第2章 (11)好奇心と探究心
翌朝、夜が明けきらぬうちから、宿の前に一台の荷馬車が停まっていた。御者台には、明るい笑顔を浮かべたロイドが座っている。バッシュとエライザは、慎重にグラハムとソフィアを馬車に乗せた。ソフィアはまだ不安げな表情だったが、エライザが優しく抱きしめ、落ち着かせていた。
ロイドは、彼らの様子をちらりと見たが、特に何も尋ねなかった。ただ、にこやかに手綱を握り、馬車を発進させた。
宿場町の朝の冷たい空気を切り裂くように、馬車はバリスへと向かう街道を走り始めた。ロイドという新たな人物が加わり、彼らの旅は、さらなる深みへと入っていく。バリスで彼らを待ち受けるのは、希望なのか、それともさらなる試練なのか。ロイドという商人は、本当にただの護衛が必要な商人なのだろうか。
街道を揺られながら、荷馬車は快調に進んでいた。御者台で手綱を握るロイドは、時折、ちらりと荷台のエライザに視線を向けていた。彼女の銀色の髪、特徴的な耳、そしてどこか儚げな雰囲気は、好奇心をそそるものだったのだろう。
しばらくして、ロイドは楽しげな声を荷台に投げかけた。
「おーい、そこのお嬢さん!退屈じゃないかい?」
エライザは、突然の呼びかけにびくりと肩を震わせた。バッシュ以外の男と話すのは、里を離れて以来、いつぶりか分からない。ましてや、このように気さくに話しかけられることなど、皆無に等しい経験だ。彼女は戸惑いを隠せないまま、小さく頷いた。
「…はい…」
声が震えてしまい、エライザは慌てて口元を押さえた。ロイドはそんな彼女の様子に気づいたのか、にこやかに続けた。
「はは、そんなに構えることはないさ。俺はロイド。あんたはエライザって言うんだっけ?」
ロイドの言葉は明るく、悪意は感じられない。しかし、エライザは依然として戸惑っていた。彼の瞳が、まるで獲物を品定めするかのように、自分をじっと見つめているような気がした。
「…はい…エライザ…です…」
エライザは、消え入りそうな声で答えた。どうしていいか分からず、隣に座るバッシュに助けを求めるように視線を向けた。その瞳は、「助けて」と訴えかけているかのようだ。
バッシュはエライザの視線を受け止めたが、すぐにロイドへと視線を戻した。彼がエライザに興味を抱くのは当然のことだ。エルフという珍しい種族であること、そして彼女が持つ独特の雰囲気は、人の目を引くだろう。
ロイドは、エライザの戸惑いに気づかないふりをして、さらに質問を続けた。
「なるほど、エライザか。いい名前だ。あんた、ずいぶん珍しい耳をしてるな。もしかして、エルフさんかい?」
その問いに、エライザはさらに身を固くした。エルフであることは、彼女の故郷が滅ぼされた理由に繋がるかもしれない。軽々しく話せることではない。再びバッシュに視線を送り、どう答えるべきか迷った。
バッシュは、エライザの不安げな視線を受け、ロイドに軽く咳払いをした。
「ロイド。彼女は、まだ旅に慣れていないんだ。あまり詮索するな。」
バッシュがロイドの詮索を牽制すると、ロイドは肩をすくめて別の話題へと切り替えた。
「おっと、すまないね。つい、物珍しさに、ついね。俺は好奇心旺盛なタチでね。いや、それにしてもあんたの護衛っぷりは見事なもんだ。昨日の荒事も、あっという間に片付けてたじゃないか。あんた、どこかで剣術の修行でもしてたのかい?」
ロイドは、バッシュの剣をちらりと見て、にやりと笑った。その瞳の奥には、本物の剣士に対する探求心のようなものが垣間見えた。エライザは、バッシュが自分を庇ってくれたことに安堵し、そっと彼の隣に身を寄せた。
バッシュは、わずかに眉を動かした。自身の剣術は、確かに誰かに教わったものではない。物心ついた頃から、自然と身についていた感覚に近い。
「特定の流派に属してはいない。ずっと、一人で鍛錬してきただけだ。」
バッシュは、言葉を選びながら答えた。我流であること、そしてその鍛錬の度合いを、これ以上深く語るつもりはなかった。
しかし、ロイドの好奇心は尽きないようだった。
「へぇ、我流かい!そいつはまた珍しい。だが、見た限りその動きは尋常じゃない。まるで、体に染み付いているかのようだ。ひょっとして、あんたは何か特別な訓練でも受けていたのかい?例えば、どこかの隠された里とか、秘密の組織とか…?」
ロイドの質問は、バッシュの核心に触れようとしてくる。バッシュの過去、そして背中の刻印、指輪の謎。それらが、ロイドの言葉の中にちらつく。「隠された里」という言葉に、エライザはびくりと反応し、バッシュの服の裾をそっと握りしめた。
バッシュは、ロイドの探るような視線を受け流すように、淡々と答えた。
「…いや。記憶にない。気づけば、剣を振っていただけだ。」
彼は、自身の記憶の欠落を、あえて隠すことなく伝えた。不自然なほどに剣が扱える理由を問われれば、正直に答えるしかない。それが、ロイドの警戒心を逆手に取る策でもあった。
ロイドは、バッシュの答えにわずかに目を見開いた。記憶がない、という言葉に、さすがの彼も少しばかり驚いたようだ。しかし、その驚きはすぐに、新たな興味へと変わった。
「なるほどねぇ…そいつはまた、奇妙な話だ。だが、だからこそ面白い!」
ロイドはそう言って、再びにやりと笑った。そして、手綱を握りながら、真剣な眼差しでバッシュを見つめた。
「どうだ、剣士さん。次の休憩で馬車を止めたとき、ひとつ手合わせしてくれないか?あんたの剣術が、どれほどのものか…この目で確かめてみたい。」
その言葉は、まるで子供のように純粋な探求心と、しかし同時に、ただ者ではないロイドの本質が垣間見える申し出だった。




