第34話 死人原(2)
落ちていく身体を、左手を、ギルバートが掴んでくれたのに溶けてなくなってしまった。
(ついてない…)
マーリエの黒い水の中に落ちていきながら、ラナはそんなことを考えていた。
どんなに心配してくれても彼が私を助けることはできない。
(本当についてない…)
身体は黒いマーリエに抱えられているのに不思議と恐怖はない。
黒水の中だと思ったが、途中で水の中から出て、静かな空気の中を落ちていく。
そこは柔らかな朝日のような光の中だった。
光の中では、いくつもの景色が浮かんでいた。
景色の中には、透き通った淡い青い髪に優しい微笑みを浮かべているマーリエの姿。
ダーナに似ていて、シーラにも似ている。
マーリエの周りには、笑顔の子供たち。川辺で水遊びしている子供たちを護っている彼女がいる。
掲げた手から虹が広がり、緑の畑に雨を降らせている。
恵みの雨。
『穀雨のころの思い出。』
マーリエが言った。
『ここには思い出がいっぱい沈んでいるの。』
「あの、」
『貴女の身体が欲しい。』
「え?」
『川の守り人に戻る。』
マーリエの思い出は続く。
彼女自身が川面から青年騎士を見上げて笑顔でいる。
でもマーリエは少し離れたところから彼を見ているだけだ。
青年騎士はギルバートの姿に似ている気がした。
ラナは頭上を見上げた。黒い天井が遠くなる。
(もう、戻れないんだろうか…)
ふっと息が抜けたところで、今度は水に落ち込んだ。
全身を押さえつける水に抗えず、口から胸の空気が泡となって吐き出された。
マーリエは、気を失ったラナの身体を自分の黒くなった身体に包み込んだ。
ラナの口や鼻だけでなく、外から入り込める場所の総てに黒く染まったマーリエが絡まる。
『ダメよ。』
ラナの口元が動いた。
『離れなさい、マーリエ。私の娘。』
『ダーナ!?』
マーリエがラナから身体を離した。
『やっと、来た。』ラナの姿のダーナ・アビスは微笑んだ。
『遅くなって悪かったわ。河が分断されたのは理由にならないわね。』
ラナの身体が浮き始めた。
ゆっくりと水面へ浮かび、顔を出した。
ラナが半身を起こした。
『ダーナ…』
マーリエがラナの正面にまわった。
二人は地下の河の水面に向かい合わせに座り込んでいた。
地下の河には流れがない。湖のように静かだった。
『あの時、『火竜』が川の流れを焼き切ったの。
貴女を助けるためにこちらに向かったのだけど、辿り着けなかった。
今も私だけではここには来られなかったのよ。
だから、セイレンの娘の身体を借りてきたの。』
『私を… 火鳥に唆された私を怒っていると思っていたわ。』
『貴女だけじゃないのよ。
セイレンやシーラは人間に入れ込むし、アーデンは魔物だった。
皆、姿を無くしてしまったけど。』
ラナの右手がマーリエに触れた。
『貴女はまだ姿があるわ。』
ラナの手がマーリエの頬を撫でた。
触れた場所からマーリエの顔が透き通り、黒が抜けていく。
マーリエがラナの両手を握った。
『ダーナ、この娘、左手が無いわ!』
『リュートの入れ物は、いつもこの娘を壊すのよ。
マーリエ、左手を治してあげて。』
マーリエがラナの左手の部分に口づけした。
少しずつ水泡が大きくなり、指が現れ手のひらが開き、ラナの左手が戻ってきた。
ラナの両手がマーリエの髪をなでる。上から下へ撫でると黒い塊が落ちていく。透き通った淡い青の髪が長く、マーリエを囲んだ。
『私、皆をたくさん死なせてしまった。』
マーリエが許しを請うようにラナを見上げた。
『この黒いのは、皆の無念なの。
私は、行き場のない彼らの心を受け入れないといけないの。
無念の色はとても黒くてどこにも行けないの。
だから、彼らといると決めたの。』
『それが間違いなのよ。
リュート・ガインは彼らを生まれる前に連れていくはずだったのよ。
彼らを留めたばかりに貴女は黒い水になってしまった。』
『ダーナ、元に戻りたい…』
『わかっているわ。』
ラナの姿のダーナ・アビスは、マーリエの身体を抱きしめた。
◇◇◇
アマクは、ギルバートの袖を離さなかった。
「アマク!」
ギルバートが叱責する。
「ラナが井戸に飲み込まれた!
助けにいかないと!」
「井戸の底は『水』でございます。
ダーナ・アビス様のご領域です。
貴方様の行けない所でございます。」
ギルバートが唇を噛み締める。
「貴方様は、火鳥を落とさねばなりません。」
「わかっている!」
アマクの言葉に答えたギルバートが頭を振った。
「冥主は…、わかっているのか?」
「ギルバート様にすべてお任せすると申しておられました。
それゆえ、私が出ることをお許し下さいました。」
アマクがギルバートから手を離し、彼の前に跪き頭を下げた。
「小さな火鳥が領都に飛んでいった。
本鳥が近くにいるはずだ。」
ギルバートが姿勢を正して言った。
彼の左手には黒剣が握られている。
大きく息を吸い、黒剣を宙に掲げた。
黒剣を深紅の線が縁どる。その深紅が伸びて青い空に突き刺さる。
空が割れ、青い断片と茶色の羽根が降り注いできた。
かけらの一遍がギルバートの黒髪を傷つける。
ラナのくれた『みかわ糸』の髪紐が切れて赤土の上に落ちた。
「アマク、肩を貸せ!」
アマクはギルバートの声にこたえて、片膝をついて背中を向けた。
ギルバートは助走をつけて、アマクの背中を駆け上がり、肩から宙に飛びあがった。
長い黒髪をたなびかせながら、降り注ぐ空のかけらを足場に火鳥に迫る。
両翼の内側に火種を有した大鳥の背中まで達すると今度は黒剣を下に向け、鳥の頭に突き立てた。
大鳥が暴れ、撒き散らす火の粉がギルバートにも降り注ぐ。
『みかわ糸』のマントが防いでくれているが、それでもいくつかは顔や首にあたり、火傷になる。
歯を食いしばり、黒剣を握りしめ、振り落とされないようにしているが、大鳥は大きく動く。だが、その胴体は徐々に落ちて行った。
ギルバートは再び、黒剣を力いっぱい押し下げた。
大鳥の頭が串刺しとなり、絶命の声を上げた。
◇◇◇
ケネス伯爵夫人ジーナは、うつろな目をラスに向けたまま、彼から離れることはなかった。
ケネス伯カイデルは、妻とラスを自分の執務室に連れてきていた。
「…どういうことだ、カイデル。」
ラスは俯いたまま言った。少し、カイデルを責める感じがある。
「ジーナ様を連れて逃げろと言ったはずだ。」
「…ジーナ様は、身ごもっておられました。」
「…兄上のお子だ。」
「…ジーナ様はダグラス様のお子だとおっしゃいました。」
「そんなはずはない!」
ラスは声を荒げた。
「それに、お前と婚姻を結んだのだろう。」
「そうせねば、ジーナ様もお子も守れませんでした。」
カイデルは俯いたままそう言った。
「娘がいる。ジーナを自分のものにしたのだな。」
ラスの言葉に侮蔑が混じる。
「お前がジーナに恋慕の情を持っていたことは知っている。
だから、彼女を王家から守ってくれると思っていた。」
「浅はかだった…な。」
「ダグラス様、エラは人売りから買った子供です。
ジーナ様のお世話をさせるために。
ジーナ様が私を受け入れることはありません!」
ラスはカイデルを見た。
カイデルは、兄の先代侯爵と自分の従者を務めていた。
出自は、自分たちの叔父の庶子だと聞いていた。
平民出の母親が亡くなって、叔父のもとに引き取られたが、居場所がなく、侯爵家の使用人になっていた。
いつも顔を伏せて言いつけを守る男だった。
曲がりなりにも血縁者ということで、少しは信用していたところもある。
だから、先の謀反の時は、わざと『使用人』と言い張り、二線傷を負わなくて済むようにした。
兄の先代侯爵の愛妾になっていたジーナを託したのも彼が身内だと思ったからだった。
なのに、叔父のローレンス伯爵家の血筋だと名乗りを上げ、この旧バルタル領に戻ってきた。
「お前は何が望みだ。」
ラスの言葉遣いがぞんざいになる。
「ジーナ様は、アレクス様をお産みになってから、ダグラス様のもとに帰りたいとおっしゃるばかりでした。
私はかなえて差し上げたいと、それだけです。」
ジーナ夫人は二人のやり取りを理解しているかわからない顔でラスにしがみついていた。
ラスは、そんなジーナの手を離した。
そのままそっと彼女を椅子に座らせる。手荒なことはしていない。
気遣った優しい扱いだ。
「先々代の侯爵様のおっしゃったとおり、貴方様がお家を継げばよかったのです。」
「まだ言うか!」
ラスの上げた大きな声にジーナが身体をピクリと動かした。
ジーナの唇が震え、身体も大きく揺れた。
「ジーナ様、」
素早く駆け寄ったのはカイデルだった。
彼女の手を取り、さすって落ち着かせる。慣れている風に見えた。
「大きな声はお控えください。
脅えてしまわれます。」
「…。」
「貴方様への思いが強くて、心を壊されています。
お子にも私にも、関心をお持ちになりません。」
「カイデル…」
「具合が悪くなるといつもこうしています。」
カイデルが手をさすっているうちにジーナが落ちつきを取り戻していた。
「慣れたものだな。」
「…私は、皆様の従者です。」カイデルが小声で言った。
「…。」
扉が叩かれた。
「伯爵様! ブレアです! よろしいですか!」
カイデルがジーナから離れ、扉を開けた。
「失礼いたします!
大変です、領都の街が火事です!
『王立』のブルーノ士長が消火の指揮を執っていますが、お屋敷にも飛び火するかもしれません。
安全な所に避難をと。」
「わかりました。
どこへ避難を?」逆にカイデルが尋ねる。
「物見の塔の石造りの建物だ。」
答えたのはラスだった。
「え? ラス?」
ブレアが部屋の中のラスに驚いた。
二線傷の彼が伯爵夫妻と一緒にいるなんておかしい。
「薬師様、伯爵様と奥様を物見の塔へ。
街中の火事は? 街の者は?」
ラスが尋ねた。
「街の人達も、このお屋敷に避難しています。
その人たちも物見の塔へ?」
「ええ、案内してください。」カイデルが答えた。
「わかりました。
伯爵様、奥様は? 動けますか? 」
「薬師様、妻をお願いできますか。
私はこの者と火事の現場に向かいます。」
◇◇◇
街中と外を隔てる石壁を飛び越えて小さい火鳥がやってきた。
ただでさえ造りの易い家の屋根にとまり、炎を上げる。
子供と老人が多い街では手が足りず、火災の初期消火もままならない。
『王立』の隊士も火鳥のあとを追いかけるように土をかけ、消火に当たっている。
出立を逃したグレンはその槍で火鳥を落とし、侵入の数を減らしていた。
イ・ルも額の汗をぬぐいながら石壁に上がって、火鳥を叩き落とした。
(お嬢と黒いのはどこ行った!?
キリがねぇ!)
イ・ルの剣が火鳥を真っ二つに斬った。
火鳥は赤土の上に落ちて燃え尽き、黒い灰が広がる。
(あ、数が減った?)
最初の襲撃より、火鳥の数が減ってきていた。
イ・ルは、石壁の上で背伸びをして、外を見渡した。
黒水の出た井戸のあたりで、ひと際大きな炎が上がっていた。
その炎で長く黒い人影が写し出されていた。
(え? 黒いの? 『公爵』!?)
イ・ルは安堵の息をついたが、影から空を見上げて身体が動かなくなった。
火鳥よりもはるかに大きな翼を持ち、深紅の巨大な身体に、たくさんの歯牙をのぞかせた大きな口が見えた。
身体の表面は、酷く硬そうな鱗がびっしりと並んでいる。
深紅の鱗!
(あれは…?)
巨大な影が炎の上を旋回していた。
翼が起こした風で、赤土が巻き上がる。
イ・ルは、その風にあおられて石壁から落とされた。
◇◇◇
「まさか、『火竜』…」
「『ファイエ・ノルト神』…」
頭上の影にギルバートとアマクがそれぞれに呟いた。
『ダーナの結界は破られていない。どこかに通り道を作ったのかもしれない。』
そう言ったのは、ギルバートの黒の腕輪だった。
今は剣の姿から腕輪に戻っている。
「冥主?」
『赤土の下は、水がない。ダーナでも手が出せない。そこだな。』
「赤土の下… 井戸の底?
ラナがマーリエに井戸の中に連れ込まれた!」
『ラナが?
ダーナも考えたものだな。』
「どういうことだ?」
『ラナの身体を使って、赤土の下に入ったのだ。
マーリエを取り戻すためだろう。』
「!」
『アマク、お前の灰で井戸の口を塞げ。
『火竜』の退路を断て。』
「御意。」
『さて、『火竜』との決着をつけに行こうか、ギルバート。』
いつも冷静な腕輪の言葉がどこか高揚していた。
◇◇◇
赤土の下の河面が揺れた。
『火鳥は、リュートが落とせると思ったけど。
この騒ぎは?』
ラナの姿のダーナが上を向いた。
黒の天井の先に赤いものが見える。
『どうして『火竜』が…』
『…私が黒い水の流れを作ったから。』
マーリエが力なくいった。
『彼に会えると言われて。
フィアールントの山まで地下水路を作ってしまった。』
『…なぜ、私の娘たちは考え無しなのかしら。』
ラナの姿のダーナがため息をついた。
『『火竜』をどうにかできるとは思わないけど、追い払うことぐらいしなければ。』
『ダーナ…』
『だって、ここは私の『聖域』なんだから!』
ラナが明るく笑顔を見せた。だが、中身はダーナだ。
『マーリエ、私はラナに身体を返すわ。
この娘でないと宙を跳べないのよ。
貴女は、この娘を空に飛ばせてやって。』
すっかり水色の娘に戻ったマーリエが頷いた。
同時にラナの身体が崩れ落ちた。マーリエが受け止める。
『行きましょう、ラナ。
貴女の場所へ。』
マーリエがラナを抱えて水面を蹴り上げた。
水の細い柱が二人を黒い天井から外の空の青に押し上げていった。
『行って! ラナ!』
黒水の噴き出した井戸からは、透き通った水柱が上がった。
水柱は空にあたり雨となって地表に落ちた。
それは領都の火事を包み込み、少しずつ消していく。
(雨? 助かった?)
イ・ルは、顔にかかる雨粒にほっと一息ついた。
(こんな雨、ここにきてから初めてだ。)
石壁から落とされて、今は外の赤土の上にいた。
その先に黒い姿が見えた。
雨に濡れ、俯いて膝をついている。
「ギル!
じゃなかった、『公爵』様!」
駆け寄るとギルバートは頬に爛れた傷をいくつも作っている。
「公爵様、」イ・ルが声をかける。
ギルバートは肩で息をしている。苦しそうだ。
彼は自分のマントを手繰り寄せているが、上手く扱えないらしい。
「どうしたらいいですか?」イ・ルが訊ねた。
「…頭にかけてくれ。雨を、避けたい。」
イ・ルがマントをギルバートの頭からかけた。
雨が顔にあたらなくなって、ギルバートの表情が和らぐ。
「…え、えーっと?」
「街の、火事は?」
「この雨でだいぶ消えたと思う。」
イ・ルがあたりを見回す。
「火鳥がいなくなった…」彼が呟いた。
ギルバートの息が整ってきた。
「それより、閣下は大丈夫ですか!」
「…もう大丈夫だ。
ラナはどこにいる?」
「え、お嬢…?
見当たりません!」
「この雨は彼女だと思ったが。」
「それより、空に何か、います!」
ギルバートが空を見上げた。深紅の鱗が翼を羽ばたかせている。
「『火竜』だ…」
「?」
「ファイエ・ノルトの『火竜』だ…」
ギルバートが立ち上がった。マントのフードが背中に落ちる。
雨はおさまってきたが、雨粒が当たると湯気を上げて、皮膚を焼いている。
(雨で火傷なんて!)
イ・ルも困惑しながら立ち上がった。
『火竜』は彼らの頭上で旋回しているだけで、街へは向かっていない。
(なぜだ?)ギルバートが凝視する。
「他にもいる!」
イ・ルが『火竜』の隣の空を指さす。
深紅の鱗の他に銀に輝く鱗が見える。
ダーナ河で見た水魔の蛇身のような形だが、それよりもずっと銀色だ。
頭や首は『火竜』に似ているが、その姿には翼が無い。
代わりに稲妻のような二本の角を持ち、青の鬣が流れ、その先は天にたなびいていた。
(美しい…)
ギルバートは息を飲んで、魅入ってしまった。
それは己の身体の銀鱗をまき散らすかのようにうねり、地上からまっすぐ『火竜』に向かった。
◇◇◇
(なぜ、地面が見えるの?)
ラナは不思議そうに目をみはった。
(私、井戸に落ちたはずなのに。)
地面の赤土がだんだんと遠くになっていく。
身体は引っ張られるように上に向かっている。
下に見える井戸の口には、淡い青色の髪に包まれたマーリエの姿。
『ラナ!』
ダーナの声がした。
『『火竜』を止めなさい!』
「えっ?」
顔を上にあげた。
目の前に深紅のトカゲのような顔があった。硬そうな鱗がびっしり並び、その先からは小さな炎が上がっている。
(初めて見た…
熱い…)
『ラナ!
『火竜』に巻き付いて火を消しなさい。
そうすれば、奴は飛べない!』
「巻き付くって、あんなに大きいのよ!」
『お前も負けないくらい、大きいのよ。』
ラナは自分の両手を見た。
左手はさっき、ギルバートに溶かされたはずだ。
自分が見た両手は、硬そうな細い骨ばったものだった。肉はなく、鋭い爪が長く伸びている。親指っぽいものを含めて、指が四本しかない。
(何!?)
足元を見ると、足も手と同様、枝のような四本指が胴体から飛び出ているように見えた。
(!?)
首を左右に振ってみたが、見えるのは銀色に光る鱗だ。
(な、なんで!)
頭がぐるぐると困惑している。
身体を見回し、地面を空を見回す。
(人の姿じゃない!)
泣きそうになる。
(本当に化け物になった。
どうしよう!)
ギルバートは角の間にラナの水筒を見つけていた。
(『熔水剣』!
まさか、この姿、ラナ、なのか!)
酷く恐ろしい確信を抱いて、昇っていくそれを見ていた。
「ラナ!」ギルバートが叫んでいた。
(あ、あの声!)
「ラナ! ラナなのか!」
地上に見えたのは、ギルバートの姿だった。
長い黒髪を乱している。
空を見上げている顔はとても心配している。
(助けて! ギルバート様!)
ラナの声は半泣きだが、言葉にならない。
(助けて!)
銀鱗の姿が宙でうねりまくる。
『何をしている!』
ギルバートは誰かに叱責された。
初めて耳にする男の声。心当たりはない。
『ラナを止めよ!
このままでは、『火竜』と相討ちになる!』
「誰だ!?」
ラナの角にある『熔水剣』が輝いた。
『これの背に乗れ!
頭上でラナの名を呼ぶのだ!
『龍』の姿を解いてくれ!』
「あ、」
ギルバートは『龍』と呼ばれたものへ走り出していた。
ギルバートはマントを脱ぎ捨てて、大きく跳び上がって『龍』の背に乗った。
『龍』の身体は遥かに大きく、うねる身体から振り落とされないように銀鱗にしがみついた。
長い黒髪が風にあおられて、視界を悪くする。
それでも『龍』の鱗を伝いながら、頭へと進む。
『力を貸せ。』そう言って輝いたのは、『熔水剣』の水筒だった。
ギルバートが『熔水剣』のそばにたどり着いた。
「彼女の名を呼ぶのか!?」
『そうだ、『人間』であることを思い出させてほしい。
このままでは『龍』の変化から戻れなくなる。』
「貴方が側にいるのに呼べないのか。
『熔水剣』…貴方は彼女の『父』ではないのか!」
『熔水剣』が沈黙した。
『娘と話したことはない。
だから、『父』の声を知らぬのだ。』
「…。」
『あの娘の名を呼んでくれ。
お前の声なら覚えているはずだ。』
「…人に戻らなかったら?」
『私で『龍』の首を断ち切れ。
銀鱗を斬ることはできない。
だが、顎の下のただ一枚、他の鱗と違う形のものを貫き、挽けば首を落とせる。』
「馬鹿な!」
『急げ! 』
ギルバートは『龍』の顔にしがみつく。
「ラナ、戻ってこい!」
(ギルバート様!)
「ラナ、私の声が聞こえるか!
落ち着け、『人』であることを思い出せ!」
『龍』が激しく動く。
『ラナ!
早く、『火竜』の火を消して!』
ダーナの声が響いた。
「ダーナ・アビス様?」
『なぜ、お前がいる!?』
「ラナを止めに来た!」
『いらぬことを!』
「ダーナ様!」
『この姿でないと『火竜』を落とせないのよ!』
「ラナをどうするつもりです!?」
『所詮、私の手駒なのよ!』
「ダーナ!」
叫んだギルバートの頬をかすめて、一本の矢が『龍』の身体に突き刺さった。




