第2章 (8)選択の夜
荷馬車は、グラハムの重い昏睡という空気を乗せたまま、街道を走り続けた。やがて、遠くに宿場町の明かりが見えてきた。御者は、バッシュの指示に従い、町の入り口にある衛兵所へと馬車を向けた。
町の衛兵は、荷馬車の中の惨状を見て、すぐに事情を察した。彼らはグラハムを丁重に運び出そうとする。バッシュは衛兵に協力を仰ぎつつ、その前にソフィアから話を聞いておく必要があると考えた。グラハムが意識不明の今、彼女だけが唯一の目撃者だ。
「ソフィア、少し話を聞かせてくれるか?」
バッシュは、衛兵に連れて行かれようとするソフィアに、優しく声をかけた。その小さな手は、まだ震えている。エライザがそっと彼女に寄り添い、安心させるように背中を撫でた。
ソフィアは、恐怖に怯えた目でバッシュを見上げた。無理に話させるべきではないと分かっていたが、この先の情報のために、どうしても必要なことだった。
「…怖かったの…」
ソフィアの小さな声が震えた。エライザは、彼女の体をそっと抱きしめた。
「うん、怖かったね。でも、大丈夫。もう安全だから。少しだけ、何があったか教えてくれる?」
エライザの優しい声に、ソフィアは安心したのか、ゆっくりと話し始めた。
「わたくしと父は…バリスへ向かっていたの。父は、急ぎの用があるって…いつもより早く出発したわ。」
ソフィアの言葉に、バッシュは「急ぎの用」という言葉に引っかかりを感じた。グラハムは、公爵令嬢であるソフィアの父であり、護衛する、皇国の精鋭。その彼が急ぐ用とは何だったのか。そして、なぜ衛兵も連れずに、娘と二人だけで街道を急いでいたのだろうか。
「途中で…突然、音がしたの。森の中から…」
ソフィアは、その時の恐怖を思い出したのか、身を震わせた。
「父が『伏せろ!』って…わたくしを庇ってくれて…それから、たくさんの矢が…」
彼女は、指で数本の矢が飛んできたことを示そうとしたが、指が震えてうまく動かせない。
「そして…父は…倒れてしまって…」
ソフィアの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。彼女は、それ以上言葉を続けることができなかった。幼い彼女にとって、目の前で父親が襲われ倒れる姿は、あまりにも衝撃的だったのだろう。
「すまなかった…ありがとう。」
バッシュは優しく微笑みかけ、エライザは強く抱きしめてあげた。
バッシュは、ソフィアの証言から、いくつかの情報を得た。まず、彼らがバリスへ向かっていたこと。そして、グラハムが「急ぎの用」という名目で、少人数で行動していたこと。最後に、突然の奇襲であり、複数の矢によって狙われたことだ。
森で野盗の首領を狙撃した矢と同じものだろうか。だとすれば、あの狙撃者は、バッシュたちだけでなく、この公爵令嬢とその護衛騎士も狙っていたことになる。彼らの狙いは何だったのか。略奪が目的の野盗ではないことは明らかだ。
ソフィアの証言を聞き終えると、衛兵がグラハムを運び出し、ソフィアは別の衛兵に連れられ、治療のため、町の安全な場所へと保護されていった。バッシュとエライザは、衛兵に簡単な事情を説明し、グラハムの処置のあと、同じ宿に運ぶと言うことになり、送ってくれた御者に礼を伝え、宿場町の宿へと向かった。
宿につき、大きな部屋を一つ借りることにした。別々では何かあった時に対処ができないと思ったからだ。
しばらくして、グラハムが運ばれてきた。ソフィアも寄り添っていた。グラハムをベッドに運んでもらうと、ソフィアも片時も離れず寄り添い、しばらくすると、ソフィアも寝てしまった。心身ともに相当疲れていたのだろう。
宿の部屋で、バッシュは静かに剣の手入れをしていた。エライザは、窓辺に座り、遠くの月を見上げている。
「…ソフィアちゃん、可哀想ね…」
エライザが、静かに呟いた。
「ああ…だが、彼女の証言で分かったこともある。グラハムは、本当に急ぎの用があったのかは分からないが、早く出る必要に迫られた。逃げるためなのか。そして、奇襲を受けた。明らかに狙われていた。」
バッシュは、剣の刃を磨きながら言った。
「あの矢を放った者と、同じかしら…?」
エライザの声には、不安が混じっていた。
「可能性は高い。そして、グラハムが言っていた『裏切り者』と繋がっている可能性もな。」
バッシュは、思考を巡らせた。グラハムがソフィアを庇ったのは、公爵令嬢でもあるが、愛娘だからであろう。しかしなぜソフィアが狙われたのか。グラハムしかその理由を知らない。しかし、彼は昏睡状態だ。
バリスに行けば、グラハムの所属する騎士団や、ソフィアの家が何らかの手がかりを持っているかもしれない。
隣のベッドでは、グラハムが浅い息を繰り返し、その傍らでソフィアが小さく身を寄せ、静かに眠っている。疲労困憊のエライザもまた、窓辺に座り、遠くの月を見上げていた。しかし、その瞳には休息の色はなく、深い思索の光が宿っている。
バッシュは、剣の刃を磨きながら言った。彼の心には、騎士の残した「皇国に裏切り者」「もう一つ『鍵』が」という言葉が重くのしかかっていた。
エライザは、そっと自身の胸元のペンダントに触れた。森でのあの光景が脳裏に蘇る。
(私にも、何かできることはないかしら…)
彼女は、グリフォンに襲われた時、そして野盗との戦いの際に、自身のペンダントが光を放ち、不思議な力を発揮したことを思い返していた。あの力は一体何だったのか。ただの守護の力なのだろうか。
「バッシュ…私のペンダントの光…あれは…何だったのかしら…?」
エライザは、不安げな声で尋ねた。
バッシュは、剣の手を止め、エライザの方を向いた。
「あれは、お前を守る力…お前の母が言っていた通りだろう。だが…」
彼は言葉を濁した。エライザの持つ力が、単なる守護だけではない可能性を感じていた。精霊の力…エルフの巫女の娘であるエライザには、人間にはない特別な力が宿っているのかもしれない。
エライザは、バッシュの言葉に頷きながらも、どこか納得がいかない様子だった。
(もっと…何か、できるはず…)
彼女は、自分自身の無力さを痛感していた。バッシュが命がけで戦っている間、自分は守られるばかりだった。ソフィアとグラハムを見て、その思いは一層強くなっていた。
バッシュの視線は、眠るソフィアとグラハムの間を彷徨った。
「…ソフィアたちを、どうするべきか…」
彼は迷っていた。首都バリスへ連れて行くのが最善か。しかし、彼らを連れて行けば、旅の危険性は増すだろう。衛兵に任せるのが安全か。だが、衛兵の中に「裏切り者」がいたら?グラハムが意識不明の今、ソフィアを襲った理由を知るのは彼だけだ。その手がかりをみすみす手放すわけにはいかない。
「もし…あの裏切り者が…この宿場町にまで追手を放っていたら…衛兵を信用できるか…?」
バッシュの脳裏に、森での矢の狙撃者の冷徹なまでの正確さが蘇った。彼らは口封じのために、躊躇なく命を奪う。公爵令嬢であり、警備の厳重なソフィアを狙う者が、衛兵の目を欺けないはずがない。
エライザは、バッシュの迷いを察した。彼女もまた、ソフィアを無防備なまま残していくことに不安を感じていた。
「もし…私に、グラハムさんを癒す力が…」
エライザは、か細い声で呟いた。精霊の力を操るエルフの巫女の娘。彼女の魔法は、攻撃ではなく、生命を促すものだった。もしかしたら、グラハムの傷を癒すことができるのではないか。しかし、彼女自身も、その力の真髄を理解しているわけではない。
バッシュは、エライザの言葉に、希望の光を見た。もしグラハムの意識が戻れば、ソフィアが狙われた理由、そして「裏切り者」の正体について、より詳しい情報が得られるかもしれない。
「やってみるか?」
バッシュの問いに、エライザは固く頷いた。彼女の瞳には、不安と、しかし確かな決意が宿っていた。
この夜、バッシュとエライザは、新たな使命を背負うことになる。グラハムの命を救い、ソフィアを守り、そして「鍵」と「裏切り者」の真実を追う旅は、さらに深く、複雑なものへと変貌しようとしていた。




