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第31話 二線傷

 矢を射られた襲撃は、伯爵館に向けられていた。

 ラナ達の場所だけでなく、いくつも矢が射られて、伯爵館に傷をつけていた。

 だが、賊が押し入ってくるわけではなかった。

 射手の姿も確認できず、襲撃者の人数もわからない。

 ラナを助けてくれた男は無事がわかるとさっさとどこかに行ってしまった。

 怪我をしたサルワはサルマに担がれて、ブレア薬師のところで手当てを受けている。

 ラナも手伝いでブレアのところにいた。

 サルワが死んでしまったのかと一瞬、血の気が引いたが、矢尻がチュニックの内ポケットのものにあたって、急所を外れ、彼は命拾いをしていた。

 ほっとしたサルマがこぼす。

「射手が射られてどうすんだ!」

 肋骨の痛みに顔をゆがめながらサルワが笑った。

「女神様に救われた!」

 サルワが上着から取り出したのは、絡まった塊だった。

 細い鎖状のもので、その中に赤い小さな石が見える。

 胸部を太い包帯で巻いたサルワが上着を羽織った。

 身体を動かすたび痛そうな顔をする。

「折れているふうでもないけど、しばらくは痛いわよ。」

 ブレア薬師がサルワに緑色のどろどろした薬湯を渡した。

「飲んで。痛み止め。」

 サルワがそれを飲み干すと力いっぱい苦い顔をした。

 その顔にブレアもラナも笑ってしまう。

「お前、その安物、まだ持っていたのか。」

 サルマが驚いた顔で言った。

 双子の同じ顔が並んでいる。大きな眼がくりくりしている。

 二人とも日焼けした色黒で黒の縮れた髪を短くしているが、サルマは右耳の後ろ、サルワは左耳の後ろの髪を一束長くしている。縮れ毛をくるくる捩じって先を細いヘアカフで留めている。

「まだ、相手、見つけてない。」

「おいおい。」

 サルワが絡まりの端をもって少し揺らした。

 ほどけた姿は赤い石のブレスレット。

 ラナがそれをじっと見た。同じものをしたことがある。

「何?

 それって、騎士見習初心者が騙されるヤツ?」

 ブレアが笑った。

「何ですか?」

 ラナが訊ねた。

「そのブレスレットね、騎士見習の坊やたちが初めての給金で買わされるの。

 出入りの道具屋にね。」

「?」

「世間知らずから金を巻き上げるってやつ。」ブレアが笑う。

「けどな、お嬢。

 騎士に任じられた最初の夜会で、好きな女の子に着けてもらって踊るとさ、その娘と両想いになれるっていう縁起物なんだぜ。」

「信じてるの? 嘘くさい話。」ブレアに一蹴される。

「先輩とか、そうなった人もいるんだぜ。」

「だったら、あたし、とっくに男が出来てるはずなんだけど!」

「薬師様?」

「そういうの二十本ぐらい貰ったわ。」

「えー!」双子が声をそろえる。

 自分で言うだけあって、ブレアは美人だし、モテると思う。

 但し、二十代前半の双子より、かなり年上なのははっきりしている。

「『王立』は、治療院とか薬師局とかの夜会に来てたでしょ。よく誘われたわよ。」

「えー!」双子が声を上げる。

「子供は困るわね、ちょっといい顔すると舞い上がっちゃって。」

「薬師様! 

 なのにお一人?」

「…仕方ないでしょ! 将来有望株、いなかったんだから!」

 双子が大笑いする。サルワは脇腹を押さえて苦渋の笑顔だ。

「さ、手当、終わったから、行きなさい!」

 ラナも笑いが止まらない。

「ラナ、貴女も笑いすぎよ。」

「すみません、薬師様。」

「じゃ、薬師様、ありがとうございました!」

 サルマがサルワを支えて部屋を出て行った。

「ブレア薬師様は、どうしてここに?」

 片づけを手伝いながらラナがブレアに訊ねた。

「医師の試験に落ちたのよ。」

「!?」

「医師、医者になるには医師試験に合格するか、薬師として実務経験を積んで面接に臨むかしかないのよ。

 試験は年一回だから、次は来年。それまで、経験値を積んで、面接試験も受けられるようにってこと。」

「お医者さまって、偉いですね。」

「…まあね、うちの田舎、医者も薬師もいなくてね。村で一番出来のいいのを医者にしようって送り出してくれたの。」

「じゃ、お医者様になったら、故郷に帰られるんですか?」

 ブレアが微笑んだ。

「薬師様?」

「もうね、故郷はないのよ。」

「え?」

「私の故郷は、バルデル領の端っこでね、無くなったのよ。」

 ブレアはそういうとラナに背中を向けた。

「ここはもういいわ。

 貴女も『王立』の仕事に戻りなさい。」

 ラナはブレアに一礼するとそっと部屋を出た。


 ◇◇◇


「被害、軽い怪我人が数名、建物に傷がつきましたが思ったより、ありませんでした。」

 シェリーがグレンに言った。二人は塔の最上階から外を見下ろしている。

 伯爵館に唯一残っている物見塔だ。

 領都の郊外は、かつては緑の農地が広がっていた。今は赤土しかない。

 正面にややくぼんだ筋が見える。昔、ダーナ河に流れ込んでいた支流の跡だ。

「何年も経つのだろう。元には戻らんなぁ。」

 グレンがため息をついた。

「どう、思われます?」

「お前は?」

「警告ってところですね。しっぽ巻いて逃げ出してほしいって。」

「この程度で?」

 グレンが向き直って腕を組んだ。

「バルタルの残党はすべて狩られたわけじゃない。

 再集結する場所は?」

「ここは目立ちすぎますよ。」

「そうだな。」

 シェリーが赤土の平原の向こうを見た。

 高い壁のような山脈の先端に白いものが見える。

 その向こうは、フィアールントだ。

「だが、()()()()()()()()。」

「井戸を掘っていますよ。」

「なんでここに固執するのかな。」

「ここでしか…生きる場所がないんですよ。」シェリーが目を伏せた。


 ◇◇◇


 ラナは背中の水筒を担ぎ直し、髪を覆うスカーフを巻き直した。

 強い陽は苦手だ。

 昨日の「燃える水」も気になって、街はずれまで来た。

 人の住む集落と痩せた耕作地のあいだには石積みの壁が作られている。

 この壁は侵入者や赤土の埃を避ける役目がある。

 壁の外に拡がるくぼんだ線は川の流れた跡のように見えた。

 ラナは、そのくぼんだ線に沿って歩き出した。

 その線のところだけ、赤土が周りよりしっとりとしている感じがする。

(川のあと? 小さな川ではないわよね。)

 ときどき立ち止まって、地面に手を置く。

(何か感じられればいいのだけど。)

 手のひらには何も起こらない。

「ラナお姉さん、何をしているの?」

 後ろから呼びかけられてどきりとした。

 ラナが振り返る。

 アレクスが立っていた。

「アレクス様、」

「お姉さんが見えたから、追いかけてきちゃった。」

「おひとりですか? エラ様は?」

「エラはお母さんといっしょ。

 僕一人だよ。」

 アレクスが微笑んだ。

「何しているの?」

「水をね、探しているの。」

「お父さんが言ってた。川があればここは緑になるって。」

「そうよ。

 王様が私に水を探してこいっておっしゃったの。

 見つけたいわね。」

 ラナも微笑んだ。

「あの櫓は何?」

 アレクスが離れた場所を指さした。井戸の櫓がいくつか見える。

「井戸って聞いたけど。

 ここは昔の川筋だから、井戸を掘ったら水が出るのかしら。」

「行ってみよう!」

 アレクスがラナの手を取って、走り出す。

 井戸のふちは大きな石で囲まれていた。

 その表面が黒くなっている。昨夜、火が出た井戸だろうか。

「黒いね。」

「焦げた跡ね。」

 そっと井戸の側に寄ってみる。

 アレクスが手を伸ばして石に触ろうとした。

「アレクス様、」

 慌ててラナがアレクスの手を止めた。

「危ないからダメです!」

「おい!

 そこの子供!何やってる!」

 低い声の男に叱られてしまった。

 ラナが苦笑を浮かべて声の主に向き直った。

 井戸掘りの指揮を執っているライリーだ。アビより少し年上らしい。彼は髪を短くしている。

 王都には家族がいて、彼自身は地下資源探査で王国内を飛び回っているという。

 リュート大平原には、『燃える水』の噂を聞いてやってきていた。

「子供が来るところではない!

『王立』、お前もしっかり子守りをしろ!」

 アレクスもラナもしょげてしまう。

「そんなに叱らないでください。」

 助けてくれたのはブルーノだ。昨日の火事の検証でここに来ている。

 ブルーノが困った顔をしてラナを見た。

「お嬢も調べに?」

 ラナが頷く。

「ここが川の跡なんだそうです。そんな気配、ないですね。」

「いくつかの井戸があるって聞いたのですけど、水のある井戸は?」

「少し先に見えるでしょう? あの二つには水が湧いたそうです。水量は少ないですけどね。

 その先に新しいのを掘っています。

 ラスって言う男が頭です。」

 (昨日の人…?)

「士長、」

「はい?」

「あの…、男の人たち、顔に傷がある人がいますよね。

 ラスさんって人も。」

「顔の傷?

 ああ、二線傷。」

「二線傷って?」

「罪人の印です。」

「…。」

「国に対して重罪をおこした連中につけます。

 まあ、動員される平民は普通に裁かれますが、止めるだけの力があってそれをしなかった貴族連中と首謀者の一族は罰する意味もあって、加担していなくても二線傷をつけられるんです。

 男は顔、女は肩から胸の上にかけて、です。

 一生の痕だから、見せしめですね。」

「ここの人たちは…」

「十年近く前の『バルタルの謀反』ってのの、連座した人間でしょう。二線傷のせいで、他領に働きに行けず、この焼けた土地で細々と生きているということです。」

 ラナは顔を上げた。

「あの、昨日の火って。」

「ライリー先生によると自然発火らしいです。

 黒い水って臭い気ができるらしくて、それが何かの拍子に火になるみたいです。」

 ラナが小首を貸しげる。

「石を打ち付けて火をおこすでしょ。火花が出る。そんなことが気体のそばで起こったんじゃないかって。」

「火付けじゃないの?」

「火付けのあとはなかったですよ。」

「そう…」

「あれ、坊ちゃんといっしょじゃ?」

「え、アレクス?」

 アレクスの姿を探した。

 アレクスは井戸を掘っている作業場の近くにいた。

 慌ててラナがそちらに向かう。

 アレクスは穴の中にいるラスを見下ろしていた。

 ラスは上半身裸で、ツルハシを振り下ろしていた。

 子供に見られていることに気づいたラスはツルハシの手を止めた。

「…危ないだろう!」

 思わず叫んでいた。だが、子供がアレクスだと気づくと俯いて言った。

「若様、離れていてください。」

「・・・。」アレクスが俯く。

「アレクス、こっち。」

 ラナがアレクスの肩をもって、井戸掘りの穴から離した。

 二人が十分に離れたのを見届けて、ラスはまたツルハシを振り上げた。

「・・・怒られちゃった。」

 アレクスがしゅんとしていた。

 ブルーノが二人のところに駆け寄った。少し、難しい顔をしている。

「ラスさんに怒られちゃった。」

 ラナがばつの悪そうな顔をした。

「邪魔をするからですよ。

 それと、ラスに『さん』付けはいけません。」

「え?」

「罪人、だからです。」

「えっと、」

「ラスは、バルタル侯爵の身内だそうです。

 だから二線傷の罪人となり、ここに流刑になっているそうです。」

「士長、アレクス様をお願いします。」

「お嬢?」

「伯爵様のところにお連れしてください。」

「お嬢は?」

「ラスさん・・・ と話がしたいです。

 ブルーノが渋い顔をする。

「何の話を?」

「…。」

 ラナが黙ってしまった。

 ブルーノの方がため息をつく。

 ラナ嬢の行動を邪魔しないようにして警護する、ことも彼の任務だ。

 ラナ嬢が水魔を葬るほど強いのも、『王立』の兵士よりも剣の腕が立つのもわかっているが、できるだけ危険なことからは守りたい。

 ラスという男は流刑者を束ねている者だ。

 彼の言葉で流刑者の統率がとれている。そんな男とラナ嬢を近づけたくないのもある。

「…井戸を掘っているのよね。深い所の水脈を知っているかもしれないと思って。あの穴の中まで下りたら、水が見つかるかもしれないでしょ。」

「お嬢…。

 気持ちもわからないではないですが、今はダメです。」

 ブルーノがまた溜息をついた。

「アレクス様をお連れして、館に戻りますよ、いいですね!」

 ラナが肩を落とした。

(まあ、あきらめることないだろうな。

 目を盗んで接触するだろうなぁ。)

 ブルーノが頭を振った。

(やっぱり、あの御方に知らせておくべきだな。)

 二人を後ろから見ながらブルーノはまた大きく息をついた。


 ◇◇◇


 怪我をしたサルワの代わりに外回りの巡回当番を代わったラナは馬に鞍を乗せた。

 いつもの赤騎ではないが、サルワの馬も従順で、ラナの騎乗を許してくれるようだ。

 巡回は二人一組ですることになっていたから、傭兵隊から一人やってくるはずだ。

 ラナは馬に乗ると背中の水筒を担ぎ直した。

 陽は傾き始めたが、日差し除けのスカーフも髪に巻き付け直した。

 馬の影が隣に伸びた。

「待たせた。」

 その声と馬の色にラナの水色の瞳が大きく見開かれた。

 その次にうな垂れる。

 ラナの傍らに馬を寄せたのは、良く知っている男だ。フードを被ったいつもの黒の騎士服。

「どうして…、貴方様が。」

「士長に『君を止めてくれ』と頭を下げられた。」

「う、」

 ラナが眉間に皺を寄せる。

「そもそも、公爵様が私たちと一緒って、聞いておりませんが?」

 ラナは挑発的だ。

「私への命令書は、白紙だった。」

「え?」

「好きにしろ、ということだ。」

 黒髪の口元が嬉しそうに動いた。

「好きにした。」

 黒いのが馬を進めた。ラナが慌てて馬の後を追う。彼の横に並ぶように馬を進めた。

「ずっと、姿を見なかったわ。いつから?」

「グレン殿が雇ってくれた。領都に入る直前だ。」

 ラナが不思議そうに彼を見ている。

「待遇は、一日銀貨5枚。」

「えっと?」

「傭兵としても破格の待遇だ。」

「『王立』はそんなに貰っていないわ。」

「危険ごとは、『左翼』傭兵部隊の役回りだ。」

「…。」

「相手が火鳥なら、多くは無い。」

「…。」

「だが、今のところは、白いのの下で、赤芋の皮むきばかりしているのが私の仕事だ。」

 ラナに笑顔が浮かんだ。

「似合っていますよ。」皮肉だ。

 ギルバートが一瞬、笑みを見せた。

「止まれ。」

「?」

 ギルバートが馬を下り、ラナも続く。

 そこは、昼間、ラスが掘っていた穴の近くだ。そばには簡易な小屋が立っている。

 小屋からはにぎやかな音楽が聞こえてくる。

「何の音?」

「ギテルだ。」

 ギルバートが小屋の戸を叩いた。

「『左翼』と『王立』の巡回だ。」

 ギテルの音が止まった。

 もう一度叩こうとしたときに戸が動いた。

 ラスが顔を出し、外に出てきた。

 扉の向こうにギテルを抱えた男と大勢の二線傷の男たちがちらりと見えた。

「…ご用の向きは何でしょうか。」

「定時巡回だ。中を見ても?」

 ラスが扉を大きく開けた。

 男たちは固い表情を浮かべてギルバートとラナを見た。

「二線持ち、三七名と街からの二人の子供がいます。」

 ギルバートが部屋の中を一瞥した。ギテルの男の側に男の子が二人いる。歳は五つ六つだろうか。

「…確かに、人数を確認した。

 明日の朝、また点呼に来る。」

 ラスが頭を下げた。

 ギルバートが背中を見せるが、隣のラナは動かない。

「おい、」ギルバートがラナを呼ぶ。

「楽しそうですね。」

 ラナが柔らかい笑顔を浮かべてラスを見上げた。ラスが顔をそむけた。

「…いけませんか。」

「いいえ。」

「ラナ、」ギルバートが彼女を呼ぶ。

「お祝いですか?」

「…小さな双子の誕生日です。」

「おいくつに?」

「五歳。」

 奥に見える子供らは不安げな顔をして、ギテルの男にしがみついている。

 ラナがそちらにもにっこり笑いかけた。

「おめでとうございます。

 彼らによきことがありますように。

 そうだ!」

 ラナが上着のポケットをまさぐって小さな包みを取り出した。

 それを握って、子供に近づく。

「ラナ!」ギルバートが咎めるが気にしない。

「お祝いのお菓子です! コンフェイト!」

 ラナが子供たちの手に包みを渡した。

 子供も周りの大人も驚いた顔をする。

「何の真似です!」ラスも咎める。

「お誕生日は、皆にお祝いしてもらうものでしょ!」


 ◇◇◇


「一体、君は何をしている!」

 馬上でギルバートが怒っている。

「あら、仲良くなりたいからよ。」

 ギルバートが眉間に皺を寄せて彼女を睨んでいた。

 ラナがその顔にふふと笑った。

「…私のお誕生日には、お父さんとお母さんがコンフェイトを買ってくれたの。

 白いのばっかりだったけど、二つ三つは赤いのとか黄色いのとか入っていた。

 嬉しかったのよ!

 公爵様にも買っていただきましたね、私、嬉しかった。」

「…。」ギルバートが口を噤む。

「ここ、何もなさすぎるもの。」

「…。」

 ラナは馬上から遠くを見た。地平線に朱色の線が拡がる。陽が落ちる直前の光景。


 ◇◇◇


 ラスは子供の手の包みを乱暴に取り上げた。

 その勢いで包みの中のものが床にこぼれた。

 色とりどりのコンフェイトの粒。

 この土地では手に入らない高級な砂糖菓子だ。

 子供が悲しそうな顔をする。

「…ラス様」

 ギテルの男がコンフェイトの粒を拾い上げた。

 その一つずつを子供の手に乗せた。

「ご好意だといただいてよろしいのではないですか。」

 ギテルの男は残りも拾った。

「我々は、この子たちに菓子ひとつ買ってやれないんです。」

 ラスは黙って小屋を出て行った。


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