第1章 (11)穏やかな時間
「んん…ふわぁ…」
心地よい寝返りとともに、エライザがゆっくりと目を覚ました。目覚めたばかりの瞳はまだぼんやりとしているが、その表情には、深い眠りから覚めた者だけが持つ、満ち足りた安堵感が漂っていた。長い間、味わうことのできなかった、心身ともに休まる安らかな夜。彼女の心に巣食っていた恐怖や悲しみが、少しだけ薄らいでいるようだった。
バッシュは、窓辺で静かに彼女の目覚めを待っていた。夜の闇は完全に晴れ、窓の外からは宿場町の活気あるざわめきが聞こえてくる。朝日が部屋に差し込み、埃の粒子がきらきらと舞い上がるのが見えた。
「おはよ…う!?」
エライザは、まだ夢うつつのままで、バッシュのいる方へと目を向けた。彼の優しい声に、安堵と少しの恥じらいが混じった返事をしようとした、その時だった。
彼女は、自分を覆っていた薄い毛布が、夜中に無意識のうちにずり落ちていたことに気づいた。そして、着ていた寝間着も、深い眠りの間にひどく乱れてしまっていた。
「あの…服が…」
エライザは、あられもない自身の姿に、頬を真っ赤に染めた。とっさに毛布を引き寄せ、身を隠そうとする。その顔は、焦りと羞恥心でいっぱいで、朝の光に照らされて、さらに鮮やかだった。
バッシュは、エライザの慌てた様子に気づき、すぐに視線を逸らした。彼の顔にも、わずかな動揺が見て取れる。
バッシュは、エライザの真っ赤になった顔を見て、すぐに状況を察した。彼は気まずそうに視線を泳がせ、どもりながらも口を開いた。
「あ…その…外に出てるね。」
そう言うが早いか、彼は慌ててドアの方へと向き直り、ガチャリと音を立てて部屋を出て行った。彼の背中からは、微かに気まずさと、しかし同時に、何とも言えない温かい配慮が感じられた。
部屋に残されたエライザは、依然として頬を染めたまま、毛布を胸元まで引き上げた。彼の慌てた様子に、思わず小さく笑みがこぼれる。恥ずかしさはもちろんあったが、それ以上に、彼の純粋な優しさと、自分を気遣ってくれる態度が、胸の奥を温かくした。
(こういうやり取りも、いつぶりだろう…)
里が滅びて以来、常に死と隣り合わせの生活を送ってきたエライザにとって、このような日常的な、そして少しばかり気恥ずかしいやり取りは、遠い過去の記憶のようだった。バッシュの存在が、凍り付いていた彼女の心に、少しずつ温かい光を灯し始めているのを感じた。
バッシュが部屋を出て行った後、エライザはベッドから起き上がった。まだ少し熱い頬を冷たい水で洗い流すと、少しだけ冷静さを取り戻した。身なりを整え、乱れた寝間着を直し、髪を梳る。彼女は、再びあの悲劇に遭う前の、穏やかな日々を思い出した。彼の気遣いが、失いかけていた「日常」の感覚を、かすかに呼び起こしてくれたようだった。
身なりを整えてエライザは、部屋のドアを開け、廊下に出た。バッシュは、部屋の前の壁にもたれかかるように立っていた。彼は彼女の姿を見ると、小さく頷いた。その顔には、先ほどの気まずさはなく、いつもの冷静な表情に戻っていた。
「あの…ありがとう…」
エライザは少しはにかみながら言った。
バッシュは何も言わず、ただ軽く首を振った。そして、エライザは自室へ戻り着替え、二人は宿の階段を降りて、朝食を取るために食堂へと向かった。
宿の食堂は、朝から賑わっていた。焼きたてのパンとコーヒー、そしてベーコンの香ばしい匂いが漂い、旅人や商人らしき人々が談笑している。バッシュとエライザは、窓際の席に腰を下ろした。柔らかな朝の光が差し込み、彼らの顔を明るく照らしている。
給仕が温かいスープとパン、それに卵料理を運んできた。バッシュは黙々と食事を摂り始めた。昨夜の疲労と、これからの旅路への思索が彼の表情には見て取れる。
エライザもまた、ゆっくりと食事を口に運んだ。回復したとはいえ、まだ本調子ではないだろう。しかし、その瞳には、昨夜の安らかな眠りによって得られた、穏やかな光が宿っていた。彼女は時折、バッシュに視線を送り、その背中や横顔をじっと見つめていた。
食事中、二人の間に特別な会話はなかった。しかし、その沈黙は決して気まずいものではなく、むしろ互いの存在を確かめ合うような、穏やかな時間だった。




