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第3話 ラナの虹

 ジョージズ公爵邸の庭園は、中央に噴水を持ち、左右対称の造りで石畳の歩道がめぐっている。

 ラナは水筒を肩に庭園の噴水のそばにいた。

 噴き上げた水は、受器の縁に沿って流れ落ち、最下部の池に溜まると再び引込の水路へと流れていく。

 エバンズ夫人の話では、この庭園の水はダーナ河の支流から引いているということだった。ダーナの水であれば…。

 ラナは、噴水の受器の縁から右手の先を入れた。噴水の水は冷たく、よどみなく流れ、透き通った中のラナの指先も透き通って見えた。

(…失敗した。)ラナが心の中で言う。

(ふふ、愚か者だものね。)冷ややかに女性の声が答えた。

(啖呵を切ったお前だもの、もっと苦しんで、私を楽しませてちょうだい。)

 ラナが唇を噛み締めた。右手を噴水から出す。

「お嬢様。」

 男の低い声がラナを呼び止めた。ラナが振り返る。

 灰色の長髪の長身の男が立っていた。

 彼女が初めて見る男だ。

 ギルバートと同じような黒のマントを肩から掛けている。ギルバートの色白に対してこの男の肌は浅黒い。三白眼の瞳は紫だ。

「…誰?」

「アマクと申します。ダーナの姫君。」

「!?」

 アマクは片膝をついて、恭しく騎士の礼をした。

 ラナは、少しだけ肩の水筒が動いたような気がした。

 なんだか、警戒心が先に立つ。

「ギルバート・ジョージズ公爵様の従者でございます。」

 アマクは、ラナの手を待ったが、ラナは手を出さなかった。

 アマクは、冷ややかに微笑って何事もなかったかのように立ち上がった。

「警戒させてしまいましたか…。

 貴女様は我が主人とは相容れぬ方だ。害をなすと認めれば、殺します。」

 アマクの言葉は冷たく、ラナの表情が強張った。

 アマクが剣に手をかけ、ラナが水筒を抱き寄せた。

「二人とも、こんなところで剣を抜かれては困る。」

「旦那様。」

 アマクが頭を下げて、ギルバートに道を譲った。

 真っ黒な騎士服のギルバートはラナから数歩離れたところで立ち止まった。

「この噴水には、ダーナ河の水が引かれている。」

 ラナがギルバートを睨む。

「私が逃げるとでも?」

「いや。

 だが、アマクは、君を信用していない。」

 ラナは灰色の男を見た。アマクの表情は見えなかったが、笑っているような気がした。

「早速だが、陛下から使いが来た。登城だ。」 

「…王に会うの?」

「今度は何もさせない。」

「…。」

「…出かける準備をしなさい。」

「準備って…?」

「エバンズ夫人が待っている。君の支度は彼女に任せてある。」

「えっ?」


 ◇◇◇


 通されたのは謁見の間ではなく、王の執務室だった。

「全く、ご令嬢の両手を縛りあげるなんて、失礼、極まりない。」

 ラナの姿にランバート王が頭を抱えた。

「当然の処置です。」

 悪びれずにギルバートが言う。

 そう、部屋に入る前、ギルバートはラナの両手をみかわ糸の縄で縛っていた。

 もちろん、水筒もアマクに預けて彼女から武器を奪っている。

「罪人ですから。」

 ラナも当然のように答える。

「まあ、好きにしなさい。」

「陛下、我々を呼ばれたのは?」ギルバートが尋ねた。

「うん、まずいことがあってね。」

 執務室のドアがノックされた。ランバートが目くばせすると侍従が扉を開けた。

「失礼いたします、陛下。」

 入ってきたのは、ローラン・ヴェズレイ宰相だった。

 ローランは、歳は五十すぎ、灰色の短髪を後ろに流れるようになでつけている。

 瞳の色はランバートと同じ青色だ。

 爵位は侯爵、先王の時代から王国内務に携わり、現在はランバート王の宰相である。

 先王の時代、勇気ある諫言で先王に疎まれ、領地へ蟄居させられていたが、ランバートにより王都に復帰していた。

 正確には先王のまたいとこにあたり、ヴェズレイ侯爵家に婿養子に入っている。

 彼の息子は、王国騎士団ではギルバートの部下でもあった。

 ヴェズレイは、ギルバートに一礼した。ギルバートも会釈を返す。

 ランバートが手を振ると侍従たちが部屋を出ていき、執務室は四人だけになった。

「そちらの方は? どちらのご令嬢でいらっしゃいますか?」

 ヴェズレイが戸惑い気味にラナを見た。

「なぜ、この席に?」

 ラナはエバンズ夫人の手で、高級な絹の薄青色のドレスを着せられ、水色の髪を青いリボンで束ねられていた。ギルバートの供をするというので、エバンズ夫人はラナを最上の貴族令嬢に仕上げていたのだ。

 しかし、その令嬢の両手を縛りあげているとは?

「彼女は、昨夜、私を殺そうとした、女神ダーナ・アビスの刺客。」

 ランバートが答えた。ヴェズレイが声を無くす。

「陛下のお言葉の通りです。失敗した刺客です。」

 ラナがこともなげにいう。

 両手を縛られた令嬢は、プイと横を向いた。

「宰相閣下、彼女はダーナクレア辺境伯の息女、ラナ=クレア嬢です。

 昨夜の王宮の水魔を退治しました。」ギルバートが補足した。

「あ、」合点が言ったかのようにヴェズレイが頷いた。

「宰相、始めて構わないよ。」

「はい、陛下。」

 宰相は三人を前にして、王国の地図をテーブルの上にひろげた。

 中央に大きくダーナ河の本流が描かれ、支流が幾筋も引かれている。領地境の線も入れられ、各領主家の紋章が描かれている。王国内のダーナ河の最上流には、ダーナクレア領の紋章がある。河の堤防に腰掛ける鱗を持った人魚。この地には女神ダーナ・アビスがいるといわれている。ラナの故郷だ。

「王都より南西岸のコルトレイ伯爵領です。

 西部の穀倉地帯からの農産物の集積地で、領都コルトは、ダーナ河の水運の基地です。

 そのコルト近辺で、奇妙な疫病が流行っています。」

「疫病?」ギルバートがランバートを見た。

「そう。王都から調査兵を出したが、誰も帰ってこなかった。詳細は不明だ。

 だが、近くの村の住民は毒をあおったかのように苦しんでいて、死者も出ているらしい。」

 ランバートが腕組みして話をつづけた。

「死者の姿は、皮膚が真っ黒になっているという。

 単なる疫病ではなく、魔物がらみの予感がする。」

「いつからです?」ギルバートが問いかける。

「最後の連絡が途絶えてひと月が経ちます。」ウェズレイが答える。

「ランバート、時間が経ちすぎだ。」ギルバートが非難する。

「ギルに知らせるのに時間がかかった。

 それに、場所がね。

 ダーナ河の河畔だろう?

 水魔との噂もあった。」

 ランバート王が苦笑を浮かべた。

「私だって君に頼らなくても王都の力で何とかできると思ったんだ。」

「…。」ギルバートがため息をつく。

「ダーナ河…。」

「君の範囲外だよ。」ランバートが答えた。

 ギルバートが目を伏せる。

「確かに…、水魔は…。」

「それで、私の出番なわけ?」

 ラナが口をはさんだ。

「水魔を倒せるのは、私だけよ。」

「そうだね。」ランバートが笑った。

「その勇敢なお嬢さんにも手伝って貰わないとね。」

「見返り、あるの?」

 挑発的にラナが言う。「『勇者の血』とか。」

 ランバートが冷ややかな笑みを浮かべた。

「『王様に対する無礼を帳消しにしてあげる。』ぐらいかなぁ。」

「なっ!?」

「ダーナクレア伯爵令嬢、本来なら、君は無礼討ちにされてもおかしくないんだよ。」

「うっ!」ラナが口ごもる。

 ギルバートはラナを見た。

 水色の娘は、それでもしっかりとランバートを見ていた。臆している感じはない。見ているほうが身体に冷や汗をかく。

 ヴェズレイが続けた。

「コルトレイ伯爵にも連絡がつかないのです。

 先王の時代もランバート国王陛下のお味方をしてくださった伯爵家です。

 伯爵の身に何かあったのかもしれません。」

「君はコルトレイ伯爵と面識、あっただろう?」

 ランバート王はギルバートを見た。

「私の使者として伯爵に会ってくれたまえ。」

「それで?」ギルバートが小声で尋ねる。

「魔物だったら、斬ってしまって。」軽く、ランバートが言った。

 ラナが驚いた顔をした。

「この国に、魔物はいらない。」

 ランバートが微笑みを浮かべてギルバートに言った。

「…御意。」ギルバートが俯いて小声で答えた。

「必要な準備はさせるよ。

 そうだな、差し当たって、伯爵に届ける書状は準備させてある。

 宰相、彼に。」

 ヴェズレイは、ギルバートの前に書簡筒を置いた。

「中を見ても?」

「構わないよ。」ランバートが言う。

 ギルバートは書簡筒の中を検めた。

 それは王都への参内を命じる変哲のない文書だった。だが、無視すれば「謀反人」とされてしまう。

「先触れは出されているのですが?」

「うーん。じつは使者が戻ってこないんだ。」

「…。」

「コルトは西岸の要所です。失うわけには参りません。」

 ヴェズレイ宰相がギルバートに少し頭を下げた。

「頼むね、ギルバート。」

 ランバートの言葉は、明るく軽く聞こえた。


 ◇◇◇


「アマリアのお茶会はどうだい?」

 ランバートが執務室を出て、帰ろうとするギルバート達に声をかけた。宰相はとうに執務に戻っている。

 ランバートの誘いにギルバートが首を振る。

「事は急ぎますので。

 それに彼女もおります。」

「アマリアが彼女にも会いたいといってるんだ。」

「また、次の機会に。」

「あら、あたしはかまわないわ。」ラナが口をはさむ。

「少し、口の利き方に気を付けたらどうなのだ。陛下の御前だ。」

「仇の『勇者の末裔』だわ!」

 ギルバートが声を荒げていうとラナがムキになって返す。

 ランバートはあきれ顔で、ギルバートの剣から小刀を抜くとラナの手を掴んだ。みかわ糸の枷を断ち切る。

「あ、」とギルバート。

「あ、」とラナ。

 ランバートは小刀を戻しながら、言葉をつづけた。

「君には、仕事をしてもらわないといけないから。

 縛めを解いてあげるから、しばらくは言うことを聞きなさい。」

「…。」

「返事は!」ギルバートがきつく言う。

「承知いたしました。」

 ラナはドレスの端をもって深く膝を折った。水色の髪が低く俯いた。

「おや、できるじゃないか。」ランバートが微笑む。

 ラナは無言で姿勢を戻した。

「ギルバートがあっけにとられているよ。」

 クスクスとランバートが笑った。当のギルバートが嫌な顔をした。

「あ、」

 ラナは近くの窓を開けた。

「どうした?」

 ギルバートがラナに問いかけると同時に彼の左手首の黒い腕輪が微かに揺れた。

「この向こう… あっちはダーナ河の方向?」ラナが窓の外を指さした。

「そうだが。民の市場の方角だな。」ギルバートが答える。

「…河が震えている。水魔が出るかもしれない!」

「!?」

「私の水筒は? 早く!」

 少し影の所から、ラナの水筒が差し出された。ラナの水筒は水音を立てていた。

「市場なら、人がいっぱいね。

 ほっとけない!」

「おい、どうする気だ?」ギルバートが言う。

「水魔なら倒す!」

「勇敢だけど、これ、私の命令外だよ。見返りは無し。」

「王様のためじゃない。皆のためよ!」

 ラナは、水筒から片手に少しの水をとった。それを窓から投げると細い虹が伸びた。

「虹!?」

「私だけの道! 先に行く!」

 ラナは窓から飛び出すと虹の上を滑るように走り出した。

 ラナの通り過ぎた後は虹が消えていく。

「すごいな…」ランバートが感嘆する。

「私も追います。失礼いたします。」

 ギルバートも、挨拶そこそこに王城を走り出た。

 残されたランバートは、ラナの虹を見送りながら嬉しそうに言った。

「いいなぁ、二人とも。

 だからこそ、君たちは私の手駒になるんだよ。

 その力、私のものだ。」


 ◇◇◇


 虹の細い橋は、宙を渡り、ダーナ河にかかる市場の橋へと延びていた。

(まだ、止められるかもしれない…)

 虹の道を走るラナは、市場の橋が見えてくると肩の水筒を宙に放り投げた。水筒から水がこぼれ、陽の光に輝く水滴が『熔水剣(ようすいけん)』に変化し、ラナの手におさまる。

 ダーナ河の川面が泡を吹いて盛り上がり、それは巨大な蛇様の姿にかわった。水魔は橋に覆いかぶさるかのように立ち上がった。

 橋のそばにいた人々は、河から現れたものに驚き、四方へ逃げ惑っていた。人が多い分、混乱も大きくなる。

 ラナは、剣を構え、水色の髪をたなびかせて橋の上に降り立った。

 水魔と対峙する。

「戻りなさい! ダーナへ!」ラナが水魔に叫んだ。

「今なら、まだ『流れ』に戻れるのよ!」

 水魔が更に競り上がる。

「お前が河から出たら、倒さなくちゃいけない!」

 水魔が頭部を大きくうならせて橋の欄干をなぎ倒した。

 ラナが飛び退く。

「お願い! 穏やかな『流れ』に戻って!」

 水魔はラナの言葉を聞かなかった。

「魔物になれば、人の言葉は届かん!」

 ラナの目の前に黒駒が走りこんできた。馬を盾にしたギルバートが身体を起こすと左手の黒剣で水魔の胴をなぎ払う。

 水魔の塊が地面に落ちて水滴がほとばしった。

 ギルバートが自分のマントで雫を防ぐと再度、馬を走らせ、水魔に切りつける。

「とどめを刺せ!」

 ギルバートがラナを叱責する。

「えっ、」

「私では、仕留められない!」

「倒せるのは、『熔水剣(ようすいけん)』のみ!」

 ラナが剣を構え直した。

「わかってるわよ!」

 ラナは青いドレスを翻して助走をつけた。残っていた欄干を足場にして、水魔の頭部へ駆け上がる。その頂点で剣を振り下ろし、水魔を二つに切り裂いた。裂かれた塊は地表に向かって雨となって降り注いだ。

 水魔を切り捨てたラナは、ずぶぬれの姿で立ち尽くしていた。

 彼女の足元に赤黒い肉の塊がヒクヒクと動いている。

「これは、水ではないのか?」

 頭からマントのフードを被ったギルバートがラナのそばに来ていた。

「『魔』の塊… 

 こんなものを飲み込むから水魔になってしまう…

 すぐに吐き出してくれれば、元の河の『流れ』に戻れるのに…」

(『魔』の塊…)

 ギルバートが塊に黒剣を突き立てた。

 塊は赤黒いドロドロとした液状と化し、黒剣に吸い上げられ、姿がなくなった。

 ラナは言葉なく、ギルバートを見上げた。

「『情け』で手を止めるな。」

 ギルバートの声は厳しかった。

「…化け物。」小さな声がした。

 人々が隠れている場所から、さざ波のように聞こえてくる。「魔物だ…」「化け物だ…」

 ラナが辺りを見回す。遠巻きにされていた。

「…。」

 ラナの手から『熔水剣(ようすいけん)』が消え、水筒に戻っていた。ギルバートの黒剣も腕輪に戻っている。

「行くぞ。」ギルバートがラナに声をかけた。

 歩き出そうとしたラナに小さな女の子が濡れた路面で転ぶ姿が見えた。

 子供が大きく泣き出した。

「おかあさーん!おかあさーん!」

(親とはぐれた!?)

 ラナが子供に駆け寄った。

「泣かないで。お母さん、すぐ、来るわ。

 もう怖いこと、ないのよ。」

 ラナは地面の水滴を指先につけると、フッと息をかけた。

 指先で水滴がクルクル回る虹の玉になる。

 不思議な光景に子供が泣き止んだ。

 ラナは子供の手を取り、虹玉を乗せた。子供の目が虹玉に釘付けになる。

「触らないで!」

 ラナの前から子供が攫われた。

 母親らしい女が子供を抱きしめてラナから逃げた。

 虹玉が弾け散った。

「あ…。」ラナが立ち尽くす。

「戻れ、ラナ。」ギルバートがラナの背中に呼びかけた。


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