第二話
その夜のこと。Pタートルは小屋の下で、小さなLEDランプを灯しながら薄い冊子を読んでいた。それは「パーキング・タートルズ・ペーパー(PTP)」という会誌で、パーキング・タートルのいる駐車場に月二度配布される3ページほどの雑誌である。その安直な名前に劣らず、その中身も単純でくだらないことが書かれていた。
“2月上旬の最高売り上げ地区は・・・、三条駅地区です!他の地区のパーキング・タートルたちは、下旬の表彰を目指して頑張りましょう!(1ページにでかでかとその地区のPタートルたちの写真が載せられている。手に持っているのは・・・、ちり紙か?いや、コピー紙のようだ。コピーされた賞状を6匹のPタートルが持っている。人間には彼らの違いが一向に分からない。そして、おそらくPタートルたちも自身たちの違いを分かっていない)”、“この度、我々に新たな仲間が加わりました!彼には長らく席の空いていた京都駅南地区C番の担当をしていただくことになります。情熱あふれる若い芽に拍手!(また1ページにでかでかと死んだ目をしたPタートルの写真だ。彼は自分がこれからどうなるのか、知らないのだろうか?いや、知っているに違いない。彼がPタートルになった経緯など推し量るに堪えない。おや?彼の胸についているのは・・・、やはりちり紙か?いや、造花のようだ。白色の造花のバラ)”
最後のページは広告だ。よく分からない商品についての広告。それが車やガス報知器のようなモノについてなのか、あるいは保険やメンズエステのようなサービスについてなのか、不明だ。一体何だってこんな悪趣味な雑誌に広告を載せようと思ったのか、それも謎だ。しかしながら、一番わけが分からないのは、この機関誌を書いているのがパーキング・タートルではなく人間だということだろう。
Pタートルは深くため息をついて最後のページを閉じた。裏表紙には京都市の駐車場マップと本社の電話番号が載っている。どうしてこんな会誌を発行する必要があるのか、彼には分からなかった。こんなものあったって、別に僕はやる気にならないし、トクバさんも気にしてないっていうのに。Pタートルはその冊子の表紙を破り、大きな音を立てながら鼻をかんだ。彼は知らなかったのだ。この会誌を発行することによって、どこかから多額の補助金が本社に出されているということに、そのために極めて薄い冊子となっていることに、そして、その補助金の使途が公には“パーキング・タートルの、最低限の生活の保護と人間社会への自発的融和のため”であるということに。・・・知っていたところで、たかが一匹のPタートルにどうこうできる問題ではないのだろうが。
不意に、雲が割れて月が顔を出す。その光が詰所にも斜めに差し込み、机の横に降り注いだ。スポットライトを浴びたホコリが星屑のように光っては闇に紛れて姿をくらましてゆく。パーキング・タートルはLEDランプを消し、恐る恐る月明かりの滝に手を伸ばした。彼の手に気圧されたホコリたちは、水しぶきのように四方八方へ散ってゆく。とても寒い。でも、柔らかくて温かい。彼は思わず微笑んだ。きっと、本当はお月さまだってお天道さまよりずっと優しいんだ。ただ、みんな知ろうとしないだけなんだ。月は再び雲に呑まれる。
小冊子の残ったページで足の裏や首の裏や蒸れた背中を拭いていると、暗闇の中からぬるりと人影が現れた。紺色のくたびれたジャージを着た男性。背は低く、無精ひげを生やしていて、頭頂部は肌が薄く見えており、腹は餓鬼のようにポッコリと膨れている。肯定的に言えば飾らない容姿で、否定的に表現すると、昼間に外を歩けば道行く若者たちの内心で嘲笑の対象になる見た目と言えよう。彼に気づくやいなや、Pタートルは素っ頓狂な声を上げて弾かれたように腰を上げた。
「トクバさん!こんばんは、こんな夜中にどうされたんですか?」
トクバと呼ばれたこの男性こそ、この駐車場の管理者(決して所有者ではない)であり、このPタートルの実質的使用者である。
トクバ氏のひび割れた唇同士が離れ、ヤニに汚れた歯が見える。その奥にある銀歯が鈍く光った。
「おう、お疲れ。今日はいつもより客が多かっただろう?だから早めに売り上げを回収しようと思ってな」
「確かに今日はいつもの休日よりも客が多かったですね。ちょっと待ってください」
そう言うPタートルは、表情こそ驚愕の色だけに抑えていたが、内心では期待で満たされていた。今日の成果には彼自身とても自信があったのだ。単純な金額の点においても、自身の働きぶり、すなわち、彼の覚えがある限りでミスが少なかったという点においても。数年間ここで働いてるけど、初めてトクバさんに褒められるかもしれないぞ。そう思っていたのである。
トクバ氏は彼から受け取ったアルミの菓子箱を開き、指を舐めて金勘定を始めた。
「53、54、55、56・・・。100、200、300・・・」
Pタートルは大して汚れてもいない机の上を手で払いながら、落ち着きなくチラチラと彼の顔を見ていた。彼はいつも仏頂面なので感情が読めないのだ。そうこうしているうちに勘定が終わった。
「合計、64300円か・・・。なあ、おい。ちゃんとやってるか?お前。計算間違えたり、客にいいように言いくるめられたりしてるんじゃないだろうな?」
Pタートルは本当に面食らった。ちょうど浦島太郎に顔面を蹴り上げられた亀と同じくらい驚いて、思わず声を張り上げた。
「そんな、ちゃんとやってますよ!」
トクバ氏は相変わらず不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「どうだかね。いくら何でも少なすぎる。あれだけ車が入ってこれっぽっちだって?お前、俺をなめてるのか?ちゃんと見てるんだからな。お前、俺が何もせずにケツを掻きながら呑気にテレビでも見てると思ってるんだろ」
「いや、そんなことは・・・」
パーキング・タートルは使用者に対してすぐ萎縮してしまう。まるでそれが本能であるかのように――。
「チッ、頼むぜ。あんまり売り上げが低いと俺の首も切られちまうだろうし、最悪、この駐車場も無くなるかもしれないんだからな」
トクバ氏は吐き捨てるようにそう言って、現れた時と同じようにぬるりと闇に消えていった。
その夜はもう月明かりが差すことはなかった。
この件について、あえてジャッジを下すとすれば、どちらにも非があったと言えよう。Pタートルは実際に何人もの客に騙されて適正な料金を徴収できていなかったし、トクバ氏も何枚かの一万円札を千円札と見間違えていて、本当の売上金額は91300円だったのだ。