モンマルトルの丘
パリ市はセーヌ川によって南北に二分されている。その南半分を左岸と言い、北の半分を右岸と言う。左岸にある一番高い建築物は読者の皆さんが良くご存知のエッフェル塔(312m)。また、59階建てのモンパルナスタワー(210m)が15区に聳え立つ。北にはパリで一番高いモンマルトルの丘がある。標高が130メートルとあって、サクレクール寺院の鐘楼が84メートル。従って、モンパルナスタワーよりも高いとされる。
この丘から眺望するパリは自然に囲まれ一番きれいだと評判。又、ピカソやユトリロ*ら芸術家がこの丘にあるテルトル広場周辺に住んでいた。今でもこの広場で似顔絵を描いたり、自作の風景画を売っている絵描きさんが大勢いる。
サクレクール寺院
サクレクール寺院左横の通りを行くと左手に後方から見た古風な教会が見られるが、これがサンピエール・ド・モンマルトル教会である。1134年に建てられたこの教会は、ガリア・ローマ時代の寺院の跡に作られていて、約2000年前、ここに古代ローマの商売の神メルクリウスを祀った神殿が建設された。その神殿の一部(大理石の円柱)が今も教会の中に残っている。
ソール通りをず~と下りていくと、左手にラ・メゾン・ローズ(カフェ・レストラン)が見えてくる。このラ・メゾン・ローズは名前の通りにバラ色というかピンクの建物で、いかにも写真映えする可愛い家だ。この道をもう少し進むと1933年に植えられた、南フランスで良く見掛けられる背の低い葡萄の木で、しかも、モンマルトルに唯一残る小規模のぶどう畑が現れ出る(パリ市管理)。ここで獲れたブドウからワインが作られ、希少な「パリ産ワイン」として毎年10月のブドウ収穫祭(Fetes des Vendages de Montmartre)で販売され、モンマルトル美術館でも売られる。来年、2025年10月初旬にこの収穫祭が予定されている。この「ぶどう畑」のワインは50clのボトルが40€。利益は、福祉に向けられる。
昔、この辺りには沢山のぶどう畑があり、ここのワインは、モンマルトルという地名の由来(Mont des Martyrs=殉教者の丘)になっている殉教者サン・ドニにちなんで「殉教者のワイン」と呼ばれていた。
しかし、パリ郊外の田舎だったモンマルトルがパリ市に編入されると、鄙びた農村地帯だったモンマルトルの風景も徐々に変わっていく。丘の上にも都市化の波が押し寄せ、1920年代にはモンマルトルにあった最後のブドウ畑もなくなってしまった。ちょうど国内外からやってきた芸術家・作家たちがモンマルトルに住み始めた頃だ。
この復活したブドウ畑であるが、彼ら芸術家たちがそこにブドウの苗木を持ち寄って畑を作った。1934年には第1回の収穫に成功し、毎年モンマルトルの丘でワインが作られるようになった。
また、近くにはラパン・アジル(Au Lapin Agile)「跳ねウサギ」という歌酒場があって、この店名の由来は1875年、風刺画家のアンドレ・ジル(Andre Gill)が「フライパンから飛び出すウサギ」を店の壁に描いたことにちなんでいる(その絵は今も残存)。
サンヴァンサン通りを降りて行くとシュザンヌ・ビュイッソン公園 (スザンヌ・ビュイッソン広場)に行き着く。自分の頭を胸元に抱え持ったサン(聖)・ドニの立像があってビックリするが、この首を抱えた像はシテ島のノートダム・ダム大聖堂の左の門の立像の中にも見られる。
3世紀、この聖ドニはまだ公認されていないキリスト教を布教するために、イタリアからガリア(現フランスとその周辺)に赴き、当時ローマ都市だったパリにたどり着いて、そこを拠点として活動の範囲を拡げる。キリスト教集団といっても当時のキリスト教はローマの中ではまだまだマイナーな、そして、小さな教団で、しばしば迫害の対象になった。聖ドニもついに捕らえられ、モンマルトルの丘で斬首。どんな教団・思想集団でもそうだが、旧勢力(保守勢力)によって弾圧されるのが歴史の常である。聖ドニは切られた首を自分の手で持ち抱え、モンマルトルから北へ6km歩き続けて果てた街が現在のサン・ドニ市。
聖ドニは殉教者となり埋葬され、やがてフランスの守護聖人となった。
自分の首を胸元に抱き持つ聖ドニ
この丘の麓には「天国と地獄」という楽曲に合わせてフレンチカンカンを踊る有名なムーランルージュというキャバレーがある。画家ロートレックがお好みのダンサーを絵にして有名にもなった。場所は地下鉄2号線、ブランシュ駅(ピガール駅ではない)、地上に出ると真ん前に赤い風車がある。
昔日には風車小屋が丘の上に三十基程あったが、今でも二つ現存しており、ひとつは「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」というレストランになっているが、もうひとつは私有地の中にあり、入れない。
余談になるが、本年の2024年、ムーランルージュの羽根が4月末に落下した。怪我人の報告はなかった。落下の原因は不明だが、故意ではないと、総支配人の説明があった。
•ユトリロ:モーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo,1883年12月26日―1955年11月5日)は近代のフランスの画家。生活環境に恵まれなかったが、飲酒治療の一環として行っていた描画が評価され、今日に至る。母親であるシュザンヌ・ヴァラドンもまた画家であったが、彼らはそれぞれ違った方法で自分たちの絵画のあり方を確立している。7歳の時、スペイン人の画家・美術評論家ミゲル・ウトリーリョに認知されて、「モーリス・ユトリロ」と改姓した。(ウィキペディアから引用)