第2章 (5)精霊
バッシュ達は街道をしばらく進むと、遠方に何かが見えてきた。近づいてみると、それは一台の荷馬車だった。街道の真ん中で立ち往生しており、車輪が大きく傾いている。どうやら、何かトラブルに見舞われたらしい。荷台には、布を被せられた大きな荷物が積まれており、その傍らには、困り果てた様子の御者と、数人の屈強な護衛らしき男たちがいた。
バッシュは警戒しながらも、エライザの隣で歩みを緩めた。街道で立ち往生する荷馬車は、助けを必要としているかもしれない。しかし、同時に、それが罠である可能性も捨てきれない。森での襲撃があったばかりだ。慎重になる必要があった。
バッシュは一瞬の逡巡の後、手助けすることを決めた。街道で困っている者を見過ごすのは、彼の性分に合わない。それに、もしこれが罠だとしても、逃げるばかりでは何も解決しない。
「手伝おう。」
バッシュは、エライザに軽く頷き、荷馬車の方へ歩みを進めた。エライザは少し心配そうな表情を浮かべたが、彼の決断に従い、その後に続いた。
荷馬車の御者は、二人の接近に気づくと、警戒した様子で彼らを見つめた。しかし、バッシュが剣を構えることなく、明らかに手助けをしようとしていると分かると、彼の顔に安堵の色が広がった。
「おお、これは助かる!この車輪が溝にはまってしまってな。いくら力を込めてもびくともしないんだ。」
御者はそう言いながら、傾いた車輪を指差した。荷台には、頑丈な木箱がいくつか積まれている。護衛の男たちも、バッシュの剣術を肌で感じたかのように、警戒を解いて彼に視線を向けた。
バッシュが傾いた車輪の状態を確認しようと屈みかけた、その時だった。隣にいたエライザが、静かに瞳を閉じ、小さく息を吸い込んだ。彼女の表情は、どこか遠い目をしており、その唇が微かに動く。まるで、祈りを捧げているかのように。
すると、驚くべき光景が目の前で繰り広げられた。荷馬車の車輪がはまった地面から、ひび割れとともに、小さな人の形をした何がが姿を現したのだ。彼らは手のひらほどの大きさで、全身が土でできており、目はきらめく石のようだった。精霊とでも呼ぶべき存在。彼らは、まるで意思を持っているかのように、一斉に荷馬車の車輪の下に潜り込み、その小さな体に信じられないほどの力を込めた。
「ぐっ…んしょ!」
小さなかけ声が聞こえたかと思うと、ミシミシと音を立てながら、傾いていた荷馬車が、ゆっくりと持ち上がっていく。御者も護衛たちも、目の前で起こっている信じられない光景に、呆然と立ち尽くしていた。
エライザは、そっと目を開けた。彼女の瞳には、祈りの後の穏やかな光が宿っている。
バッシュは、信じられない光景に目を奪われた。傾いていた荷馬車が、エライザの祈りによって現れた小さな精霊たちによって、ゆっくりと持ち上げられている。彼の剣の腕がどんなに優れていても、これは人間の力ではなしえないことだ。
「エライザ…これは…」
バッシュの言葉は、驚きと、そして深い困惑に満ちていた。彼は、エライザが「鍵」であること、そして彼女が特別な力を持っていることを知っていた。しかし、このように具体的な形で、精霊を呼び出し、物理的な現象を引き起こす力を持つとは想像していなかった。その力は、あまりにも神秘的で、そして理解を超えたものだった。
御者と護衛たちもまた、呆然と立ち尽くしている。彼らの目には、恐怖と畏敬の念が入り混じっていた。
エライザは、バッシュの驚きの言葉に、精霊たちが荷馬車を持ち上げる様子を見つめながら、穏やかに答えた。
「子供の頃から…お友達なの…みんな驚くけど。」
彼女の声は、精霊たちと話す時と同じように、優しく、そして自然だった。まるで、呼吸をするように当たり前のことであるかのように。その言葉は、エルフの巫女の娘として育てられた彼女が、幼い頃から精霊たちと特別な繋がりを持っていたことを示唆していた。人間には見えない、あるいは感じ取れない精霊たちの存在を、エライザはごく当たり前の「友達」として認識しているのだ。
「みんな優しい子たちなの。怖くないよ。」
御者と護衛たちは、エライザの言葉の意味を理解できたかどうかは定かではないが、目の前で起こっている現実が、彼女の力によるものであることは明確に感じ取っていた。彼らの表情には、畏敬の念と、一抹の恐怖が混じり合っていた。
バッシュは、目の前で繰り広げられた信じられない光景と、エライザの言葉に、ただただ驚きを隠せないでいた。彼の口からは、自然と感嘆の声が漏れる。
「驚いた…ありがとう。」
彼は、その言葉に心からの感謝を込めた。自分自身の馬鹿力をもってしてもびくともしなかった荷馬車が、エライザの祈りによって現れた小さな精霊たちの力で持ち上げられる。それは、彼がこれまで経験してきた物理的な常識をはるかに超える出来事だった。
「助かったよ。俺がいくら馬鹿力でもあげられなかったよ。…はは」
バッシュは、照れくさそうに笑いながら、自分の限界とエライザの力の無限さを比較した。その笑顔には、彼女の力を目の当たりにしたことへの畏敬と、彼女への深い信頼が滲んでいた。この出来事は、エライザの「鍵」としての能力が、彼の想像以上に深く、そして強力なものであることを改めて認識させた。
御者と護衛たちは、エライザの神秘的な力に畏怖の念を抱きつつも、その助けに深く感謝しているようだった。




