ダンジョン捕食者の雑学
「や、やめて」
「ペロッ、まだまだ始まったばかりですわ」
突然だが、僕はエミリーに舐められていた。
それも一舐め二舐めどころの騒ぎではない。
右腕から胸にかけてはすでに唾液でベトベトだ。
身ぐるみは当然のように引っ剥がされ、上半身は裸も同然となっている。
どうして、どうしてこうなったんだ。
『天宮』での一件の後、
服従の意思を示したスカルヘッドに、再びヨハネとして振る舞うことを許可して、僕達はダンジョンに帰ってきた。
エミリーがぶつぶつと「お仕置きは何にしましょう」などと不穏なことを呟きだしたのはそれからだ。
あの時はなんのことか分からなかったけど、これはついに僕のことを食べる気になったのかもしれない。
「うう、食べるつもりなら一思いにやってよ」
「そんなことはしませんわ。これはただの味見をしているだけですの」
「な、なんだよそれ………あう、」
エミリーの小さな舌が胸から上に昇ってきた。
そろそろ止めないと、とんでもない事態に陥ってしまう。
おそらく、エミリーはただの味見のつもりなのだろうけど、僕にとってはそれは………
ダメだ、ダメだ。
そういうのは好きな人同士でやるんだよ。って誰かが言っていた。
というかそもそもエミリーは人じゃないし、
「それ以上は洒落にならないから」
「これはれっきとした味見ですのに、何をそんなに焦っていますの?」
「僕の味を知りたいなら、そんないろんなところを舐めなくてもいいだろ!」
「もしかして興奮してますの?あれだけ口では欲情しないと言ってましたのに」
エミリーはニヤニヤと嗜虐的な笑みを浮かべている。
まるで僕が嫌がるのを楽しんでいるようだ。
なら本当の目的は、味見などではなく僕への嫌がらせなのか?
気まぐれか、はたまた何かエミリーを怒らせることを僕はやってしまったのだろうか。
ともあれ、これ以上は舐められていると僕の貞操が危ない。
なんとしてもエミリーを止めなければ。
「それとこれとは話がちが………このままだとキ、キスしちゃうだろ!」
「キスの何が問題ですの?」
「だ、だってキスは好きなもの同士でやるものだから、僕にはエーデリカがいるし」
「ほほぉ、それはちょっと聞き捨てなりませんわ」
実のところ、エーデリカとの関係は未だに曖昧なままだったりする。
告白の返事が保留になっているからだ。
「今は状況を整理したいから」
ということだったけど、僕は一向に構わない。
僕もあの時は元に戻ってほしい気持ちがいっぱいで、エーデリカと恋仲になりたかったわけでは………まぁ、ほんの少しはあったかもしれない。
流石の僕でも、今は色恋沙汰にうつつを抜かしている場合ではないことは分かっている。
だから寧ろ現状で助かったとさえ思ってた。
「今一度、レイが誰のものかハッキリさせておくべきかもしれません。さあ、こちらを向きなさい」
「な、なにを、」
「これからあなたの唇を奪います。当然、拒否権はありませんわ」
「だからそれは好きなもの同士でってさっきも、!?」
それ以上は言葉が続けられない。
僕の口は塞がれてしまったから、エミリーの唇によって、
咄嗟に目を瞑ったけど、唇に伝わる柔らかな感触とほんのりとした湿り気から、瞼の向こうの景色が鮮明に連想できてしまう。
僕のファーストキスはしょっぱい味がした。
「私がこれだけ愛でているのに、レイはちっとも分かってくれませんのね」
「うぅ、あんまりだ」
「あら、泣くほど嬉しかったのかしら」
「っ!そんなわけが、」
僕は否定の言葉を途中まで言いかけてやめた。
エミリーは所詮魔物だ。
人間の僕とは価値観が違う。
この行為も犬にでも舐められたと思ってしまえば収まりがつく。
「もう気が済んだだろ。いい加減にこの拘束を解いてくれ」
「む、ここまでしましたのに………あなたは私のモノだという自覚はありまして」
「もちろんあるよ。あるから早くこの拘束を解いてくれ、じゃないと主のために働けないだろ」
「そこまで仰るのでしたら仕方ありません。今回は許して差し上げますわ」
何を許されたのか知らないけど、エミリーの拘束を解くことには成功した。
ほんと散々な目にあったな。と口にしたい気持ちをぐっと堪える。
これ以上面倒ごとは増やしたくない。
「そういえば味で思い出したんだけど、エーデリカのスコーンはどうだった?」
「別になんとも、あれはレイが用意してくれたものではありませんし」
「それが美味しいかどうかに関係ある?」
「好みの問題ですわ」
そっぽを向くエミリー、さっきからエーデリカが絡むと露骨に態度が悪くなる気がする。
思い返せば、口を舐められた時もエーデリカの話をした直後だった。
相性が悪いのか?
今後はエミリーの前ではエーデリカの話題は避けた方が良さそうだ。
それから、
僕は食材集めに翻弄していた。
街で集められる食べ物はあらかた試し尽くしたのだけど、初めに試したウツツケから新たなに好きになってくれた物はない。
流石に年がら年中ウツツケが手に入るはずもなく、旬が過ぎてしまえば来年までエミリーの食べ物がなくなってしまう。
いよいよ八方塞がり。
というわけではなかったけど、現状を打開するには僕の苦手なことに挑戦する必要がある。
それは───
「僕が料理するしかないか」
「りょうり?とはなんのことですの」
「食べ物と食べ物を組み合わせて、より美味しい物を作り出す技術、とでも言えばいいのかな。昔から苦手なんだよ。特に火を扱うのが」
昔から、食べ物を焦がしてダメにしていた記憶しかない。
あまりに酷いので、最終的に孤児院の給仕当番から外されていたのを今でも覚えている。
自分なりに努力はした。
でも結局は苦手を克服するには至らず、あのエーデリカですら匙を投げ打つ始末。
故に料理をすることを諦めていたのだけど、
「せめてエーデリカがいてくれれば」
「彼女になにか御用でしょうか?」
「おまえは、スカルヘッド!?どうしてここに」
振り返るとそこにはヨハネの皮を被った骸骨の姿があった。
相変わらず過剰に丁寧な振る舞いを見せるこいつは、『天宮』で服従を誓わせた魔物で間違いない。
「この姿の時はヨハネで呼んでいただきたいのですが、、、まぁいいでしょう。準備が完了したのでこうして馳せ参じた次第でして」
「準備?」
「ええ、自分とエーデリカさんはこの度、あなた方のパーティへと出向します。その手続きが終わりました」
話が全く見えない。
スカルヘッドの奴はいったい何を言っているんだ。
「ご苦労様。もう帰っていいですわ」
「分かりました。では明日、ギルドにてお待ちお待ちしております」
エミリーは面倒だと表情に浮かべていたけど、スカルヘッドは気にした様子もなく。
いつもの慇懃無礼な振る舞いでその場から消え失せた。まるで初めからいなかったみたいに、
「て、そんなことより。エミリー!これはどういうことなんだ」
「私達が作った架空のパーティ『灰毛』に、スカルヘッドとスコーン女がやってくるんですの。そして『灰毛』は、このダンジョンの攻略筆頭になりましたわ」
「そっか『黒皮』はもういないから。でもエミリーが攻略筆頭ってのはお笑いだな」
攻略筆頭に選ばれたパーティは、そのダンジョンに入る全ての権限を任されたに等しい。
つまりこのダンジョンに入るには、その主であるエミリーの許可が必要だというわけだ。
「こないだスカルヘッドを分からせた後に、この話を持ちかけられましたの」
「知らなかった」
「あの女とイチャコラしてたからですわ」
「ぐっ」
キッパリと切り捨てられた。
確かにあの時は喜びのあまり周りが見えてなかった気もする。
とはいえ、これでこのダンジョンに侵入者は現れなくなるだろう。