第39話 手合わせ
(おじさん、すごく、ゆっくりあるくのね。)
リルは袖口にしがみついていた。
こつんこつんと杖をつく音がする。
(どこにつれていくのかしら、すみかにかえすって、くろいののおうちにかえるの?)
「クライブ教官、」
男の声がした。さっきとは違う。穏やかな話し方。
「どちらへ?
もうじき、初年度生の剣技授業が始まりますよ。」
「…。」
「教官の弟子殿も出られるんでしょ。
見学しなくていいのですか?
他の教官方も見学されますよ。」
「・・・わかった。
先にいってくれたまえ。
私はゆっくり、行かせてもらう。」
男の足音が遠ざかる。
「悪いな、顔を出さねばならん。
お前のことはその後だ。」
(べつに! よかったわ、フィイをさがせる!)
杖の音が少し変わった気がした。
(むきがかわった?)
ほんの少し、早くなる。
(おじさん、ほんとうにあしがないんだわ!
きのぼうはあしじゃないのね。)
袖口から見える外がお日様の色になる。
土の匂いがしてそこに懐かしい匂いも混じってきた。
(フィイのにおい!)
ほんの少し、鼻の頭が袖口から出た。そこから見えたのは、建物に囲まれた土の庭だった。その真ん中に四、五十人の子供の姿が見えた。
(フィイがいるのかな!)
「袖口から出るな。」
クライブがリルに言った。
「『王立』が来ている。見つかると退治されるぞ。」
リルが頭を引っ込めた。それでも隙間から外を窺うと正面の中二階のバルコニーに水色の髪のラナが見えた。
(ラナがいた!)
ちょっと嬉しくなる。
ラナのそばに赤毛のジェイドの姿も見えた。
(あのあかいのきらい!)
中庭の鍛錬場の生徒たちが二人一組で並び始めた。
(でも…)
袖口からリルがすこしだけ顔を出して、男を見上げた。
(へんなにおいがするわよ、おじさん…)
◇◇◇
「何が始まるのですか?」ラナがジェイドに尋ねた。
「素振りの稽古だよ。正しく剣を扱うためのね。」
ジェイドがお茶を口にした。
「そろそろ、ギルバートが来てもいいのにね。」
「どうして、あの方を?」
ジェイドがラナの呼び方におやっという顔をした。
「フィイへのご褒美も、ギルの心配も、
まあよくしてやろうというのがある。」
一度、言葉を切った。
「本当は、『銀翼』の騎士集めのためかな。」
「?」
「いろいろとね、人にあるまじきものが出たでしょ。
昔は、そういうの退治するの、『銀翼騎士団』の役目だったんだよ。」
「『銀翼騎士団』?」
「ギルバートが潰してしまってから、彼ひとりで全部やっちゃってね。
でも、この一連、彼だけでは退治できないものが出た。」
「…。」
「ラナ嬢がいなければ、退治できなかった。
だから、彼の力がおよばないところや助けをする仲間を選ぶべきだと思っている。」
「『銀翼』の騎士様は、『人間』なんですよね…。」
「そうだよ。
『人間』じゃなかったら何?」
ジェイドがくすくす笑った。
「だって、普通の人は…、」
「『銀翼』の騎士は、魔力のこもった武具を使うんだ。
魔力にまけない強い精神がないと身が持たない。
それに、『銀翼』騎士団長と波長を合わせて、大きな力で戦うこともあるから、相性も良くないとね。
ラナなら彼の一番の使い手になれると思うけど。」
ジェイドがラナを見て微笑んだ。
その視線を外すようにラナがあたりに目を向けた。
「…人が増えてきました。」
中庭を望むバルコニーに随分と人が集まってきた。
緑の『王立』の若者に銀灰色のマントの一群。
「あの銀灰の方々は?」
そばのルーエに尋ねてみる。
「『近衛』ですね。珍しいな。
あの方々は、貴族ですから、『騎士見習』にはあまり顔をお出しになりません。」
「『近衛』の騎士になるときも『騎士見習』に行くんですよね。」
「真面目に通う子もいれば、抜け道使うのもいてね。
『近衛』は独特なんだよ。」
ジェイドが笑いながら答える。
「貴族様のくせにやることは狡いんだよな。」
「閣下、」ルーエがジェイドをたしなめた。
(ジェイド様もラナ様も貴族の一員なのに…。)
一斉に木剣の振れる音が響いた。これだけの数はなかなかに大きな音になる。
ラナが思わず耳を覆った。
「素振りだけでも圧巻だね。」ジェイドが大声になる。
「ジェイド様もされたんでしょう?」叫ぶようにラナが訊ねた。
「素振り、百回なんて疲れるじゃない。回数だけはうまく合わせたよ。」
(ああ、この方は抜け目ないんだった。)
ルーエがため息をついた。
「ルーエは真面目にやってたの?」
ジェイドが笑いながら副官を見た。
「…。」ルーエは知らん顔だ。
「真面目だったんだねぇ。
ギルとウマが合うわけだ。」
「?」
「ギルバートも真面目だったからね。課題はちゃんとこなしていた。
なのに、彼は万年、三着なんだ。」
「え?」
「首席はマリー、次席は私、ギルは三番手ってこと。」
(ああ、力関係ってそのころから…)
ラナがクスリと笑った。
「閣下、公爵様です。」
彼らのところに歩いてきたギルバートの姿を見つけてルーエが小声で言った。
ラナも気づいて立ち上がった。
ギルバートはラナの姿を見たが、左手をほんの少し動かしただけだった。それは着席を促す合図だ。
ギルバートは珍しく、長い黒髪を後で結んでいた。
「今年の初年度生は多いのだな。」
「豊作だってさ。」
中庭の生徒たちが隊形をかえた。今度は二人一組の組打ちをするようだ。
「懐かしいねぇ。」
「お前は、いつも姿を消していた。」
「マリーは強すぎるんだ。全部、相手したら私が持たない。」
ジェイドが笑う。
「フィイは、よくやっているね。」
「ああ。」
「ほら、あそこ、組打ちが始まった。」
フィイの姿が見える。同じぐらいの背格好の赤毛の少年と打ち合っている。
「相手、誰だ? あの子が次席の子?」
「ローンデール伯の子息だ。」
「え?
知り合い?」
「一度、会った。」
「ふーん、フィイの好敵手か。」
「…。
それで、私に何をさせる?」
ギルバートはやや機嫌が悪い。
「ん?
ああ、模範剣技をね。
彼らに、凄―い剣を見せてやって。」
「相手は?」
ギルバートがラナを見た。ラナが目を大きくする。
(私が相手?)
「ルーエ、君が相手だ。」
「え?」
ジェイドに指名されてルーエが口をあんぐりさせた。
「え、え、それは…」
「ルーエでいい?」
「ああ。」
「ちょっと待ってください、ジェイド様。
自分が公爵様のお相手なんて!」
「ほかにいないよ。
あのへんの『近衛』なんて、素振りの風で飛んでっちゃうから。」
ジェイドがバルコニーの端の『近衛』を顎でしゃくる。
「そんな勝手を。実技教官の許可も!」
「大丈夫。」
ジェイドが立ち上がってバルコニー下に呼びかけた。
「ウォード卿!」
赤毛の短髪の男が上を向いた。
「ギルバートが来た。
模範剣技、できるよ!」
「はっ、ありがとうございます!」
「ウォード卿?」
「マリーの副官。
マリーの産休中、遠出はできないから『騎士見習』を手伝ってもらっている。
じゃ、ルーエ、よろしく。」
肩を落としてルーエがバルコニーの降り口に立った。彼は公爵を待っている。
ギルバートは、いつもの黒の騎士服に剣を下げていたが、左手にも茶色の鞘の剣を握っていた。
「ルーエ、剣は?」
ギルバートが問う。
「え? 今日は普通のですが。」
ギルバートがルーエの剣を見た。
「模範剣技なら、木剣でしょう?」
「これを貸す。必要なら抜いて構わない。」
ギルバートがルーエに左手の剣を渡した。
「え、と、とんでもない!」
押し付けられて受け取ったが、ルーエが恐縮して返そうとする。
「ルーエ、木剣じゃ持たないだろうよ。
借りておきなさい。」
ジェイドの一声でルーエが諦めた。
渋々と腰の剣を外し、代わりにギルバートの剣をつけた。いつものより重いが、役目の大剣よりはずっと軽い。
ルーエの帯剣を見届けて、ギルバートが鍛錬場に降りて行った。ルーエも後に続く。
二人を迎えたウォード卿が敬礼をした。
ギルバートは平然としていたが、ルーエが慌ててウォードに頭を上げた。
「皆! 剣を収めなさい!」
生徒たちが剣を下し、腰に下げて整列した。
前列に並んだフィイがギルバートを見て目を大きくした。送り出してもらってから、初めてだ。
「あ、お前の保護者。」
隣に立ったエルが小声でいった。
ウォードがギルバートとルーエを子供たちの前に進めた。
「これから、このお二方が模範の組打ちをしてくださる。
心して見学するように!」
ウォードの言葉に生徒たちが踵を打って答えた。
「なんだか、大ごとになってしまった。」ルーエが呟く。
傍らのギルバートは平然としたままだ。
「見学者が増えたな。」
ルーエも辺りを見回すとバルコニーにも鍛錬場の端にも人が増えていた。
ギルバートがウォードから木剣を受け取って中央に歩み出た。
「ルーエ、」
「は、はい。」慌ててルーエも木剣をとってギルバートと対峙する側に立った。
二人が向き合うと周りが静かになった。
「…初歩の組打ちだ。」
「承知いたしました。」
ルーエは右手に木剣を持つと手首を立て、剣先を自分の左斜めに倒すように構えた。
身体の前で剣を斜めにして打ち込んでくる相手から上半身を護る姿だ。いつもならまっすぐ正面に立てて、居合の一刀切りだが、それでは模範にならない。
ルーエの構えに合わせるようにギルバートも木剣を構えた。
互いの剣先を軽く当てて、打合いを始める。
稽古では、下の者から打ち込む。今はルーエのほうから剣をふるった。
肩口から振り下ろされたルーエの剣をギルバートが受けて身体の反対側へ払う。次にギルバートが打ち込み、ルーエが払う。足の構えも踏み込みと引きが剣の打ち込みにならっている。模範はそれを何度か繰り返す。二人とも息を乱すことなく、ややゆっくり目に続ける。
「すごいな、息も上がらないし、足の滑りもない。」
エルが感心して呟く。
「旦那様は、お強い。」
ギルバートに目を奪われたフィイも返事をする。
「あの白髪のおっさんもなかなかやるな。」
エルが楽しそうにいった。
(あの方は、存じ上げないな。)
フィイがルーエのほうに目をやった。
長い白髪を揺らして旦那様と互角に渡り合っている。肌は濃い褐色で黒く見える。
背はギルバートより少しばかり高く、体躯は細身だが、がっしりとしているように見えた。
(敵ではなさそうだ・・・)
なんとなく、フィイがほっと息をついた。
◇◇◇
「始まったね。」
「ジェイド様?」
「ルーエとはケネスで一緒だったって?」
「はい。」
「親父が面白がって、ルーエをギルバートにぶつけたらしい。」
「お父様?」
「ローラン・ヴェズレイだよ、腹黒い宰相。
会ったことあるでしょ。」
「…。」
「親父も『銀翼』の再開はまんざらではないらしい。」
「よくわかりませんが?」
「王家に緊張感を持たせるためだよ。
敵対相手のいない権力者は自ら腐敗を始めるから。
公爵家に『銀翼』の力があれば、いつだって王家を脅かせる。」
「…王様がいるから平穏があるのでは?」
「そういう君だって、『勇者の血でダーナ河を真っ赤にする』って王様を脅かす、勇ましいことを言ってるようだけど。」
「それは、ダーナ・アビス様とのことで…」
「ダーナ・アビス様とあっていることがもう尋常じゃないよね。」
「え、ええっと。」
「どこまで本当だか。」
「…。」
「ギルバートの事もね、
『普通の人間』にもどしてやりたい…。」
ジェイドの声が少し悲しそうに聞こえた。
「…。」
ラナは、ギルバートの姿を追った。
◇◇◇
「センセイ、ルーエさんですよ!」
ジュリがエリーの制服の袖を引っ張った。
『治療院』の白の制服姿のエリー医師と看護師のジュリが、学舎の廊下で立ち止まった。
ここからは中庭の鍛錬場が見える。
『騎士見習』の生徒の定期検診が終わって戻るところだった。
「剣術の試合ですか?」
「模範剣技でしょう。
義兄が今日、稽古を視察するって言っていました。」
「お相手の方、この前、ルーエさんのお店でお会いした方ですよ!」
「…ギルバート兄様ね。」
「どちらが強いんでしょう?」
エリーがルーエを見て微笑んでいた。
「少しなら見ていってもいいですよね!」ジュリがエリーを窺う。
「少しだけなら。」
エリーがそう答えると二人は足を止めて中庭を眺めた。
◇◇◇
「ルーエ、本気を出せ。
抜いても構わない。」
ギルバートがルーエに声をかけた。
楽しそうに聞こえる。
ギルバートの木剣の動きが速くなり、剣のあたりに重さが加わる。ルーエも追いつくように剣の動きを速める。
木剣が軽すぎて飛んでしまいそうだ。
(え、本気でするのか!?)
ルーエが左手を添えて両手持ちにかえた。
立てていた木剣を顔のよこでねかせて構えると一撃突きの頃合いをはかる。
冷ややかなギルバートの、斬りなぐ剣をかわしながら、体勢を崩さないように、両足をじりじりと動かす。
目の前のギルバートがにやりと笑った気がした。
ルーエが息を止めて剣を突き出した。ギルバートのほほをかすめるように躊躇なき一直線だ。早い突きを交わすようにギルバートが身体を回し、ルーエの剣をしたから跳ね上げた。
木剣が甲高い音を立てて砕け、宙に木片が舞う。ルーエの手に残ったのは柄だけだ。
「参りました!」
そう言って、ルーエが砕けた木剣を下し、地面に片膝をついた。
頭を垂れた顔は穏やかで嬉しそうだった。
「心にもないことを。」
ギルバートも柔らかい表情を浮かべる。
二人が打合いをやめても周囲は静かなままだった。
「随分と静かだな。」
ルーエが顔を上げて辺りを見た。
『騎士見習』の生徒たちも他の見学者たちも呆然としている。
「模範にならなかったですかね。」
「私に命じたジェイドが悪い。」
(なににしろ、貴方様が強すぎるから、皆、何も言えない…)
「はは…。」
立ち上がってルーエが服についた木片をはたき落とした。
ふと、背後から微かな手を叩く音がした。
やがて、それが大きな拍手になる。
見学者たちが皆、拍手していた。
「良かったんでしょうか。」ルーエが困ったように言う。
「喜んでいるなら、意味があったのだろう。」
ルーエより五つも年下のギルバートのほうが落ち着いていて年寄り臭い。
「さて、」
とルーエがギルバートに次をたずねようとすると、ギルバートの眉間に皺が寄っていた。
◇◇◇
カタカタとラナの水筒が音を立てた。まだ、水音まではしない。
ラナが水筒を抱えた。
「ラナ?」
ジェイドが不思議そうにラナを見た。
ラナがバルコニーの手すりから身を乗り出した。
「危ないよ。」
「ジェイド様、ここにも魔獣が出るのですか!」
「ラナ?」
ジェイドもバルコニーから身を乗り出す。
鍛錬場の真ん中にギルバートとルーエがいるだけだ。遠巻きにしている見学者にも変な動きはないようだが。
ギルバートの黒髪が揺れた。
ラナもその方向を見る。
水筒が水音を立てた。
「ジェイド様、何か来ます!」
「えっ!」
ラナが青のスカートを翻して飛び降りた。
彼女の手には『熔水剣』が握られていた。




