上: 令和時代の広島の病院にてボクは……
「曾祖母ちゃん、お邪魔します」
ボクは『尾道 緋桜』と書いてある名札が付いているドアをおもむろにノックして、病室の中へ入った。
「……あなたは?」
病室の真ん中のベッドに寝ている年寄りの女性が来客のボクを見つめて訊いてきた。
「初めまして。ボクは曾祖母ちゃんの曾孫、尾道楓離です。15歳で、高校1年生」
彼女はボクの曾祖母……正確に言うと父の父の母だな。一応直接血が繋がっている親戚だというものだけど、年代も住んでいる町も違うので、会うのは今始めてだ。
曾祖母ちゃんのことは父からいろいろ聞いた。彼女は広島出身でずっと広島に住んでいるらしい。生まれたのは1933年で、今はもう90歳。12歳の時に広島の原爆で家族全員失って自分だけ生き残ったという悲しい過去を持っているらしい。
それでも元気に生きてきて現在に至った。でももうこんな年になって最近体調を崩して入院してしまって、もう長くないそうだ。
そしてボクはそんな曾祖母ちゃんのお見舞いをするために遥々広島まで来た。
ボクは石川県で生まれ育ちで、広島は初めてだ。偶然にも今日は8月6日で、広島原爆投下日の78周年。実は病院に来る前に原爆ドームと広島平和記念資料館にも行ってきた。そこで戦争の恐ろしさと鬱陶しさを味わってしまった。なんで人間は戦争なんか起こしてしまうんだろう? そんなの悲しみしか生まないのに。しかもその被害者は身内の人だと知って更に感情が昂ぶってしまった。
「かえり……かえり……」
曾祖母ちゃんはボクの名前を2回も繰り返した。覚えようとしているのかな? 別に無理に覚えなくても。曾祖母ちゃんはもうこんな年だ。しかも最近認知症が発生して明らかに物覚えが悪くなってきたと聞いたし。今はまとめに会話できるかどうかすら心配だ。
「ボク……? おかえり……」
「え?」
今曾祖母ちゃんは『ボク』って言った? まさか二人称の? なんかいきなり子供扱いされて……。自分はもう高校生だよ。確かに曾祖母ちゃんから見ればずっと年下で小さくてミジンコかもだけど。
それになんでここで『おかえり』って? あ、もしかしてボクのフルネームは『おのみちかえり』だからその略?
「こっちにおいで」
「はい、失礼します」
曾祖母ちゃんに呼ばれてボクはベッドの隣に置いた椅子に座った。その時ベッドの隣の床頭台においてあるフォトフレーム付き白黒写真がボクの視界に入った。
「この女の子は?」
写真の中には一人幼い女の子の姿が映っている。すごく可愛い女の子で、ボクの目が奪われてしまった。年齢10歳くらいだろうか。整った顔と首まで長いおかっぱという髪型で綺麗な着物を身に纏っている。白黒写真なので着物の色までわからないのは残念だけど、桃色は似合いそうだ。写真で真っ暗に見える髪の毛は多分本当に黒で間違いないだろう。見た目は普通の日本人だから。いや、普通ではなく天使かも?
もしこの子が実際に目の前に立っていたら、つい惚れて抱きたくなってしまうかもしれない……って、違う! べ、別にボクはロリコンなんかではない……よ?
「……ヒオちゃん」
「え? あ、この子の名前ですか?」
「うん」
曾祖母ちゃんはボクの質問に答えたようだ。『ヒオ』って……え!? 曾祖母ちゃんの名前じゃないか。もしかして……。いやまあ、そうだろうと思った。こんな白黒写真は現代のものではなく、昭和時代の写真だと考えるのは当然だろう。
それにしても曾祖母ちゃん、自分のことを『ちゃん』付けで呼ぶなんて……。
ボクもそう呼ぼうかな。だってこんな小さい子を曾祖母ちゃんと呼ぶなんて違和感あるんだよね。
あ、でも『ヒオ』って『ヒイオバア』の略みたい。偶然かもしれないけど。
「これはいつの写真ですか?」
「確かに、昭和18年……」
認知症のわりには意外と具体的な数字が出たね。きっと大切な思い出だろう。昭和18年……、つまり1943年か。今は2023年だからちょうど80年前だ。なら曾祖母ちゃんが10歳の頃だな。
ボクはこの『ヒオちゃん』の写真と今目の前に横になっている曾祖母ちゃんを交互に見て比べてみた。
やっぱり全然似ていない。面影なんかほとんどない。2人が同一人物だなんて言われなければ絶対わからない。でもそれは無理はないか。この写真の子は10歳で、今曾祖母ちゃんは90歳だから。時間が経つと人も何もかもが変わってしまって、永遠なんてない。これは世の真理なんだよね。
こんな年寄りの曾祖母ちゃんでもあんな可愛い時代があるんだ。これは当たり前のことだとわかっているけど、不思議に思ってしまう。
時間の流れって残酷なものだ。だからこんな可愛い『ヒオちゃん』は時間限定のもので二度と会えないものだよね。そう考えると寂しい感じになってしまう。
これはなんか春に咲いた桜が散っていくところを見ている時と同じ感じだ。それでも「桜はある短い時だけ咲いてすぐ散ってしまうから素敵だと感じて大切にする」っていう考えも聞いたことがある。それは人間も同じだろう。むしろ永遠ではないからその儚さこそ価値があるのだな。
桜の花の見頃は春であると同様に、女の子の見頃は10代だよね。
そう考えるとボクは自分があの時代にいなかったことを後悔に思ってしまった。写真に残ってこうやって鑑賞できるのは嬉しいことだけど、やっぱり生身で見てみたい。本当にヒオちゃんに会いたい。
「この子に会いたいか?」
「……っ!」
まるでボクの考えていることを察したように、曾祖母ちゃんはそう言った。
「は、はい……」
ボクは正直に答えた。どうせあり得ないとはわかっているけど、奇跡でも起きるかもしないってつい期待してしまう。
そしてその時なぜか眠気がしてボクは座ったままベッドの方に倒れて曾祖母ちゃんの胸のところに頭を置いてそのまま寝落ちしてしまった。