第37話 お茶会
コツコツと階段をあがる音が響いた。
この城に入るのは久方ぶりになる。
先代公爵が亡くなり、妻と死別してからは城を閉じている。
居住は、別棟の館で十分だ。独り者に広い場所はいらない。
この国唯一の公爵家は、王家の次に高位であり、王家の予備でもある。
それゆえ、王城の次に大きな城を与えられ、王都とダーナ河の境で、王都の盾を任されている。
先代公爵の時代には、この城の一角に『銀翼騎士団』を置いていた。
『銀翼騎士団』は、他の騎士団とは違い、国王の直轄騎士団で、退治する敵は主に王国にはびこる魔物である。
魔物に対する耐性、魔物に負けないように作られた武具を使う能力で選抜された騎士たちで構成されていた。人数は多くはないが、他の騎士団の騎士たちよりもはるかに強い。『一騎当千』といわれるが、文字通りの働きをした。
『銀翼』では騎士たちの能力を最大に活かせるために騎士団長との波長が合うことを求められる。それゆえ、代々の騎士団長は、『騎士見習』に籍を置き、自分と波長の合う騎士を探す。
ギルバートも次期公爵として、『騎士見習』に籍を置き、幼馴染のマリーやジェイド、ロシュのほかにも『銀翼』の騎士候補を探していた。
しかし、彼が自分の騎士団員を決める前に父親が没したため、先代の騎士団員と自分の仲間の双方の上に立たなければならなかった。
その不安定な騎士団がファイエ・ノルトの『火竜』と戦うことになり、ギルバートの動揺で騎士団が壊滅に至ってしまった。
ギルバートは、黒の長衣のポケットから真鍮の鍵を取り出した。
鍵穴に差し込み、左右にまわす。
この部屋だけは当主しか入れない場所で、彼の留守を預かる家人らも彼とともでなければ掃除にすら入ることは許されない。
薄暗い室内の入り口に置かれたランタンを持ち上げると上下に軽く振った。
中に白い強い光がともり、室内を照らす。
随分と高い天井まで書棚が設えてある。壁際だけでなく、部屋の中にもいくつもたてられている。棚の中は様々な背表紙が並び、平積みされた冊子もある。
その間を縫って、ある書棚の前に立つとそばの文机にランタンをおいた。
書棚の端にあった梯子を中央まで移動させ、それを昇った。
最上段の黒い太幅の書籍を取り出し、梯子を下りると文机の上に置いた。
黒革で出来た表紙にも背表紙にも書名は書かれていない。
ゆっくり本を開いた。
黄ばんだ羊皮紙にいろいろな姿に描かれた魔物の絵が綴られていた。
順にめくって半分以上すぎたところで、手を止めた。
その場所に描かれていたのは、翼のない竜の姿だった。蛇に似ていると思っていたが、鬣や細かな鱗が描かれ、前足に玉を掴んでいる。
その絵姿に添えられた文章には、『スティフドラク』と標題が書かれ、『銀鱗の水龍、虹の階を昇れり』とある。
この黒本は、代々の公爵が自分の相対した魔物を記したものだった。頁の最後には署名がある。『ギルバート』とあるのは、今の彼ではなく、曾祖父の名である。
(…ここで、眼にしていたのか。)
ギルバートの指が水龍の背を撫でた。愛しい者に触れるように。
開いた場所をそのままに、彼は書棚の一角から長剣を取り出した。
長剣の鞘が白い光に反射して、天井に銀色の影を作っていた。
◇◇◇
ラナは毎朝、公爵邸の庭を走っている。
前にグレン様やシェリー様に言われたように走り込みで身体を鍛えている。どのような姿でも動けるように、『みかわ糸』のドレスに、背中には、『熔水剣』の水筒を背負っている。このくらいの負荷は克服しなければならない。
ラナはもう何度も水魔や魔獣を退治する役目を果たしているが、まだ十六歳の小娘だ。彼女を預かっているジョージズ公爵家のギルバートのほうがもっと強大な魔物を退治している。
だが、彼はラナのように疲労で倒れるようなことはない。彼が倒れるのは河の女神ダーナ・アビス様ゆかりの『水』に触れたときだけだった。だから、『ダーナ・アビスの娘』と呼ばれるラナとは相いれない。なのに、いつも助けてくれる。
(イゼーロでも、ケネスでも。化け物になった私を人に戻してくれた。)
自分が強くなって彼の負担になりたくない、その思いはとても強い。
ギルバートに剣術の相手はしてもらえないが、たまに遊びに来る赤毛のロシュが先生をしてくれる。彼も教え子のフィイが『騎士見習』に行ってから寂しいらしい。
だが、赤毛のロシュが公爵家にくるのは、本当のところ、ギルバートとラナの監視である。ロシュは、ランバート王の『目と耳』の役目を持っている。なので『勇者の末裔の血を流させる』というラナを警戒するのは当然だが、王に忠誠を示しているギルバートがその対象というのは解せない話だ。
ラナがいつものように一通り走り終えて、中庭の噴水に戻ってきた。
この噴水の水は、ダーナ河から引かれている。先代公爵がこの庭に作ったそうだ。エバンズ夫人から教えてもらった。この噴水の水を通して、ダーナ・アビスと話をすることができる。だが、彼女は気まぐれで、呼びかけても返事のないことの方が多い。
少し汗をかいたのを拭うのに手ぬぐいを噴水の水で絞った。首筋にあてると気持ちがいい。水色の髪をふわりとはらうと汗が乾いていく。ケネスで負った傷も痕がわからなくなるほど回復していたが、時々痛みがある。今朝は全身が少し重い。
カサっと芝草を踏む音がした。
「何をしている?」
怪訝そうな声がした。
黒の長衣姿のギルバートが立っていた。
長い黒髪を肩から垂らしている。その左手には銀色のものが握られていた。
「何って…、シェリー様に毎日走るように言われているから。」
水色の髪を揺らしたラナが口を尖らせて答えた。
ギルバートがため息をついた。
「師匠は、走らせるのが好きだからな。」
「お庭を走っちゃいけないの? ちゃんと通路を走っているわよ。」
「…。」
「それより公爵様こそ、こんなに朝早く、何を?」
今度はラナが意地悪そうに突っ込む。
「…少し、探し物があった。」
「?」
ギルバートが左手の長剣を持ち直した。
「それ?」
「…。」
ギルバートがラナに見えるように持ち直した。
「綺麗な剣ですね。鞘に彫り細工も?
公爵様のですか? でも、剣はお持ちでしたよね。」
「私の曾祖父のものだ。」
「…。」
ラナが首を傾げた。
「ひいおじいちゃん?」(いたんだ…)
「剣は代々の当主に継承されるものだが。
剣には相性がある。合わない当主の時は能力を発揮しない。」
ギルバートが長剣を握りなおした。少し力を込めて。
「これには、魔物に反応する能力がある。」
ラナの顔が少しこわばった。
「私には、これがあるから必要ないと思っていたが、」
ギルバートが右手で左手の腕輪を触った。
「だが黒剣では、間に合わない相手もいるようでな。」
「…。」
「黒剣は『火竜』には傷をつける程度にしか役立たなかった。」
「…その剣は、強いのですか?」
「さあ…。」
銀色の長剣がラナの姿を映すと少し震えた感じを受けた。
「役に立つこともあるだろう…」
「銘はあるのですか?」
「『銀月刀』。」
「…。」
ラナは鞘に映る自分から目を背けた。その姿が人ではなかったから。
(私は、化け物だ…)
「…部屋に戻ります。」
「ああ。」
ラナが歩き出そうとしたところにマリアンが顔を出した。
「ラナ様、こちらでしたか。」
「あ、おはよう、マリアン。」
マリアンがギルバートの姿に気づいて頭を下げた。もうすっかり侍女の振る舞いが板についている。行儀見習いのつもりで声をかけたのだが、本人はラナの侍女が楽しいという。
「何だ?」
「はい。
ラナ様、本日、王妃様のお茶会です。ご用意をしていただかないと間に合わなくなります。」
「まだ、朝よ。」
「エバンズ夫人がご準備なさっています。」
ラナが大きなため息で肩を落とした。
「アマリア王妃のお茶会?」ギルバートが呟く。
「…ご遠慮したいです。
でも王妃様のはダメなのでしょう。」
「そうだな、王家のものは断れない。」
「それ以外は、ユージンさんがうまくしてくれるのだけど。」
「…アマリア殿に気に入られているのだな。」
「もれなく、王様もついてくるのですよ!」
「…。
まさか、剣を向けたりしていないだろうな。」
「王妃様がご一緒です。したくてもしません!」
その言葉にギルバートが安堵の顔をした。
「さ、ラナ様。」
にっこり笑ってマリアンがラナを促した。肩を落としてラナが歩き出そうとしたが、マリアンはギルバートにも向き直った。
「旦那様、」
「ん?」
「ユージン様が旦那様をお探しです。」
ギルバートが眉間に皺を寄せた。
「王宮からお使いがおいでになりました。」
「…陛下か。」小声で呟き、嫌な顔をした。
その渋そうな表情を見て、ラナが声をこらえて笑う。
「…わかった。」
ギルバートはラナ達よりも早足で館に戻っていった。
◇◇◇
今日のドレスは、青色のふわりとした襟がついていて、襟元を見えなくしている。もう少し、肌が見えてもよさそうだが、ギルバートが嫌がるので、ラナのドレスは露出が少ない。スカートは、ややふくらみのあるもので、つま先が少し見えるので裾を踏む心配はなさそうだ。
ここのところ王妃様主催のお茶会によく呼ばれるので、エバンズ夫人がドレスを用意してくれる。今日のも貴族の娘らしい絹布の上品な仕立てのものだ。ドレスに似合う化粧もマリアンが流行りを取り入れて綺麗にしてくれる。マリアンにするとラナを着飾れるのが楽しいそうだ。
ラナは、エバンズ夫人がいうように扇で顔を半分隠していれば、麗しい令嬢らしい。見栄えのする支度の費用はギルバートが出してくれているので幾らかかっているのかわからない。毎回、新しいドレスを用意してもらって申し訳ない気がいっぱいで、汚さないようにするのにすごく緊張してしまう。
ラナの姿にギルバートは何も言ってくれないが、他のみんなは喜んでくれるのでよかったのかもしれない。
王城に向かう馬車の中で、ラナはマリアンといっしょに町の景色を嬉々として眺めている。
(…子供だな。)
離れて座っているギルバートは、娘二人に困った顔をしながら、腕組みをした。使いのせいで、公式な呼び出しになっている。騎士服ではなく、コート姿だ。だが、傍らに銀の長剣を置いている。公爵家は、唯一、登城での帯剣を許されている。
クロルの馬車が王城の車寄せでギルバートとラナ、マリアンを下ろした。
「旦那様、行ってらっしゃいませ。」
クロルがギルバートに頭を下げる。その先は、王城の侍従が彼を案内することになる。
次には、ラナのための女官が少し膝を折って迎えた。
「行ってらっしゃいませ、ラナ様。」
クロルがまた頭を下げる。
ラナがそれに微笑む。横に控えているマリアンの腕にはラナの水筒が抱えられていた。ラナの水筒だけは、護衛騎士のかわりに側に置くことを許されている。
ラナとマリアンも女官の後に続いて王城の奥へ進んでいった。
◇◇◇
ランバート王はギルバートの半月ほど後に生まれ、二人は同い年の『またいとこ』である。
ランバートは、父王アルバートとの争いに勝利して、王国の実権を握った。その数年の間に王国は隣国ヴィーデルフェンとの戦争や内乱、フィアールントからの『火鳥』の襲撃で騒然としていたが、彼は父から王位を譲位させ、名実ともに国王に即位した。正式な戴冠式は3年前になる。
以来、政務に多忙を極めている。
ギルバートも『銀翼騎士団』団長だったころは、ランバートの側近としていつもそばにいたが、妻を亡くしてからは距離を置くようになっていた。
亡くなった妻のアデルは、先王アルバートの命令で迎えた女性だった。
公爵家の婚姻は、恋愛ではなく政略であり、家の存続と政治的な理由に大きく左右される。ギルバートだけでなく、彼の父も祖父も皆そうだった。
ギルバート自身もそれを当然のように受け入れていた。
だが、彼は妻を好きになろうと努力したし、彼女のためにできることは惜しまなかった。
しかし、一方的な思いが素直に通じるわけではなく、彼女は実家から呼び寄せた従者の青年とダーナ河で心中した。これほどの醜聞はない。
この国の自死は、埋葬も許されず、街の外に捨て置かれる。貴族の身分であっても例外ではない。妻も従者の青年の遺体も町の外に捨てられた。月のない深夜に荷馬車で公爵邸に運んだのはギルバート自身だった。彼女たちは捨て置かれるほど悪いことはしていない。すべては至らない自分のせいだというのに。
ランバートにもひどくなじられた。
ギルバートは気づきもしなかったが、ランバートとアデルは、本当は恋仲で、父王がその仲を許さず、アデル嬢を無理やりギルバートに嫁がせたのだと言った。
『君だから、諦めた!』ランバートはそう言って激高した。
返す言葉もなく、立ち尽くしたのをまだ覚えている。
結局、ギルバートは心の平穏をなくし、死に場所を求めるように無謀な魔物狩りにのめり込んだ。その挙句、騎士団を失い、自らは『黒い魔物』と化したのだ。
ランバートは、黒くなったギルバートを蔑むように見下ろした。
『お前は、王の下僕だ。おのが罪を背負え。』
それからずっと、ランバートの命令には逆らわない…。
ギルバートは、ランバート王を訪れるとそのまま中庭で打ち合い稽古に付き合わされた。
ランバートも『勇者の末裔』であるから、腕は立つ。たいがいの剣士になら余裕で勝つ。ランバートが全力で向かうことができるのはギルバートだけなのである。だから、時々、相手をするのだが、今日のように公式に呼び出されることはまれだ。
十手ほど打ち合って、ランバート王が木剣を置いた。金髪の襟足から汗が流れる。侍従が差し出す手ぬぐいをとると、首元の汗を拭いた。ギルバートも木剣を置き、ランバートのそばに立った。彼も差し出されたてぬぐいを受け取ったが、ギルバートは汗一つかいていない。
「私が相手だと、君の鍛錬にはならないねぇ。」ランバートが笑った。
「…。」少し頭を下げてギルバートが言葉を待つ。
「座り仕事ばかりで、運動不足なんだ。
どうにも、腹が出てくる。」
ランバートが笑うほど、王の腹部はゆるんでいない。筋肉の割れ目は昔のままだ。
「陛下、退屈しのぎのために私を呼んだのではないでしょう。
ご用件を?」
「せっかちだな、ご婦人がたに嫌われるよ。」
ランバートが茶化したが、ギルバートは動じない。
「…オストロフ辺境領を覚えている?」
「…はい。」
「結局、我々の陣営には来なかった。」
ランバートは侍従が差し出した水のグラスをとった。
「先王時代の執政官が居座ったままで、どちらにも組しなかった。」
「…。」
「『中立』とは言ったものだ。
税も納めず、王国の人間も寄せ付けなかった。親切に出廷を命じてやったのに、なしのつぶてだ。」
「陛下?」
「それが突然、書簡を送ってきた。」
「?」ギルバートが訝し気な顔をする。
「『ダーナ・アビスの姫に拝謁したい』との申し出だ。
私が彼女を囲っていると思っているようだね。」
『囲っている』という言葉にギルバートが嫌な顔をする。
「どうして、ラナ嬢のことが知られたんだろう?」
「…間者がいるのでしょう。こちらから送り込んでいるように向こうからも。」
「そうだね。」
「オストロフは水濠を張り巡らせた中に領都を持ちます。
領都に入るには船で渡らないと。
・・・私では、行けません。」
フフっとランバートが笑った。
「行くのは、ラナ嬢であって、君じゃないんだけどね、ギルバート。」
「あ、」珍しくギルバートが顔を赤くした。
「君も、まあイゼーロまでは行けるだろうね。ダーナ・アビス様も『勇者の末裔』がダーナ河をわたるところまで許したみたいだし。」
「…。」
「私は、自分の王国で力の及ばない場所があるのは嫌だ。オストロフ領も例外ではない。
ラナ嬢を、ダーナクレア辺境伯令嬢を使者に立てる。」
「…。」
「心配しなくても大丈夫だよ。使節団はちゃんと用意するし。」
「…外交や政治の事なぞ、何も知りません。」
「外交の出来るのをつけるよ。」
「しかし…」
「ギルバート、過保護過ぎない?
君に預けたのは監視のためだよ。」
「…ケネスの時のように『変化』したら?
止められるとすれば私だけです。」
「…。
逆らう領都と我らの『変化もの』が差し違えても私は困らないだろう。」
「…。」
ランバートが水を飲み干した。
「君も着替えてよ。このあと、アマリアのお茶会に顔を出す約束をしているから。」
◇◇◇
アマリア王妃のお茶会は、王宮の庭園にたくさんのテーブルが並べられていた。
それぞれにきらびやかな茶菓子が並び、席についている令嬢たちの前には高そうな茶器に紅茶が満たされている。
中央の一番良い席で王妃が順に令嬢たちを呼び、歓談している。
王妃のすぐそばにはラナの席が用意され、ラナは酷く恐縮して座っていた。
女性ばかりなのでダンスの必要が無いのはよかったが、令嬢たちの話題にはついていけない。
それよりも目の前の茶菓子を見ているとケネスの子供たちを思い出してしまう。皆で赤芋のスープを分け合って、甘い菓子ひとつない土地で細々と暮らしている。王都に戻ってからも入り用なものを送っていたが、ラナの力ではたいしたことが出来ない。
小さなため息が出てしまった。
「ふふ、退屈しちゃった?」
アマリア王妃が微笑みながら小声でラナに話しかけた。
「い、いえ、申し訳ありません!」
「いいのよ。そろそろお開きにするのだけど。
陛下に顔を見せてくださいとお願いしたのに、まだ、おいでにならないわね。」
アマリアも苦笑を浮かべる。
急に参加者たちがそわそわし始めた。
庭園の入り口にランバート王が姿を見せていた。柔和な笑顔を浮かべている。その後ろに控えているのが、黒のコート姿のギルバートだ。腰には銀剣が下げられている。騎士服ではないので、少しばかり剣が浮いている。
『近衛』騎士より王の護衛らしく見える。
その姿を見つけてラナがほっとした顔をした。
ギルバートは警戒するように参加者を見渡したが、ラナを見つけると視線を外した。
ランバートが笑顔を振りまきながら、ギルバートに耳打ちした。
「今日もまた一段と綺麗どころだ。
気に入った娘がいればアマリアに言って。
席を設けてあげるから。」
「不要です。」
間髪入れずに答えたギルバートの眉間に皺が寄る。
「…中には、私の側室候補もいるようだね。」
「陛下?」
「『勇者の末裔』を絶やすわけにいかないだろ。
本気で側室を持たせる気らしい。」
「…。」
「私に似合いそうな娘はいる?」
「…。」
ランバート王がアマリア王妃の隣に着席した。その前に紅茶が置かれる。
ギルバートは、彼らの後ろに立った。
「ラナ嬢も楽しんでいる?」
「は、はい、陛下。」
ラナが慌てて返事をした。本当は少し前からお腹に痛みがある。ここは怪我もないはずなのに。
「なんだか借りてきた猫みたいだね、ラナ。
おとなしいのは似合わない気がするけど。」
ランバート王が微笑った。
「陛下、今日は魔物退治ではないのですわ。」
アマリア王妃がチクリという。
「ギルバートとのお話は終わりましたの?」
「…十手打ち合って、一本も取れなかった。」
「まぁ。」アマリアが笑う。
ラナがギルバートを見た。彼は知らん顔を決め込んでいる。
この場から、連れ出してほしいのにその気はないようだ。
「ラナ?」
アマリアがラナの顔を覗きこんだ。
「は、はい。」
慌てて返事をする。
「公爵、」
アマリアはギルバートを呼んだ。ギルバートが静かにアマリア王妃に近づく。
「ラナが疲れたみたい。もう席をはずしていいわ。」
ギルバートがラナの顔を見た。確かに少し顔色が悪い。
「お言葉に甘えさせていただきます。」ギルバートが答えた。
ラナがほっとした顔をしてギルバートを見上げた。手を借りて立ち上がるところだが、それができないのでゆっくりと自分で立ち上がる。
「…馬車まで我慢してくれ。」
小さくうなずいてラナは隅に控えるマリアンを探した。水筒を抱えたマリアンがそれに気づくと足早にラナのもとに来た。
「ラナ様?」
「…水筒を、」
ラナがマリアンから水筒を受け取るとそれを抱きしめた。少し楽になる。
ラナはマリアンが付き添って庭園を後にしたが、馬車に戻る途中もだんだん具合が悪くなっていく。ギルバートも一緒に歩いてくれたが、手を貸すことができない。
やっと馬車まで戻って、マリアンに乗せてもらった。
クロルも心配そうにしている。
「これを。」
ギルバートが上着を脱ぐとマリアンに手渡した。
「肩にかけてやりなさい。少しは温かくいられるだろう。」
マリアンがギルバートの上着でラナを包んだ。
「クロル、屋敷へ帰れ。」
ギルバートが馬車の扉を閉めた。
「旦那様?」
「私は所用がある。」
「お、お送りいたします!」
「不要だ。」
「でも、」
「ラナ達を頼む。」
「承知いたしました。」
クロルが馭者台に上がって馬車を走らせた。
彼らを見送ったギルバートが自分の影に声をかけた。
「アマク、道を開け。」ギルバートの影が灰色に広がった。




