第29話 執行人
その男は全身黒づくめで、顔すら黒布で隠していた。
眼だけが隙間から覗いている。
黒い瞳と白目が見えるから人間ではあるのだろう。
長身のがっしりとした大男だ。
黒の無地のマントを羽織り、つながっている黒いフードを深くかぶっている。
マントの下も黒一色の騎士服だ。
上着もズボンも手袋も長靴もすべて黒。
腰に下げている大剣だけが銀色の束で、その鞘は黒革の仕様だ。
町はずれの『王立』の監獄は、捕縛された犯罪人を収容し、王都で裁可された刑罰が執行される。
犯罪は王都の『王立』で吟味され、刑罰の種類や過重は王国律法に則って決められる。
王国律法は、枢密院で決められ、王の裁可を得て成立する。
主に平民の生活の規則を定めている部分では、犯罪行為について厳しく扱われている。
人殺しや人身売買、人智を逸脱するような強奪行為など、重犯罪については死刑までの量刑がある。
王都から裁可が届くと地方の監獄の署長が執行を行うが、死刑罰だけは王都から「執行人」がやってきて行う。
先王の時代では、見せしめのために街の広場での公開処刑が行われたが、ランバート王が即位してからは、監獄の一角でひっそりと行われるようになっていた。
公開処刑が行われていた時代、「執行人」はその個人を特定されないように身体の総てを黒布で覆った。
その名残が今でも「執行人」の黒に続いている。
街道をすこし行くとリュート大平原という僻地にこの監獄はあった。
赤土の上に同じ赤いレンガで建てられている。
一番近くの村でも馬で半日かかるのだから、ここに赴任となった『王立』の隊士は涙ものだ。
だが、給料は他の場所より高い。
金の欲しい隊士自ら願い出るときもある。
今年二十一になったスライは親の借金返済のためにこの監獄勤務に来た。
ほかの同期は王都やもっと大きな街で務めているが、ここほど給金はあたらない。
ステイは、黒ずくめの大男を監獄の裏手の庭に案内した。
地面に筵が敷かれ、そこに男が座らされていた。
両腕を後ろで結ばれ、上半身を腕ごと縛り上げられている。
こいつは、わずかな銅貨を強奪するために駅馬車を襲った連中の首謀者だ。
『王立』の警務隊に追い詰められ捕縛された。
ほかの仲間は、別々の監獄に送られ、刑に服している。
この男は、馬車にいた一家4人を殺害した罪でここに送られてきた。
その数は「死刑」に処せられても仕方がない。
いつ「執行人」がやってくるか気が気でなかったが、とうとうその日になったようだ。
縛られた男のそばには、監獄の署長が立っていた。
看守長が男の首元に剣をあて、暴れ出さないように押さえつけている。
黒づくめの「執行人」が無言で署長に黒い書簡筒を渡した。
署長は書簡筒の中の命令書を確かめて、答えた。
「確かにこの男です。
間違いありません。」
縛られた男が喋ろうとしたが看守長の剣が首に食い込んだ。
赤い筋ができる。
「『王都』からの判決を伝える。
『死刑に処す』だ。
お前に弁明の余地はない。
おとなしく罰を受けろ。」
署長が命令書を男に突き付けて言った。
男が署長を睨みつける。
「最期の情けだ。
目隠しをしてやろうか?」
「いらねぇ! そんなもん!」
黒づくめの男が看守長に頷くと、看守長が男から離れた。
と、同時に縛られた男が立ち上がり、全力で目の前の黒づくめに体当たりしようとした。
黒づくめは動じることもなく、素早く大剣を抜き、罪人をかわすとその膝裏を切り裂いた。
「ぐぇっ!」
男が呻いて地面に転がった。
ステイが痛そうに顔を背ける。
呻きに間髪を入れずグザリと肉と骨の絶たれる音がすると、人の首が転がっていた。
ステイは背けた視線をそっと戻すとその光景に背中を向けてしまった。
込み上げてくる気持ち悪いものを我慢できるだろうか。
「ステイは初めてか。」
背中が返事をする。
「向こうへ行って吐いてこい。
そのあと、片付けろ。
そこまでやらないと手当は出んぞ」
背中が震えながら、走り出した。
「申し訳ありません、『執行人』。
新人のガキでして。」
黒づくめは声を発することもなく、血で汚れた剣を死体の背中で拭うと鞘に戻した。
一瞥もなく踵を返すと来た道を帰っていった。
「署長、あれが『執行人』ですか。
顔を隠して、しゃべりもしない。
気味悪いな。」
看守長が吐き捨てるように言った。
「あの『執行人』は初めてかもしれないな。」
署長が転がった首に目を向ける。
「躊躇なかったな…」
◇◇◇
「魔槍のグレン」が書簡筒を受け取ったのは、ザクリの娼館だった。
「なんでここがわかるんだ…」
寝台で半身を起こした男の肩から背中に大きく斬られた痕がある。
「そりゃ、アタシとアンタの仲だもの。
アタシに知らせをよこせば届くって知ってるのよ。」
娼婦としては、とうに終わっているメルダがグレンの背中に抱きついてその懐に書簡筒を落とした。
グレンは、筒の中の手紙を見た。
「相変わらず、汚い字だ。
『命令』しかまともに読めないな。」
「グレン?」
「次の宿営地の話。」
「どこ? ここの近く?」
「リュート大平原。」
「やだ、『死人原』じゃない。」
「『死人原』?」
「たくさん死んだでしょ。
この辺りまでそう呼ぶわ。」
メルダはグレンから離れると足元に脱ぎ捨てていた夜着を羽織った。
散らばったグレンの下帯や上着を彼に投げつける。
「行くんでしょ。」
「また寄る。」
「いつのことやら。」
メルダが微笑んだ。
「ちゃんと、払いをしていってちょうだい!」
メルダが女将の顔に戻った。
◇◇◇
黒づくめの男は、街道沿いの水場に馬をひいていた。
馬が水を飲んでいる。
陽が落ち、辺りが暗くなる。
この僻地では他の旅人と出会うこともないだろう。
男は、黒のマントを脱ぎ、顔を覆っていた黒布をはぎ取った。
「ふーっ!」
大きく息を吐いた。
黒布は男の長い髪も一緒に巻き込んでいたので、解き放たれた髪が背中に落ちる。
月明かりに浮かぶ男の肌は黒く、髪は白髪だった。
男は、来ていたマントと顔の黒布を丸めるとそれに火をつけた。
血の匂いが燃えつくされていく。
男はそれを焚火代わりにして、座り込んだ。
懐から銀色に輝く書簡筒を取り出した。宰相紋のついた蓋を開けて中の手紙に目を通した。
「…人使いの荒いことだ。」
男が空を見上げた。
今夜は縁が重なった二つ月だった。
◇◇◇
ラナは二つ月を見上げながら、マリアンが持たせてくれた赤い小さな水筒の砂糖水を一口飲んだ。
でも、もう無くなるから次は自分で作らなくちゃ。
「お嬢、」
呼びかけられて顔を向けた。
『王立』警務隊のブルーノ隊士長だ。
このケネス行きに同行する『王立』隊の責任者になっている。
ブルーノ士長とは何度か王都の水魔退治で一緒になっているので、ラナのことも知っている。
彼が連れてきたのは『王立』学問所で土壌の研究をしているライリー、天気を調べているアビ、治療院で薬師をしているブレアたちとブルーノ隊のサルマとサルワの双子の騎士達に八人の兵士達だった。
そこにラナがブルーノの従者として入って十五人の小隊を作っている。
「お嬢、交替です。」
「はい。」
水筒を抱え直して、ラナが立ち上がった。
ラナを入れた『王立』の警務十二名は、火の番とケネス伯一行の夜間警備にあたっている。
ケネス伯は、妻と二人の子供を連れて馬車に乗り、物資を積んだ大きな荷馬車を二台、連れていた。
道中は街や村で宿がとれたが、最後の大きな村を過ぎてからは、街道沿いにもまともな宿場がなく、夜営になった。
明日になればケネス領に入り、そこで『左翼』の一隊と合流する予定になっている。
それまで緊張した日が続く。
二晩が無事に過ぎ、今夜、何もなければいいのだが。
「お嬢、ちゃんと寝ておくんですよ。」
「はい。」
ラナが微笑んで返事をした。
「何もないといいですね、士長。」
「そうですね。
お嬢に歩哨をさせるなんて申し訳ないんですが。」
「平気です。
夜間歩哨の訓練も受けたことありますから。」
「え?」
ラナがふふと笑う。
「…お嬢、強すぎますからね。
うちの新人、総なめにしちゃって。」
ブルーノが苦笑を浮かべる。
「明日になったら『左翼』と合流します。
『左翼』っていっても傭兵部隊らしいですよ。」
「傭兵?」
(まさか…ね?)
頭に浮かんだのは、マリーが苦手だと言ったグレンのごつい顔。
(圧が凄すぎる…。)
「少しは楽になります。」
ブルーノがため息交じりに呟いた。
「さすがに、遠くまで来ましたね。」
「そうですね。
でも、士長はどうしてこの任務を受けられたんですか?
王都も忙しいでしょう?」
ブルーノが笑顔を見せる。
「手当がいいんですよ。
稼ぎたいときはこういう仕事もしなくちゃね。
あの双子も稼ぐ気満々で志願したんですよ。」
「…危険だと思います。」
「承知の上です。
『王立』は人数も多いし、幹部は貴族様ですが、大半は平民の出ですからね。」
「少し金のほしい時は、稼ぎのいい仕事の、多少の危ないことも覚悟のうえですよ。」
「…。」
「さ、戻ってください。」
「はい。」
返事をしたラナの頬をかすめるように風がよぎった。
その次には、ラナはブルーノに抱えられて土の上に転がっていた。
「士長!」
「じっとして!」
暫く、彼がラナに覆いかぶさるように庇って動かなかった。
次の矢はなく、あたりがまた静かになる。
顔を上げると彼らの少し先の地面には矢が刺さっていた。
矢尻には布が巻かれ、火がつけられていた。
先に立ち上がったブルーノが足で矢を折り、火を踏み消した。
結びつけられていた羊皮紙を拾い上げる。
焚き火のそばに戻るとブルーノが羊皮紙をひろげた。
ラナもブルーノの羊皮紙の中を覗きこむ。
『警告!
わが領土に踏み入るな!』
「…。」
(園遊会の火鳥の言葉…)
「伯爵様に知らせてくる。
警戒を頼みます、お嬢。」
ラナが頷いた。
◇◇◇
背の高い黒づくめの男が酒場の壁を見上げていた。
新品の黒いマントにフードを被っている。
マントの下から剣先が見える。
流れ者の剣士崩れといった感じだ。
その割にはいいものを身に着けている。
金に困っている風には見えない。
街道沿いの村では、一時的な仕事を依頼したりするのを酒場や商店の壁に貼りだしている。
内容は畑仕事の手伝いや荷物運び、護衛に害獣の駆除や魔獣の討伐など多岐にわたる。
小さな村でも同じ様に人の集まる場所に貼り紙がされる。
旅人や通りすがりの者の手をかりようということだ。
ここは、リュート大平原の入り口近くの村。
街道の分かれ道でもあり、旅の補給ができる最後の場所でもある。
たいがいは道案内や商人の護衛の依頼が多いが、男が見ているはリュート大平原での護衛仕事だった
「腕に覚えのあるものを求む」とあるが、どれほどのものをいうのか。
食い詰めた剣士崩れの連中が何人も張り紙を見ていたが、手に取るものはいない。
「リュート大平原か… 村もないしな、なんもないしな、」
男がぶつぶつ呟いていた。
「どうだ? あれ?」
ごつい男が前の優男に小声で言った。
白金の波打つ髪をかきあげて優男が答えた。
「いいんじゃないですか。
毛色が変わってて。」
シェリーが微笑った。
「うち、来るかな?」
「呼びます?」
「いや、」
グレンはジョッキを空にした。
傍らの短槍の穂先が微かに揺れた。
横目で見ているとさっきの黒づくめの男が壁の張り紙を一枚はぐった。
それを持って、グレン達のテーブルにやってくる。
「ここ、八番テーブルっすか?」
男の声は明るく、軽い。
「そうだけど。」
シェリーが答える。
「そこの貼り紙、護衛の仕事、アンタがたが募集を?」
シェリーが頷く。
「この、一日銀貨五枚って、本当?」
「安すぎる?」
「ヤバイ仕事ですか?」男が軽く訊く。
シェリーは微笑んで答えない。
「期間が半月って、何人雇うか知らないけど、すげー金、かかるぜ。」
男が肩を聳やかせた。
「書いてある通り、場所は、リュート大平原。
そこに入る商隊の護衛だよ。
『死人原』っていうほどの不毛の地だからね、盗賊だの魔物だの、何が出てくるかわからない所だ。
商隊の護衛と同時に自分の身は自分で守ってもらう。
安全は保障できない。
動けない怪我なら捨てていく。」
「ふーん。」
男が顎に手を当てた。
「でさ、前歴を問わないみたいだけど?」
「…つもりは無いよ。」
男は少し考えているようだ。
そして、笑った。
「ま、稼げるのは確かだな。
契約書ってあるの?」
「え?」
「雇用契約書。」
「うちは『王立』の『護衛人名簿』でやっている。
名前書けるか?」
グレンが男を見上げた。
男の肌は黒く、白目だけがやたら白い。
「酷いな、読み書きぐらいできるぜ。
じゃ、『護衛人名簿』を。」
「護衛人名簿」は『王立』が発行する許可番号付きの公的な名簿だ。
これに署名をして役所に届け出れば護衛職の契約成立となる。
護衛職の給金は五日毎に支払われることが義務付けられている。
それを誤魔化す輩もいるが、義務を怠れば訴追される。
『王立』の警務隊の取り締まり対象になり、最高刑は「死刑」だ。
黒づくめの男は、名簿に「イ・ル」と署名し、張り紙に名簿番号と代表者名「グレン」を走り書きすると懐にしまった。
「契約成立。
イ・ルって言います。
よろしく。」
イ・ルがフードを背中に落とした。
肌の色に似合わない長い白髪が背中に垂れた。
その束を革ひもで結んでいる。
「よろしく、イ・ル。
私はシェリー、彼が親方のグレン。」
グレンが新しいジョッキを掲げた。
そのまま、イ・ルに座るように促す。
イ・ルがシェリーの横に座り、ジョッキを運んでいる店員から一杯をもぎ取った。
「『死人原』でなにがあるんです?」
イ・ルがジョッキを半分、空にする。
「領都を作るんだ。」グレンが笑って言う。
「へ?」
「そのための資材をね、運ぶんだよ。」シェリーが続ける。
「人、いないでしょ?」
「流刑になった者たちがいるよ。
新しい領主が決まったらしくてね、領都がいる。」
「…でも、水のない土地だって聞きましたよ。
流刑の者たちも水だけは国が与えているって。」
グレンが苦笑いする。
「井戸でも掘るんだろうさ。」
彼の横で槍がカタカタ音を立てた。
(ん、シーラ?)
「グレン…」
シェリーが小声で呼んだ。
「え?」
グレンが顔を上げた。
「まだ、受付をしてもらえるのだろうか。」
長いまっすぐな黒髪を肩で透明な紐でひとくくりした男が彼らの席の前に立っていた。
肌は白く、左手首には黒く光沢のある腕輪がある。
グレンとシェリーがともに声を無くし、宙を仰いだ。
グレンの槍が嬉しそうにカタカタと音を立てる。
「ようこそ! うちの護衛隊へ!」
イ・ルが陽気な笑顔で男を迎えた。
◇◇◇
ラナは伯爵家の馬車の馭者台にいた。
手綱を握るのは、ブルーノだ。
昨夜の警告文が届いた後、伯爵一家を馬車に乗せ、朝早くから移動を始めた。
ラナも腰にストータの剣を下げ、水筒を片手に警戒を怠らない。
ただ、日差しが強くて被っているスカーフの中も熱くなる。
水筒が冷たいのが救いだ。
あれから襲撃はなかったが、なんだかずっと見張られている気がしている。
「士長、後ろが遅れ気味です。」
馬を飛ばしてサルワが知らせに来た。
「少し、ゆっくり願います。」
「資材の馬車か、食料のか?」
「食いもんの方です。」
「わかった。」
ブルーノが少し手綱を締めた。馬の勢いが落ちる。
ラナが辺りを見回している。
「お嬢?」
「雲もないのに…」
空を眺めるラナの水筒の中の水が音を立てていた。
「あれは!」
ラナが彼らの前方を指さした。
薄く広がる黒っぽい膜のようなものが近づいてくる。
「おい!双子!
弓で前面に出ろ!
何か来る!」
サルマとサルワ双子騎士が伯爵の馬車の前に進んだ。
馬上で弓に矢をつがえる。
「士長!」
馬車の窓を開けてケネス伯がブルーノを呼んだ。
「伯爵様、中に入って!
窓を閉めて!」
「お嬢、屋根の上を頼みます!
このまま、あの下を突っ切ります!」
ブルーノが叫び、馬を鞭打った。
ラナが馭者台から伯爵一家の乗る馬車の屋根に飛び移った。
この身軽さは他にはまねできない。
ラナは自分の水筒を軽く宙に放り、『熔水剣』を手にした。
構えて突破に備える。
黒く広がったものは宙から低く落ちるように馬車に向かってきた。
「射ろ!」
ブルーノの命で双子が矢を放った。
空に広がる幕に矢が届くと大きく三つに分かれてしまった。
左右は外へ離れて行ったが、中央の一群がラナ達へ降ってくる。
ラナが『熔水剣』を大きく振るとその刀身から透き通った水の膜が広がり、迫ってきた塊を覆いつくすと目の前に落とした。
(火鳥…)
落ちた塊は羽根を失った鳥の塊だ。
車輪に轢かれると灰の形が無くなった。
左右の火鳥が馬車に迫る。
(一度じゃ、無理かも!)
双子の弓矢が塊を小さくしてくれるが、飛散した火鳥はまた塊に戻る。
「左は任せろ! 右に集中しろ!」
力強い声に押されて、ラナは右側の塊を『熔水剣』で薙ぎ払った。
彼女の背中で、火鳥の鳴き声が響いた。
大きな虹を従えた半月の刃が宙の火鳥を蒸発させていた。
「よう、お嬢!」
馬を疾走させながら豪快に笑った顔は、「魔槍のグレン」だった。
「グレン様!」
ラナが嬉しそうに名前を呼んだ。
グレンの連れていた一隊が残った火鳥を叩き落としていた。
ブルーノが徐々に馬車の速度を落とし、火鳥の襲撃から離れた場所で止まった。
全力で駆け抜けたものだから、皆、肩で息をしている。
馬車から降りたケネス伯の子供たちは嘔吐し、伯爵も夫人も子供に寄り添っている。
ブルーノが頭を掻いて、グレンのところにやってきた。
「やっちゃいました…」
「子供には酷だったな。」
グレンも苦笑する。
「『王立』第六警務隊のブルーノ・アズワンと申します。」
ブルーノがグレンに頭を下げる。
「『左翼』の傭兵隊、グレンだ。」
「グレン、」
白金のシェリーも彼の元に戻る。
「被害は?」
「資材の馬車で一部、燃えました。」
「食いもんのほうは?」
「“白い”のが死守しました。」
シェリーが笑う。
「嬢ちゃんがよく働いた。」
グレンがラナを小脇に抱える。
「久しぶりだな。」
ラナもブルーノも困った顔をする。
「あんまり、可愛がるとへそを曲げるのがいますよ。
それに、お披露目されている姫です。」
シェリーが小声でグレンをたしなめる。
「かまわんさ!」
「グレン様、苦しいです。」
ラナがグレンの腕から逃れる。
「バハから頼まれてな、しばらくケネス領にいる。」
ラナにほっとした笑顔が浮かぶ。
「心強いです。」
「しかし、火鳥が来るとは思わなかったな。」
グレンが顎に手をやった。
「水がないのに厄介なことだ。」
「火鳥が…」
「ん?」
「『警告』って。『わが領土に踏み入るな』と。」
「…。」
「矢文に…」ラナが苦笑を浮かべた。
「火鳥は、フィアールントの手でな。
あの国の魔法使いが使う。」
「魔法使い?」ラナが不思議そうに呟く。
「『死人原』は、フィアールントのものだと言うか。
ファイエ・ノルトの火竜が。」
グレンが小さく呟いた。
「魔法使いって、『人』?」ラナがグレンに訊ねた。
「俺達より、性格の悪ーい奴等の事だよ。」
「ダーナみたいね。」ラナが笑う。
「え?」
グレンの傍らの槍もカタカタと笑った。
「グレン!」
シェリーが叫んだ。
正面の一本道に砂埃が立つ。
「新手か!?」
「ちがう…」
小さな幌馬車が近づいてきて、彼らの前に止まった。
左頬に二線の火傷の痕がある男が馭者台から下りてきた。
ブルーノやシェリーほどに背が高く、鍛えられている体躯だが痩せ気味だ。
だが、目は鋭く、威圧的な感じもする。
「ケネス伯爵様のご一行でございますか。」
低い声だった。
ブルーノが答えようと前に出かかったが、それを止めて、カイデル・ケネスが先頭に立った。
「私が、カイデル・ケネスだ。
ケネス伯をいただいた。」
貧相なカイデルより火傷男の方が痩せていても威厳があるように見えた。
火傷男はカイデルの前に両膝をついて頭を垂れた。
「お待ちしておりました、伯爵様。
自分は、ラスと申します。」
「ラス、何だ?」
「流刑の身により、苗字はございません。」
「…。」
「リュートの流民の代表として、お迎えに上がりました。
ご領主様。」
ラスの黄土色の髪は短く、うなじは陽に焼けて赤黒くなっていた。




