第3章 (5)図書館へ
翌朝、バッシュはいつものように早く目を覚まし、静かに身支度を整えていた。夜の闇とは異なる、朝の光が差し込む部屋は、どこか安らぎに満ちている。
しばらくして、隣のベッドでエライザが身じろぎ、ゆっくりと目を開けた。朝日を浴びた彼女の顔には、柔らかな笑みが浮かんでいる。
「おはよう、バッシュ。」
その声は、朝の光のように優しかった。
朝日に照らされたエライザは、息をのむほどに美しかった。透き通るような白い肌は朝日に輝き、銀色の髪は光を反射してきらめいている。その佇まいからは、精霊の巫女の娘としての神秘的な気品が感じられた。バッシュは、そのあまりの美しさに、つい見とれてしまった。
「お…おはよう。」
我に返ったバッシュは、慌ててそう返すのが精一杯だった。彼の頬は、わずかに熱を帯びている。エライザは、そんなバッシュの様子を見て、クスッと小さく笑った。そして、気にすることなく、ゆっくりと起き上がり、身支度を始めた。
バッシュは、気まずさからか、慌てて部屋の外へと飛び出した。その背中を見送りながら、エライザは再び、楽しそうに笑った。彼女の笑い声は、バッシュの心に、暖かな余韻を残していった。
ロイドの店で朝食を済ませたバッシュとエライザは、皇国中央図書館へと向かった。焼きたてのパンと温かいスープは、二人の体に活力を与えてくれた。
街の中心部から少し離れた、学校が立ち並ぶ一角に、皇国中央図書館はそびえ立っていた。その巨大な外観は、まるで知識の城のようだ。重厚な扉の前に立ち、ロイドから借りたパスを見せる。衛兵はパスを確認すると、何も言わず彼らを通した。
中に入ると、その広さに二人は息を呑んだ。天井まで届くほどの高さの書架が果てしなく続き、無数の書物が所狭しと並べられている。静かに本をめくる音と、時折聞こえる筆記の音だけが響く、厳粛な空間だ。
「すごい…こんなにたくさんの本があるなんて…」
エライザは感嘆の声を漏らした。目の前に広がる膨大な知識の海に、彼女の探究心が刺激される。
「さあ、どこから見ていくか…」
バッシュはそう呟き、あたりを見回した。グラハムの「呪い」と吟遊詩人の歌で語られた「鍵」の神話。それらが繋がる手がかりを探すには、やはり古代史、古代魔術、そして神話や伝承に関する学術書から調べるのが適切だろう。
「手分けしよう。その方が効率的だ。」
バッシュはエライザに提案した。広大な図書館で、二人で手分けして探す方が、はるかに効率が良い。エライザも頷き、二人はそれぞれの目的の書架へと向かった。
皇国中央図書館の広大な書架の間で、エライザは吟遊詩人の言葉を反芻していた。
「エルフには、精霊の声を聞き、あらゆる負の力を払いのける力が宿るという。彼らの血には、神代の智慧が流れ、その歌声は大地に恵みをもたらす…」 「神々の御業により施されし封印は、時を経て解けかかり、内に秘められし力が暴走せんとした。その時、大地を救いしは、神秘を司る森の民──エルフ!…そして、その強大な力には──『鍵』をかけて…」
これらの言葉が、彼女の頭の中でぐるぐると巡っていた。
(「負の力を払いのける力」…それは、グラハムさんの呪いと関係があるのかもしれない…そして「鍵」…私のペンダントも…)
エライザは、自身のペンダントに触れた。このペンダントの力、そして自分の力が、あの神話とどう繋がっているのか。それを知る手がかりとなる本は何か。
彼女の視線は、書架に並ぶ無数の背表紙を追った。
「古代の神話」「エルフの伝承」「精霊魔法の起源」「呪術と解呪の歴史」「封印の秘術」
これらのキーワードが、彼女の脳裏に浮かび上がる。特に、「呪術と解呪の歴史」や「封印の秘術」といった書物は、グラハムの呪いを解く手がかりになる可能性が高い。
エライザは、まずは「エルフの伝承」と「精霊魔法の起源」に関する書物を探すことにした。自身の種族と力の根源を理解することが、全ての始まりだと直感したのだ。そして、それが「鍵」の真実、そして「負の力」を払いのける方法へと繋がるかもしれない。
彼女は、目的の書架へと足を進め始めた。図書館の静寂の中、彼女の心は、新たな知識への探究心で満たされていた。
エライザは、皇国中央図書館の広大な書架の間で、吟遊詩人の歌から導き出される手がかりを探していた。「エルフの伝承…伝承…」と小さく呟きながら、薄暗い棚の背表紙を目で追う。
その時、ふと隣に人影が立つ気配がした。エライザが視線を向けると、そこにいたのは、自分と同じような色合いの深い色のローブを纏った女性だった。彼女のローブは、最高級の絹で仕立てられているようで、その立ち居振る舞いは、まるで絵画から抜け出してきたかのように優雅で洗練されていた。エライザよりもだいぶ年上に見えるが、その顔立ちは驚くほど美しく、静かに立っているだけなのに、周囲の空気を支配するような圧倒的な存在感を放っていた。
そのローブの女は、エライザの視線に気づくと、何も言葉を発することなく、細くしなやかな指で、エライザの探していた書架の一角を、すっと指し示した。そこには、まさにエライザが求めていた「エルフの伝承」と題された古びた書物が並んでいた。
エライザは驚き、その女性に視線を戻した。彼女は一体何者なのだろうか。そのローブの奥に隠された表情は読み取れないが、彼女の瞳には、遥か遠くを見通すような、神秘的な光が宿っているように見えた。
エライザは、ローブの女に促されるままに、示された「エルフの伝承」と題された古びた書物をそっと手に取った。その本は、彼女が求めていたものに間違いなかった。
「あ…ありがとう…」
エライザは、感謝の言葉を口にしようとしたが、その声はか細く、言葉になりきらなかった。
ローブの女は、エライザの感謝の言葉を聞くと、口元に軽く笑みを浮かべた。その微笑みは、どこか全てを見通しているかのようで、神秘的な雰囲気を一層際立たせた。
「また、会いましょう…ふふ…」
短い言葉を残し、ローブの女は静かにその場を立ち去った。その足音はほとんどせず、まるで幻のように書架の奥へと消えていく。
「また…会う…?」
エライザは、手に取った本を見つめながら、ローブの女の言葉を繰り返した。彼女が何者なのか、なぜ自分を導いたのか、全てが謎に包まれている。しかし、彼女の言葉には、どこか運命的な響きがあった。
ローブの女の言葉が心に残りつつも、エライザは差し迫った情報収集を最優先した。手に取った「エルフの伝承」は、ずっしりとした重みがあった。古びた表紙を開くと、独特のインクの匂いが漂う。
ところどころにエルフの古代文字が使われていたが、巫女の娘として幼い頃から学んできたエライザには、なんとか意味を読み解くことができた。しかし、その内容は、彼女が期待していたような直接的な記述ではなかった。
「封印…祈り…」
ページをめくるたびに、そんな言葉が目に飛び込んでくる。そして、彼女の心を最も揺さぶったのは、「精霊石…生贄の巫女…?」という、不穏な響きを持つ一節だった。
本には、エルフが持つ神秘の力について、そして神々が大地に施した封印、その封印を管理する役割をエルフが担ってきたことなどが記されていた。しかし、具体的な方法や、現代の状況にどう当てはまるのかは、抽象的な表現が多く、意味を解するのが難しい。
「うーん…えーと…」
エライザは、眉間にしわを寄せ、本に顔を近づけた。彼女の知識と経験だけでは、この難解な伝承の全貌を理解するのは困難だった。まるで、大切な部分が意図的に隠されているかのように、肝心な情報がぼかされている。
エライザは、抽象的な「エルフの伝承」の内容に頭を悩ませながらも、諦めずに他の書物を探し続けた。図書館の静寂の中、彼女は書架の間を縫うように歩き回り、「精霊石」や「呪い」「封印」といったキーワードに関連する本を次々と手に取っては読み進めた。断片的な記述の中から、何か明確な手がかりを見つけ出そうと必死だった。




