婚約破棄された悪役令嬢ですが、隣国の王子と手を組んで元婚約者一族を国家ごと潰しました〜あの、今さら謝っても遅いですわ?
「レティシア・グランディール。本日をもって、我が婚約を破棄する」
玉座の間に響き渡る声。
堂々とした口調の王太子アルベルト。その腕には、先日まで私の侍女だった令嬢、ソフィアが絡みついていた。
「ふふ、王太子殿下にふさわしいのは私ですもの。ごめんなさいね、レティシア様」
恍惚とした声で笑うソフィア。その場にいた貴族たちの視線は一様に冷たかった。
私は、何も言わず頭を下げた。
(やっと、終わったのね)
心の奥底で冷たい笑みを浮かべながら。
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私、レティシア・グランディールはドアマット令嬢だった。
どんな理不尽な言葉にも笑顔で従い、浮気されても耐え、侮辱されても決して抗わなかった。
それが「王太子妃にふさわしい姿」だと信じ込まされていたから。
でも、すべては間違いだった。
私を陥れるために仕組まれた策略。
私の侍女が、私の恋人を奪ったのではなく──彼が最初から私を利用していただけだったのだ。
だから私は、変わった。
婚約破棄の翌日、私は父に告げた。
「父上。グランディール家として、王太子とその取り巻きに報いを」
父はゆっくりと頷いた。「お前の決断だ。従おう」
我が家は王国一の財力を誇る公爵家。
だが、これまで私はその力を一切使わなかった。王太子の「妃らしく控えろ」という言葉を信じて。
けれど、今は違う。
王国に散らばる我が家の商会と情報網を動かし、敵の弱みを一つずつ掘り起こした。
ソフィアの父親が横領していた証拠。
王太子の側近が違法奴隷取引に関与していた記録。
そして、王太子が国外の貴族に国家機密を漏洩していたという事実。
それらを、ある一人の人物に渡した。
隣国ラヴァンディアの第二王子、アレクシス・クローデル。
金髪碧眼の優男は、私に静かに言った。
「この資料を元に、王国を正す手助けをしよう。あなたにはそれだけの価値がある」
初めてだった。
誰かに、価値があると言われたのは。
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反逆罪。
その言葉が、王太子とその一派に突きつけられたのは、私とアレクシスが手を組んでからわずか三ヶ月後だった。
民衆の前で、王太子の罪状が読み上げられる。
ソフィアは泣き叫び、王太子は血走った目で私を睨みつけた。
「貴様……俺に恥をかかせやがってッ!」
「あなたが私にしたのは、恥どころでは済まされませんわ」
私はゆっくりと背を向けた。
その後、彼らは国外追放。グランディール家は王国の新たな議会の中心となり、腐敗貴族は次々と粛清された。
アレクシスは、王国との正式な和平のために大使として滞在することになった。
「君のような聡明で気高い女性を、手放したくない」
月明かりの下で、彼は私に告げた。
「君のそばにいたい。恋ではない──愛している、レティシア」
私は──そっと、彼の胸に顔を埋めた。
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白いドレスを纏った私の手を、アレクシスが優しく握る。
「君は誰よりも強く、優しい。そんな君を守らせてほしい」
「はい、アレクシス。私は、もう誰のドアマットにもなりませんわ」
それは、私にとっての「本当の白い結婚」。
誰にも支配されず、誰かの傘の下ではなく、
自分の意思で選んだ、愛と共にある未来だった。
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花嫁のドレスは、雪のように白かった。
繊細な刺繍と宝石が縫い込まれたそのドレスは、グランディール家の職人が心を込めて仕立てた特注品。
それはまさに、「今度こそ真実の愛の象徴」だった。
私は鏡の前で深く息をつく。
視線の先には、かつて誰かのために傷つき、すり減らしてきた女の顔はなかった。
今あるのは、自分の力で復讐を遂げ、自分の意志で未来を選んだ──一人の“女”の姿だった。
「レティシア様、準備は整っております」
侍女のルイーゼが、優しく声をかけてくれる。
彼女もまた、かつて私に忠誠を尽くしながら、あの“浮気騒動”のときには無理矢理追い出された一人だ。
私は微笑んで、頷いた。
「ありがとう、ルイーゼ。行きましょう。私の結婚式へ」
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式は、隣国ラヴァンディア王国の首都・アルセリオの大聖堂で行われた。
その荘厳な石造りの建物には、百年にわたり王族の結婚式が行われてきた歴史が刻まれている。
参列者は限られた者たちだけだった。
グランディール家の忠臣たちと、ラヴァンディアの貴族たち──そして、新たな未来に関わる人間たち。
もちろん、元婚約者の王太子やその一派など呼ばれているはずもなかった。
「……来るわけないか。いや、来れないかしらね」
小さく笑いながらバージンロードを歩く。
誰かの期待に応えるためじゃない。
誰かに従うためでもない。
私は、私の意志で、今日ここに立っている。
その先で待っていたのは、王子アレクシス。
ラヴァンディアの第二王子であり、今は“私の婚約者”──そして、もうすぐ“夫”になる人。
「美しい……いや、そんな言葉では足りないな。君は、まるで奇跡だ」
アレクシスが、私の手を取って囁く。
その声は、震えていた。
私は小さく首を傾げる。
「……あなたらしくないですわね。泣いていらっしゃるの?」
「すまない。でも、どうしても感情が抑えられない。こんなにも幸せなのに、君の瞳の奥にはあの日の影が、まだわずかに残っている。……全部、拭ってやりたい」
そう言って、彼は私の手の甲にそっと口づけた。
その仕草に、胸がじんわりと熱くなる。
「もう、拭えておりますわ。あなたが、全部、溶かしてくれたのですもの」
聖堂内に光が差し込む。
司祭の言葉が静かに響いた。
「ここに、王子アレクシス・クローデルと、公爵令嬢レティシア・グランディールの婚姻を宣言する」
鐘の音が、世界中に響き渡るように鳴り響いた。
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披露宴は格式ある大広間で行われたが、内容はどこか家庭的だった。
「政略結婚」などではなく、「心からの結婚」──それを伝えるために、アレクシスが準備したのだという。
「……それにしても、あの方があんなに幸せそうに微笑むなんて」
「かつてのドアマット令嬢とは思えませんわ……」
参列者の貴族たちが小声で噂するのが聞こえてくる。
けれど、私は気にしなかった。
過去の私も、今の私も、全部が「私」だから。
そんな中、ひとつだけ目立つ影があった。
――王太子アルベルト。
招待などしていないはずなのに、彼はいつの間にか来賓席の隅に立っていた。
顔色は悪く、目は虚ろだった。
「……なぜ、来たの?」
私は声を潜めて彼に近づく。
するとアルベルトは、苦しそうに口を開いた。
「……君が、こんなに綺麗になるなんて、知らなかった。……本当に、すまなかった」
「……許しません」
私はきっぱりと言った。
「あなたが私を傷つけ、利用し、侮辱したことを、私は決して許しませんわ。でも──もう関係ありません」
背を向けて、歩き出す。
「さようなら、王太子殿下。……この結婚は、あなたの人生で二度と手に入らない幸せを象徴するものですわ」
アルベルトが崩れ落ちる音が背後から聞こえたが、振り返らなかった。
私は、アレクシスのもとに戻る。
「お帰り、妻よ」
彼がそう囁くと、私はふっと笑った。
「ただいま、夫様」
そして、私たちは永遠の契りを交わした。
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披露宴の夜、アレクシスと二人きりになった寝室で、彼が私をそっと抱き寄せた。
「ようやく、君は自由になった。これからは、僕が守る。……何があっても、何者にも、絶対に」
私はその胸に顔を預け、小さく囁く。
「……ねえ、アレクシス。私は、幸せになってもいいのかしら」
彼の腕が、ぎゅっと強くなる。
「もうなってるよ、レティシア。世界で一番、幸せな女の人に」
あの日、王太子に踏みにじられた“少女”はもういない。
今ここにあるのは、自分で選び取った幸せの中で、愛される“女”だった。
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静かな風が中庭の花を揺らしている。
ラヴァンディアの王宮にあるこの場所は、かつてアレクシスが「君のために造る」と言って整備した特別な庭園だった。
今、私はその中央のベンチに腰掛けて、膨らんだお腹を静かに撫でていた。
(この中に、命がいる……)
奇跡のようだった。
婚約破棄、裏切り、復讐──どれも遠い過去のようで、けれど確かに今の私を作った道。
「レティシア。身体は大丈夫かい?」
アレクシスが庭に現れ、私の隣にそっと腰を下ろす。
優しい金の瞳が、私の腹を覗き込んで微笑んだ。
「……暴れてるわ。今朝なんて、蹴られて起きたくらい」
「はは、それは君に似てるのかもね。強くて、我慢しすぎて、自分でなんでも抱え込むところ……」
「……ふふ、そうかもしれませんわね」
彼の手が私の上に重なり、二人で小さな命の鼓動を感じた。
こんな未来が来るとは、かつての私は思いもしなかった。
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妊娠が判明したのは、結婚して半年後。
急な体調の変化に侍女たちが慌てて医師を呼び、結果は「ご懐妊、おめでとうございます」と一言。
それを聞いたアレクシスは、文字通り腰を抜かした。
「こ、子どもが……!? 本当に!? ぼ、僕たちの!? レティシアと僕の!?」
「そうよ。あなたの子よ、夫様」
「……レティシアァァァ!! ありがとう! 生まれてきてくれてありがとう!!!」
「生まれてませんわよ」
それでも、アレクシスの喜びようは凄まじく、王宮の者たちも困惑するほどだった。
彼は毎晩のように私のお腹に話しかけ、「王子なのかお姫様なのか、どっちでもいい。とにかく健康であれ!」と叫び、侍女たちに胎教の楽団まで呼ばせる始末。
「……あのときの“ドアマット令嬢”がここまで甘やかされるようになるとは」
私がふとこぼすと、アレクシスは真剣な顔で答えた。
「僕の愛を、全部取り返してもらわないと気が済まないんだ。あの時、君が受けた分の何十倍も、何百倍も」
私はその言葉に、ただ静かに微笑むしかなかった。
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予定日が近づくにつれ、不安も募っていった。
私は「完璧」であろうとする癖があった。
妃としても、娘としても、母としても。
「……良い母になれると思えないの」
ある夜、ベッドの中で小さく呟くと、アレクシスがそっと抱きしめてくれた。
「僕は、君の“完璧さ”なんて求めてないよ。君が、君でいてくれるだけでいい」
「でも……」
「僕は、君の子供として生まれたかったくらいだよ。そんな風に思わせてくれる君が、きっと素晴らしい母親になる」
その言葉に、私は泣いた。
もう二度と、誰かの“価値”に縛られなくていい。
私は、私としてここにいていいのだと、ようやく思えた。
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陣痛は、思いのほか突然やってきた。
「レティシア様、お身体は!? 医師を!」
「呼びました! あと数分で──!」
王宮は一気に慌ただしくなる。
私は脂汗を流しながら、それでもどこかで冷静だった。
この命を守る。それが、私の戦い。
「アレクシスは……?」
「すぐ参ります!」
激痛に呻きながら、私は思い出す。
あの王太子に蔑まれ、無価値だと言われた私が……今、命を生もうとしている。
──そしてついに。
「おぎゃああっ!」
産声が響いた瞬間、私は世界が変わった気がした。
自分の中の何かが、ぱきんと割れて、光が差し込む。
「お子様は、男児でございます!」
医師の言葉に、私は目を閉じて、静かに涙をこぼした。
「……ありがとう。来てくれて、ありがとう……」
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アレクシスはその日、人生で一番泣いた。
「可愛い! 可愛すぎる! これ、僕の!? 本当に!? しかも僕に似てる!? 奇跡!? 生きてて良かった!!」
「……静かになさい、赤ちゃんが驚きますわ」
私は呆れながらも、幸せそうな彼の顔に胸が温かくなった。
息子の名は「セシル」。
古代語で“希望”を意味するその名を、アレクシスと二人で決めた。
セシルは私の指をぎゅっと握り、小さな寝息をたてる。
「この子は、自由に生きてほしいわ」
「きっと、そうなる。僕たちが守るからね」
私の復讐の物語は、もう終わった。
これからは、新しい物語。
セシルと共に、愛と笑顔にあふれた毎日を紡いでいく。
白い結婚の、その先へ。
私は今、母として、そして一人の人間として、真の“幸せ”を手に入れたのだった。