第43話 困惑
今までは遠くから眺めているばかりの城を見上げていた。
公爵の居城を訪れたのは初めてだった。
ギルバート様は、ケネスの相棒付き合いから始まって、今は『クジラ亭』のお得意様だ。
「イ・ルーエ・ロダン様ですか?」
黒髪の少年が声をかけてきた。ルーエが頷く。少年の縮れた巻き毛の前髪が目を隠している。
ルーエの姿は、ケネスの時のような黒の騎士服だ。その背中に垂れる白髪が目立つ。
所属が『銀翼』となったがその隊服がわからない。公爵様の色に合わせて黒にしてきたが、まるで、役目の時のようだ。
「馬をお預かりします。」
クロルが手綱を取った。
「公爵様はこちらです。ご案内いたします。」
クロルが馬を引きながら、城の一角にルーエを案内した。
馬止めに綱をかけると大きな扉を押し開けた。
その中は、石畳の広間になっていた。騎士の鍛錬場だ。アーチ状の高い天井に石壁の堅固な造り、高い所にある大きな窓から入り込んだ光が中央を明るくしていた。
そこに立っていた人物は、長い黒髪を背中で一つに束ね、鞘に入った剣を握っていた。マントもコートも無く、黒のシャツにズボン、長靴の軽装姿だった。
「どうぞ、中へ。」
クロルがルーエを中に通し、自分は外に出て扉を閉めた。
ギルバートがルーエに目を向けた。
ルーエは、右手を胸にあてて頭を下げた。
「ラナの支度は終わっている。」
ギルバートが言った。
「君に渡すものがある。
ここへ。」
ギルバートに呼ばれて、ルーエは彼の近くまで歩み寄った。
「これを。」
ギルバートは手にしていた剣をルーエに出した。
ルーエが受け取る。
「…これは、この前も持たされたものですね。」
「抜いてみろ。」
「はぁ、」
ルーエがゆっくりと茶色の鞘の剣を抜いた。
ギルバートを避けるようにして、刀身を光に向けた。キラキラと銀光が包む。
「…綺麗だな。」
刀身を見上げたルーエからため息が漏れた。片手で持っていても軽い。布を振り回すぐらい軽く思うかもしれない。役目の大剣がかなりの重量を感じる分、これは吹けば飛ぶような感じさえする。
反射的に剣を持つ手首が返った。
銀光が黒の筋を受け止めた。瞬間、光が四散する。
「なにを!」思わずルーエが叫んだ。
「さすがだな。」
ギルバートの黒剣を受け止めていたが、そのまま押しも引きも出来ない。
「力を抜け、ルーエ。」
ギルバートが言った。
(え! 力を抜いたら斬られるだろう! )
黒剣の重みが遠くなっていく。つられてルーエの腕の力も抜けていく。
「え?」
大きく見開いた目に黒剣が迫っていた。反射的に剣で受け止める。今度は刀身に片手を添えた。力任せに押し返す。
「何考えているんです! 公爵様!」
ギルバートが一歩踏み出して黒剣を下から突き上げる。ルーエは逆に後ろに下がって剣先をよけるのが精いっぱいだ。
「避けるな! 斬りかかってこい!」
「なんで!」
体勢を整える間もなく、ギルバートが斬りかかってくるのでどうしても受け身になってしまう。
(もう! 俺が何をしたっていうんだ!)
ルーエは奥歯をかみしめて剣を両手で握った。不思議とすんなり手になじむ。正面にまっすぐ構えた。
(手加減いらないなら! もう知らないからな!)
ルーエはギルバートの正面から剣を振り下ろすように見せてやや斜めに払った。その先が黒剣に受けられて甲高い音が響いた。
「ちっ!」
再び構え直したルーエの舌打ちと同時に剣の銀光が伸びた。光の部分がギルバートの黒剣に巻き付き動きを止めた。
「え?」
驚いたのはルーエだった。ギルバートも唖然としている。光に巻き付かれた黒剣が姿を消し、
光も消えてルーエの剣はもとの刀身に戻っていた。
ギルバートは左手首の黒い腕輪を握って、少し顔をゆがめていた。
「えっと、公爵様?」
ルーエが心配そうにギルバートを覗きこんだ。
「…それは魔物を斬る剣だ。
私の黒剣に反応して、能力を発揮した。」
「え?」
「私の曾祖父が『銀龍』を斬るために作らせたものだ。」
「『銀龍』…」
「ケネスで、ラナが変化した化け物だ。
それを斬るためのものだ。」
「…。」
「持っていけ。
ラナが『銀龍』になって、人であることを忘れた化け物になったら切り捨てろ。」
「ば、ばかな!
バカなことを言わないでください。
お嬢は、ラナ様は化け物になったりしません!」
「…怒りや悲しみに支配されたら、わからない。」
ギルバートがルーエを見た。
「私は君を殺そうとした。」
「じょ、」
「悪意を持って殺そうとして黒剣をふるった。」
「…。」
「その剣は、邪悪な思念に反応するようだ。
ラナが邪悪なものになったら、斬れ。
オストロフ領といえど、原野にする必要はないからな。」
「?」
「…ケネスの赤土は、私のせいだ。」
(ああ…)
「…承知いたしました、公爵様。」
ルーエは頭を下げて、剣を鞘にしまった。
重い音がして鍛錬場の扉が開けられた。二人がそちらを見る。
「えっと、公爵様?」
顔を出したのはラナだった。水色の髪を一本の三つ編みにして肩から垂らしている。
彼女はいつもの薄青のドレス姿で蒼い柱状の石のイヤリングを右耳に着けている。
肩に水筒をかけたラナがそっと入ってきた。少し、表情が硬い。手には包みを抱えている。
「どうしました、お嬢?」
ルーエが上着を直しながら微笑んだ。
「…水筒がカタカタ鳴ったので、」
「ん?」
「魔物が出たのかと。」
「魔物なんか出ませんよ。」ルーエが笑って答える。
ラナがギルバートとルーエを見比べる。
「公爵様に稽古をつけていただいていたんですよ。」
「そういうことだ。」
ラナがほっとした顔をした。
「頼んだものは?」
ラナがギルバートに包みを差し出した。ギルバートが受け取り、中から布を取り出した。
「『みかわ糸』?」ラナが呟く。
「え?」
ギルバートが布を一振りすると厚みのあるマントに姿を変えた。
ルーエもラナも驚いて見ている。
ギルバートがマントをルーエに差し出した。
「『銀翼』のマントだ。
これを纏っていれば、『近衛』も言うことを聞く。
着ていくといい。」
ルーエが頭を下げて受け取った。
「着てください、ルーエ。」
ラナが期待するようにルーエを見上げた。照れくさそうにルーエがマントを羽織る。襟元をモールで留めるとマントの端はルーエのふくらはぎが隠れるほどの丈になった。
「…軽いです。」
「『みかわ糸』ですから。」
「これが…」
ルーエがマントを見る。表側は銀色の光沢、裏側は漆黒だ。マントの肩には銀色の翼が刺繍されていた。
「ルーエ、カッコイイです!」
「高そうだなぁ。」
「国家予算の半分だそうですよ。」
「…雑には扱えませんな。」
ルーエが他人事のように言うと、ラナが楽しそうに笑った。
その二人の側でギルバートはそっと俯いた。
◇◇◇
ルーエがラナを護衛して王宮の一角、内務省の建物に着いたのは正午の鐘が鳴り終わった頃だった。
ルーエの『銀翼』のマントを見て、王宮の衛士たちも驚きながら通してくれた。いつもなら、衛士ごとに尋問されるのだが。
(便利だな、今度からこれを借りたら奥まで楽に通れるか。)
二人が通されたのは、ローラン・ヴェズレイ宰相の応接室だった。ルーエはラナをソファに座らせ、自身はその背後に立った。
「ルーエも隣にくればいいのに。」
「お嬢、護衛騎士の位置はここですよ。」ラナの背中からそっとルーエいった。
程なく、応接室の扉が開き、ローラン・ヴェズレイが四人の人物を従えて入ってきた。
ラナが立ち上がろうとしたが、ローランが制する。宰相はちらりと護衛騎士を見た。
「貴女の部下となる者です。」
そう言って、宰相は四人に顔を向けた。
「こちらのご令嬢が、ラナ=クレア、ダーナクレア辺境伯のご息女である。
この度のオストロフ使節団の代表を務められる。」
ラナが立ち上がった。ルーエの制しようとする手をすり抜けて。
護衛騎士が苦笑を浮かべ、宰相が渋い顔をする。
「ラナ=クレアと申します。」
カーテシーでなく、ちょこんと頭を下げた。水色の髪と青の耳飾りが揺れる。
宰相以下が困惑する。
「ラナ様、立場が上の者が簡単に頭を下げてはいけません。」ルーエが小声で注意した。
「あら、そうなの?」
ラナがにっこり笑った。
「それぞれ、名乗るように。」
宰相の言葉に一番年上に見える男が一歩前に出た。濃い目の灰色の髪は短く、瞳は茶色だ。
『近衛』の隊服に長い白のマントを肩にかけている。マントのモールは、金で太さや数を見ると、中隊の騎士長あたりか。『近衛』は『王立』よりも人的規模は小さいから、中隊で部下五十人ぐらいだろう。
「『近衛』の中隊騎士長、ダグラス・マイヤーと申します。無領の伯爵位です。
今回は『近衛』護衛隊の隊長を務めさせていただきます。」
護衛隊長は右手を胸に当てて、少し頭を下げた。
「よろしくお願いいたします。」
ラナが笑みで返す。
(だからって、挨拶、返しちゃだめでしょう!)はらはらするルーエを横目にラナは笑顔だ。
四人のうちの唯一の女性が奥に立っている。宰相の言った「侍女」、栗色の髪を髷にして結いあげている。着ている濃紺の飾りのないワンピースが立場を表している。一番末席の彼女がくすりと笑った気がした。
(…どこかで?)ルーエが小首をかしげた。
「…そこの護衛騎士、よそ見をするな。」
『近衛』の隊長の次に前に出てきた若い男が甲高い声で言った。
明るい波打つ栗色髪を肩のところで赤い紐で結んで脇のあたりまでの長さにしていた。ルーエが軽く息をつく。
(こいつかよ!)
「所属は『王立』法務部、カートライト・グランシェラと申します、姫様。
現在は、ケルトイ外務卿の元で勉強させていただいております。」
カートライトがにやけた笑みをラナに向けたが、その先はルーエだ。ルーエが眉間に皺をよせ、カートライトを牽制する。
「…えっと、お知り合い?」ラナがルーエに訊ねた。
「…『見習』の同期です。」ルーエが小声で答えた。
「外務と内務に明るい者をつけると言ったが、彼がそうだ。」
宰相がやや苦そうな言い方をした。
ラナが頷く。
「そして、彼女が貴女の侍女兼護衛となる、メルダ・オランド。」
宰相が侍女の名を告げた。
「!」ラナの水色の瞳が大きくなった。
侍女は前に出るとラナとルーエに微笑んでスカートの端を小さく持ち上げた。
「よろしくお願いいたします、姫様。」
「もう一人、『近衛』隊と貴女の護衛騎士との連絡係として、ロドニー・ウェルシュをつける。『近衛』官房長の従卒だ。」
紹介されたロドニーは、いつもガーネット官房長についている従卒の少年だった。彼はルーエとも面識がある。官房長とルーエが仕事以上の知り合いであることも知っている。
(心強いな。)
「出発は、明朝。
後の手筈は、マイヤー護衛隊長、グランシェラ卿に任せる。」
宰相は、ラナに頷くと部屋を出て行った。
「えっと、私たちはどうすればいい?」
そういってラナが皆を見渡した。
メルダが少し微笑んでラナのそばに寄った。両手を胃のあたりに置き、頭を下げる。
「ケネス以来でございます、お嬢様。」
「…やっぱりメルダさん?
髪の色が違うし、着ているものが地味だから。」
ふっとメルダが笑った。
「今回はそういう役柄なので。」
彼女がルーエを見上げた。ルーエが慌てて目をそらす。なんだか鼻先で笑われた気がした。
「皆…座りましょうか。」
そういってラナが座った。その向かいにカートライトが座る。護衛隊長は立ったままで、ルーエとメルダ、ロドニーも立ったままだ。
ラナが困った顔をしたが、ルーエが小声でいった。
「これが我々の立ち位置なんですよ。」
ラナが頷いた。
「さて、お嬢様は、ご自分の役割についてどうお聞きしていらっしゃいますか?」
カートライトが口を開いた。ちょっと態度がでかい。
「私は、宰相閣下からオストロフのご領主様へ陛下の書簡を届ける役だと言われています。」
「オストロフには領主はいませんよ。随分と昔に王国内務に任命された執政官一族がいるだけです。
ご存じない?」語尾は小馬鹿にしたような感じだ。
「…。」ラナが黙り、ルーエが睨みつける。
「陛下がオストロフの執政官に何を命じられるか、中身のことは?」
「存じません。」
ふうとカートライトが息をつく。
「子供のお使い程度に思っています?
困ったものだ。」
「違うのですか?」
「オストロフの連中は、我が王国に属しているのに現陛下には一度も拝謁に来たことがない。」
「?」
「挨拶にも、ご機嫌取りにも来ない。税を納めることもなく、内務その他の役人を受け入れることもない。
何と、我が陛下は無視されている!」
「えっと?」
「それもあって、陛下はオストロフを跪かせたい。」
「…。」
「どこで聞きつけたか、そのオストロフが貴女に会いたいと言ってきた。」
「?」
「陛下は、『会わせてやるから、頭を下げろ』っていうわけ。」
カートライトが部屋を見渡した。
「お茶も出ないの?」
その視線をメルダに送る。メルダは黙って部屋を出て行き、銀盆に二人分の茶器のセットをのせて、戻ってきた。それをラナとカートライトに出す。もちろん、ラナのほうが先だ。
ラナは口をつけないが、カートライトが早速、口をつけた。
「ぬるっ!」
カートライトが顔をしかめる。それを見たルーエが少し口角を上げる。
カートライトが身を乗り出した。
「で、姫君、貴女、何者?」
挑発的なカートライトにラナが固まった。間髪入れずにメルダがラナのそばにピタリと寄り添い、ルーエの剣がラナとカートライトの間に割って入った。さすがに抜かれたわけではないが。
「いい加減にしろ、カート。」ルーエが低い声で言った。
「偉くなったもんだね、末席。」
カートライトが肩をそびやかせて元の場所に戻る。
「国王陛下の愛人が公務にしゃしゃり出るとはね、この国もダメだね。」
ラナの顔から笑みが消える。
ルーエの剣先がカートに向けられた。
「…ルーエ、下がって。」
命じたのはラナだった。ルーエがしぶしぶ、剣を下げる。
「私は、ダーナクレア辺境伯の娘です。
国王陛下には、王国の『水魔』を退治する役目をいただいています。その縁で、公爵様のもとにおります。」
「…だから、『銀翼』の騎士を従えていると?
末席は、いつから魔物退治屋になったんだ?」
「…失礼にもほどがありますよ、グランシュラ卿。」
カートライトに渋い顔を見せて『近衛』のマイヤー護衛隊長が割って入った。
「『銀翼』の騎士が特別なのはご存じでしょう。出自に関係なく、騎士の序列の上位です。」
(え、そうなんだ?)ルーエのほうが驚いた。
マイヤーが諌めるとカートライトが口を噤んだ。
「使節団の旅程は、明日の朝いちばんで出立し、新しく開かれた王都北部の渡し場からダーナ河を渡ります。夜になる前にイゼーロ領都に到着する予定です。
我々、『近衛』の護衛は二十名で編成します。
『近衛』の護衛はイゼーロ領都の領門までになりますが、その後は、地理に明るいイゼーロの領兵が使節団の皆様を護衛する手はずとなっております。」
「質問は?」投げやり気味にカートライトがいう。
ラナがルーエを見た。ルーエが小さく首を振った。
「ありません。」ラナが答えた。
「姫様、別室をご用意しております。そちらでお休みいたしましょう。」
メルダがそう伝えるとラナが立ち上がった。今度は会釈もせず、メルダと共に応接を出ていった。ルーエも後に続く。
「待てよ!」
廊下に出たところ、追いかけてきたカートライトに足を止められた。
「お嬢、お許しいただけたら、あの無礼な奴をぶん殴ってやりたいんですが。」
「やめときなさい、白いの。」メルダが止める。
「私もよくないと思う。」ラナが微笑む。
「…まあ、そうですね。」ルーエがうな垂れる。
「おい! 末席!」
「…なんの御用でしょうか、グランシェラ閣下。」ルーエが仕方ないように訊ねた。
「…お前、第三の隊士長級だろう。
それが『銀翼』って変だろう!」
ラナがあきれた顔でカートライトを見上げる。
「失礼ではありませんか?」
「え、」
「ルーエは私の護衛騎士です。
酷いことを言わないでください。」
「ご令嬢、こいつは『騎士見習』を末席でしか卒業できなかった出来損ないですよ。
貴女様の護衛なんか務まらないでしょう!」
ラナがむっとした顔をする。
「ご令嬢、今からでも遅くない。オストロフ行きを辞退なさい。」
「…それ、本気でいうか? カート。」
ルーエが睨みつけている。いつも温厚なルーエが珍しい。
「…オストロフ行きは、陛下のご命令です。従うのは、この国の者の義務です。
私は断ったりしません。」
ラナがはっきりという。
「グランシェラ卿、この使節団の責任者は、私です。
何をお考えかは知りませんが、私に従うのはご承知の上での随行ですよね。」
「…。」
ラナは少しぎごちない笑みを浮かべた。
カートライトが口を尖らせた。
「行きますよ、ルーエ。」
歩き出したラナにルーエが微笑んで従い、メルダがカートライトにほんの少し会釈をすると後に続いた。




