中: 昭和時代の廣島の片隅にてウチは……
「え……?」
曾祖母ちゃんの病室で微睡んで次に目が覚めたらボクは自分がさっきと違う場所にいることに気づいた。いつからかボクがベッドに寝ているようだ。
「ここは?」
どこかの家の寝室みたいだ。しかもなんか……説明しにくいけど多分古風って感じ。飾り物と色使いから見れば女の子の部屋で間違いないだろう。
それに今自分の発した声に違和感がある。なんか声が高くて可愛く聞こえて、まるで子供……女の子みたいに? ボクは一応すでに変声期を迎えた健康的な男子高校生だよ? そんなのあり得ない。
「嘘……」
体を起こしてベッドから立ち上がって部屋の中にある姿見に飛び込んでその中を覗いてみたらそこに映っているのは可愛くて幼い女の子の姿である。これはもしかして……。
「ヒオちゃん……?」
その姿はさっき曾祖母ちゃんの病室で見た『ヒオちゃん』の写真とそっくりだ。しかも当然これは白黒ではなく、ちゃんと色がついて新鮮って感じだ。ボクが体を動かしたら鏡の中の女の子も動く。
着ている服は写真の中と違って着物ではないけど、これも可愛く見えるよね。多分襦袢と呼ぶものだよね? 色は薄桃でよく似合っている。
手や顔を触ってみたら肌が柔らかくて触り心地がよくて、綺麗な黒髪はつやつやで気持ちいい。
やっぱり生身のヒオちゃんって素晴らしい! 最高だ!
「……って、そんな場合かよ!?」
ボクはヒオちゃん……つまり子供時代の曾祖母ちゃんになったの? なんでこんなことに?
確かにボクは「ヒオちゃんに会いたい」と思ったけど、そこまで本気っていうわけではない。それに自分で本人になるとは……。まあ、こんな形の「会う」ってのもありかもね。だからある意味夢が叶ったっていうこと。いやいや、やっぱりおかしいだろう。
とにかくもっと状況を把握しておかないと。
ボクは寝室から出て家のあっちこっちを調べ始めた。ヒオちゃんはある程度お金のある家族のようだ。少なくとも貧乏な家庭ではない。
振り子時計、分厚いテレビ、いろんな家具から見るとやっぱり明らかにこれは令和時代の家ではない。そして決定的なのは暦だ。昭和18年8月のものになっている。
居間にはいろんな白黒写真が掲げてある。大体は家族の人の写真のようだ。
「この写真……」
ヒオちゃんだけが映っている写真が一枚ある。やっと見つけた。これは曾祖母ちゃんの病室で見たヒオちゃんの写真だ。今の自分の体と比べてみたらあまり変わらないようなので、つい最近撮った写真だと推定できる。
そして靴を探して小さな足に履いて家の外に出てみた。
「これは昭和時代の街並み? すごい……」
町で歩いてみたらつい感動してしまった。まるで違う国にでもやってきたみたい。確かにここは日本で間違いないし。周りの人が喋っているのも日本語だけど、令和時代の日本と違うところも多い。車や道路や建物……具体的にどう違うか説明しにくいけど、とりあえず見ればわかる。
看板などを見たらしばしば旧字体を見かけて、読むのに困難なところもある。例えば『広』という字は『廣』になっているみたい。
それにしても視線は低いね。この体はやっぱり子供だ。身長は恐らく130センチくらいだろう。ボクは元々身長165センチだからその違いは明らかだ。今何もかも大きく見えてしまう。
「これって、もしかして原爆ドーム?」
しばらく歩き続けてきたら、やっと見つけた。現在と違ってまだピンピンした状態で廃墟になっていないからすぐにはわからないけど、間違いない。壊される前のここってこんなに綺麗だね。しかもドームの部分、緑色だったんだね。原爆ドームの昔の写真は見たことがあるけど白黒写真だからこんな綺麗な緑だと知らなかった。こんな風に実物を見学できてわくわくしてしまう。
やっぱりここは広島だったんだね。そうだろうとわかっていたけど、これを見ればやっと確信した。
何よりヒオちゃんの家は原爆ドームとはあまり遠くないところにあるっていう事実も、それが意味することも……。
とりあえず状況は把握できたけど、結局元の時代に戻る方法はどこにも見つけられず、このままボクは……いや、ウチはこの時代で、しかもこの女の子の体で生きていくしかない。
せっかく美少女になって喜んで幼女ライフを満喫したいと思う人もいるかもしれないけど、残念ながらウチの場合そう簡単にはいかない。だって今は第二次世界大戦の時代だからあまり余裕がなくて、いろいろ大変で不安の中で奮闘して過ごしていくことになる。
しかもウチはこの戦争の結果は知っている。どうせ結局全ては無駄になって後悔してしまうだろう。だからできればこの戦争を止めたい。
だけどウチはただ普通の女の子で、何の力もない。チート能力を持つ異世界転生の主人公でもないから。現代の知識を持っていても何かを変えられるほどのことではない。『未来から来た』って、誰かに言っても信じてもらえないだろう。
結局自分の知っている歴史そのままの日本を現場で体験しながら見送っていくことしかできない。
そんな日々の中で姿見に映っている美少女を眺めるのはウチの日常の癒やしでもある。この時代に来て大変なことばかりだけど、嬉しいことがあると言えばやっぱりこんなことくらいかな。
昭和20年に入って戦争は激烈化してきた。広島市内はあまり空中の影響を受けなくて比較的に安全みたいだけど、ウチは知っている。ここはやがて歴史上最大の地獄に変貌してしまう、という未来を。
逃げないと……。
家族や身内の人だけでも助けたいと思って、どうしても『あの日』だけは絶対広島にいないようにいろんな目論見をしたけど、全部失敗した。結局ウチは家族を捨てて何とかして自分一人だけ広島から逃げてしまった。
みんなには悪いけど、ウチは一人でもどうしても生きていきたい。いきなり平和な令和時代から戦争時代にタイムスリップして理不尽さを感じたけど、ウチは戦争が終わって平和に戻る日本を見たい。
それに歴史が変わらないのならウチはきっとこれからも長く生き続けていくという運命だろう。これを変えては駄目な気がする。
そして歴史の通り昭和20年8月6日に広島に原子爆弾が投下されて、ウチの家族や知り合いみんなを含め数万人の命が奪われた。
結局何も変えられなかったな。そうなるとはわかっていたよ。
その後孤児になっていろいろ大変だったけど、ウチは生き残って成長していく。ボクだった時の記憶もいろいろ役に立って学校での成績もよくて何となく元気に生きていける。
やがて幼女から大人の女性に成長してあの美少女のヒオちゃんはもういなくなったけど、それでもかなりの美人でモテモテのようだ。
ウチはそれでも自分の中身は男の子であるつもりで男に口説かれても困るだけだと思っていたが、どうやら精神が体に引っ張られて、ウチはやがて男の人にときめいてしまったのだ。最初は随分葛藤が起きて大変だったけど、ようやく自分のこの状況を受け入れて、女として殿方と恋愛をする覚悟ができた。
これでいい。だってこの時代で百合なんて難しそうだから。
そしてウチは運命の相手と出会ったんだ。彼の名前は尾道富幸で、ウチの広島大学での同級生で同じ広島出身だ。ウチは大学卒業したら彼と結婚したことで、尾道緋桜となった。
ちなみにウチは彼に自分が令和という時代からタイムスリップしたことや自分が元男だったことを打ち明けた。彼だけは信じて受け入れてくれた。
「ワシは緋桜さんが男でも愛しとる」
って、言われて複雑な気分にもなったけど、やっぱり嬉しい。
本来一生隠すべきだと思っていたけど、生涯の相手にやっぱり隠し事をなくして秘密を共有したい。自分の今まで背負ってきた過去を誰かに分かち合ってもらいたい。
こうやってウチは一人の女として素敵な相手ができて幸せな人生を送って、やがて身重になって子供を産んだ。なんかあまり信じられないよね。自分が妊娠して出産して母親になるなんて……。本来男として生まれたボクとは無縁のはずたったのに。しかも気づいたら子供4人いたんだよ。
そして子供たちも成長して大人になって結婚してまた子供が生まれて、ウチにも孫ができてお祖母ちゃんになった。その孫もまた子供がいて、気づいたら曾孫までできて、ウチは曾祖母ちゃんと呼ばれるようになった。
時間の流れって早いよね。いつの間にか長かった昭和時代が終わって、年号は『平成』になって、やがて『令和』に辿り着いた。
随分と長生きしたな。旦那の富幸は73歳の時に亡くなって、ウチは一人で残されてしまった。
90歳に近づくと物忘れが激しくなって、いろいろ忘れ去ってしまう。自分の若い頃のことや、その前のことも。
やがて90歳の誕生日を迎えたけど、その後体調を崩して入院してしまった。
そして『彼』がウチの病室に現れた。
「初めまして。ボクは曾祖母ちゃんの曾孫、尾道楓離です。15歳で、高校1年生」
「かえり……かえり……」
自分の曾孫を名乗った男の子の姿を見て、彼の名前を耳にして、ウチは気づいてしまった。
彼は『ボク』だった。
もはや忘れてしまった、自分の本来の姿。
やっと会えたね。帰ってきたんだね。
「この女の子は?」
彼はあの写真を興味津々に見つめた。あの日広島の原爆から逃げようと家から奔走した時に、どうしてもこの一枚だけは大切にしたいと思って一緒に持ってきた。あの後でもこの写真はウチの宝物としている。だってこれは『過去と未来を繋ぐ』ものだと思っているから。
「この子に会いたいか?」
ウチは彼に訊いた。
「は、はい」
そう答えて彼は眠気が起きたようで、ウチの胸のところに頭を置いて眠ってしまった。その時ウチも突然意識が朦朧になって、そして……。