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第25話 身支度

 バハール・オスカーリッツは、ギルバートからもう一人に顔を向けた。

 くるくる赤毛の父親の方だ。

 彼はギルバートから少し下がったところに立っていた。

 二人の子供は、保護者の前に立っている。

 くるくる巻き毛が父親に振り返った。

「この方は、偉い方なのか!」

 父親はまき毛の子供を身体が半分になるまで、押さえつけた。

「申し訳ありません!

 バハール様!」

 バハールが笑う。

「相変わらず、元気者だの。」

「親父?」

「バハール・オスカーリッツ侯爵様だ。

『左翼』の騎士団長様。」

 ギルバートが父子を見た。

(バハール様の知り合い?

 姿だけでは高位の貴族に見えない。

 せいぜい、伯爵位ぐらいと思ったが。

 それも文官ではないのか。

 武家のオスカーリッツ家門には似合わない。)

「では、そこの二人、なぜ呼び出されたかわかるか?」

「用があるからだろ!」

 くるくる赤毛が威勢がいい。

 可哀そうに父親から血の気が引いている。

「そうだ、用がある。」

 バハールは、笑顔を見せた。

 凄味のある…。

「私は、試験の責任者として席次を決めねばならん。」

 フィイが息を飲んだ。

(席次ということは、二人のうちどちらかが首席、学費免除になる!)

「名前を、名乗りなさい。

 そちらから。」

 バハールがフィイを見た。

「フィールと申します。」

 フィイが頭を下げ、身体を折った。

「姓は?」

「ございません、平民なので。

 それも姓は…、取り上げられています。」

 ギルバートが目を伏せた。

 となりのくるくる赤毛は、驚いた顔をしてフィイを見た。

(姓を取り上げられるのは罪人だ…)

 バハールは、くるくる赤毛を見た。

 赤毛の少年は、急に真顔になって答えた。

「アーネスト・ローンデールと申します。

 父はローンデール伯爵です。

 でも、自分は貴族の一員ですが、ただの子供です。」

(ローンデール伯爵家は、バルタル家門だったか?)

 ギルバートが父親の方を見た。

 バハールが笑みを浮かべた。

「二人とも、午前の試験は満点だった。」

 フィイがほっと息をつき、エルは鼻高になる。

「満点は何人かいたが、午後の問題を回答しきれなかったものが大半でな。

 頑張って回答した者もいるが、中身が空っぽだ。

 なのに、お前たち二人は、一言しか書いてこなかった。」

 エルの父親がうな垂れた。

「その一言だけでは、席次が決められなくて、」

「『人』を見たかった。」

「さて、アーネスト、『騎士とは何か』?」

「権力。」

(え?)

 フィイが即答した赤毛を見た。

「『なぜ人を殺してはいけないのか』?」

「権力を振るう相手がいなければ、権力が存在する意味がない。

 だから、『人』は殺さない。」

(同じ年ぐらい、だよね?)

「では、フィール、同じ質問だ。

『騎士とは』?」

「救う人です。」

「『なぜ人を殺してはいけないのか』?」

「誰かが殺されるのを見るのは嫌です。嫌なことはしたくありません。」

 フィイがやや俯き加減で答えた。

 バハールがふふと笑った。

「ちゃんと、答案通りだったな。

 日にちが経ったから、答えが変わるかと思ったが。

 よろしい、それが君たちだとわかった。」

 バハールが部屋の隅にいた騎士に手招きした。

 空色の襷をかけた若い騎士が近づき、バハールに二つ折りの冊子を渡した。

 次にインクの付いたガラスのペンを差し出す。

 バハールはそのペンで冊子の中にサインをすると若い騎士に返した。

「二人ともご苦労。」

「え?」

「は?」

「帰ってよい。」

「えー!

 これだけで呼ばれたんですか!」

 赤毛が不服そうに叫んだ。

「そうだが。

 結果は、合格発表でわかる。」

「エル、バハール様になんて口の利き方だ!」

 赤毛の父親が赤毛の耳を引っ張った。

「バハール様、後ほど、謝罪に伺います。」

 父親が頭を深く下げて、息子と部屋を出て行った。

 フィイとギルバートが呆気にとられる。

「いつも賑やかな父子なのだ。」

「バハ様…」

「ギルバート、『バハ』でよい。

 公爵家の方が上だぞ。」

 バハールが苦笑を浮かべる。

 そして、長いスカートを嫌そうに持ち上げた。

 裾からのぞくのは軍靴だ。

「『園遊会』のせいで、こんな格好をせねばならん。

 迷惑な話だ。

 後継ぎに押し付けようと思ったが、出かけたっきり帰ってこない。

 私はいつ引退できるのだ?」

 バハールが苦笑を見せた。

「奴は元気にしていたか?

 イゼーロであったのだろう?」

「ええ、変わらず『槍』を側においておいででした。」

「そうか…。」

「で、ギルバート、その子は本当にお前の『隠し子』ではないのか?」

「バハ様!」

「…冗談だ。

 その子の親なら、お前、いくつの時の子だ。」

「…。」

「楽しい噂はほかにも聞いているぞ。

 どこぞの姫君を囲っているそうだな。」

「…ランバート陛下からお預かりしているだけです。」

「『お手付き』にしたともっぱらだ。」

「旦那様…、」フィイが心配そうに小声で窺う。

 ギルバートの顔が酷く困っていた。

「バハ様は、昔から私をからかって楽しんでおられるのだよ。」

 溜息をついてフィイに答える。

「いずれ、その姫君にも、な。

『園遊会』を楽しみにしている。」

 バハールは勢いよく立ち上がると若い騎士を従えて部屋を出て行った。

 ギルバートがフィイの肩に手を置いた。

「帰ろう…。」

「はい、旦那様。」

 ゆっくりと歩き出す。

 ギルバートの手はフィイの肩にそえられたままだ。

「旦那様…、」

「ん?」

「旦那様が、『おしとやかな女性がお好みだ』とお師匠様がおっしゃっていらっしゃいました。」

「いらないことを…。」

「わかった気がします。」

「フィイ?」

「バハール様もマリー様も… 圧がすごいです。潰されてしまいそうです。」

「…言うなよ。」

 ギルバートが困った顔で言い、フィイが笑顔で頷いた。


 ◇◇◇


 そのまま屋敷に戻るのかと思ったが、ギルバートは「道具屋に寄る」と言ってクロルに広場の馬車だまりへ行くように命じた。

『道具屋』は特別な店なので、ギルバート様と一緒でないと入れない。

 お供として行っても店の中には入れず、前の石畳の道で待っているだけだ。

 でも、今日はクロルに馬車を預けて、ギルバート様と『道具屋』を訪れた。

 出迎えてくれたのは、ほっそりした白いドレスがお似合いの美しいご婦人だった。

「ベアトリス、頼んだものを取りに来た。」

「あら、かわいい坊やね。

『隠し子』?」

「なぜ、そうなる…」

 ギルバートが頭を抱える。

 ベアトリスがフィイの頬を触った。

 すこしどきりとして顔が赤くなりそうだ。

「なら、ロシュの『隠し子』だと言ったら?」

「!」

「ありえないこと、言わないで。」

 ベアトリスに一蹴されてしまった。

「旦那様…」

 フィイが店を見回した。飾ってあるものに圧倒される。

「どうした?」

「なんだか、胸がいっぱいになります…」

 意外そうな顔でベアトリスがフィイをみた。

「胸がいっぱいって、どんな感じ?」

 ベアトリスがそう訊ねるとフィイを見つめる。

「えーっと。」

 フィイは答えられなくて黙ってしまった。

(あたたかい、かなしい、うれしい、いろいろな気持ち、なんていえばいいのだろう。)

 ベアトリスの手がフィイに触れた。

 頬を撫でてくれた。

 彼女の細い指先がフィイの涙を拭った。

「全く、

 こんな繊細な子を連れてくるのは罪深いわね、ギルバート。」

「え?」フィイがギルバートを見上げた。

「よかった…。

 これで独り立ちさせられる。」

「旦那様?」

「じゃ、商談ね。」

 ベアトリスが机の上に宝飾品の大きな箱を広げた。

 蓋を開けてギルバートに見せる。

「フィイ、見てごらん。」

 ギルバートがフィイを箱の前にたたせた。

 中に拡がるのは、銀の小さな鎖がレースのように編み上げられた首飾りだった。

 ところどころに小さな青色系の宝石が輝いている。

 光の当たる方向で青が別の色に変わる。

 この前のラナ様の虹色の輝きを思い出させた。

「ラナ様の、ですか?」

「どうだろうか。」

「きれいだと思います。

 きっと、お似合いです!」

 フィイの目が輝いた。

「嫌な感じはしない?」

 ベアトリスがフィイに尋ねた。

「透きとおって、とてもきれいです。」

「貴方も文句ないわね。」

 ギルバートが頷く。

 ベアトリスが首飾りの蓋を閉じた。

「…期待していた以上の出来だ。」

「ありがと。」

「払いは、屋敷のユージンに。」

「ふーん、」

 ベアトリスが鼻をツンとする。

「なんだ?」

「まさかこれだけってこと、ないわよね。」

「どういう意味だ?」

 ベアトリスは、奥からまた宝飾品の箱を持ち出し、二人の前に拡げる。

 一つは、細い碧柱石が下がる耳飾りの一対が並んでいる。

 高さのある箱からは青い宝石がちりばめられた小ぶりのティアラ。

「首元の飾りだけでは片手落ちよ。

 耳飾りにティアラもいるわ。」

 ギルバートが困惑している。

「女の子なのよ!

 ラナはダーナの姫だから、着飾って当然でしょ!」

「…。」

「もちろん、この分は、別料金。」

 ベアトリスが微笑った。

 フィイが二人を交互に見る。

 どう見てもギルバートが押し切られた形だ。

 ギルバートはため息をついた。

「これも、だ。」

 ベアトリスが嬉しそうに「当然」と頷いた。


 ◇◇◇


『道具屋』で受け取った品物はずしりとした重みがあった。

 ギルバート様が自らお運びになったが、見ているだけのフィイでも馬車の座席から落ちてしまわないかと心配ばかりだった。

 屋敷に戻って、エバンズ夫人とユージン様にお預けしてやっとほっとした。

「旦那様、ご夕食はいかがいたしましょうか。」

 フィイがいつものようにギルバートに訊ねた。

「…夕食はいらない。

 これから、出かける。

 二日ぐらいで戻る。」

 フィイの少し心配そうな顔に気付いてギルバートが続ける。

「『園遊会』の前日には必ず屋敷にいる。」

 フィイが頷いた。

「今日は、疲れただろう。

 もう私の世話はないから、夕食の後は休みなさい。」

「はい、旦那様。

 失礼いたします。」

 フィイが頭を下げて去ったのと入れ違いに濃紺のお仕着せに白のエプロン姿のマリアンが現れた。

「旦那様、よろしいでしょうか。」

「どうした?」

 マリアンはユージンの娘で、今はラナの側仕えでエバンズ夫人の手伝いも頼んでいる。

 ラナより一つほど年下だが、ずっとしっかりしている。

 ラナが「小さなエバンズ夫人」と呼ぶほど頼りがいがある。

「明日、街へ出るお許しを頂けますか。」

「買い物なら、許しはいらないだろう。

 ユージンにお願いしなさい。」

「いえ、買い物ではなくて、街の様子を…」

「?」

「あの、街の、ご令嬢がお支度に使われるサロンに行きたくて。」

「ん? 

 理由がわからないな。

 別に私の許可がいるものではなかろう?」

「ラナ様のためでございます。

 社交にいらっしゃるご令嬢がどのようなお姿なのか、よくわからなくて。

 そういうサロンにお伺いするのに、お家のおしるしが必要です。」

「…いるものなら、使って構わない。

 ユージンに言って、紋章入りの書簡筒を持たせてもらいなさい。」

「ありがとうございます!」

 ギルバートが眉間にしわを寄せた。

「…社交での令嬢の姿っていうのは?

 ドレスも仕立てたし、宝飾品も用意しただろう?」

「旦那様! それだけではありません!

 髪型とか、お化粧とかも大事です!」

 マリアンの言葉が熱くなる。

「一番流行りのお姿ではないと!」

 マリアンの圧もすごい。

 この娘は、大人しいと思っていたのに。

「一番有名なご令嬢の姿を教えていただきます!

 その方よりもラナ様をお美しくいたします!」

 マリアンに圧倒される。

 ギルバートが怯んだ。

「…姿を知りたい、か。

 マリアン、役に立ちそうなものがある。」

「旦那様?」

「ついてきなさい。」

 ギルバートが執務室へ向かい、マリアンがその後をついて行く。

 ギルバートは部屋に入ると執務机の書類からひと山、抱え上げると来客用のテーブルの上に広げた。

 二つ折りになった手紙の山だ。

「広げてかまわない。」

 マリアンがそっと一番上の冊子を開いた。

 左側には妙齢のご令嬢の肖像画、右にはお名前とお家の書かれた釣書。

「旦那様! これはお見合いのです!」

「王妃様から届いたのだが、急ぎではないので放っておいたら、山になっていた。」

「ごらんになっていないのですか!」

「…。

 役には立たないだろうか?」

 いくつもの冊子を広げて、マリアンが目を見張っている。

「すごいです! 旦那様!

 出かける必要がなくなりました!

 皆様、流行の最先端のお姿です!」

 マリアンの目がキラキラと輝いた。

「お借りしてよろしいですか?

 エバンズ夫人とご相談してきます!」

「え、マリアン?」

 驚いているギルバートを放って、マリアンは釣書の冊子を両手いっぱいに抱えて執務室を飛び出していった。

 入れ替わりにユージンが入ってきた。

「旦那様、」

 ユージンの方が驚いていた。

「マリアンが何か無作法を?」

「いや、令嬢たちの絵姿を持って行っただけだ。」

 ユージンがテーブルの上の山を見て、肩を落とした。

「ご覧になっていらっしゃらなかったのですか。」

 ユージンが片付け始める。

「そういうわけではなかったが。」

「…王妃様にお返しいたしましょうか。」

「…問い詰められるな。

 それを面倒だと思ってしまった。」

「旦那様、」

「今から出てくる。

 後を頼む。」

「はい。

 行ってらっしゃいませ。」


 ◇◇◇


 ギルバートの黒騎は厩舎の奥にいる。

 暗くなった厩舎の中で黒騎の瞳は金色で目立つのだが、見当たらない。

 蹄の音は外の馬場の方だ。

 厩舎から外に出てみる。

 囲いの馬場の中で、黒騎と赤騎が並んで立っていた。

(仲がよかったかな?)

 二頭の馬の前で、ラナが踊っていた。

(え?)

 立ち止まって、目を見張る。

 鼻歌交じりにラナがステップを踏んでいた。

 ワルツの拍子だ。

 薄青のスカートの端をつまんで軽々と舞っている。

 水色の髪も揺れている。

 なんだか微笑ましく思ってしまった。

 黒騎がギルバートに気づき、鼻を上に向けた。

 ラナが振り返った。動きが止まる。

 ギルバートは、ゆっくりと歩み寄り、黒騎の手綱を取った。

「…見てたの!」

「…。」

 ラナを無視する。

 見なくてもラナが口をとがらせているのはわかる。

「…右足が踏み込みすぎだ。心持ち、手前に抑えるといい。」

「え?」

「でないと、相手の足を踏むぞ。」

「…誰とも踊らないわよ。

 だって、そこまで練習できなかったもの。」

「…残念だな。」ギルバートが呟く。

「お出かけされるのですか?」

「ああ、『園遊会』のためだ。」

「『お財布』も大変ね。」

「そうだな。」

「ギルバート様、」

 名前を呼ばれて、彼がラナを見た。

 ラナが微笑んで、スカートを両手で摘まんだ。

 いつものひざ丈が、足元までの長さに変わっている。

 ラナはスカートを開くように持ち上げ、深く膝を折って頭を下げた。

 背中がまっすぐで姿勢が綺麗だ。

 長い髪が背中に肩にと、ひろがる。

 少し顔を上げて彼に微笑んだ。

 戸惑ったギルバートが目線をそらす。

 ラナが口を尖らせた。

「…エバンズ夫人に褒めてもらえたのよ。」

「…一番深く、膝を折るのは陛下に対してだ。

 私にはそこまで深くなくていい。」

「…気をつけます。」

「…でも、よくできている。

 頑張ったな。」

 ラナが笑顔になり、立ち姿に戻る。

「お気をつけて。」

「ああ。」

 ギルバートが少し微笑って、黒騎に跨った。


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