第3章 (7)帰路
エルフの精霊魔法の書物を読みながら、体の中で熱い感覚を覚えるエライザ。しかし、その魔法の発動条件や必要な道具、複数人での協力の必要性など、不明な点が多く、まだ実践には程遠いことを悟った。
エライザの言葉に、バッシュは決断した。
「よし、一度戻ろうか、ロイドの店に。」
ロイドならば、古の知識やこの街の事情に詳しいだろう。彼の店にある文献も調べる必要がある。
「うん、あのね、お腹も空いたよ。」
エライザは、そう言って、にこやかに笑った。図書館での集中と、複雑な情報を読み解いた疲労が、彼女の食欲を刺激したようだ。その笑顔は、不安を抱えながらも前向きに進もうとするエライザの強さを示していた。
バッシュとエライザは立ち上がり、図書館の出口へと向かい始めた。その時、バッシュも気づかないほど気配を消し、遠くから彼らを見つめる人影があった。
それは、昼間、エライザに「エルフの伝承」の書物の場所を教えたローブの女だった。彼女は、静かに二人の背中を見つめながら、まるで風の囁きのように、しかしはっきりと聞こえるかのように、小さく呟いた。
「またね、エライザ…」
その言葉が直接エライザの耳に届いたわけではない。しかし、何かを感じ取ったかのように、エライザはハッとその場で振り返った。
「どうした?」
バッシュは立ち止まり、エライザの様子を訝しんだ。
エライザは、すぐにバッシュに笑顔を向け、首を傾げた。
「気のせいかな?何か聞こえた気がしたの。」
彼女はそう答えると、再び前を向き、バッシュと共に図書館を後にした。ローブの女の言葉は、まるで幻のように、バリスの喧騒の中に消えていった。しかし、エライザの心には、その「またね」という言葉が、小さな波紋を広げていた。
図書館を出て、ロイドの店へと戻る途中、二人の目の前に賑やかな露店が立ち並んでいた。香ばしい匂いが漂い、色とりどりの品々が目を楽しませる。
「あ!サンドイッチ!」
エライザが目を輝かせた。空腹が限界に達していたのだろう。ボリューム満点のサンドイッチを売る店で、彼女は立ち止まった。
「具材、どれにしようかな…うーん、卵も美味しそうだし、ハムもいいなぁ…でも、野菜もたっぷり食べたいし…」
エライザは、具材を選ぶのに真剣に悩んでいた。普段は質素な食事に慣れている彼女にとって、この豊富な選択肢は、ささやかながらも大きな喜びなのだろう。バッシュは、そんなエライザの様子を眺めながら、思わず笑みがこぼれた。彼女が無邪気に、そして心から楽しんでいるのが伝わってくる。
結局、エライザは悩みに悩んだ末、彩り豊かな野菜と、厚切りのローストポークが挟まったサンドイッチを選んだ。ベンチはどこもいっぱいで、二人はサンドイッチを手にロイドの店へと持ち帰ることにした。
バッシュは、サンドイッチを抱え、満足そうに隣を歩くエライザを見た。
(なんだか、楽しそうだな。)
彼の心は温かかった。彼女の笑顔が、旅のどんな困難も乗り越える力になることを、バッシュは改めて感じていた。
ロイドの店に戻ったバッシュとエライザは、手に提げたサンドイッチの袋を抱えて奥へと進んだ。厨房兼食堂のような広い部屋に着くと、エライザは真っ先に食卓に駆け寄り、袋を置いた。その様子がよほど嬉しかったのか、バッシュは思わずくすりと笑ってしまった。
「なーに?」
エライザは、バッシュの視線に気づいて少し恥ずかしそうに頬を膨らませた。
「ごめん、ごめん。水持ってくるね。」
バッシュはそう言って、台所の方へと向かった。グラスに水を注ぎ、食卓に戻ると、エライザはもうサンドイッチの包みを開け、具材を吟味している。
二人は向かい合って座り、サンドイッチを頬張り始めた。長旅の疲れと、図書館での集中。そして何より、エライザが選んだサンドイッチは格別に美味しかった。
「このサンドイッチ、すごく美味しいね!野菜がシャキシャキしてる!」
エライザは、口いっぱいに頬張りながら、満足そうに目を輝かせた。
「ああ、美味いな。街も賑やかだったな。」
バッシュも、美味に舌鼓を打ちながら頷いた。今日一日、バリスの街で見た光景は、彼がこれまで見てきた世界とは大きく異なっていた。
「うん!ソフィアちゃんも、少しだけ笑顔になってくれたし。吟遊詩人の歌も、すごく綺麗だった…」
エライザは、歌の内容を思い出したように、少しだけ表情を曇らせた。
「あの歌…エルフのこと、そして『鍵』のこと。やっぱり、私と関係があるみたい。」
バッシュは、エライザの言葉に静かに頷いた。彼もまた、図書館で得た情報について話す準備ができていた。
「ああ。俺も図書館で、気になるものを見つけたしな。」
バッシュは、自分が読んだ「ローレル王国について」の資料と、「疑似人体の生成実験」そして「875」の刻印について、エライザにもう一度、簡潔に話した。エライザは、すでに知らされていることとはいえ、バッシュの口から改めて聞くと、再びその顔に複雑な表情を浮かべた。しかし、今回はすぐに持ち直した。
「そう…バッシュは…バッシュよ。」
エライザは、ぎゅっと自分のサンドイッチを握りしめ、強い眼差しでバッシュを見つめた。その瞳には、彼を信じる揺るぎない光が宿っている。
「でも…私の読んだ本にも、まだ分からないことがたくさんあったの。負の力を払いのける、精霊魔法の詠唱はあったけど、具体的なやり方とか、必要な道具とか…一人じゃできないって書いてあるのもあったし…」
エライザは、少し不安げに言った。
バッシュは、サンドイッチを一口飲み込み、考え込んだ。
「そうか…やはり、まだ情報が足りないな。ロイドが言うには、彼の店にも文献があるらしい。明日は、まずそれを調べてみるか?」
バッシュの提案に、エライザは頷いた。
「うん!そうしましょう!あとは、吟遊詩人の歌も、どこかに元となる文献があるのかもしれないわ。もう少し図書館でも調べてみたいし…」
エライザは、次々と今後の計画を口にした。グラハムの呪いを解き、ソフィアを守り、そして自分たちの謎を解き明かすために、やるべきことは山積していた。




