。「疑似人体」の実験と「超電磁砲」という言葉が、彼の脳裏を駆け巡る。もし、その「制御装置」と、ローレル王国の禁忌の技術が繋がっているとしたら…
そして、さらに読み進めると、一つの記述がバッシュの心臓を強く掴んだ。
「…しかし、『制御装置』の運用には、膨大な魔力と、それに耐えうる『器』が必要となる…そして、その『器』となる存在は、人の手によって生み出された『模造の命』である…」
「模造の命…」
バッシュは、その言葉に血の気が引くのを感じた。「疑似人体」そして「模造の命」。その二つの言葉が、彼の背中の「875」の刻印と、あまりにも強く符合した。
(俺は…この『器』なのか…?)
彼の心臓が、ドクンと大きく鳴った。混乱と、そして今まで感じたことのない、自身の存在の根源に対する恐ろしいほどの真実。なぜ自分が過去の記憶を失っているのか、なぜ生まれつき剣術の腕が立つのか。全てが、この書物の記述と繋がっていくように思われた。
バッシュは、小冊子を握りしめ、その場に立ち尽くした。世界樹のエネルギー、それを制御する装置、そしてその「器」となる「模造の命」…
この「世界樹の秘密」という書物は、彼自身の存在の真実、そして彼が巻き込まれている運命の根源を明らかにする、あまりにも重要な手がかりだった。彼の旅は、単なる過去探しから、世界の命運を左右する巨大な物語へと変貌しようとしていた。
バッシュが「世界樹の秘密」に記された「模造の命」という言葉に打ちのめされ、混乱の中にいると、その様子を見ていた老人が静かにバッシュに近づいてきた。その老人は、最高級の生地で仕立てられたローブを身に着け、その佇まいからは、ただならぬ威厳が感じられる。顔に刻まれた深いしわは、彼がどれほどの年月を生きてきたかを物語っていた。その視線は、バッシュが手にしている書物に注がれている。
老人は、バッシュの困惑を察知したかのように、ゆったりとした口調で語り始めた。その声は、深淵を思わせるほど重く、しかしどこか知的な響きを持っていた。
「若者よ、その書物は、かのローレル王国が犯した、愚かでありながらも、ある種の狂気に満ちた『禁忌』を記したものだ。」
老人の言葉に、バッシュはハッと顔を上げた。この老人は、この書物の内容、そして「ローレル王国」の秘密について知っているのか。
「ローレル王国はな…世界樹の恩恵を自らのものとしようと画策したのだ。それは、神々から与えられた生命の循環を、人の手で意のままに操ろうとする、傲慢な試みであった。」
バッシュの脳裏には、異界の狭間で見た、光り輝く巨大な木の姿が鮮明に浮かび上がった。あの木こそが、この世界樹なのだろうか。
老人の言葉は、さらに深みを増していく。 「彼らは、世界樹から流れ出る膨大なエネルギーを制御するため、『制御装置』を創り出した。そして、その『制御装置』を稼働させるための『器』として、人工的に生命を生み出す研究に手を染めたのだ…それが、君が読んだ『模造の命』、そして『疑似人体』と称されるものだ。」
老人の言葉は、バッシュの心に刺さるように響いた。彼が書物から読み取った、断片的な情報が、今、この老人の口から真実として語られている。
「彼らは、その『模造の命』を大量に生み出し、それぞれに番号を振った…そして、その『器』に、制御装置を扱うための知識と力を与えようとしたのだ。」
老人はそこで一度言葉を切り、バッシュの顔をじっと見つめた。その瞳の奥には、深い悲しみと、そして何かを憂うような光が宿っていた。
「しかし、その試みは失敗した。彼らの創造した『模造の命』は、彼らの期待通りにはならなかった…あるいは、なりすぎたのか。そしてその代償は、ローレル王国に深い傷跡を残し、今もなお彼らを苦しめている…巨大なエネルギーの暴走、あるいは、彼らが創り出した『模造の命』の反乱か…真実は闇の中だがな。」
老人の口から語られる「禁忌」の物語は、バッシュがこれまで抱えてきた自身の謎と、世界の根源に繋がる、あまりにも恐ろしく、しかし魅力的な真実だった。彼は、自分がこの巨大な物語の中に、深く組み込まれていることを悟った。
老人は、バッシュが手にしている「世界樹の秘密」を指し示しながら、淡々と語り続けました。
「ローレル王国はな、その『禁忌』を完全に捨て去ったわけではない。彼らは今もなお、世界樹のエネルギーを制御し、その力を利用しようと画策している。躊躇なく、その道を進んでいるのだ。」
老人の言葉に、バッシュは息を呑みました。過去の過ちから何も学んでいないのか。
「まあ、何もローレル王国だけが危険というわけではない。アイシア皇国も、中央にいる者の中には、過激な思想を持つものが少なくない。力に取り憑かれ、禁忌に手を染めかねない輩もいる。特に、かの皇国騎士団の中でも、一部の勢力は…」
老人はそこで言葉を濁し、その表情には深い憂いが浮かんでいた。それは、ロイドがグラハムの元部下であったという事実、そして治療院が襲撃された現在の状況と重なり、バッシュの心に新たな波紋を広げた。
バッシュは、老人の言葉を静かに聞いていた。自身の出自、世界の根源、そして「裏切り者」の影。それら全てが、ローレル王国とアイシア皇国、二つの大国の思惑と複雑に絡み合っていることを理解し始めた。
感謝を伝えるため老人に礼を言い、名前を尋ねると、老人は「シルヴァ」と名乗った。それ以上の素性は語ろうとしない。そして、シルヴァは意味深な忠告を与えた。
「緑のローブの者たちには気を許さないほうがいい。彼らは、見かけによらず、裏で様々な思惑を巡らせている…」
その言葉は、バッシュの脳裏に、森でグラハムを襲った「金の耳飾りのローブの男」と、図書館でエライザに助言を与えた謎の「ローブの女」の姿を思い起こさせた。彼らが何者なのか、その思惑は何なのか、バッシュの心に新たな疑問が浮かぶ。シルヴァはそれ以上何も語らず、バッシュはエライザと合流するため、その場を後にした。ローレル王国、アイシア皇国、そして「緑のローブの者たち」彼らを取り巻く世界の真実は、さらに複雑な様相を呈し始めていた。




