第三話
ある月曜日の朝のこと。時刻はもうすぐ八時になろうとしていて、日曜とは打って変わり、町には慌ただしげな活気が大きく流れていた。同じ町にもかかわらず、時間一つ曜日一つでこれほどまでに様変わりするのには本当に圧倒させられる。とりわけ人間社会に馴染み切れていないパーキング・タートルにとっては、その衝撃はいつまで経っても慣れそうにないほどで、呼吸をするたびに胸が苦しくなり、まるで地球とは空気の組成が全く異なる別の惑星にいるかのような錯覚に陥るのだった。ピピッ、ピピッ、と時計のアラームが聞こえてくる。もう八時だ、と思いながらPタートルは小屋に戻っていった。
アラームを止めたついでに椅子に座って休みながら目をしばしばさせていた彼の目にスーツを着た若い青年がゆらりと入ってきたのは、八時になって間もなくのことだった。
「ご出庫ですか?」
日向へ出ながらそう言うと、青年の目だけが素早く彼の方を向いた。世間一般の、世界でありふれている、普通の瞳だ。彼は何も言わずに駐車場の奥へ進んでいく。パーキング・タートルもピョコピョコと飛ぶように駆けながら彼に近づいた。
「17番ですね。深夜料金300円に8時以降の通常料金200円を加えて500円になります」
青年は嫌悪を隠そうともせずに、眉をひそめながらPタートルを見る。砂にまみれた足の指から色が薄くなりつつある頭頂部に至るまで、ジロジロとにらみつけ、ようやく口を開いた。
「何だって?500円?今500円って言いました?」
「ええ、500円・・・です」厄介事の匂いを感じ取り、Pタートルの声は尻すぼみになっていた。
「なぜ?」
「ですから、8時までは夜間料金で最大300円なんですけど、それ以降は30分ごとに昼間の料金が加算されていくんです」
「まだ6分しか経っていませんよ。これで200円払っちゃったら、残りの24分のぶんが無駄払いになってしまう」青年は滔々と言った。
「でも、規則なんです。上の人からもそうするように言われてるんです」
「ふうん。その規則だの命令だのが変だとは思わないんですか?だってそうでしょう?同じ金を払って1分のサービスしか受けられない人と30分丸々サービスを受けられる人がいるなんてどう考えたっておかしいでしょう?そんなことも分からないからこんな仕事しかできないんですよ、あなたたちは」
「・・・規則なんです。500円払ってください」
Pタートルはもう泣きそうだった。まるでよるべがないような、規則ですら頼みにしていなさそうな言い方だ。すると青年はため息をつき、財布から硬貨を取り出して彼の黄緑色の手に乗せた。そして、すぐに背を向けて車に近づき、ドアを開いた。
「ちょっと待ってください!」Pタートルが叫ぶように言い、青年はビクと肩を震わせる。「300円しかありません。あと200円払ってください」
「はあ?そんなわけ・・・、ちゃんと数えましたか?」
「はい」
Pタートルは腹が立ち始め、それ故か、少しずつ毅然とした態度をとるようになっていた。それとは対照的に青年の表情からは先ほどまでの冷静さや飄々とした雰囲気は失われつつあった。
「あー・・・、どこか地面に転がっていったんじゃありません?ほら、向こうの方とか」
彼は白々しく反対側の奥を指さした。なんと見苦しいことか。
「いや、ありえません。ほら!200円!」
Pタートルがグイと彼に手を突き出したが、彼はそれを無視して車に乗り込む。
「いいじゃないですか!たかが200円でそんなにピーピー言わないでくださいよ!クソ、この亀畜生が、初めての出張でこんな目に遭うなんて・・・。ほら、さっさとどかないとひき殺しちまうぞ!」青年はドアから上半身を乗り出しながら言った。
しかし、Pタートルは臆することなく、無言で手を突き出している。
「分かった、分かりました。次!次利用するときに今回の200円も払いますから!早くどけって、もう!急いでんだよ、こっちは!」
それでも、パーキング・タートルは決然と手を突き出している。すると、背後から機嫌を伺うような日和見めいた声が、語尾に隠しきれない卑屈さがにじみ出ている声がした。
「あのぉ、こいつが何か失礼をはたらきましたか?」
Pタートルが振り向くと、そこにいたのはどうやらトクバ氏のようだった。いつもの色あせた紺色のジャージ、汚い歯、風船のような腹。なるほど確かにトクバ氏である。しかしPタートルは確信がなかった。なぜなら、そのトクバ氏がおよそ普段の彼からするとあり得ない様子だったからだ。嬉しくもないのに顔には常に笑顔を絶やさず、腰を老人のように折り曲げ、口からは犬のような、ヘヘッ、とか、エヘッ、という息を相づち代わりに漏らし、語尾は酔っ払いのように気の抜けた上がり方をしている。Pタートルがここ数年間接してきた中で、彼のこのような惨めで下卑た姿は見たことがなかった。いつもだって大概みっともないが、今回ばかりはもはや乞食以下の下品さである。
「あ、ああ。あなたがここの管理者ですか?」青年は車からいそいそと出てきながら言った。
平静を取り戻したかのように見えるが、声は少し震えて視線は泳いでいた。管理人という新たに現れた存在に、自分と同じ人間という存在に、Pタートルの上司的存在に、どう出るべきか迷いあぐねているのだろう。
Pタートルも、このトクバ氏の見たことない一面に驚きはしたが、自分は何も悪いことはしていないという自負があったため、正直に起きたことを話そうと口を開いた。
「おはようございます、トクバさん。このお客様がですね、八時以降の通常料金を――」
「ああ!」青年も白々しい大声を上げて彼を遮った。「ああ!やっぱり、あなたがここの管理人さんなんですか。いやぁ、助かった。実はですね、私は7時58分頃にここに来て料金の精算をしようと思ったんですけど、ここの彼が何やらいろいろ話してきて、一向に精算をしてくれないんですよ。それでしまいには8時を過ぎたから通常料金の200円も払えと。さすがの私もそれは不当だと思って必死に抗弁していたところなんです。いやぁ、本当に助かった」
反論を挟む隙がないほどの早口でそのようにまくし立て、Pタートルも閉口というか、ポカンと口を開けていることしかできなかった。くだらない理由のために、人間がここまでペラペラと嘘をつけるとは思わなかったのだ。きっと当の青年も驚いていることだろう。よくもまぁ、何も考えずともこれほどまでに饒舌に嘘をつけるものだ。やはりさすがだ、俺は、と。もっとも、その饒舌は嘘をついている人間特有の饒舌さではあったのだが。
少しの間が置かれた後、トクバ氏はまた、ヘェヘェ、と犬の息のような相づちをついて、
「なるほどぉ、そんなことがあったのですね」と洋画の吹き替えも顔負けなほど大げさで不自然な抑揚をつけて言った。
「いや、違うんです。僕はちゃんとやってたんです。言いくるめられないように頑張ったんです」
Pタートルがそう言ってトクバ氏を見ても、彼は忌まわしそうににらみ返すだけだった。
「いやぁ、このたびは誠に申し訳ありませんでした」トクバ氏は餅つきの杵のように、頭を何度も下げながら言い、ふと顔を上げて「料金は300円で問題ありませんので」と手を差し出した。しかし、青年が「もう彼に渡しましたよ」とPタートルを指さしながら言うと、今度は、アッハッ、と漏らしてカルタ選手さながら素早く手を引っ込め、再びペコペコと頭を下げた。
パーキング・タートルはもう唖然とするしかなかった。まさに夢でも見ている気分だった。しかし、彼はそれまで夢など見たことがないので、初めて地球へやってきた異星人の気持ちと表現した方が正確かもしれない。倫理道徳の寵児たる地球人の車が出て行く時も唖然だった。隣では未だに高度文明の申し子たる地球人がペコペコしていた。