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第30話 領都

 ラスに案内されて到着した領都は荒れ果てていた。

 領都と言っても伯爵館とその周りに少しある建物で出来た街だ。

 痩せた畑はその集落を囲む石塀の外に作られている。

 高低差のない平原の所々に井戸の櫓が見える。

 その井戸からくみ上げた水を畑にまくのだ。

 雨は滅多に降らず、畑を潤すほどにはないという。

 水に恵まれていない土地は赤い砂ぼこりが酷く、何もかもが赤く見える。

 赤土の埃で喉が痛い。

 乾きすぎると唾すら出てこなくって、伯爵家の子供たちも時々、咳き込んでいる。

 ケネス伯爵一家の住まいとなる屋敷は、石積みの高塀で覆われ、赤土の埃からは守られていた。

 彼らのために掃除もされていたのか、思ったより住みやすそうに整えられていた。

 ラスと名乗った男は、伯爵一家を屋敷に案内した後、姿を消した。

 屋敷には、前バルタル侯爵家に仕えていた使用人たちが留守番を兼ねて勤めていた。

 ケネス伯爵一家はそこで生活を始める。

 カイデル・ケネスは、『王立』の双子を伴って、領都とする地区を見回っている。

 彼はケネス伯をいただく前は、『王立』に勤めていて、地方で執行官補佐のようなことをしていたという。

 奥方は俯き加減の線の細い人で、マリーよりも少し年上らしい。

 なぜか白いベールをかぶり、顔を上げないので表情はよくわからない。

 しゃべらない静かな女性で、屋敷の居室からもほとんど出ないらしい。

 アレクスとエラの兄妹はなぜかラナにくっついている。

 そのラナは、ランバート王のいう「水脈」を探さないといけないのだが、ダーナ・アビスの支流の影さえ見当たらなくて困っていた。

 気象に明るいアビのそばにいて、水場の手がかりを探そうとしていた。

 アビは、領主館正面の開けた場所の真ん中に人の背丈ほどの棒を立てた。

 その棒の影に石を並べている。

「何をしてるの?」

 エラがアビに尋ねた。

 アビは、伸びた茶色の髪を首の後ろで結んでいた。

 歳は四十過ぎのおじさんだ。茶色の上着の内ポケットから小さな懐中時計を取り出した。

「あ~」

 エラが驚く。

「なんだ? 時計を見るのは初めてか。」

 アビは、アレクスとエラに時計を見せた。

 小さな瞳がキラキラとそれを眺める。

「動いている!」

「ねじをちゃんと巻いてやればな、正しく時間を示してくれる。」

「時間… 時刻がわかるのですか?」

 ラナも不思議そうに見ている。

 この国で時間は『王立』の時鐘係が数少ない「時計」をもとに人々に時刻を教えている。

 朝と昼、夕方、深夜の4回、街の中心部で鐘を鳴らしている。

 その間の時間は、日時計や砂時計の簡易なもので時刻を示す。

 だが、一般の平民は自分たちの感覚で時間を決めている。

 そういえば、この領都には中心部の広場がない。

 これから作らなくてはいけない場所だ。

 アビは、棒が倒れないように足元の土を踏みつけ、石で覆った。

「この棒の影は朝日が昇ってから沈むまでぐるりと円を描く。

 時間ごとにどの方向に影ができるかで時刻を示す。

『王立』の時鐘係がいないからな、代わりだ。

 この石は時刻だからな、悪さするんじゃねえぞ。」

 子供たちが大きく頷いた。

 アビが立ち上がり、腰を伸ばすと空を眺めた。

「雲がないなぁ。」

 そう呟くと帳面に書き付けをした。

 またしゃがみこむと地面を少し掘った。

 乾いた赤土がほろほろと崩れたが、その穴に鞄から出したガラスの棒を差し込んだ。

「なんですか?」ラナが尋ねた。

「『温度計』というものだ。」

「『温度計』?」

「地面の熱さを測るんだよ。」

「熱さ?」

「この土地に適した農作物を決めるためにな。」

「?」

「まあ、役に立つ情報の一つだよ。」

「これ、きれい…」

 エラが温度計に手を伸ばした。

「こら! 触るな! 代わりはないんだ!」

 その剣幕にエラが手を引っ込める。

「やっと、ヴィーデルフェンから取り寄せたんだ。

 無理言って『学問所』から貸してもらったんだからな。

 子供は向こうへ行って遊んでろ!」

 アビに追い払われてしまった。

「ねぇ、ラナ、もっと冒険しよう!」

 エラに手を取られて引っ張って行かれる。

 ラナも水脈を見つける役目があるのだが、子供たちにねだられては仕方がない。

 エラやアレクスと通りを行く。

 領都の中心部は家屋がそれなりに並んでいるが、崩れかけて貧しい感じがする。

 ここまで貧しい街はそう見たことがない。

 王都の近くは、小さな村でも、もっと豊かだ。

 人がいないわけでもなく、時折、働いている人を見かける。

 ほとんどは老人と女と子供だ。

 働き盛りの男がいない。

(開墾といっていたから街の外にいるんだろうか。)

 風の音もない静かな街だった。


 ◇◇◇


「よう、お嬢、こんなところで何してんの?」

 ラナ達に声をかけてきたのは、黒い肌に長い白髪の男だった。

 肌と同じ黒い騎士服だが、その袖は肘の上までまくり上げられている。

 筋肉の張った腕に桶一杯の赤芋を抱えている。

 グレンの傭兵隊の雇われ剣士で、「イ・ル」という名の人懐っこい男だ。

 剣士にありがちな傷跡は無い。ということは、強いのだろう。

 花街があれば、シェリー様と競うほどの美丈夫と言えるかもしれない。

 今回のグレンの傭兵隊はイゼーロの時とは違い、なかなかの手練れで構成されているという。

 確かにイゼーロでは、訓練を始めたばかりの新兵が多かった。

 魔獣や火鳥の前では彼らは殆ど役に立たなかった。

 今回は、伯爵一家だけでなく、領都自体もこの人数で守備しないといけない。静かな緊張感もある。

 だが、イ・ルはいつも笑顔で子供達やラナにも接してくれる。

 彼は料理好きということで、グレンの隊や『王立』の皆の賄いも引き受けてくれている。

 イ・ルのご飯はおいしいというので、皆も楽しみにしている。

 伯爵家の子供たちもイ・ルのお菓子やご飯が大好きだ。

「子供たちと冒険です。」

 ラナが笑顔で答える。

「ふーん。すっかり子守りだな。」

「イ・ルさんは?」

「これから夕飯の支度。

 五十人からの晩飯だからね。」

「大変そう…

 何か、お手伝いします?」

「お嬢が?」

「グレン様のところでお芋の皮むき、いっぱいしたんですよ。」

「そこは大丈夫。親方が手伝いを回してくれたから。」

 イ・ルの笑顔にラナが微笑んだ。

「イ・ル、今日のお菓子は?」

 エラがねだる。

「うーん、困ったな。赤芋しかないしな。」

「エラ、イ・ルにねだってばかりじゃダメだ。」

 アレクスが妹に注意する。

「だって甘いのほしい…。」

「ごめんな、今日はないんだ。」

 イ・ルの言葉にエラががっかりした顔をする。

「また今度な。」イ・ルがエラの頭を撫でた。

「イ・ルの邪魔しちゃダメ。向こうにいこう。」

 アレクスがエラの手を繋ぎ直した。


 ◇◇◇


 アビは、日時計の棒の影に石を並べていた。

 短い影は陽が天頂にあることを示す。

(ここを昼の真ん中にするか。)

 立ち上がって腰を伸ばす。

「アビ、」

 声をかけてきたのは、傭兵隊のシェリーだった。

 白金の波打つ髪を背中に垂らしている。

 シェリーも四十になる男だが、見た目はもっと若く見える。

 花街の女性陣が手放さないことはよく知られているところだ。

「…。」アビに笑顔が浮かんだ。

「君が来るとは思わなかった。」シェリーが言った。

「お前がいるとも思わなかった。」

「世捨て人になったんじゃなかったのか。」

「まあな。」

「相変わらず、空を見てる?」

 アビがフッと微笑んだ。

「もう長くないのでな。

 ここをやられた。」

 アビが右わき腹を指さした。

「だから、飲みすぎるなって。」

「それが唯一の薬なんだよ。

 薬に溺れて死ぬつもりだったんだがな、クライブの奴に、『役に立って死ね』と言われた。」

「相変わらず、厳しいな。

 クライブはどうしてる?」

「バハ様に弟子を押し付けられたそうだ。それも二人だ。」

「気の毒だな。」

「どっちが?」

 二人が苦笑を浮かべた。

「グレン様はまだ戻る気は無いのか?」

 シェリーが頷く。

「お前もくっついていくか。

 相変わらず、辛い『恋』をしてるなぁ。」

 シェリーがそっと微笑む。

 アビは腰から水筒をとった。蓋を開けて一口飲む。

 ラムの甘い匂いがした。


 ◇◇◇


 イ・ルの抱えていた赤芋は、日暮れには夕食のスープになっていた。

 赤芋の中身は黄色くてほくほくしている。

 ほかに野菜も入っているが、わずかだ。

 豆とかそういったものを発酵させて作った調味料で味付けされていて、少し黄土色したスープだ。

 それに硬く焼かれたパンの切ったのが添えられている。

 硬いパンは日持ちをさせるためで、それをスープに浸して柔らかくして食する。

 野戦の食事だとグレン様が笑っていた。

 リュート大平原は作物に恵まれていない土地だから、生食できる野菜はないに等しい。野戦食が似合ってしまう。

 料理好きのイ・ルは、食材に乏しいここで何とかおいしいものを作ってくれている。その分、給金の上乗せを要求してくるところはしっかりしているが。

 伯爵館の離れで倉庫に使われていたところをグレンの隊と『王立』の警務が宿舎に使っている。

 数少ない女性として、ラナと薬師のブレアは伯爵館の一室を使わせてもらっていた。

 ケネス伯は領都内を調べては遅くまで書斎で書き物をしている。

 容貌だけで皆に貧相だと言われていたが、気の毒な話だ。

 真面目な小役人、伯爵爵位が重すぎる。

 伯爵一家の食事は館の使用人たちが用意しているが、品数のうちということでイ・ルの料理も出されている。

 ラナは伯爵一家に赤芋のスープを届けるとイ・ルの元に戻ってきていた。

 宿舎の食堂は満員で、男たちが先を争って頬張っている。

 一角では、グレンとシェリーがアビと一緒に食事をしている。

「お嬢、戻ってきたところ悪いが、ちょっと手伝ってくれないかな。」

 イ・ルがラナに声をかけた。

「そこの器と匙、持ってきて。」

 イ・ルが顎で示した盆の食器を運ぶ。イ・ルは大なべを下げている。

 彼についていくと宿舎の裏に出た。

 石組みの井戸があった。水のない領都で一番水量の多い井戸といわれている。ここに住む人々もこの井戸から水を分けてもらっている。

 そのため、このそばに出入り用の裏門があった。

 イ・ルは、井戸のそばの台に大なべを置いた。

「出てきていいぞ。」

 イ・ルが声をかけると門の影から子供が何人も顔を出した。

「怖いおっさんたち、飯、食ってるからここには来ない。」

 子供たちが駆け寄ってきた。手には空の鍋を下げている。

「お前たち、そこに鍋を置いて。

 お嬢、この子たちに一杯ずつ配ってやってくれ。」

 見慣れない子供たちの姿にすこし驚いた。

 伯爵家の二人と散歩をしていた時に見た街の子供たちだろうか。

 三人を物陰から見るように隠れていた小さい子たちがいた。彼ららしい。

 ラナが子供たちに給仕している間にイ・ルはそれぞれの鍋に赤芋のスープを分けていた。

「イ・ルさん、それ、どうするんですか?」

「家へ持って行ってもらう。

 この子たちの両親、街の外で働いていて、帰ってくるのも遅いんで、食事をするのも遅くなる。

 育ち盛りだしな、この子たち、食事、待たされるの辛いだろ。

 だから、子供の夕食だけでもって、『給食』を始めたんだ。」

「ちゃんと伯爵様のお許しも、もらっているんだぞ。」

 子供たちが幸せそうにスープを食べている。

「そうしたら、家にお年寄りもいるってさ。

 やっぱり食事に不自由しているってきいて。

 この子たちに持って行ってもらってるんだ。」

「家が判れば運ぶわよ。」

「俺たちからって、嫌がられるだろ。」

「え?」

「押しかけてきたヨソ者に施しを受けてるみたいでさ。」

「そう?」

「そう。」

 イ・ルが低い声で答えた。

「イ・ル、ごちそうさま!」

 子供たちが食べ終えて笑顔になる。

「じゃ、じいちゃんばあちゃんたちにも持っていってやんな。」

「はーい!」

 子供たちが鍋を取り上げると裏門の方を向いた。

 そして、立ち止まる。

「お前たち、何をしている。」

 裏門から現れたのは、頬に二線の痕を持つ男だった。

 ラスと名乗っていた。

 ラスは腰に手を当て、子供らを見下ろしている。

 鍋を持ったまま子供が俯いてしまった。

「おじいさんやおばあさんにご飯を持っていってくれるところです。」

 ラナが子供とラスの間に割って入った。

「誰がそんなことを許した?」

 ラスはラナを無視して、子供を叱責した。

「『施し』を受けることを許した覚えはないぞ。」

「ラスさま…」子供たちが俯いてしまった。

 ラスの物言いは静かだが、子供には十分怖い。

「『給食』は、ケネス伯爵様がお許しになっていらっしゃいます!」

 ラナが声を大きくする。

「お腹すかせているの、よくないでしょ!」

「食事はちゃんとしている。」

 ラスがラナを睨む。

「だからって!」

 イ・ルがラナの腕を掴んだ。

「よせ。」

「だって!」

「これは、『誇り』の問題だ。」

「…。」

「ですよね、ラスさん。」

 イ・ルが穏やかに話そうとしている。

「言っておきますが、『施し』ではありませんよ。

 この子たちは、ケネス伯爵様の『給食』の手伝いをしているんです。」

「伯爵の…」

「そうです。

 伯爵様は、皆に存分に働いてもらうために、子供達やご老人方の面倒を見ようと考えられておられるんです。」

「余計なことを…」

「子供たちにご老人たちの食事を運ぶ仕事をしてもらうために、この時間に俺達と食事をしています。」

「…。」

「それだけですよ。

 仕事に報酬はつきものです。」

 ラスはイ・ルを睨んでいたが、イ・ルは動じない。逆に穏やかな笑みすら浮かべている。

「…お前たち、行っていい。」

 ラスがそう言うと子供たちは、ほっとした顔で鍋をもって裏門から出て行った。

「…子供らにかまうな。」

「どうして、貴方が!」

 ラナがまた前に出ようとする。

「お嬢!」

 イ・ルが止めに入る。

「やめなさい。争いに来たんじゃないんだ。

 貴方も何か用ですか?」

「…伯爵様に。」

「まだ、皆様、お食事中です。もう少し、あとのほうがいい。」

「…。」

 ラスは目を伏せ、背中を向けた。門の外に歩き出す。

「ラス様!」

 門の外に息を切らして男が駆け込んできた。男の顔にも二線がある。

「ラス様! 井戸が! 今日、掘った井戸が!」

「落ち着け。」

「火が上がりました!」

「え?」

 ラスが驚き、イ・ルやラナも息を飲んだ。

「わかった、すぐ行く。」

「井戸に火?」イ・ルが不思議そうに言う。

「井戸を掘ると、黒い水が出ることがある。」

 ラスが静かに答えた。

「黒い水?」ラナも問いかける。

「燃える水だ。」

「油?」イ・ルが呟いた。「あるとは、聞いてたけど。」

 ラスが早足で門を出ていく。ラナが後を追おうと動き出す。

「来るな!」

 ラスが一喝した。ラナの足が止まる。

「火なら消さなくちゃ!」

「もう土で井戸を埋めているだろう。」

「?」

「黒い水の火は、土でなければ消せない。」

「!?」

「それに、ここには火事を消す水はない。」

 ラスが門を出て行った。

「俺が見てくるかな。」

「イ・ルさん?」

「お嬢はここにいなさい。」

 宿舎の中も急に慌ただしくなっている。

「おい、そこの二人!」

 グレンの声だった。

「は、はい! グレン様!」

 ラナが答える。グレンが宿舎の裏口から顔を出している。

「お前たちは、ここで伯爵家の警護だ。

 半分は火事場に連れて行く。残りは屋敷と周りの警備に置いた。

 適当に松明を掲げて警戒しろ。

 白いの、お前、責任者だ!」

「え、俺も、火事場、行きたいです!」

「もっと役に立つ方を連れていく。

 お前は、留守番! 

 うまくできたら、給金に色つけてやる!」

「はいはい、わかりましたよ。」

 半分ふてくされてイ・ルが答えた。

 グレンはラナに笑顔を見せると宿舎を出て行った。

「ということで、お嬢、伯爵様のところに行きますよ。」

「はい。」


 ◇◇◇


 井戸の炎は垂直に吹き上がり、周りから消火のために土をかけているが効果が出ていない。

「ラス様!」

 燃えている井戸に駆けつけたラスはその黄土色の頭を振った。

 五本目の井戸も黒水で役に立たない。

 欲しいのは真水の豊かな井戸なのに。

 土をかけて井戸を埋めていたのは、ラスと同じ、顔に二線を持つ男たちだった。

 そのそばでは、学者のライリーが腕を組んで見ている。

 ラスは、男たちに交じり井戸を土で埋め始めた。

 グレンは馬を止めると連れてきた黒い男に声をかけた。

「どうだ?」

 男は自分の左手首を少し見た。

「いや、魔物の類いではない。」

「どうやったら消せる?」

「彼らの方法で、合っている。」

「時間がかかるな。」

「そんなものだろう。」

 黒い男は淡々と答えた。

「火鳥でも出たかと思った。」

 グレンが肩を聳やかせた。

 男が振り返って街の方を見た。

「おい?」

 黒い男が手綱を絞った。

「戻れ、」男は自分の馬に命じた。


 ◇◇◇


「ラナ、何の騒ぎ?」

 両手に本を抱えたブレアが伯爵家の居間に入ってきた。

 ブレアは『王立』の治療院から薬師としてここにやってきた。

 彼女は居間に大勢いるのに困惑した。

 伯爵様に二人の子供たち、『王立』の隊士長に、同室のラナ嬢、傭兵隊の白髪の料理人、この屋敷の使用人たち。

「街の外で火事騒ぎです。

 念のため、皆様に集まっていただきました。」

 ブルーノ士長が言った。

「ブレア先生、子供たちのところへ。お願いします。」

 ラナが促すと頷いたブレアが子供のいるソファの端に腰掛けた。

「アビさんとライリーは?」

「…火事場へ。」

「そう。」ブレアがため息をついた。

 ここに来る途中も一度、襲撃を受けた。

 領都に着いたからと言っても安心はできないということか。

 その時も数人の怪我を治療したのだった。

「伯爵様、奥方様は?」

 ブルーノ士長が尋ねた。彼は、使用人たちの顔も見る。

「誰か、答えなさい。」

 カイデル・ケネス伯爵も使用人たちを見た。

 彼らの中の年かさの侍女がおそるおそる口を開いた。

「奥方様は、ご気分がすぐれないとのことで、お部屋でお休みになっておられます。」

「私がお連れします。」

 ラナがブルーノにそういうと部屋を出た。

「士長、」

「ん?」

「俺も外回りに出ます。

 外はグレン様の隊なんで。」

「頼みます。」

 イ・ルも部屋を出て行く。

 ブルーノは心配そうな顔をしたが、剣の柄に手をやった。

 いつでも抜けるように少し浮かせている。

(何もなければいいけど。)

 傭兵隊のグレンに隊を二手に分けるので警戒しておけと言われたのだった。

 グレンは自分の手勢を連れて、街の外へ出て行った。

 残りで屋敷とその周りを警戒しないといけない。

(足りるかなぁ…)ブルーノはため息をついた。

 そのころ、ラナは部屋を出て、伯爵家の居室に向かっていた。

 伯爵夫人の部屋は、伯爵の私室の隣だった。

 夫婦に子供二人なのに、あまり家族らしくない感じだった。

 伯爵は子供たちと一緒のこともあったが、夫人には子供達との距離も感じた。

 夫である伯爵とも距離がある。

『大人の事情ってのもあるんだよ。』イ・ルはそう言っていたっけ。

 ラナは部屋の扉を叩いた。

「『王立』のラナです。

 奥方様、よろしいでしょうか?」

 何度か扉を叩いたが返答がない。

「奥方様! お屋敷に危険が迫っています。

 私共と一緒にいてくださいませんか!」

 返答はなく、室内の気配も感じない。

「奥方様! 失礼いたします!」

 ラナが扉を開けて中に入った。室内には誰もいない。

「奥方様!」

 ラナは部屋中を探したが、伯爵夫人の姿がない。

 ただ、窓がひとつ開いている。そこからは庭に出られるが…。

(まさか?)

 ラナは窓から外を見た。

 庭の向こうに白いベールが揺れて見えた。

「奥方様!?」

 ラナが窓からひらりと飛び出した。白いベールの後を追う。

 白のベールは庭を横切り、館の塀に沿って動いていた。

 塀の壊れた隙間から白いベールが外へ出て行った。

 ラナもその後に続くが、背中の水筒が引っ掛かってうまく出られない。

「もう!」

 転がるように外に出ると白いベールが目の前に立っていた。

「奥方様?」

 ベールが頭から肩に落ちて金髪の髪が見えた。

「奥方様!」

 ラナが彼女のそばに寄った。

「奥方様、中へ!」

 彼女を掴もうとした手を振り払われた。

「ダグラスはどこ?」

「え?」

 彼女の目が遠くを見ていた。

「ダグラスのために、戻ってきたのに…」

 彼女が呟いた。

「とにかく、中に入ってください。」

 ラナがもう一度、彼女に手をのぼそうとした間に矢が飛んできた。

 引っ込めた右手の先が矢の勢いで傷ついた。指先が赤く滲む。

「痛っ!」

 矢はまっすぐ地面に突き刺さった。

 ラナは背中の水筒を下ろすと右手で握った。

 水筒が『熔水剣(ようすいけん)』にかわる。

 水筒の雫が右手にかかり、傷が癒えていく。

「奥方様!」彼らの正面から声がした。

 松明に見えたのは、双子の片割れ。

「サルマです!

 奥方様? お嬢?」

「矢が飛んでくる!」

 サルマが矢の飛んできた方を見る。

 構えた剣を振ると折れた矢が地面に落ちた。

 矢が飛んでくる方向は暗い。高いところがないから、どこかの家の屋根の上に射手がいるのか。

 二射目、三射目が続いているから複数の射手がいる。

 ラナも『熔水剣(ようすいけん)』で矢を払う。

「お嬢、奥方様をつれて中に入って!」

 サルマが矢を防いでくれている間に、ラナは今度はしっかり夫人を掴むと館へ向かった。

「サルマ!」

 駆けつけたのは双子のもう一人サルワだ。

 サルワは、背中に夫人とラナを庇うように立った。

 矢はまだ続く。

 ほぼ同時に飛んできた矢の一本がサルワに刺さった。

「サルワ!」サルマが叫ぶ。

 ラナもサルワを見た。サルワがゆっくりと地面に倒れていく。

 胸に矢が突き立っている。

 サルマが動揺した。

 ラナもそれを見てサルワに駆け寄った。

「サルワさん!」

 ラナが矢を抜こうとする。

「抜くな! 血が噴き出るぞ!」

「え?」

 手が止まる。

 彼らの前に黒いマントが翻って視界を遮った。

 背の高い黒髪の男は黒剣を大きく一振りした。

 赤土が舞い上がり、矢の放たれた方を覆いつくす。

 赤土が地面に落ちると辺りが静かになった。




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