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高田馬場発天上行き

 ワンルームの自室に帰ってくると、先輩はコタツにすっぽり入り込んで首だけの状態で放心している。激しくパーマのかかった長髪がぼさぼさでまるで落ち武者の生首だなと思っていると、その生首が「おうおかえり。早かったな」と言う。

 テーブルの上には俺が家を出る前には無かったビールの缶が三本置いてある。冷蔵庫をあけて勝手に飲むのはまぁいいけど空き缶はすぐにゴミ袋に放り込んでくれって何度も言ったんだけど。

「先輩それすぐ袋突っ込んでくださいよ。冷たい缶ほっとくとほら、結露? だかなんだか、濡れるじゃないですか。嫌なんすよ」

「えー? ごめんごめん。これでいい?」

 面倒臭そうにのそのそコタツから半身を引っこ抜いてテーブルの上を片付けるけど当然もう手遅れ。しっかり缶の底、円形に雫が残っている。

「パシらせんのはいいけどマジでそれ勘弁してくださいって。ほんと、なんか気が滅入るっていうか」

「ふーん、変なの」とどうでも良さそうに呟いて、でも一応拭いてくれる。

 自分でも何でそんな事が気になるかは解らないけどとにかくそういう事って大なり小なり誰にだってあるものだと思う。明確な理由があるわけじゃないけどとにかく耐えられないもの。その大小や中身が他人にとって気になることなのは仕方の無い事だが、それにどうこう言ったりするのはやはり間違っているのだ。

 だから先輩の心のこもってない相槌は正解。

「ビールまだあるから、テキーラ買ってきましたんで。あとこれ、煙草」「え、お前これハイライトじゃん。俺ラークマイルドだよつーか出る前に言ったよね」「あれ? 前吸ってたじゃないすか」「いやいやあれは彼女が椎名林檎好きでね?」

 文句はまだ続いたが俺はもう聞いてないし先輩も別に本気で俺を非難しているわけじゃないから俺は買ってきたつまみ用のハムだの油揚げだのを冷蔵庫に黙々と詰め込む。後ろでライターの着火音がして案の定先輩はハイライトに一本火をつけている。

「そういや先輩彼女と別れたんすか?」

 作業を終えてコタツに入りながら何気なく訊ねる。付けっぱなしのテレビはサッカー中継で、日本対カメルーン。どちらもまだ点は入れていない。先輩も俺も試合なんて見ちゃいない。無駄話する時には適当に雑音があったほうがいいだろうと思い家を出る際につけただけだ。

「あー? 別れたよ。って前もこの話しなかった?」

「いや知らねっす。したかもしんないけど覚えてないし、もう一回よろしく」

「はあ? 俺結構落ち込んでんだよ? 正直今日もヤケ酒飲みに来たようなもんだっての」

「ヤケ酒なら一人の方がいいでしょ。あ、俺も一本貰えます?」

 勝手に煙草を一本取り出し咥えると、ラム酒の匂いがほわっとしてまだ火もつけてないのにちょっと咽そうになる。

「別にいいけど、どっから話したらいいの?」

「あー、あらすじだけでいいす」

 結構どうでもいいし。

「彼女の友達がタイ人と結婚したけど実はそいつが国に奥さんと子供いてそれがバレて目茶苦茶んなってそれで相談された彼女がタイ人ボコボコにしてしっかり別れさせたけど、家帰ってきたら何故か俺もボコボコにされてしかも泣きながら犯されて別れようって言われた」

「何すかそれ、超おもしろいっすね。あ、っていうか前歯一本無いのってそれでっすか?」

「そうだよ。ってやっぱこの話前もしたよな?」

「覚えてないっす。…あーきっついなあ」

 キツイのは話じゃなくて煙草だ。普段あまり吸わない俺にとっていきなりハイライトは苦しくて、頭もくらくらするのだ。でも先輩は「だろー?」とうんうん頷いていて今更「彼女の性格じゃなくて煙草っす」とも言えないので俺は黙っている。

「っていうかわけわかんないっすね彼女。頭おかしいんじゃないすか?」

「おかしくないよ?」

「いや、おかしいでしょ。だってボコボコにされて犯されて別れましょうって、逆ならまあ先輩が屑野郎って事で落ちつきますけど」

「抵抗しなかったからなあ俺」

「そらまあ、よっぽどブスなら抵抗しますけど。先輩の彼女美人でしたよね?」

 何で知ってんだよ? とちょっと先輩がびっくりするけど、彼女が出来た時にさんざん俺や他の人間に写メだかプリクラだか見せまくっていたのだ。

「まあいいや、そうじゃなくて、俺が丸きり抵抗しなかったから、それが結局別れましょうって事に繋がったんじゃないかなーと思うんだよ」

「はあ? そもそも帰ってくるなりボコボコにされたことについては?」

「それがまず彼女の最初の試験だったんだと思うんだよな」

 言っている事の意味がもうさっぱり解らないので、俺は考える事をやめて先輩の解説に耳を傾ける事にする。

「無抵抗だったらしいんだわ、タイ人」

「あー、それで先輩とその情け無い姿が重なっちゃったみたいな?」

「うーん…、まずタイ人ボコって、二人の関係終わらせた時点で多分彼女の中に不安みたいなもんが生まれたんだよ。ついこの間まで国際結婚だーとか毎日幸せーとか言ってた友達の幸せが完全に終わっちゃう瞬間を目の当たりにして。ま、場の空気っつうの? そういう興奮もあったんだろうけどさ。それで俺を試そうと思ったんだろうな。俺を、っていうか、幸せの硬度? 自分達の幸せってどれくらい壊れにくいのか? 或いは壊れやすいのか。帰ってくるなり、先と同じ様に俺を殴る。俺の反応を見るために。まあ文字通りジャブだった訳。で、まあその時に俺がタイ人と違った反応すりゃ彼女もほっと一安心だったんだろうけどあろう事か俺は無抵抗。タイ人と同じじゃん!ってなった彼女の不安は爆発する」

「はあ…、じゃあ何でその後セックスするんですか? 彼女さん、タイ人シバいた後もセックスしたんすか?」

 言いながら俺は殴打で前歯を折られ口から血をだらだら流しながら仰向けに倒れた先輩を泣きながら犯す彼女さんの図を想像しようとしたけれど、とても出来なかった。逆ならすぐ出来るけど。

「してねえよボケ。あれはその爆発の結果なんだよ。殴る蹴るの攻撃、というか試験は肉体的なものだろ? で、まあそれで不可だった俺は追試を受けるわけ。セックスでの征服は精神的なもんだろ? 今度の試験はつまり、それだったんだな。残念ながらこっちでも俺は無抵抗でまああちこち痛いけど気持ちいいし良いかなとか考えてたわけ。立て続けに彼女の試験に落ちた俺の姿は彼女の中での幸せの硬度ってもんに対する不信感に火をつけちゃったんだな。で、絶望した彼女は別れましょって答えにたどり着く。こんな感じ」

 語り終えて満足気に煙を吐き出す先輩に、しかし俺はへえそうなんすねとすんなり言う事は出来ない。「なんかまぁ…、妄想もそこまで整ってりゃ清々しいっつうか呆れ果てたっつうか、とにかくすごいっす。でもやっぱ彼女さん頭おかしいですよ。別れてよかったっすね。おめでとうございます」と言うのが精一杯だ。

「まあ、ね」

 と先輩は珍しく憎まれ口を叩くでもなく大人しい。苦笑いで立ち上がり、コップを二つ台所からとってきて、テキーラを注いで一気に呷った。

 手に持っていた煙草の灰がぼたりとコタツ布団の上に落ちて、俺は慌ててそれを払いのけた。

「俺の分氷入れてきてくださいよ。ストレートじゃ飲めないっす。あ、っていうかそのパーカー缶コーヒーの懸賞の奴? 当たったんすね」

 という俺の自然な話の方向転換も完全に無視でどこを見てるんだか解らない目をしてぽつり先輩が呟く。

「こう言うさあ、例え話とか大嫌いなんだけど、まぁ桜の花が綺麗だからって人生に例えちゃう程の人並のロマンチシズムなら俺も持ち合わせてるわけ。つまり恋愛感情って火の点いた煙草みたいなもんだなあと」

「その曲聴いたっす。いいすよねあのバンド」

「いや、そのパクリだけどね? ま、ま、聞いてよ」

 新しく持ってきて貰ったコップには冷凍庫産のカルキ臭い氷がざっくり半分くらいまで入っていて、俺はそこに買ってきたテキーラを少しだけ注いで指でかき混ぜながらふんふんと頷く。

「でまあ火の点いた煙草なら吸うじゃん? 吸わなきゃ勿体ねえし美味いとか不味いとかそういうの抜きにとにかく吸うでしょ? 吸ったらその分煙草が燃えて短くなるわけだよ。いずれはフィルターまでいっちゃって、消える」

「えっと、つまり永遠に続く恋愛感情なんて無い的な話すか?」

 げんなりしながらも一応突っ込んでやるのは後輩の務めだろう。俺はわりとそういう気遣いに長けているのだ。

「それでも、人は次の煙草に手を伸ばし火を点けちゃうんだなあ…」

「…馬鹿じゃねえの?」

 呆れ返って煙草の煙と一緒に吐き出した言葉

「お前最近結構俺に対してきついよね? 俺割とハート弱いよ?」

「いやだってあんたそれ厨二病か自称恋愛上級者のババアみたいすよ? ライブハウスとかチャットとかいくと一杯いますよ? 先輩じゃなきゃぶん殴ってますよ?」

 氷がちょっと解けて程よく薄まり始めたテキーラを少し飲む。まだかなりキツイ。

「つうかその理屈でいくと結婚て何すか? 無理じゃない?」

「いや結婚に恋愛感情なんていらないよ? 別物。あれはほら。禁煙と同じ。だから続く奴は続くし、続かない奴は続かない」

 そんな何言ってるの? 当たり前でしょ? みたいに言われても困るしそもそも恋愛を何かに例える事自体が間違っているのだ。例え話っていうのは解りにくい物事を誰かに伝え易くするために問題を解りやすい物事に置き換えることなのであって、大体恋愛だの感情だのをちゃんと解っている人間なんていないのだからどんな例えも間違いで、ある意味どんな例えも正解なのだ。

 つまり何の意味も無い。

「今更だけどさ、何でテキーラ?」

「や、そこのリカーショップで超安かったんで」

 ってこともまあ先輩自身解ってるだろうしだからこそへらへら俺に話すのだ。つまりこれも「何でテキーラ?」とかのどうでもいい会話のうちの一つでしかなくて、俺も先輩もここで終わってしまった恋愛についてだの人の恋愛感情の正体なんてものについて議論を交わす気は一切無い。ただの余談。

 テレビを見るとカメルーンに一点入っている。解説が僅かな残り時間でうんたらかんたらと苦しい激励を送っているがまぁ、このまま逃げ切られて終わりだろう。

「先輩今日帰るんすか?」「ええー? 今日は帰りたくないな」「気持ち悪いって」「あはは悪い。ところで何か食うもの無い?」「あつかましいっすねえ」「鍋しようぜ鍋」「じゃあ相澤も呼びましょう。材料買ってきて貰えるし」

 俺は相澤に『鍋をするから今から来い(材料も買って来てね♪)』とメールするとすぐに二つ返事が返ってくる。

 先輩は「うだあ」と唸りながらまたコタツに入り込み生首状態になってるし、仕方ないから俺もプレステの電源を入れる。

 それにしても、ずびょーんぶーんちゃらららーっていう起動音、妙に落ち着くのは俺だけなのかな?

学生のうちに学生同士じゃないと出来ない馬鹿な話ってありますよね。

何も見ていなくて何もわかんないくせに1年2年先に生まれただけの人間があんなにも何でも知ってるように感じたあの感覚って社会に出ると多分なくなるんだろうなあと思います。

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