第5話 コンフェイトの味
ラナ達は、再び歪んだ景色を通り抜けて、馬車を降りた場所に立っていた。
フィイはまだ戻ってきていなかった。
隣のギルバートはさっきから不機嫌だ。
(高い買い物をさせたから…)
折角のドレスがうな垂れている。
ラナの気持ちを代弁しているようだ。
辺りを見回してみる。
王都アミエの下町、民が忙しく行きかい、通りには店屋が並んでいる。
この前の市場とはまた別の活気だ。
(さすがに王都は、お店がいっぱい。)
ラナは、そばにあった店屋の店頭に目を向けた。
懐かしい…。
小さなコンフェイトの包みが並べられていた。
コンフェイトは甘い砂糖菓子。
小さくて丸いが、ごつごつした突起もついている。
口にいれてなめていると甘い砂糖が溶けてくる。
甘いのが、元気をくれる。
ダーナクレアでは、このお菓子の店はない。
時々、王都からくる商人が持ってくるものだ。
特別な日に、誕生日に、唯一許される贅沢。
なんとなく、足が店の方に向いてしまった。
店頭を覗き込む。
王都のコンフェイトは、色とりどりで綺麗…。
ダーナクレアにくるコンフェイトは、白ばかりで、申し訳ない程度に色付きのが混じっているものだ。
「これをひとつ。」
ラナの頭上で声がした。
ギルバートが店員に銅貨を払い、コンフェイトの包みを受けとっていた。
そのまま、ラナの手の上にそれを置く。
「みっともない真似をするな。」
「…。」返す言葉がない。
「フィイが戻ってきた。」
馬車が二人の前に止まった。
◇◇◇
街から戻ったあと、ラナは部屋に籠ってしまい、ギルバートは留守中に溜まっていた公爵家の仕事を片付けていた。
「旦那様、」
ギルバートが顔を上げるとエバンズ夫人が立っていた。
「申し訳ございません、お許しもなく御前に。」
「大事な話?」
「…はい。」
ギルバートが次の言葉を待った。
「今日こそ、お嬢様とご夕食を一緒にしていただきたいのです。」
ギルバートが不思議そうな顔をした。
「お嬢様がお屋敷にお見えになってから、お食事をご用意しているのですが、全く召し上がっていただけないのです。
好き嫌いのせいかと思い、料理人にも気を配ってもらったのですが。」
「どこかでつまみ食いでもしているんじゃないか。」
コンフェイト屋の店先を思い出していた。
「いいえ、厨房にはお入りにはなっていませんし、お屋敷をお出になることもございません。
他の召使い達とお茶をしているご様子もなく、お部屋のお菓子は手つかずです。」
「私共になにか至らないことがあるのでしょうか。」
「そんなこと…」
「旦那様、何かご存じございませんか。」
「ないな。」
「気にすることもなかろう。」
ギルバートが書類に目を戻した。
エバンズ夫人がギルバートに頭を下げた。
「どうか、お嬢様とお食事を。ご事情をお聞きくださいませ。」
暫く沈黙してからギルバートが答えた。
「…わかった。では、食堂で。」
そんなやり取りのことは知らず、ラナは急ぎやってきたエバンズ夫人に着替えをさせられた。
ギルバートとの夕食だという。
着替えが終わった彼女はコンフェイトの包みを手の中に持った。
(返そう…。
本当に、物欲しそうな顔なんて、みっともない…。
どこかで給金がもらえるように働いて、自分で買わなきゃ…。)
エバンズ夫人に案内されて食堂に入る。
大きなテーブルの端と端にそれぞれのテーブルセットが用意されていた。
ラナは給仕に促されて着席する。
程なく、ギルバートも姿を見せた。
いつもの騎士服ではなく、襟の高いジャケット姿だ。
色は黒のまま、中のシャツまで黒なのはどうだか。
長い黒髪を背中で、黒紐で結んでいるのもいつもとは違う。
顔がよく見える。
やはり不機嫌そうだ。ラナが小さくなる。
主人が席について、給仕がワインを二人に注いだ。
「エバンズ夫人に、一緒に食事を、と頼まれた。」
ラナを見ずにギルバートが言う。
「…。」ラナの背中が固くなる。
ギルバートがとても遠い、ラナはそう思った。
「彼女には、ワインではなくもっと優しいものを。」
グラスが取り換えられる。
二人の前に前菜がおかれた。
「遠慮する必要はない。どうぞ。」
ギルバートがカトラリーを手にする。
ラナは動かない。
遠くで見ていたエバンズ夫人が心配そうな表情を浮かべた。
ギルバートはカトラリーを置いた。
「君がそれでは、食事ができない。」
声に少しイラつきがある。
「君が食事をしない、とエバンズ夫人も皆も心配しているそうだが。」
言葉をたたみかける。
「さっきは物欲しそうな顔をしていたし、お腹は空いているのだろう。
当家の食事に不満があるのかね。」
ギルバートの機嫌は治っていないようだ。
酷いものの言いよう…。
ラナは、一度、目をぎゅっとして、そして、静かに立ち上がった。
彼女はテーブルの半分までギルバートに近づいた。
「行儀が悪いのだな。」
ギルバートが見下したようにいう。
ラナは手にしていたコンフェイトの包みをテーブルの端に置いた。
「ダーナクレアはとても貧乏なので…
お砂糖のコンフェイトは甘くて…
とても贅沢なもので、お誕生日の特別なものでした。
それを思い出して、みっともなく、物欲しそうな顔をしてしまいました。
礼儀知らずで、行儀が悪くて、すみません。
ひとつだけ、いただきます。」
「え?」ギルバートが怪訝な顔をした。
ラナはコンフェイトの包みから一粒を取り出した。
それを口に含む。
コリと噛む音がした。
その瞬間、ラナの身体が崩れる。
「お嬢様!」叫んだのはエバンズ夫人だった。ラナに駆け寄る。
俯いたラナの顔からポタポタと水滴が落ちた。
震えながらラナが顔を上げる。
口元から顎にかけて溶け始めていた。
彼が掴んだ腕のように。
そして、彼女は顔を歪めて倒れこんだ。
ギルバートが椅子を蹴って、ラナのそばに駆け寄る。
「ラナ! 口から出しなさい!」
ギルバートは彼女の身体を支えることが出来ない。
彼が手を出さないのを変に思いつつ、エバンズ夫人がラナを抱きとめた。
「お嬢様!」
口元にコンフェイトのかけらが残っている。
そこから彼女が溶けているのだ。
「水だ…」
テーブルの上から水のグラスを掴むとラナの顔にかけた。
まだ、かけらが残っている。
次のグラスを手にして、ギルバートはラナの口元のかけらを指でかきだした。
彼の指も眉間をゆがめるくらいひどく痛む。
かきだしたあとのラナの顔に水を注いだ。
彼はテーブルに用意されていた水をすべてラナにかけた。
それでやっと彼女の顔がもとに戻りはじめる。
ラナの上半身が濡れ、抱きとめていたエバンズ夫人も同じく濡れていた。
ギルバートも手の先から湯気が上がっているのに気付いた。
あわてて、手を拭く。
「旦那様!」エバンズ夫人が不安そうに言った。
「大丈夫だ、おさまった。」
「お嬢様は…?」
「ラナも…気を失っているが、大丈夫だろう。」
「お嬢様はいったい…?」
「ダーナ・アビス様の下僕といった。
この姿を保つには『水がいる』ともいっていた。
食事は、口の中の水分を持っていくから…」
「…傷つけてしまったな。」
「!?」
「だから、食事をしないのではなく、できなかった…のかもしれない。」
(物欲しそう顔ではなく…)
「旦那様?」
「私は彼女に触れられない。
手首を掴んだだけで、今のように溶かしてしまったことがあった。
その時、彼女は水を被って治していた。」
「…。」エバンズ夫人に言葉がない。
「私以外は彼女に触れても大丈夫なんだ。
何故だろうね…、
私が『人』ではないからかもしれないね。」
「旦那様…」
「部屋に運んでもらおう。
エバンズ夫人、頼めるかな。」
そう言ったギルバートの顔はとても悲しそうだった。
◇◇◇
ラナはゆっくりと目を開けた。
見えたのは寝台の天蓋だった。
(さっき… 口、溶けた… はず…)
唇を少し動かしてみる。ちゃんとある。
(治ってる?)
(食堂にいたのに… いつの間に部屋へ…)
ラナは頭を横に向けた。
部屋の燭台に灯りがある。
遠くに黒い服の横顔が見えた。
「お嬢様、」
エバンズ夫人の声が聞こえた。彼女が覗き込んでいる。
「お嬢様、」
もう一度聞こえた。ラナはなんとか笑顔を作った。
「ご迷惑を… おかけいたしました。」小さな声が出た。
「ええ。無茶をしすぎです。
おっしゃって下さればよかったのですよ。」
エバンズ夫人も苦笑を浮かべた。
「話しても、わかってもらえない…ばかりだったから…」
ラナの声は消えそうだ。
二人の会話に気付いたのか、ギルバートが寝台のそばにやってきた。
彼はナイトボードにコンフェイトの包みをそっと置いた。
「味を覚えているのは『人』だからだ。
『人』であることを忘れないように持っているといい。」
ギルバートが言う。
ラナは包みをみた。口にできない砂糖菓子。
「私は今夜には発つが、君は明日、一日、身体を休めてから来なさい。
フィイに馬車を出させる。
行先は、フィイがわかっている。」
返事をしようとしたラナをギルバートが制した。
「お休み。」
彼はそういうと足早に部屋を出ていった。
「…とても心配されていたのですよ。」
主人を見送りながらエバンズ夫人が言った。
「…。」ラナは天蓋を見上げていた。
「嫌ではないですか、こんな化け物…
水しか、口にできない…。」
「…私には、年頃のお嬢様にしか見えませんよ。」
「それに、うちの旦那様も人離れした方ですから、驚きません。」
ラナが小さく笑った。
「コンフェイト、嬉しかった。」
エバンズ夫人にも聞こえないくらい小さな声でつぶやいた。
ラナが目をこすった。
(今日、誕生日だった。十六…の)
◇◇◇
穏やかな青空が広がっていた。
休めと言われたが、ラナはフィイを手伝って、馬車に荷物を積んでいた。
フィイが言うには、ギルバートは寄り道があるので、コルトレイ領に先行する。
ラナとフィイは薬材の行商人として疫病の村に近づいて情報を集めるのが役目だということだった。
もし魔物に関係ない疫病なら、薬材は大事だ。
届ける意義もある。
ラナの『みかわ糸』の服はすっかり彼女の意をきいてくれるようになっていた。
フィイと同じように、と念じると下町の働く娘の服にかわる。
二人が並ぶと姉弟のように見えた。
「これで、いつでも出発できるわね。」
腰に手をあてて満足そうにラナが言う。
「何もお嬢様が準備をなさる必要はありません。
ほかの者に手伝って貰えるんですから。」
フィイが申し訳なさそうにいう。
「いいのよ、慣れてるもの。」
ラナが笑った。
お嬢様を頼むと旦那様に言われたけれど、お世話をするどころかすっかりお世話されてしまった。
彼女はほかの下働きの者たちとも楽しそうに笑顔で接しているし、下々の者と接するのは嫌ではないんだ。
「伯爵令嬢」様にこんなことさせてどうしよう、フィイは困ってしまった。
「ダーナクレア領は貧乏でね、皆で力を合わせないと事が進まないの。
『お嬢様』なんて格好をつけていたら、領地が水没するわ。」
困った顔のフィイにそう言ってラナが笑った。
水色の髪が揺れる。
晴れた空のような笑顔だ。
「で、あとは何を待っているの?」
「通行証です。それと、商売手形。」
「通行証?」
「はい。領地間の通行許可証です。街道の通関所はそれがないと通れませんよ。」
「いるの?」
「いるに決まってます!
ラナ様もダーナクレアから王都においでるとき、使ったでしょう?
そうだ、ラナ様はご自分の通行証をお持ちじゃないんですか?」
「持ってないわ!」即答だった。
「じゃ、どうやって来られたんです?」
「あら、ダーナクレアからはダーナ河に沿って下ってきたわ。
通関所なんてなかったわよ。」
フィイが呆気にとられる。
「ラナ様、それは領界破りです。
そして、この国では犯罪です・・・
無断での領界破りは、王立騎士団に捕縛されるんですよ。」
「そうなんだ…。」ラナが眉間に皺を寄せた。
「王立騎士団はまずいわね。」
「でも、王都へは?どうやって入られたんです?」
「夜会の招待状で、入れたわよ。
そういう時は、貧乏でも貴族って便利よね。」
ラナが微笑んだ。
フィイが溜息をついた。
「前途多難」を背中に負った感じだ。
「相変わらず、苦労人な顔をしてるなぁ、フィイ。」
フィイは声の主を見上げた。
「お師匠さま!」
見下ろしていたのは、赤毛のロシュだった。
膝が隠れるくらいの長衣のチュニックを身に着け、腰に長剣を下げている。
彼の三つ編みがフィイの頬をくすぐった。
「お師匠さま?」ラナが不思議そうにロシュをみた。
(なんか、登場人物が多すぎる…)
「君がギルバート様の想い人?」
その言葉に、ラナが露骨に嫌な顔した。
ロシュはその顔を笑う。
「失礼、お嬢様。」
「ラナ様、このお方は、ロシュ・ヴェズレイ様。
僕の剣術のお師匠さまです。」
「ヴェズレイ…」
「父とはお会いしていらっしゃいますよね。」
「宰相閣下…の?」
「ええ。
婿養子志願の三男坊です。」
ロシュがにっこり笑った。
赤毛を長い三つ編みにしている。
左側の、彼の右頬には目じりからの火傷の痕がある。
火傷がなければ、かなりの美男子だ。
「ロシュ様、ご用は?
あ、旦那様はもうお出かけされてます。」
「知ってる。
来たのは、二人の『通行証』と『商売手形』をね。」
ロシュは、鋳物で出来た通行証と木札の手形をヒラヒラさせた。
「お師匠さまが、なぜ?」
通行証を受け取ろうとしたフィイの手が空を切る。
ロシュがわざとフィイの頭の上に掲げる。
「なんか楽しそうだなぁと思って。」
フィイが飛び上がるが届かない。
「ギルバート様とご令嬢の話。」
「もう!
お師匠さま、『通行証』を下さい!」
「じゃ、本日の稽古。」
ロシュは、いきなりフィイに足払いをかけた。
転ぶ前にフィイが飛び上がってかわす。
「フィイ!」
ラナが驚いて声をあげる。
「大丈夫、いつものことだから。」
ロシュが楽しそうにいう。
ロシュの廻し蹴りをよけてフィイが転がる。
かわし方の速さは、子供だからか。それでも早い。
「さあ!」
ロシュが短剣をフィイに投げた。
フィイも難なく受け取る。
ロシュも腰の剣を抜いた。
「かかってきなさい。」ロシュが微笑んで言った。
フィイが身を低くしてロシュの懐に入るのを狙っている。
二人の様子をラナが見つめる。
(長剣と短剣って、フィイが不利じゃない!?)
ラナの手が背中に回る。
二人は打ち合いはしなかった。
だが、稽古というには殺気立ちすぎる。
少しずつ、間合いが詰められる。
フィイの方が先に動いた。
短剣を逆手に持ち、下に向いた剣先に真っすぐ向かった。
ロシュはフィイとの間合いが詰まりすぎて、少し振り上げた剣が半拍遅れ、フィイに剣の下を取られた。
子供は師匠の腰に飛びつくと、彼の剣帯を斬った。
「おい!」
剣帯が上着に絡まって、ロシュの動きを止める。
フィイは、ロシュの手から通行証と商売手形を取った。
「あ!」声をあげたのはラナだった。
ロシュの手を離れた剣がラナに向かって飛んできた。
ラナは身体を反転し、背中の剣を抜いて、ロシュの剣を叩き落としていた。
「ラナ様!」フィイの注意がラナに向かう。
その通行証を持った手首をロシュが掴み、再び、取り上げた。
「あ、お師匠さま!」
「お見事です、お嬢様。」
自分の剣を拾いながらロシュがラナに微笑んだ。
「お師匠さま!」フィイが掴まれた痛みで情けない声をあげる。
「フィイ、守るべきお方から注意を外すなんて、いけないなぁ。」
「申し訳ありません…」
フィイがうな垂れる。ロシュに掴まれた手首が痛い。
「フィイは、悪くないわ。」
ラナも背中に剣をしまいながら言った。
「貴方が私を試したのでしょう?」
ロシュが微笑む。
「そりゃね、ギルバート様が『みかわ糸』布を貢いだってお嬢様だもの。」
「貢いだって…」ラナが嫌そうに口ごもる。
「興味あるじゃない!」
ロシュは、ラナに通行証と商売手形を渡した。
「通行証は、通関所で見せれば通してくれる。
宰相の印付きだから、アミエリウス王国内ではどこでも通れるよ。
大事にしてね。
商売手形は、薬材問屋にしてあるよ。荷検めにあっても没収は免れる。」
ロシュが言葉をつづけた。
「薬材問屋って考えたね。疫病の噂の所に入り込むには違和感ない。」
「旦那様がお決めになりました。」
「でもさ、子供だけで行くにはちょっとだよね。」
「お師匠さま?」
ロシュがにっこり笑った。
「保護者がいるでしょ?」