第一話 おいでませ異世界。夢に見た永住。きっかけは血とすき焼きの香り。(下)
「人が死んだっつーのになに和気あいあいとすき焼き食ってんだよあんたら!」
ちょっと前までのシリアスな空気返せよ!
もしかして私が死んだことまだ知らないとか? いや、でも事故したの昼間だしな。ちょうど窓から見える外は真っ暗で、夕飯の最中なのは間違いない。
つまり今は夜!
財布の中身には身元証明のための免許証も保険証も入っていたし人目もちゃんとあったんだから連れ去られて証拠隠滅とかもないだろう。
いくら日本の警察がやる気ないからって時間帯が変わるまで身内に事故の連絡をしないなんてありえない。
つまり、私が死んだことはきちんと伝わっているはずなのだが……なにこれ、普通娘が死んだら悲しむもんじゃないの!?なに普通にすき焼き食ってんのよ私も混ぜろ!
「ん?なにか今葵の鋭いツッコミが聞こえてきたような」
「嫌ねお父さんったら、あの子は今日交通事故による事故死トリップをしたばかりじゃないの」
「そっかー、そういえばそうだったな」
「しっかりしてくれよ親父。あ、母さんご飯お代わり」
何と言うか、そこには今までと変わらない家族の姿があった。
悲しんでほしくはないと、確かに思っていた。
いざとなったら神を脅して自分という存在をあの世界から消してもらおうとすらひそかに考えていた。
だけどこれは……流石に予想外の事態である。
事故死トリップとか、ある意味あっているけどそれでも一応は死んでいるんだからちょっとくらいそれに対するリアクションが欲しい。
ていうか普通死んだらそこまでだろ。何でそこから事故死トリップっていう発想に繋がるんだよ。確かにドンピシャだけどさ!
悲しんでほしくないと思っているのは確かに本当の事だが、ここまであっけらかんとされると逆にこちらが悲しくなってくる。
「っていうかすき焼き超美味しそうなんですけどー!」
グツグツと美味しそうな音を立てて煮える鍋に思わずそう叫んだ瞬間、ちょうど正面に座っていた父と目が合った。
「おお、鏡の中に葵がいるよ」
「あ、ホントだ葵だ」
「あらやだ葵ったら、トリップしたんじゃないの? 何で鏡の中にいるの」
どうやらこの鏡はわが家のリビングの壁に飾られている鏡と繋がっていたらしい。
やっほー、手を振ってくる我が家族に、がっくりと肩を落とす。
今まで色々考えていた自分が馬鹿みたいに思える。
「すき焼き美味しいわよ。そんな鏡の中にいないでこっちいらっしゃい」
ころころと笑いながら箸でつままれた肉をひらひらと揺らす母。行けないのを分かっていてやってくるあたりかなり性格が悪い。
う、羨ましくなんてないんだからね! すき焼きが美味しそうだなんて思ってなんかないんだから!!
で、でもでもでも!
「神ー! あっち行きたい、私もすき焼き食べたいー!」
「だから、無茶を言うなとゆーに!」
駄々をこねる私に、兄は首を傾げた。
「おい葵、そいつ誰だよ」
「すべての元凶」
「なるほど」
簡潔すぎる一言だがそれでおおよそのことは悟ってくれたらしい。流石マイブラザー。愛してるよ。
でもこのやり取りをしてる間にもアイラブ糸こんにゃくを貪り食べている貴方がちょっと憎い。
くそう、一日事故に遭うのが遅かったら私も食べられたのに!
「ううっ、私のすき焼きがぁ」
「ドンマイじゃ。さて早いとこ別れの挨拶を済ませなさい。能力の設定も済んだし、新しい体も作って終わったからそろそろ新しい世界にお主を下ろすぞ」
「あ、もう出来たの?」
神が手を二、三度振ると体の中になにかが流れ込んでくるような感覚に襲われる。
飲み過ぎたあとの胸やけのような感覚が胸だけでなく頭から爪先にまで行き渡り、意識が一瞬遠退くがそこは持ち前の根性でどうにか堪えた。
力を授けるならせめて一言言えよ、こんな気持ち悪いなんて聞いてないぞおいコラ。
ううっ、と低く呻きならが鏡を覗き込めば、何故か爆笑する我が母。
「葵ー、あんたついさっきの顔ウケるんですけど!」
「人が苦しんでる顔見てウケるとか酷くない!?」
あまりのひどい態度に抗議するが、どうやら本日母の笑いのツボはかなり浅い所にあるらしい。
今度は抗議したときの顔が面白かったと大爆笑している。むしろ笑いすぎて呼吸困難におちいり気味だ。
「すまないね葵、母さんかなりの笑い上戸なんだ」
ビールがまだ半分くらい残っているグラスを指差し困ったように笑う父は、ついに引き付けを起こしかけた母の背中を賢明に摩っている。
母さんが笑い上戸なのは知っている……が、ちょっとは空気を読んでほしい。
「はぁ、まったく母さんにも困ったもんだよ。親父、母さん見ててくれ。……ところで葵、お前今度はどんな世界にいるんだ?」
「まだ行ってないよ、今から行くところ。なるべく平和な世界がいいけど、そこの所はランダムなんだって。今回の事故は自称神のミスで起きたものらしいから、チート能力と体質改善を要求してやったわ」
「まじか。まぁ、お前トリップしすぎだから定住したい気持ちもわかるけどよ。気をつけろよ」
「了解。それじゃ、行ってくるねー」
「おう、行ってこいや」
ひらひらと手を振る兄に手を振り返した。
その後ろでは少し困ったような笑顔をした父が、ようやく笑いの発作が収まってきたらしい母と一緒に小さく手を振っていた。
ゆっくりと風景が歪んでいき、最初のように私の顔を映した鏡を自称神に返す。
本気で名残惜しかったが、これ以上はだめだ。ただでさえ後ろ髪を引かれる思いだというのにこれ以上あの人達と話していたら前に進めなくなってしまう。
いくら私が脳天気だからといって人の別れを簡単に割り切ることは出来ない。
今までトリップした先で何が一番辛かったかと聞かれれば、別れが一番辛かったと迷わず答えられる。どんなに仲良くなっても、最後には必ず別れなくてはいけなくなり家に帰ってから寂しくてよく泣いたものだ。
我慢して我慢して我慢して、それでも耐え切れないように一粒涙が頬を伝って流れ落ちる。
急いで服の袖で乱暴に拭い、両手で顔を叩き気合いを入れた。
「オーケイ、もう行けるよ」
「そうか。しかし、お前さんの家族はいやに明るいのぉ」
「それが我が家族ですから」
いつ死んでもおかしくないような環境に身を置くことが多いため、誰かが欠ける、そういった心構えは家族全員が出来ている。
トリップした先で、もしかしたら誰にも気がつかれないように死んでしまっているかもしれない。もしくは、大勢に見送られながら死んでしまっているかもしれない。
長く家族の誰かが帰ってこなかった場合、いつもそんな不安が心を過ぎる。
異世界で死んでしまった場合、自分達は相手の死を知ることが出来ない。だから、いつ、どんなことになっても後悔をしないように日々を生きるのがわが家の鉄則なのだ。
(私の場合、人生謳歌してないけどこの世界で死ねた)
布団の上で老衰が理想だし、こんな若い頃に死ぬ予定はなかった。
でも、いつかの死に場所がこの世界であったことだけは感謝しよう。・・・本当に死にたくなんてなかったけど。
「わしのせいでこれからの人生を奪ってしまってすまなかったの。わしに出来ることは全部した。こんなことを言える権利はないが、第二の人生楽しんでこい」
「言われなくたって」
軽い浮遊感とともに目の前が歪む。
最初こそ気持ちが悪かったが、今ではすっかり慣れてしまったトリップするときの兆候だ。
不快感をやり過ごすためにきつく目を閉じてゆっくり数を数える。
一、二、三
風の吹き抜ける音が聞こえた。
四、五、六
足がしっかりと地面を踏み締める感触を感じる。
七、八、九
瞼を刺す光が少し痛くて眉間を軽く揉みほぐす。
十
目を開ければ、そこは新緑の眩しい森の・・・いや、地面が少し傾いているため森ではなく山かもしれない。
そこは吹き抜けていく心地よい風と小鳥の囀り、木漏れ日の光が温かく、木の間にハンモックでもぶら下げて昼寝がしたくなるような場所だった。
上を見れば雀が二羽仲良く寄り添って飛んでいた。ガサリと近くの茂みが揺れとっさに身構えるが、出てきたのは小さい茶色のウサギだった。
まだまだ安心は出来ないが、見たことのある生き物にここが地球とよく似た世界、もしくは平行世界でである可能性が高まり安堵のため息をついた。
何度トリップをしてもやはりよく分からない世界へほうり出されることに不安はある。これからこの世界に永住するのだ、どうせなら少しでもなじみのある世界がいい。
足元に生えている草や木の特徴を調べどれも見覚えのある日本のものである事を確認する。
あとは現地住民を捕まえてこの世界の事を教えてもらえば完了だ。
とりあえず山を下ろうと歩き出して一分。うっかり私は固まってしまった。
目を擦ったり頭を振ったりしたが、目の前の光景は変わらない。
「嘘でしょ・・・?」
信じられない光景。
山の途中にぽっかりとあったなぜか平らで開けた場所に、とんでもないものを見つけてしまった。
そう。それは・・・
「おーい葵、早く来ないとすき焼き無くなるぞ」
どう見てもわが家である。しかも窓から兄が手を振っていた。
おまけにまだすき焼きを食べている最中らしい。
「ハハハ・・・」
もはや渇いた笑いしかでてこない。
これから一人で頑張ろうと思っていた矢先にこの仕打ち。よもやあの自称神の奴、出来ることは全てやったって、うちの家族(家と庭付き)を一緒にトリップさせるということまで含んでたんじゃないだろうな。
一人ではないということに対する安堵と、こんな落ちかという脱力感と、今生の別れと思っていた相手との思わぬ再会に対するほんの少しの気まずさと、密かに寂しいと思っていたことに対する気恥ずかしさがごちゃまぜになって襲い掛かって来た。
ズーンとその場で落ち込みそうになるが、ここで挫けてはいけない。すき焼きのために頑張れ私!
ガチャリと玄関を開ければ、食欲を誘うすき焼きの良い匂い。
「「「おかえりなさい」」」
二度と聞くことが出来ないと思っていた一言に、口元が緩むのを止められない。
「ただいま!」
靴を脱ぎ捨て、私は勢いよくリビングへと走っていった。
おまけ
「あのさ母さん、何で皆ここにいるの? しかも家付きで」
「ん?それはねぇ、ちょうどお昼くらいに白い爺さんが間違って葵を殺しちゃったって平謝りに来たのよ。その時はお父さんもお兄ちゃんもいなかったから、皆には私が代わりに事情をちゃんと説明しておいたわ」
「マジかあの自称神。私より先に母さんの所に行ってたのか。だから皆私が死んでも驚かなかったのね」
「みたいね。報告に来た警察の人も怪訝な顔してたわ。でもまぁいい機会だわ」
「何が?」
「私達もトリップすることに疲れてたし、お詫びとして私達の体質改善と家ごとあんたがこれから行く世界に転送させたの。ほら、一から住居探すのって大変じゃない?もちろんガス、水道、電気は今まで通り使えるし、七日ごとに家の中のものの時間を巻き戻してもらえるように頼んだから冷蔵庫の中身とか七日経てば元通り、これである意味一番の心配ごとである食糧確保はできたわね。お買い物行ってきたばかりだったし、お米も野菜もお肉も全部揃ってるわよ。」
「……私が言えた義理じゃないけど、これ、なんてチートなのさ(汗)」
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