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第22話 年越しの祝夜

 市街の石畳が終わり、少し郊外の道は滑らかに整えられたものへと変わっていた。

 馬車の弾みも小さくなり、揺れもなくなってきた。

 マリアンは、馬車の窓から外を眺めていた。

 小さいころから両親と村を転々としていた。

 王都のような大きな街にいたことはないし、大勢の人とかかわることもなかった。

 コルトレイのハシェ村に住み始めたのは、母が亡くなってからだった。

 時々は夜逃げのような転居もあったが、なぜそうするのか教えてもらえなかったし、聞くのも悪いと思って黙っていた。

 友達もいなくて寂しいと思っていたが、それを言うのもいけないことのように思っていた。

 隣の父親は、とても難しい顔をしている。

 コルトレイで知り合った『王立』のジェイド・ヴェズレイ様が王都の働き口を紹介してくれた。

 薬師の仕事ではなくて、大きなお屋敷の使用人だという…。

 馬車から見える景色は、もうそのお屋敷の中らしい。

 馬車が速度を落とし始めた。人々のにぎやかしい声が聞こえてくる。

「どうどう。」

 御者の声で馬車が止まった。

「着いたようだね。」

 ユージンが娘に微笑みかけた。彼も少し緊張している。

 馬車の扉が開いた。

「着きましたよ。」

 クロルが手を出した。彼の前髪は目まで隠している。

「はい、マリアン。」

 マリアンが彼に手を借りて馬車を下りた。

 目の前には大きな城があった。

 見上げて息を飲む。傍らの父親も声がない。

「すごいお城だねぇ。」

 クロルが感心して言った。

「でも、門衛がいないな。」

 クロルが辺りを見回した。

 彼らから少し離れたところを、樽を積んだ荷馬車が通っていった。

「お、おーい!」

 クロルが走って追いかける。

「向こうが使用人の場所みたいだね。」

 ユージンがマリアンに言った。

「こっちです!」

 クロルが手を振って二人を招いた。

「この奥が使用人の通用口だそうです。」

「ありがとう、クロル。」

「荷物はオレが持っていきますから、先、行っててください。」

 ユージンが頷いて、歩き出した。

 マリアンも小走りでついていく。

 城にくっつくように館があった。その前で、使用人たちが忙しそうに動き回っている。

「お父さん…。」

「皆、忙しそうだね。」

 ユージンが苦笑を浮かべた。

「お父さん、あの方…。」

 マリアンが目を向けた先に水色の髪を揺らしたラナがいた。

 使用人たちの真ん中で笑顔を見せている。

「ラナ様、ですよね。」

「お元気そうだ…。」

 イゼーロで助けたときの彼女は、もう少しやつれて見えた。

 すぐに公爵様と王都に戻ったと聞いていたが。

 ふと、ラナが彼らの方を見た。

 ラナは、満面の笑みで駆け寄ってきて、そのままマリアンに抱きつく。

「マリアン!」

「は、はい。」

「ようこそ!」

 ラナの勢いにマリアンがおされる。

「お父さんも一緒ね!」

「はい、ラナ様。」ユージンが頭を下げた。

「えっと、もう一人って聞いていたのだけど。」

「クロルですね。一緒に参りました。

 馬車を止めています。」

「荷物は?」

「クロルが。」

 ラナがにっこり笑った。

「フィイ!」彼女が少年を呼んだ。

 栗色の髪の少年が駆け寄ってくる。

「フィイ、皆さんを公爵様のところにご案内して。」

「はい。

 じゃ、こちらへ。」


 ◇◇◇


 執務室の扉が二つ音を立てた。

 ギルバートが書類から顔を上げた。

 扉の向こうから、フィイの声がする。

「旦那様、お連れいたしました。」

「入りなさい。」ギルバートが答える。

 扉が開いて、ユージン、マリアン、クロルが入ってきた。

 三人とも表情が硬い。

 ユージンが身体を折って頭を下げた。マリアンとクロルも慌てて真似をする。

「ユージンと申します。

 そして、私の娘のマリアン、彼はグレン様のところのクロルです。」

「頭を上げてください。」

 ギルバートの口調は優しかった。

 三人が顔を上げる。

「イゼーロでは、世話になりました。」

「い、いえ。」

「私たちが先に帰ってしまって、ちゃんと挨拶もしていなかった。」

「…。」

 ユージンが上着の内ポケットから二通の封書を取り出した。

 歩をすすめて、ギルバートの前にそっと置いた。

「ジェイド・ヴェズレイ様とグレン様からの紹介状です。」

 ギルバートは頷いて、封書を手元に引き寄せた。中を見ることもせず、穏やかな表情を見せた。

 ユージンが困ったような顔をしている。

「仕事についてもらうのは、明日からになる。」

 ギルバートがマリアンの方には穏やかな顔を見せる。

「はい。」ユージンの返事は緊張している。

「今日は、客人だ。」

「はい。」

「屋敷の中を案内してもらうといい。」

「はい、公爵様。」

 扉が二つ叩かれる。

「入りなさい。」

 ギルバートの声に顔を見せたのはラナだった。

「もういいですよね。」

 ラナがにっこり笑う。

「三人とも今日はお客様だから、『年越しの祝夜』を楽しんでいいですよね?」

「ああ。」ギルバートの返事は穏やかだ。

「じゃ、マリアン、クロル、お客様だけど手伝ってもらっていい?

 飾りつけの手が足りなくて。」

 マリアンが父親の顔を見た。

 ユージンが頷く。

 マリアンがラナに笑顔を見せる。

「俺も?」

 クロルがラナに引きつった顔を見せる。

「そ、お芋の皮むきが待っているわ!」

「えー!」

 ラナがクロルの袖を掴んだ。

 引きずるように連れ出す。

「マリアンのお父さんは、公爵様にお願いいたします。」

 ラナはそういうと二人と部屋の外に行ってしまった。

 ギルバートが驚いた顔をし、ユージンも困った顔になった。

「…すまない、彼女はいつもああいう感じなので。」

「…お元気そうでようございました。」

 ユージンは、肩の力を少し抜いた。表情も柔らかくなる。

「旦那様、私は何をいたしましょうか?」

「では…、この山を減らすのを手伝って貰えると、とても助かる…。」

 遠慮がちなギルバートの言葉にユージンが頷いた。


 ◇◇◇


 雲のない夜空に月が二つ並ぶ。

 公爵邸の庭は、ランタンやモールや冬の花々で飾り付けられていた。

 そこにひろげられた大きなテーブルには、シチューの鍋や大皿の料理が置かれ、通いの使用人たちも混じったお屋敷の人々の宴会が始まっていた。

 芋の皮むき係のクロルもマリアンも飾りつけの手伝いの間にほかの使用人たちと打ち解け、楽しそうだ。

 エバンズ夫人も皆をねぎらうために飲み物や食べ物を並べている。

 フィイは、その間を給仕に忙しい。

 それを楽しそうに眺めているロシュがいて、マリーとジェイドのジョッキがあっという間にカラになっていく。

「お師匠様、毎年ですけど、どうしてマリー様とジェイド様がいらっしゃるんですか。」

 カラのジョッキを両手に持ってフィイが口を尖らせた。

「この勢いだと、また、お屋敷の酒蔵が空っぽになってしまいます!」

 ふふとロシュが笑う。火傷の痕が少し引きつる。

「カラにするために来ているんだよ。」

「え。」

「年に一度ぐらい空っぽにすれば、新しい樽が買えるだろ。

 ギルバート様も新酒に恵まれる。」

「旦那様はそんなにお飲みになりませんよ!」

 ロシュがまた笑う。

「来年は、お屋敷にいることが多くなると思うよ。」

「?」

「そばにいたい、相手がいるからねぇ。」

 小声でそういうとロシュは自分のジョッキを飲み干した。

「で、フィイは決めたの? 試験、受けるんでしょ。

 推薦状、ギルバート様に書いてもらった?

 貴族枠で受験していいんだよ。」

「騎士見習ですか。

 旦那様の推薦状は、お断りしました。」

「フィイ?」

「私は平民です。平民枠で試験を受けます。」

「フィイ…。」

「首席で受かれば平民枠でも全額奨学生としてお金がかからないと聞きました。」

「うん。」

「首席で合格しますから。」

 フィイが笑顔を見せた。


 ◇◇◇


「お父さん、王都の『年越しの祝夜(しゅくや)』って、来たことある?」

「ずっと昔に一度だけ、かな。」

「そうなの。」

「あるお方の護衛として王都に来たんだよ。王都の中心の広場に屋台がたくさん並んで人々が大騒ぎしていた。」

「ふーん。」

「年越しの時間を知らせる大きな花火が上がって、皆で『おめでとう』を言ったんだ。」

 ユージンの目が遠くを見ている。

「『祝夜(しゅくや)の贈り物』もその時、するのよね?」

「そうだね。」

「お母さんには毎年していたね。」

「たいしたことはできなかったな。」

「お料理作って、焼き菓子作って、楽しかった。」

 ユージンが娘に微笑んだ。だが、マリアンの表情が少し固くなる。

「来年はどうなるの?」

「…ここで働くことになるよ。

 お父さんは、公爵様に仕えることになった。『家令』を命じられた。」

「薬師じゃないの?」

「お父さんの資格では、王都では薬師になれないそうだ。

 もう少し、勉学がいる。」

「…。」

「だけどね、マリアン、公爵様に『医学校に通え』と言われてしまってね。」

「お医者様になるの!」

「たくさん勉強しないといけないから、難しいかな。」

 ユージンがため息をついた。

「だから、ずっと王都にいることになってしまった。」

「…私はどうしよう。

 お父さんのお手伝い、できないのね。」

「公爵様は、『マリアンにはラナ嬢の側仕えを頼みたい』とおっしゃられた。」

「『側仕え』…」

「侍女のことだよ。ラナ様は、伯爵家のご令嬢だし。」

「お返事したの?」

「マリアンと相談しなさい、といわれた。

 どうする?」

「お父さんはどう思う?」

「お前ももう十四になる。働きに出るのもおかしくない。」

「…。」

「公爵様は、こうも言われた。

『側仕えと言っても、ラナ嬢の友達になってくれればよい。』と。

 ラナ様は、ここに来られるまで、ずっとお一人でおられたそうだ。

 公爵様は、あの方をとてもご心配されているようでね、マリアンに側にいてほしいと思っておられるようなんだ。

 礼儀作法を学ぶつもりで、お仕えするのはどうかな?」

「…。」

「そうだな… 

 父さんは、まだマリアンと離れるのは嫌だ。

 ここにいてくれれば、嬉しい。」

 マリアンが破顔し、真面目な顔に戻った。

「お父さん、子離れしなくちゃいけないと思う。」


 ◇◇◇


『年越しの祝夜(しゅくや)』は、酔っぱらった皆をシェリー様と宿舎に運ぶのが恒例だった。

 この夜は、グレン様はいない。

 槍を持ってダーナの河畔で夜を明かす。

 そばに行ってはいけないとシェリー様に言われたっけ。

 母さんが死んで、グレン様に拾われて、それからずっとだ。

「クロルさんもどうぞ。」

 盆にシチューと透明感のある紫の液体のカップを二つずつ乗せたのをフィイがクロルとの間に置いた。

 大テーブルから少し離れた場所にクロルが座り込んでいた。

 フィイもクロルの隣に座り込んだ。

「なんだよ。」

「これ、おいしいですね。エバンズ夫人も褒めておられました。

 クロルさん、お料理、上手なんですね。」

「ふん、たかが田舎料理だ。

 酔っ払いと腹ペコ野郎を黙らせる鍋なんてこれで十分だ。」

 クロルがシチューの器をとった。

「って、俺の師匠が言った。」

 一口、頬張る。よく噛んで飲み込んだ。いつもの味。

「なんか、やっちゃったのかなぁ。」

「クロルさん?」

「捨てられちまった…」

 フィイもシチューを頬張った。大きな芋をよく噛んで飲み込む。

「私は、旦那様に『騎士見習に行け』と言われました。」

「え、騎士見習って、すごいじゃねえか。」

「お暇を出されたんだと思ったら、『歳の近い友人と出会えるといい』と言われました。」

「ふーん。」

「外を見て来いってことです。

 きっと、クロルさんの師匠も同じじゃないですか。」

「え? あのおっさんが!?」

「おっさんって…」

 フィイが苦笑を浮かべる。

「クロルさんは、公爵様に預けられたんです、きっと。

 私が騎士見習に行ったあとは、クロルさんに公爵様のお世話をしていただきます。」

「フィイ…」

「公爵家の召使いですからね、礼儀作法、ちゃんとしていただきます。」

「え、俺、礼儀とか…」

「まずは、言葉遣いからです。『俺』ではなく『私』です。」

 クロルの顔が引きつる。

「私が騎士見習に行くまでに身に着けていただきます、クロル。」

 クロルは、自分より頭一つ小さいフィイに身をすくませた。


 ◇◇◇


「もうジョッキが空だ。」

 ジェイドがマリーのを覗く。

「飲みすぎた気がする。」マリーが呟く。

「マリーがそういうなんて珍しいね。」

「ふん。」

 マリー・ケリー・アナスンが微笑んだ。

「大変な年だった。」

「まあ、忙しかったね。」

「いいこともあった。」

「マリー?」

「ギルが幸せそうだ。」

「そうだねぇ。」

「実は…な、ラナ嬢のどこがいいんだろう?って思ったんだよ。

 あのギルが随分と必死だったから。」

「マリー?」

「あんな威勢のいいお嬢さんはヤツの好みじゃなかったと思うんだ。」

「好みとかじゃないと思うよ。」

「ジェイ?」

「自分と同じものを見ているんだよ。だから、世話を焼きたがる。」

「『人』じゃない…から?」

「こだわっているところが、『人』だよね。」

 ふふとジェイドが笑う。

「まあ、彼らのことはいいじゃない。

 でさ、マリー、来年こそはお嫁にしてよ。」

「え。」マリーはやや不満げだ。

「王都勤務の打診が来てる。応じようと思っているんだけどな。

 そしたら、一緒にいられる。」

「飲みすぎてるな、ジェイド卿。」

「十分、シラフなんだけど。」

 ジェイドが応じる。白目が赤くなり始めているのに。

「ギルとラナ嬢はどうしたかな?」

 照れくさそうにマリーが話題を変えた。ジェイドが肩をすくませる。

「ギルバートは、こんなに賑やかなの、苦手だからね。」

「相変わらず、『孤独』か?」

「ラナ嬢が傍にいるよ。」

「そうだな。」

「マリーも、イリヤも連れてくればよかったのに。」

「お前と一緒だって言ったら、『行かない』って言われた。嫌われているぞ。」

「えー。」

「来年も頑張れ。

 まだ八回しか求婚されていない。」

 マリーが笑い、ジェイドが宙を仰いだ。


 ◇◇◇


 奥の東屋に館の方の賑わいが聞こえている。

(こんなに賑やかなのは初めてだな…)

 いつもの年は、館の中で使用人たちがこぢんまりと祝夜の宴をしている。

 別に咎めているわけではないが、主人がにぎやかなのが苦手だから、彼らも遠慮していたのだろう。

 今年は、ラナが当然のように朝から準備を始めていた。

 ユージン父娘やクロルが来ることがわかって喜んでいたし、庭で宴をすると決めたのも彼女だ。

 すっかりこの屋敷はラナが中心になってしまった。

 そのせいか使用人たちも楽しそうだ。笑顔や笑い声が絶えない。

 それは自分にはできなかったことで、ラナをうらやましくも思う。

(当主なのに…、 使用人たちに気を使わせてばかりだ。)

 二つ月がすこし近づいて見えた。

「やっぱり、ここでした!」

 ランタンを手にラナが東屋にやってきた。

 いつもの薄青のドレス。

 年越しは冬にあたるので、彼女の姿は少々、寒そうに見える。

 そして、背中には『熔水剣(ようすいけん)』の水筒。

 ラナの姿にギルバートが目を向ける。

 彼女の手にはバスケット。

「うるさいのが来たって思っているでしょう。」

「…よくわかったな。」

 ラナが口をへの字にする。

「公爵様、皆のところに来ないから…。」

「賑やかなのは苦手だ。」

「ロシュ様やジェイド様が盛り上げてくれていますよ。」

「また、来ているのか…。」

「マリー様もね。」

「どうりで、いつも以上に賑やかなわけだ。」

 ラナは、ギルバートの隣にランタンとバスケットを置くと蓋を開けて、中から脚の高いグラスを取り出した。

 ギルバートが黙って見ている。

「どうぞ。」

 差し出されたグラスを困った顔で受け取る。

 ラナがそれに葡萄酒を注いだ。

 酒瓶をバスケットに戻し、木皿に盛りつけられたつまみやパンを取り出した。

 小ぶりのフォークも添えてくれている。

「まだ、何も召し上がってないでしょ。

 エバンズ夫人から頼まれました。

 クロルのシチューも持ってこようと思ったけど、冷めちゃうので諦めました。」

「…君のは?」

「ほら、私は食べられないから。

 でもね…。」

 ラナはスカートの襞の間からごそごそと取り出した。

 赤いちいさな水筒と木のカップ。

「砂糖湯、冷めちゃったけど。

 今日はマリアンに作ってもらったの。」

 ラナが自分でカップに注ごうとしたのを、ギルバートが手を出した。

 彼女に触れないように注意して、赤い水筒を取る。

 黙ったまま、ラナのカップに注いだ。

 今夜の砂糖湯は、ランタンの灯りに黄金に輝いた。

「座ると、いい。」

 そっと言われた言葉の通り、ラナが隣に座った。間にはバスケットがある。

 ギルバートはグラスの中身をそっと揺らした。

 ほわっと葡萄酒の甘いのが香る。だが、口をつけることはしない。

 ラナも両手の中にカップを持ったままだ。

 遠くの賑やかな音が聞こえてくる。

 二人の間には、噴水を流れる水の音。

 どちらも黙ったまま。

 互いの顔を見ることもせず、前を向いたまま座っている。

「…去年は、どうしていたんだ?」

 先に口を開いたのはギルバートだった。心配そうな声。

「…河のそばにいたの。」

「…。」

「通りかかった集落に水魔が出て、退治した。

 お礼にって、ケーキを一切れもらったのよ。」

「…。」

「食べられないのにね。」ラナが自嘲気味に笑った。

「河のそばで洞を見つけて、そこに。

 ケーキを前に置いて、ずっと眺めていた。」

 ラナがくすくす笑い出した。

「朝になったら、ケーキは無くなってた。

 小さな動物や虫たちにきれいに食べられてた。」

「…。」

「ああ、ずっと一人なんだって、思った。

 こんな化け物、二人といないもの。」

 カップを置いて、ラナが立ち上がった。

「まさか、公爵様に『溶かされる』なんて思わなかった!」

 ラナが微笑んだ。

「…。」

 ギルバートが目を伏せる。

「公爵様は、どうお過ごしに?」

「…いつもと同じで、魔獣狩りだ。」

「お屋敷は?」

「ジェイドとマリーが酒蔵をカラにしていった。」

「お二人とも、よく飲みますものね。」

 ラナが空を見上げた。ランタンが淡い光で照らしている。

 その姿にギルバートが声をかける。

「もう、花火の上がる時間だ。」

「え?」

「年越しを知らせる花火だ。ランバート陛下がさせている。」

「…なんだか、嬉しそうじゃないわ、公爵様。」

「…花火の材料を知っているか?」

 ラナが首を横に振る。

「魔獣からとれる魔力を使っている。」

「…。」

「たくさん上げれば、それだけ魔獣がいる。」

「…?」

「ランバート陛下のおかげで、私はまた狩りに行かねばならない。」

「大変ね。」

 ラナがギルバートにまた笑みを向けた。

 ラナの背後でドンと大きな音が響いた。

 ラナの頭上に大輪の華火が開く。いくつも。

「あ、」

 頭上に目を奪われる。

 大きな音に驚いて、思わず両耳を覆ったラナがふらついた。

 ふわっとした感触が彼女を頭から包み込む。

 その次には、しっかりとした感触が彼女を包んだ。

「あ、あの…。」

 薄い衣の向こうははっきり見えない。ただ、うっすらとした黒い影がある。

「新年、おめでとう。」

 ギルバートの静かな声が衣の向こうから聞こえる。

「君によきことがあるように祈る。」

 包まれた感触が離れていく。

 ラナが、衣から顔を出した。

 ギルバートが背中を向けていた。

「あ、あの、ギルバート様にもよきことがありますように!」

 背中がうれしそうに微笑んで見えた。


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