第一話
パーキング・タートルは眠らない。否、眠ることができないのだ。彼らはほぼ毎日24時間、各々の駐車場において店番をしなければならない。シフト制なんてものは存在しないが、それはパーキング・タートルになれる亀が少ないためではない。進んでPタートルになろうとする亀がいないだけだ。誰だって一度はPタートルを募集する張り紙を駅やバス停で見たことがあるだろう。
また、夜間だって利用客の車が盗まれたり傷つけられたりしないように見張っていなければならない。うたた寝をしてそれが見つかろうものなら、使用者は彼らの頭をひっぱたき、客は彼らに小便をひっかけるだろう。
パーキング・タートルは食事をとらない。否、とることができないのだ。彼らは無対価で奴隷のように働かされている。彼らの顔が亀というよりも黄緑に塗ったしゃれこうべのように見えるのはそのためだ。
どうしても我慢できなくなったときは、ゴミについている米粒やパン屑か、コケを食べて飢えを凌いでいる。彼らの前で見せつけるように食事をしたり、わざとらしく食べ物を落として踏んづけてみたりすることを趣味とする人間もいるらしい。
パーキング・タートルは泳がない。否、泳げないのだ。彼らのほとんどは生まれた瞬間から母亀に見捨てられるか、あるいは忘れ去られたのである。それ以外の中には泳いだことのある者もいるが、長い間Pタートルとして生きるうちに泳ぎ方を忘れてしまったようだ(本社の人間が、薬か機械か、何らかの方法で忘れさせているのではないか、という噂もよく聞くが、根拠がないので括弧書きで触れるだけにしておく)。
その代わり、彼らは人間文字と人間言葉と金勘定とホウキとチリトリの使い方を覚えた。しかしながら、100匹の亀に聞けば、きっと100匹全員が言葉だの文字だのを習得するよりも泳ぎ方を覚えている方がいいと言うだろう。僕もそう思う。
岡崎通りの平安神宮近く。ここでも一匹のパーキング・タートルが働いていた。
「27番・・・、日曜日・・・、八時から十時半だから・・・。1500円になります」
彼はビニルのような妙な光沢のある手を差し出した。すると、指の先にいるスーツを着た男性は眉間にしわを寄せながら言った。
「十時半だって?おいおい、しっかりしてくれよ。まだ十時にもなってないぞ」
男性はスーツをめくって左腕を無造作に放る。
「ええ!?ちょっと失敬・・・、確かに、まだ十時前・・・。今十時になったな・・・」パーキング・タートルは両手で男性の腕を大事そうに抱えながら言った。
「全く、しっかりしてくれよ。寝ぼけてるのかい?」
男性はPタートルの手を振り払い、口の端をつり上げた。
「いや、そんなご冗談を。ええと、それでは1200円いただきます」
去っていく男性の車を眺めていたパーキング・タートルは大きくため息をついた。危ない、危ない。またミスをするところだったぞ。緊張から解放された安堵感と失敗を間一髪で避けた達成感に脱力し、つい駐車場に座り込んだまま茫と通りを眺めた。
朝でも昼でもないちょうどいい時間。日曜の朝特有の、寝ぼけたのどかな空気と来る素敵な午後へのもどかしげな予感が、混ざり合っても溶けきらず、まだら模様をなしている。行き交う人々は冷ややかな日差しを額に受けながら“まだ損なわれていない一日”の空気に肺を膨らませていた。彼らのほとんどは観光客、市外や府外からやってきた人々であり、まるで容赦がない。平気で歩道の真ん中に広がって歩き、ポケットやカバンから落ちるゴミを気にもとめず、それどころが気づかない様子だってある。男性も女性も、大人も子供も、日本人も外国人も、カップルも家族も単身者も、関係ない。自らの箱庭を歩くかのごとく、汚い靴裏を恥じることもなしに厚い面の皮を誇りながら跋扈している。いや、連中は自分の箱庭ならきっと綺麗に使うだろう。なんたって資産価値が・・・。連中が跳梁するのは他人の箱庭においてだ。それも見ず知らずの誰か。相手は自分のことを知らないから乱暴に振る舞ってもばれることはないんだ、もう二度と来ないんだ。ポイ捨てしちまえ、痰吐いちまえ――。
パーキング・タートルは甲羅の隙間に手を突っ込んでポリポリと背中をかいた。乾いた皮膚が垢と混ざりながらぽろぽろと落ちていくのを肌に感じる。抜いた手を見てみると、濃く緑がかった黒色の垢と赤黒く染まった薄緑の表皮が丸まって砂礫のようになったものが、指の間に挟まっている。彼は顔色一つ変えずにフッとそれを吹き飛ばすと、大儀そうに立ち上がった。
振り返ったPタートルが見ていたのは、あるいは彼の目線の先にあったのは、火事に遭って炭焦げになったかのように黒く汚れて傾いた吹き抜けの小屋だ。むしろ東屋とでも表現した方が正確だろう。横なぎの雨風を防ぐための壁はなく、平たい屋根だけがいかにも粗雑に載っていて、ちょうどギリシア文字のπのような造りになっている。そして、薄くて危なっかしい屋根の下には古いステンレス製の長机と折りたたみのパイプ椅子があり、ともに廃品回収のシールを剥がした跡が服についたコーヒーのシミのように点々と残っている。
彼の背は駐車場の奥にあるその詰所に向かってとぼとぼと歩いていたが、半ばほどまで来ると、色あせた甲羅が緩慢に動きを止めた。どうやら地面を、近くに止まっている車の下を眺めているようだ。彼を背からではなく正面から見ることができたのなら、彼がまさしく死んだ魚の目をしていることが分かっただろう。もっとも、この場合は死んだ亀の目なのかもしれないが。
パーキング・タートルは四つん這いになって亀のような姿勢をとり、そこに落ちていたタバコの吸い殻を拾い上げた。そして、再び進路を戻して奥にある小屋へと戻っていった。
段ボールのような屋根が朗らかな光を遮り、パーキング・タートルの顔には暗い色が混ざる。彼は机の下にあるゴミ箱に吸い殻を放り投げた後、パイプ椅子を引いてドスンと腰を下ろした。うめき声とも鳴き声ともつかない、屁のような音を喉の奥から出しながら見上げると、屋根と柱がほぼ垂直に交わったところに細いクモの巣があり、足の長いクモがその狭い範囲だけを飛ぶように動き回っている。その時、机の上にあるデジタル時計がアラームを出し抜けに鳴らした。Pタートルがはっとして机を見ると、時計は「11:00」と無機質に示しながら単調な音を吐いている。もう十一時か、さっきまで十時だったはずなのに、まだ三十分しか経ってない気がするぞ。なんだか今日は時間が早いや、日が暮れないうちに掃除を済ませちまわないと。彼はそう思いながら時計のアラームを止めたのち、机の脇に置いてあるホウキとチリトリを拾い上げて、再び太陽の目下へと出ていった。