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第32話 イ・ル

 つるはしや鍬で土を砕き、桶に土を入れて、滑車で持ち上げる。

 掘り出した土は地面に撒き、畑にする。畑でとれるのは専ら赤芋だ。

 男たちが何人もかかって、同じことを繰り返す。

 毎日だ。

 毎日毎日、何か月も何年もだ。

 嫌気がさして、黙って逃げ出す者もいる。

 だが、顔の二線傷がある限り、自分たちの責めから逃れられない。

 ラスは、自分の背丈より深くなった穴の底でつるはしを振り下ろした。

 中はうす暗く、底に行くにつれて穴の幅が狭くなり、一人か二人がやっと動けるぐらいしかない。周りは土が崩れないように石が積まれ、梯子が下ろされている。

 つるはしの先にさっきより、柔らかい感触がした。

 赤土の色が少し黒くなった。

 ラスは周りから崩れてきた土を桶に入れると桶の綱を引っ張った。

 桶が持ち上げられ、代わりの空になったのが下りてくる。

(だいぶ、掘った。

 運が良ければ、滲んでくる頃合いだ。)

 ラスは、額の汗を拭って、つるはしを振り下ろした。


 ◇◇◇


 ブルーノ士長は、カイデル・ケネス伯の執務室で手書きの地図を広げていた。

 地図を囲んで、カイデルとアビ、ライリーがいる。

 領都周辺のさく井の場所に印が振られ、枯れたところ、出なかったところにはバツ印がつけられている。

 さく井数は百を超えるが、残っているのは二十にも満たない。

 うち、安定して湧水している井戸はもっと少ない。

「この安定している井戸を中心に灌漑農業をおこせないかということです。」

 ブルーノはそういうとカイデルの顔をうかがった。

 カイデルは口を結んで考え込んでいる。

 彼は『王立』の部下たちにも「貧相なお貴族様」と陰口をたたかれている。

 確かに見栄えのいい人物ではないが、中身はとてもまじめだ。

「土地の勾配は領都の方から、なだらかに下っている。

 上部にため池を作り、順次、下に落としていけば計画的な配水が可能だと思う。」

 ライリーが腕組みをして言う。

「循環は無理か。」アビが呟く。

「高低差があるし、噴水で持ち上げるには水圧が足りないな。順に落として言って、最後は地中に染み込ませる。

 出来れば、地面の下で水溜りができて、それをくみ上げられればな。」

「難しいな。」

「それにしても、水量が少なすぎる。もう少し、水が出れば、だな。」

「頑張って井戸を掘らせているが。

 進捗は思わしくない。何せ、人手が少ない。」

「王都に人手を増やすよう連絡しますか?」

 ブルーノが伺いを立てる。

「わかりました。

 私が書簡をしたためますので、王都へ送ってください。」

 カイデルがブルーノに答えた。

「ところで、あの姫様はいかがでしょうか?

 何かご不自由されていませんか。」

 カイデルがブルーノに訊ねた。

「姫って?」ライリーが不思議そうに聞き返した。

「ラナ様ですか。

 だいぶ、苦戦しているようです。ここは水脈の影すら見えませんから。」

「あの、いつも子供と一緒、の女騎士か?」

「騎士ではないのですが。

 国王陛下じきじきに遣わされた御方です。」

「何者だ、ありゃ?」

「ダーナクレア辺境伯爵令嬢です。」

「!?」アビとライリーがあんぐりとする。

「姫様には、見えんな。」

 ブルーノが苦笑を浮かべる。

「あのご令嬢と王都で水魔退治をご一緒したことがあります。」

「あの小娘が? 

 魔物退治は『公爵』様の仕事じゃなかったか?」

 アビが訝しげに言う。

「水を操るという不思議な力をお持ちのお嬢様です。

『ダーナ・アビス様の姫』と呼ばれることもあるそうです。」

 ブルーノが真面目な顔で言った。

「あのお方でも、水脈を見つけられないとすると・・・」

「あー!」

 アビが大声を上げた。

「イゼーロの湖!」

「ん?」

「去年、イゼーロ領の湖沼群がでっかい湖になっただろう?

 名前が『ラーナ湖』! 

 どこぞの娘のおかげで出来たって噂があった。

 そいつか!」

「・・・おかげで、うちの弟子が測量に行かされたっけ。」

 ライリーがため息をついた。

「ここに湖でも作る気か、王様は。」

「出来たら、いいけどなぁ。」アビが笑った。


 ◇◇◇


 エラは、館の中を探し回っていた。

 母親のジーナが見つからない。

 あれだけお父さんから目を離すなと言われていたのに。

 でも、エラもまだ六歳にもなっていない。

 なのに、大人のご婦人から離れるなというほうが難しい。

 大人から見れば大邸宅というほどではないが、エラには広すぎる。

(おかあさん、どこ!)

 エラは館から外に出ようとして何かにぶつかった。

 その勢いで転んでしまう。

「おや、エラお嬢さん?」

 膝の後ろにぶつかってきた子供をイ・ルが見下ろした。

 屈んで子供を立たせてやる。

「ちゃんと前を見て、気をつけないと。」

「おかしのおじちゃん、おかあさん、いませんか?」

「え?」

「おかあさん、おへやにいないの。」

(伯爵夫人様?)

「おかあさん、びょうきだから、エラがみていないといけないのに。」

 子供が涙顔になっていく。

「わかりましたよ、一緒に探しましょうか。」

「ありがとう…。」

 イ・ルは手にしていた赤芋の籠を台所の床に置いた。

 エラの手を引いて、館の外に出る。

「さて、どう探したものか。

 心当たりあるかな?」

「おかあさん、『ダグラス』をさがしているの。」

「『ダグラス』って… 人?」

 イ・ルが考え込む。

(護衛隊も『王立』も、そんな名前の奴、いないな。伯爵様も違う。

 あの黒いのもそんな名前じゃなかったな。)

「おかあさん、おそとにでたとおもう。」

「ん?」

「おそとにでるとおとうさんがおこる。」

 エラの手をひいてイ・ルは裏の門から街へ出た。

 屋敷の周りで伯爵夫人を探した。

 少しずつ街中に入ったが、相変わらず人の気配がない。

「あら、イ・ル。

 どうしたの?」

 声をかけてきたのは薬箱を抱えたブレアだった。

 薬師の彼女は、伯爵家だけでなく領都の民の診察も行っている。

「伯爵夫人様を見かけませんでしたか?

 お部屋にいないそうなんです。」

「んー。」

 ブレアが考え込む。

「見慣れないって言ったら、ベールを巻いた女の人を街の外門で見たわ。

 外門出ると井戸掘りやってる場所よね。」

 エラがイ・ルの上着を引っ張った。

「おかあさん…」

「…いってみようか。」

 イ・ルはエラを抱き上げると外門に向かった。

「外門」と呼んでいるが、赤土ぼこりを避けるために作られた石壁の通り門のことである。

 日中は開け放たれ、深夜に閉められる。夜盗や獣を街中に入れないためでもある。

 街中にもいくつかの井戸と王国から届けられる水の貯水池があるが、畑にまで使えるほどではない。

 耕作のために石塀の外でも井戸が掘られている。

「おかあさんの姿、見える?」

 エラが少し身を乗り出すように遠くを見た。

 そして、指をさす。

「おかあさん!」

 イ・ルがそちらの方に早足で向かう。

 細身の女性の後ろ姿が見えた。

 濃い赤茶のドレスに白っぽいベールをかぶっている。

 エラがイ・ルの腕から飛び降りるとその女性へ駆け出した。

「おかあさん、おかあさん、ごめんなさい!

 ひとりにしてごめんなさい!」

 エラが婦人に抱きついた。

 伯爵夫人はぼーっとした表情で子供を見下ろしていた。

(なんだか、へんな母子だな…)

 イ・ルは違和感をもちながら、二人のところに近づいた。

「奥方様?

 お加減、悪いのですか?」

 そっと尋ねてみる。

 伯爵夫人が顔を上げてイ・ルをみた。

 不思議そうな顔をする。

 南部出身で褐色肌のイ・ルは物珍しそうな風にみられることが多い。

 いつもと同じ視線だが…。

 伯爵夫人がエラを離すとまっすぐイ・ルへ向かってきた。

 被っていたベールが落ちると金髪に近い赤毛が陽に輝いた。

 彼女は細い腕を伸ばし、イ・ルの首に抱きつく。

「お、奥方様!?」

 慌ててイ・ルが離そうとするが、伯爵夫人は彼の懐に顔をつけた。

「お、おやめください!」

「帰ってきました、ダグラス様。

 お約束を守りました。」

 伯爵夫人はそういうとイ・ルの腕の中に崩れ落ちた。

「え!?」

 イ・ルが彼女を受け止め、膝をついた。

「おかあさん…」

 エラが小声で呼びかけたが、伯爵夫人は意識を失っていた。

 イ・ルが何度か彼女の身体をゆする。

「奥方様、大丈夫ですか! 目を開けてください!

 エラお嬢様! 誰か、大人を呼んできてください!」

 エラが頷く。

「お母様を館に運びましょう。馬車でもあればいいんだが。」

 エラが周りを見渡し、人影の見えた方に走り出した。

 イ・ルが伯爵夫人を運ぶために抱き直した。

 瞼を閉じだ顔は、少し苦しそうだ。でも…。

(すっげぇ、美人。とても、ケネス伯爵様と釣り合うと思えねぇ…)

 イ・ルがすこし焦ってしまう。

「おじちゃん!」

 エラの声にイ・ルがそちらを見た。荷馬車が彼らの前に止まった。

 顔に二線傷のある男が下りてきた。ラスと呼ばれている男だ。

 彼はエラを馬車からおろした。

「伯爵様のお嬢様に呼ばれてきた。

 馬車はこれしかない。」

 ラスの物言いはぶっきらぼうだ。

「伯爵の奥方様が倒れられた。意識がない。すぐに館へ運んでほしい。」

 ラスがイ・ルの抱いている伯爵夫人を見た。一瞬、動きが止まった。

「ラス?」

「…後ろに乗ってください。

 お嬢様もです。」

 ラスは、イ・ルが夫人を乗せるのを手伝い、エラも彼らのそばに乗せると馬車を走らせた。


 ◇◇◇


 カイデル・ケネスは、ブレアの手当てが終わるのをそばで待っていた。

 妻のジーナはもう長い間、心を病んでいる。

 彼はその理由を知っているし、だから、そばにいたいとも思っていた。

 仕事もあるからずっとはいられない。子供たちが母親のそばにいて、いつも注意をしてくれているのだが、小さな子供には酷な役割だ。

 今日は、息子のアレクスは『王立』のブルーノ士長とライリーと一緒に水路を作る場所を見に行っている。

 小さなエラが母親のそばにいたが、少しよそ見をしていた間にジーナが出て行ったのだった。

 エラは部屋の外にいる。

「奥方様は、少しお疲れになったのでしょう。日中は日差しも強いですからね。」

「ありがとうございます。」

 カイデルからの礼にブレアが意外な顔をした。

 貴族というものは自分より身分の低いものに礼など言わないものだろう。

 ブレアも平民出身だ。

「薬湯を処方しておきますから、使用人の方に渡しておきます。」

 カイデルが妻の枕元に座った。

「奥方様は、いつからこのように?」

「…アレクスが生まれたころぐらいから。」

「…長いですね。」

「ええ。」

 ブレアは頭を下げると部屋を出た。

 出てきた音でエラが不安げな顔を上げた。

 ブレアがその頬を撫でる。

「おかあさん、ちょっと疲れただけよ。

 ひと眠りしたら、元気になるから。」

 エラが頷いた。

「おとうさん、おこってた?」

「いいえ。」

 エラがほっとした顔をする。

「…小さいのに偉いわね。」

「ううん。

 おしごとだから。

 わたし、おとうさんにどうか5まいでかってもらったの。

 おかあさんのそばにいるって、おしごとなの。

 できないとおとうさんがこまるから…」

(え? 銅貨5枚で買ってもらったって?)

 エラの言葉にブレアが怪訝な顔をしたが、彼女は子供を不安にさせないように頭を撫でた。

「大丈夫よ、エラ。」


 ◇◇◇


 イ・ルは「夫人は心を病んでいる」と伯爵に言われた。

 彼女に言われた言葉は伯爵には伝えていない。

『帰ってきました、ダグラス様。お約束を守りました。』

 伯爵以外の男の名前なんて言えるわけがない。

 赤芋の皮を剥きながら、イ・ルがため息をついた。

 今日は手伝いの黒いのが別件で出かけている。

 水色のお嬢も出かけているようだ。

「そこの、ため息ついてるお兄さん。

 グレン、どこにいる?」

 イ・ルが顔を上げるとそこには、たわわに揺れる大きな胸があった。

(うまそう…)思わず唾をのむ。

 深い谷間が覗える大きく胸のあいたドレスに薄い肩掛けを巻き付けたメルダは黒肌の男を誘うような笑みを見せた。

「姐さん、ご勘弁を。

 親方の想い人に手を出すほど豪気じゃないんで。」

 イ・ルが困ったように笑った。

 その顔を見てメルダが宙を仰ぐように笑い声をあげた。

「え、姐さん?」

「やーねぇ! グレンの想い人なんて、笑っちゃうじゃない!」

 メルダが笑い涙を拭いた。その顔をイ・ルに近づける。

 透きとおった緑の大きな瞳に黒っぽい波打つ髪。肌色は白く、唇は深紅に彩られている。

「宿をね、まだ取ってないの。泊めてくれる?」

「姐さん…、いい女だけど…」

「ん、」

「十人部屋ですけど、いいっすか?」

「え?」メルダの顔が引きつった。

(なんて答えなの!? このクソガキ!)

 メルダがフンと鼻をならした。

「ガキ相手に何やってんだ、メルダ。」

 背後からかけられた声はグレンのだ。

 肩を聳やかせたのはイ・ル。

 メルダが腕を組んでグレンに向き直った。

「今度のは、イケてるヤツが多いって聞いたからわざわざ来たのに。

 それにこんなに黒いのは、めったにないから!」

 メルダがイ・ルに向かって不敵に笑い、イ・ルは肩を落とした。

「悪いな。こいつは、好きものでな。」

「ふふふ、からかって悪かったわね、黒ちゃん。」

「メルダ、こいつはお前と歳はかわらんぞ。」

「え、そうなの。」

「人の年齢なんて構わんでしょ。」ふてくされてイ・ルが口を尖らせた。

「で、メルダ?」

「『男、いるところに女あり』。

 溜まってるだろうから、抜きに来たのよ!」

「さっさと、報告しろ。」

 グレンがあきれ顔でいう。

 メルダがイ・ルを見る。

「その白いのなら、気にするな。シェリーが気に入っている。」

「白?」

「髪がな。」

「ふーん。

 使えるの?」

 イ・ルがキョトンとした顔をする。

「じゃ、場所をかえて。」

 メルダがにっこり笑った。

「白いの、飯の支度はいいから、ツラ貸せ。」

 グレンが先に立って、伯爵館の一室に入った。

 グレンとイ・ル、メルダが頭を突き合わせる。

「じゃ、紹介する。

 彼女はメルダ、俺の部下で『左翼』の間諜。

 王国内の情報網の要だ。」

「なんで、俺に? バラしていいんですか。」イ・ルの口元が歪む。

「お前だって、どこの手だ? そろそろ明かせよ。

 俺やシェリーに思い当たる節が無い。

『公爵』とも知り合いじゃないのだろう。

 じゃ、どこのだ?」

 イ・ルが肩を聳やかせた。

「…目立つから、嫌だったんですけどね。表の仕事。」

 イ・ルが上着の中に手をやった。グレンとメルダが身構える。

 取り出したのは、細い筆入れぐらいの書簡筒だった。

 銀の細い筒で、蓋には王国の宰相紋が刻まれている。

 二人が眉を顰めた。

「…ということです。」

 イ・ルはその筒をすぐに服の下にしまった。

「やだ…」メルダが呟く。

 そして、いつものようにイ・ルが陽気に笑う。

「なんでわかりましたか。」

「お前、隙がないからな。」

「はは、」

「誰を斬る?『執行人』。」

「王国に仇なすもの。担当は平民の犯罪者です。

 ここでの犯罪は『謀反』ですから。

 二線傷が謀反を企てれば、死刑になります。

 その処罰の許可はいただいております。」

「だがな、まだ犯罪はおこっていない。」

「このまま、井戸掘りと開墾だけで落ち着きゃいいんですが。」

「そういうわけにはいかんな。

 で、メルダ、」

 メルダが大きく開いた胸元から細く畳まれた紙を引き出した。

「どこに入れてやがる…」

 メルダがテーブルの上でその紙をひろげた。

 地図が描かれている。

「ここの街道外れの道、もう使われてないのだけど。

 この道を通って、フィアールントから荷物が運び込まれている。」

 メルダの指はフィアールントとの境の線からケネスへの領都を結ぶ線をなぞった。

 途中で指が止まる。

「このあたりで消えてる荷があるわ。」

「中身はなんだ?」グレンが問う。

「調べるの、ちょっと手がかかったけど。

 連弩(れんど)っていう話。

 武器の密輸、でも転売の様子はないの。」

連弩(れんど)な。この平原で身を隠すところもないのにどうやって使う?」

「身を隠すなら、穴があるでしょ。井戸用の。」イ・ルが口をはさむ。

連弩(れんど)の引金なら、女子供でも引けるかもよ。」メルダもいう。

「連射されると、足止めを食うな。」

「ええっと、前提が?」イ・ルが困ったように訊いた。

「『バイデルの蜂起』よ。」

「王様の心配の通りか。」

「今度も、ローンデールが見つけたらしいわ。気の毒ね、あの一族。」

「見つけるって、どうやって?」

「お金の流れ。

 戦はお金がかかるのよ。人を集め、武器を集め、食べさせなきゃ。

 王都の配給以外に、闇で食料を買い付けていた。輸送の流れを追えばね、どのあたりか見当がつく。」

「どこだ?」

「ここ、昔のゼレニーってところ。

『緑の都』って呼ばれていたそうよ。」

「叩くか。」

「フィアールントがまた入り込んでると思うわ。

 やるなら一気に!」

「シェリーに準備させる。

 白いの、お前は嬢ちゃんと領都の守備だ。じき、黒いのも戻る。」

「え? ええー!」

「『王立』を残しておく。うちは、ゼレニーを叩く。」

「ちょっと待ってくださいよ!

『王立』って十人ほどしかいませんよ。領都をそれだけの人数じゃ守れませんよ!」

「心配するな、黒いのも嬢ちゃんも、とんでもなく強いから。」

「えー!」

「噂の『お嬢』、見せてもらおうかな。」メルダが微笑む。

「見せもんじゃないぞ。

 ま、お前が入ってくれりゃ安心だがな。」

「じゃ、あたしたち、領都にいる。」

「たち?」

「店の女の子も連れてきたの。

 あとで遊びに来てね!」

 メルダがイ・ルの頬をひと撫ですると肩掛けをひらひらさせて出て行った。

「…イイ女だよ。」

 グレンの言葉にイ・ルも微笑む。

「俺の事、怪しいって思ってたんですね。」

「使えそうだ、とな。」

「飯の支度ばかりさせて。怪しい奴にまかせてていいんですか。」

「自分に毒を盛るバカはおらんだろう?」

 グレンが笑う。

「黒いのとお嬢は、飯を食わんからな。」

「え?」

「ま、良かったらメルダの相手もしてくれ。たまには若いのもいいからな。」

「親方…」

「ん?」

「つかぬことをお聞きしますが、『ダグラス』って名前に心当たりは?

 あの黒いのの名前ですか?」

「いや、あれはギルって名だ。『ダグラス』は…、いないな。

 どうした?」

「いや、何でもないです。」

 グレンが一瞬、怪訝な顔をした。

「ま、忙しくなる。黒いのとお嬢を頼む。」

「わかりましたけど、『お嬢』、どこにいるんです?

 ずっと、見てませんよ?」

 イ・ルの言葉にグレンが眉間に皺を寄せた。


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