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第41話 すれ違い

 クライブの教務室は、学舎の1階、中庭に近いところにある。

 フィイとエルに支えられて部屋に戻ったクライブは代わりの杖を手にしていた。

 ギルバートとラナはその部屋に招かれ、リルはちゃっかりラナの腕の中にいる。

 泥をかぶった服は、学舎に入る前に一度、水気を払うとあっという間に乾いていつもの服に戻った。

 泥も血糊りもなくなってしまう。便利だと言えばそうなのだが…、『みかわ糸』の薄気味悪いところだ。

 二人ともそういう服を身に着けているというのが物騒でもある。

 促されて長椅子座った二人のために赤い巻き毛のエルがお茶を入れ、フィイはお茶菓子を並べた。その後は二人とも入口に控えている。

 エルの入れたお茶は、かなり熱い。湯気がゆらゆらとしている。これは下手くそな淹れ方だ。

 ラナにしてみれば、客人のもてなしはフィイのほうがずっと上手だと思うのだが。

 ギルバートが手を付けないので、誰もカップに手を伸ばさない。

 フィイの隣に立ったエルが少し口を尖らせていた。

「…。」

「…。」

 二人を招いたというのにクライブは黙ったままだし、ギルバートも無言なので場が持たない。

 困ったラナがギルバートに小声で尋ねた。

「公爵様、ご紹介をいただいても?」

 ギルバートがえっという顔をして、ラナとクライブを見比べた。

「公爵様が一番偉いのですから、何かおっしゃって下さらないと困ります。」

「『公爵』って?」エルが小さく呟く。

「そうです。前にお会いしたときにおっしゃってたはずですが。」

 フィイも小声で返す。

 ギルバートが口を開いた。

「この方は、オスカー・クライブ卿だ。

『騎士見習』の首席教官で、魔物学を教授されている。」

「偉い方なのですね。」ラナは小声だ。

「教官になられる前は、私の父の…『銀翼騎士団』の首席騎士だった。」

(『銀翼騎士団』?)

 クライブが目を伏せた。

「クライブ卿、彼女はラナ=クレア、ダーナクレア辺境伯令嬢です。」

「ラナ=クレアと申します。よろしくお願いいたします。」

 ラナが席を立ってスカートをつまんで礼をした。

「オスカー・クライブと申します、ご令嬢。

 足が悪いもので、ご挨拶ができず申し訳ありません。」

 ラナがにっこり微笑んだ。

 ラナが部屋を見回した。書棚に本がぎっしり並んでいる。背表紙を見ても難しい題名ばかりだ。文字は読めるが、内容までは察しがつかない。

「本がいっぱいありますね。」

「クライブ教官は『騎士見習』で一番偉い先生なんだ!」

 エルが得意そうに言った。

「アーネスト、発言は許可していない。」

「あ、申し訳ありません、教官。」

 エルがしまったという顔をして俯いた。

「フィール、アーネスト、次の講義の時間だろう。

 行きなさい。」

 フィイとエルが頭を下げると部屋を出て行った。

(あ、フィイ!)

 リルがラナの腕の中でもぞもぞした。

「だめよ、リル。フィイはお勉強なのよ。」

 子供らを見送ってクライブが頭を下げた。

「失礼いたしました、公爵閣下。」

「その呼び方は…。生徒の頃のように名前で結構です。」

 ギルバートが言った。

 ラナが二人を見比べている。その視線を避けるようにギルバートが言った。

「先ほど、あの魔物を『ハブナ』と言われましたが。」

「はい。

『ハブナ』は隣国ヴィーデルフェンとの国境沿いに出るものです。」

 クライブが指を組んだ。

「姿は、巨大なミミズのようで、全身は泥で出来ています。

 魔物の核を頭部に持ち、それが身体を動かしています。

 頭部以外を切っても、切り落とされた部分は魔物の核に支配され、また手足となって動きまわると言われています。」

「泥で出来ている?」ラナが呟く。

「さっきのは、ミミズではなく、人型だった…。」

 ギルバートが呟く。

「はい、あの姿は初めてです。」

「…。」

「作為的なものを感じます。」

「…作られたものというか?」

「恐らく。」

(コルトレイと同じ…か。)ギルバートが眉間に皺を寄せた。

 コルトレイ領では、魔獣に人間を食べさせて操ろうとしていた。

 それをもって王家への反逆を容認したのがバードン・コルト伯だった。が、彼はもういない…。

 同じようなことが王都を害するというのか。

 リルがラナの腕の中でむずがった。

『くさかったのよ!』

「リル?」

『あのどろどろ、とーってもくさかったの!』

「ところで、ギルバート様、そのフェリルはどうなされたのですか?」

「…。」

 ギルバートがリルを見て困った顔をした。

 かわりにラナが答える。

「えーっと、頼まれたんです。この子のお父さんに!」

「?」

「この子は白いですけど、お父さんは黒い狼でした。魔獣に怪我をさせられて…」

『おとうさん、しんじゃった…』

 リルがラナの腕の中に潜り込んだ。ラナがその頭をそっと撫でる。

「フェリルは北方の狼種です。

 人はフェリルの、その嗅覚の良さから、魔獣探査に利用しました。

 そのため、魔獣に狩られることも多く、絶滅したとも聞き及んでいます。

 それが、貴方様の手に…?」

「私ではなく、フィイ、フィールが面倒を見ていた。

 北に返しても、ひとりでは生きていけない子狼だ。

 保護がいる。」

「…。」

「何かいけない事でも?」ラナが尋ねる。

「人がフェリルを利用したことで、フェリルの長を怒らせたのです。」

 クライブがリルを見た。

「彼らは山深くに引きこもり、人との交流を絶ちました。

 それなのになぜ人のもとにと?」

「…魔獣に追われて人里に下りてきたらしい。

 リルにはもう仲間がいない。」

「…。

 そのフェリルには、尾が三本ありました。」

「えっと、」ラナがリルを庇うように抱きしめる。

『まじゅうじゃないもん!』

「白の毛並みと複数の尾は、フェリルの長の血筋です。」

「!?」

「昔、そう聞かされました。」

 クライブは、自分の膝に手をおいた。

「フェリルの長と話をしようとして北方の山脈に登ったのですが、見つけられませんでした。

 そのころには、フェリルの群れも魔物化していて、討伐せざるを得ませんでした。」

 ギルバートが目を伏せた。

 リルが目だけクライブに向けた。

(だから、おじさん、わたしのこえがきこえたのね)

 コツコツとドアが叩かれた。

「どうぞ。」

 クライブの声に扉が開くとジェイドが顔を見せた。

「お久しぶりです、教官。」

 ジェイドが中に入るとクライブに会釈した。

「検証、終わったのか?」

 ギルバートが尋ねた。

「ああ、」ジェイドが返事をする。

 クライブがジェイドを見上げた。彼に向ってジェイドが話はじめた。

「泥の魔物は、公爵閣下が退治してくださったのですが、」

 ジェイドの言葉がよどむ。

「死者が一名、出ておりまして。」

「身元はわかったのか?」

「『近衛』の隊服だったので、そちらに照会しています。」

 ジェイドが一つ息をついた。

「遺体には、頭部がなく、身体だけでした。

 泥の、泥の中身があったのはその身体のものだけでした。

 あとのものは、本当に泥だけでした。」

「教官は、あれを『ハブナ』とおっしゃった。」

「『ハブナ』?」

「ヴィーデルフェンとの国境沿いに出るって?」

 ラナが小声で付け足した。

「コルトレイで聞かなかったか?」

「オレがいたときはなかったな。

 昔は出たって噂はあった。

 だけど、『ハブナ』って泥ミミズだろ?

 いつから人型の魔物になったの?」

「…。」

「まさか、コルトレイのときみたいに『作っちゃいました!』なんてあるわけ…」

 誰もジェイドの軽口に応じていない。

「あるの?」

「…。」

 ジェイドの顔が歪む。

 またコツコツと戸が叩かれた。

 ラナがリルを置くと扉を開けに立った。

「どうぞ、」

 ゆっくりと戸を開ける。

 白髪のルーエが立っていた。

「おや、お嬢?

 ジェイド卿はいらっしゃいますか。」

 ラナが扉を大きく開けた。

 ルーエは、クライブにも少し頭を下げた。

「閣下、お迎えに上がりました。」

「ご苦労。

 ギルバートもラナ嬢も一緒に行く?」

「そうだな。

 では、教官。」

 ギルバートが立ち上がった。クライブがそれに会釈した。

 リルがソファから飛び降り、ラナの肩を駆け上がった。

 クライブがそれを見ている。

『ラナ、まだフィイと、はなせてない!』

『かえりたくない!』

「だめよ。フィイはお勉強があるんだから。

 じゃ、今度、帰ってきてってお手紙書いてあげるから。」

『うん…。』

 リルは、自分に向けられている視線に気づいた。

 クライブがじっとみている。ちょっと怖い…。

『ラナ、おうちにかえる…。』

 リルがラナの腕に顔を埋めた。


 ◇◇◇


「今度の官房長は、仕事が早いね。」

『近衛』から届けられた書簡には、遺体の近衛騎士の身上がまとめられていた。

 彼は三日前から行方不明で、『近衛』も捜索していたらしい。最後の足取りは、イゼーロへの使いが終わり、王都に戻るところだったという。

「でも、彼の捜査は『近衛』でするそうだよ。

 うちは手出しできない。」

 ジェイドがため息をついた。

『騎士見習』の魔物事件から半日が経っていた。学舎の後片付けも終わり、報告書の類も徐々に出てきている。

「ルーエは、官房長と知り合いでしょ。なんか、うまく聞き出しておいてよ。」

「…。」

 執務室の扉がコツコツ叩かれた。

「はい、」

 ルーエが扉を開けると白の治療院の制服姿のエリーだった。

「グラハム先生の検視報告書をお持ちいたしました。」

 ルーエがエリーを招き入れると彼女はまっすぐジェイドの前に立った。差し出された書類の束を受け取って、またジェイドがため息をついた。

「お義兄様?」

「王都に魔物とはね…。

 最近、そういうの増えた気がするんだよ。」

「え?」

「ギルとお嬢様のせい、とは言いたくないけどね。」

 ジェイドのつぶやきにエリーとルーエが顔を見合わす。

「彼らを狙うように現れる。

 あの二人が的になっているのかな。」

「的って…?」

「…大昔からの話で、この大陸の神々はじつは仲が悪い。

 いつも互いを蹴落として一番になりたがっている。」

「?」

「ギルバートは冥府の主、ラナ嬢は大河の女神の愛し子だからねぇ、神々は自分たちの代理のような人間に争いをさせているのかもね。」

「え?

 仲いいでしょ、あのお二人は。」

 ルーエが口をはさんだ。

「本当に仲がいいなら、身体を切り刻んだりしないよ。」

 冷ややかにジェイドが答えた。

 傍らでエリーが不思議そうな顔をしている。

「ラナお嬢様とは?」

 エリーが小声でルーエに尋ねる。

「ああ、そうか。

 エリーとはちゃんと会ったことがないんだね。」

 ジェイドが微笑んだ。

「?」

「ラナ嬢っていうのは、ラナ=クレア、ダーナクレア辺境伯爵令嬢のこと。

 水色の瞳に水色の髪で、水を操るご令嬢だ。

 強いんだよ。」

「?」

「なんでもダーナ・アビス様の刺客として、ランバート王の命を狙いに来た。」

 ジェイドがくすくす笑う。

「まあ・・・」

「それをギルバートが止めて、今は彼の監視下にいる。」

「・・・。」

「最近の話はルーエの方が詳しいよ。

 時々、ギルバートの依頼で彼女の護衛騎士をしているようだから。」

 エリーがルーエを見た。ルーエが困ったように視線を避ける。

「でも、ランバート様を狙っているお嬢様がどうして?」

 エリーも不思議そうな顔をする。

「ダーナクレア領というのは、ダーナ・アビス様の住まう所と言われていて、かの御方のご機嫌で水魔が暴れ、洪水ばかりに見舞われている。

 おかげで貧しい領地になってしまった。

 ラナ嬢は洪水を止めるためにダーナ・アビス様に食って掛かったそうだ。その時、『勇者の末裔』の血で河を染めたらと条件を出されたらしい。

 お嬢様はそれに従い、ギルバートに阻止された。」

「そんな…。」

「でもね、ランバート陛下は、『勇者の末裔』の血の代わりに王国がダーナクレアの支援をする約束で、水魔を退治する命を彼女に飲ませたんだ。」

「…。」

「…お詳しいんですね。」ルーエは小声だ。

「親父の受け売り!」

 ジェイドが両手を突き上げて伸びをした。

「監視しろって、煩くってさ!」

 エリーが困った顔をした。

「センセイ、お時間は?」

 ルーエが小声でエリーに訊ねた。

「そ、そうですね、私、戻らないと。」

 ジェイドが義妹に笑みを見せた。

「ルーエ、送ってあげて。」

「はっ、」

 ルーエが先に立って扉を開けた。


 ◇◇◇


「ここで、いいですよ。」

 エリーが笑顔を見せた。

『王立』第三、警務隊の隊舎と別棟への渡り廊下の入り口で二人が立ち止まった。

「ルーエさんも、戻ってください。」

「はい。」

 ルーエが口ごもったように返事をした。

 彼はすこし暗い顔をしている。

「なにか、心配事でも?」

 エリーが心配そうに尋ねた。

「…というか、」

 またルーエが口ごもってしまった。

「あまり思いつめるといけませんよ。」

 エリーの言葉は優しい。

「お役目の事ですか。なら、お聞きしません。でも、心配はいたします。」

「…。」

「貴方は大丈夫ですよ。」

「…俺の事じゃありません。」

「え?」

「…センセイ、」

「はい?」

「ガーネット伯爵様のお屋敷にいらっしゃってるんですか?」

「え?」

「そういう話を耳にしたので。」

 エリーが笑顔を見せた。

「ルーエさん、どこでお知りになるんですか?」

 エリーがくすくすと笑う。

「はい、ガーネット様のお屋敷にうかがわせていただいています。」

「マクシミリアン様にお会いに?」

「お会いすることもありますよ。

 でも私は奥様に習い事を、」

「『近衛』でガーネット様の悪い噂があります。」

「?」

「ガーネット様が不倫されていると。」

「…酷い噂ですね。」

「その相手が貴女だと聞きました。」

「…。」エリーから笑みが消え、強張った顔をする。

「ガーネット様の出世を妬んで立てた噂だとわかっていますが、」

 ルーエが唇を噛んだ。

「…私は疑われているのでしょうか。」

「…そんなことありえないと思っています。」

「ルーエさん、」

「疑われるようなことはなさらないでください!」

「何もしていません!」

「貴女がマクシミリアン様を好きなのは知っています。

 だから、親しく見えるのもわかります。

 だからこそ、あの方のご迷惑になることをなさってはいけません!」

(いやだな、俺。あの方に嫉妬している。センセイをとられているって思ってる!)

 ルーエがエリーから顔をそむけた。

「…また、私は浅はかなことをしたのですね。」

「…。」

「わかりました、もうしません!」

 最後は怒ったような声だった。

「いえ、そういうわけじゃ…」

 顔を上げたルーエに見えたのは足早に去っていくエリーの後姿だった。


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