第19話 ダーナ・アビス
ギルバートは、ダーナクレア伯爵夫妻に事情を話すのに時間を要した。
彼らは『公爵』の訪問で、すっかり粛清を受けると思い込んでいたようだ。
これが個人的な理由だと納得してもらうのは骨が折れる。
ただでさえ、他人と話をするのが得手ではないのに。
ラナがギルバートのもとにいたのも、国王の命令で水魔討伐をしていたのも話さなくてはいけない。
でも、普段は花屋で働く普通の娘であったことを強く言っておくべきだ。
ひと通りの話の後、二人が落ち着いてくれた。
伯爵夫人の涙は、ラナの手紙をすっかり濡らしてしまった。
しばらくたって、リーザは手紙の宛名の文字を一字ずつ確かめ始めた。
何枚かをめくって、彼女は自分たち以外の宛名を見つけた。
頭文字だろうか、一字しか書かれていない。
この文字で始まる知り合いはダーナクレアにはいない。
まだ、封は切られてなかった。
リーザは、『公爵』を見上げた。
震える手で手紙を差し出す。
「これを…」
「?」
ギルバートが怪訝な顔をする。
「これを、
『公爵』様宛ではございませんでしょうか。」
ギルバートが受け取る。
宛名の一文字は、彼の頭文字と同じだ。
「ダーナクレアには、その頭文字の知り合いはおりません。」
「私で…
よろしいのか?」
ギルバートの問いに夫人が頷く。
ギルバートが封を切った。
中から折りたたまれた紙を出す。
開いてみると、やはり、白紙だ。
だが、中に組紐が丸めて挟まれていた。
紐は、『みかわ糸』の透明色をしている。
「白紙でございますか?」
「ええ…」
紐を手に取った。温もりがある。
「中にこれが…」
紐を持ち上げる。長いものだ。
「髪を結ぶ紐?」アルフレッドが呟く。
「誰かに渡すもののようです。
開けたのはまずかったかな。」
ギルバートがすこし目を伏せる。
「きっと… 公爵様のものです。」
「?」
リーザが続けた。
「あの子は、大切な人へよく手作りの品を用意していました。
相手の方の幸せを願って、心をこめて作るのだと。」
「…。」
「料理や裁縫も文字も算術も… 暮らしに困らないように教えておりました。
ラナは… 手先は、器用なのです。」
リーザが微笑みを浮かべた。母の慈愛。
「…。」
(そうだ、綺麗な字を書くのだったな。)
ギルバートは、髪紐を戻すと手紙を上着の内側にしまった。
「公爵様、」
リーザ夫人が呼びかけた。
「何か?」
「御髪の色は、『銀』ではございませんでしたか?」
「リーザ、失礼なことを!」
アルフレッドが注意する。
「先代様を思い出しました。
先代様は、銀の髪の方でした。」
「なぜそれを…。」
ギルバートが口ごもる。
「先代公爵様がダーナクレアにおいでになったことがあるのです。」
アルフレッドが答えた。
「父が?」
「先のダーナクレア伯爵様にお会いになるためにいらっしゃいました。」
リーザが続けた。
「ご子息様を、お連れになっていらっしゃいました。」
「え?」
「ご子息様も銀の髪の方でしたが、『公爵』様では?
その黒髪は、染めていらっしゃるのですか?」
「…。」
王家が金髪であるのに対し、公爵家の嫡子は、代々、銀髪の持ち主だ。
だが、冥主を身体に封じてから、髪の色が黒に変わった。
ややこしい話はしたくない。
いつも、髪のことを聞かれるとこう答える。
「ええ、染めています。」
「リーザ?」
アルフレッドが不思議そうに妻を見た。
「覚えていらっしゃいませんか?」
「ご子息様は、赤子のラナに会っておられます。」
驚いたのはギルバートだ。
ダーナクレアにも来たことも、赤子の事も記憶にない。
まして、父親となんて。
「私には、ダーナクレアを訪れた覚えはない。」
「…ご子息様は、ラナを…、赤子を…、かわいいとおっしゃって笑ってくださいました。」
「…人違いでしょう。」
リーザがうな垂れた。
「あの子をかわいいとおっしゃって下さった、初めての方でした。」
「…。」
「ラナは、お預かりしたお子なのです。」
アルフレッドが続けた。
(領主の拾い子って…?)
「さる御方から…。
ですが、あの子に名前を下さったのは、先代公爵様です。」
「…。」
「ラナの父親の名から付けてくださいました。」
「先代が?」
少し考えたが、思い当たらない。
「悪いが、覚えはない。」
「…。」
「長居をしすぎたようだ。
失礼する。」
「どちらへ?」
「ダーナ・アビス様に会いに来た。
それが本当の用件だ。」
「ならば…
ダーナ・アビス様のもとへご案内、いたします。」
アルフレッド・クレアが言った。
◇◇◇
アルフレッド・クレアは、ギルバートとアマクの先に立ち、堤防の道を馬で登っていった。
もう一つ坂道を上がると堤防の一番高い所につくという場所で、アルフレッドは馬を止めた。
「この先にダーナ・アビス様がいらっしゃいます。」
アルフレッドが坂の上を見上げた。
ギルバートも黒騎を止めた。アマクも後ろに控えている。
空がすこし灰色がかってきた。
「なぜ、伯爵が案内を?」
「伯爵家が…門番、だからです。」
「ダーナクレア領は、ダーナ・アビス様のお住まいです。
お住まいに勝手に人が入り込まぬよう見張るのが、ダーナクレア伯爵家の役目なのだそうです。」
「そして、この道は、人に許されているただ一つのものです。
伯爵家の人間が一緒でないと、道は現れません。
それゆえ、ダーナ・アビス様のもとに向かう方をここまでご案内しております。
ダーナ・アビス様がお許しになる方だけがこの先へ進めます。」
「…貴方は血族ではないのに、なぜ伯爵家の役目ができる?」
「ライオネル・クレアは、友人でした。
私も騎士見習に上がったのですが、怪我で騎士を断念いたしました。
ライオネルとは同室で…。
騎士を諦めて見習をやめようとした私に彼は学問を納めてダーナクレアのために力を貸してほしいと言ってくれました。
自分では、河の氾濫を防げないので、私にその学問を納めて、力になって欲しいと。
それで、私は土木技師となり、この地にまいりました。」
「…。」
「ライオネルも騎士見習を終える前に、領主としてここに戻ってきていました。
私は彼のもとで働いておりました。
ライオネルが『公爵』様に首を差し出すことに決めたときに、かわりにここを守るように頼まれたのです。」
「ライオネルは、ダーナ・アビス様にお願いしてくれました。」
「ダーナ・アビス様は、ラナを育てるなら、認めるとおっしゃってくださいました。」
「!?」
アルフレッドが馬の首を返した。
「従者殿はここでお待ちになってください。
この先は、公爵様だけで。」
「私はここで失礼いたします。」
アルフレッドが頭を下げた。
「伯爵、」
ギルバートが呼び止めた。
「ラナ嬢は、先代伯爵の?」
アルフレッドが頷く。
「ラナは…ラナは、ライオネルの娘です。
先代公爵様は、ライオネルから『ラナ』と。」
「!」
「ダーナ・アビス様がお話しくださいます。」
アルフレッドはもう一度、頭を下げると早足で堤防を下って行った。
伯爵の後姿が見えなくなって、ギルバートは黒騎の頭を坂の上に向けた。
「私はここでお待ちいたします。」
「アマク?」
「私は、ダーナ・アビス様のお近くにいられる身分の魔物ではありません。」
「冥主の従者なのに?」
「混じりものですから。」
「なら、いつものように私の影の中にいろ。」
「旦那様?」
「『水』が相手だ。
私の中のものが暴れ出そうとしたら、止めろ。
今は、彼に乗っ取られるわけにいかないのでな。」
「…御意。」
アマクは、乗っている馬ごとギルバートの黒騎の影に歩を進めた。
黒騎の影を踏むとそのまま中に沈んでいった。
ギルバートは、ゆっくりと坂を登った。
細かった上り坂が平たく広がる場所に出た。
崖の上。
下には白いしぶきを立てて、ダーナ河が流れる。
急流が音を立てて、岩をも砕く勢いだ。
(落ちれば、死ぬな。)
(まさか… ここに飛び込んだ?)
ギルバートが馬を下りた。
さすがの黒騎もやや後ずさって止まる。
崖下から吹き上げる風が黒髪を逆立てた。
前が見えなくなるので、毛先をマントの襟の中に挟む。
「来るのが遅い!」
叱責された。
以前は、ラナにそう言われた。
今のは、年上の女の声。
崖の先端の岩の上に女が腰かけていた。
見覚えがあるような気がするが、誰だか思い出せない。
「やっと来たわね、坊や。」
ギルバートを「坊や」呼ばわりした女は、青く長い髪を地面に届くほどに垂らしていた。
真っ白な細身のドレスが身体の線をくっきり見せる。
艶めかしい姿だが、荘厳でもある。
ラナに似ている気もするが、他の誰かの面影もある。
「ダーナ・アビス…様?」
彼女は、彼よりもずっと年上に見える。
「頭を下げなさい。」
命令される。
ギルバートは、片膝を地面について頭を垂れた。
この場所に、ダーナ・アビス様以外、いるわけがない。
「時間がかかりすぎだわ。」
「…。」
「頭を上げて、顔を見せなさい。」
言われるまま、顔を上げる。
ダーナが微笑った。
「割と似てるわね、ヒューに。」
「最も、あれは銀色だったわ。」
ダーナは、透き通るほどの白い肌に、深紅の紅を引いている。
青い髪と同じ切れ長の青い瞳は、不敵な輝きを見せる。
「全く、いつになったら詫びを入れに来るのかと思ったけど。」
「…。」
ギルバートは呆然とダーナを見上げた。
(詫び?)
「それで、私の失敗作は処分できたの?」
「…。」
言葉が出ない。
「何、呆けた顔をしているの?」
「ヒューには、あの子の首を落とせといったのよ。」
「…も、申し訳ありません。
私には何のお話なのか解りません。」
「お前は、ヒューの息子なのでしょう?
ヒューがしくじったなら、お前が代わりに首を落としなさい。」
「…。」
ギルバートの表情が固まったまま、口も動かない。
ダーナが眉をひそめた。
「お前、本当にわかっていないの?」
思わず、頷く。
「呆れた。
ヒューは、何も言っていないの?」
「…。」
「お前に何も言わずに死んだのね…」
ダーナが小声でいう。
「ダーナ様?」
「印をつけておいて正解だったわ。」
「印?」
「そう。
ヒューがあの時、首を落とせなかった… 女の子だったかしら。」
「お前とは、反するものだから、」
ダーナが不敵に笑った。
「お前が触れると、壊れるようにしておいたわ。」
(壊れる!?)
「砕け散るか、溶け落ちるか、」
「楽しいわね。」
ダーナが声をあげて笑った。
(溶け落ちる…)
「…それは、ラナの事ですか?」
「そんな名前だったかしら。
つけた覚えはないわ。」
ダーナがそっぽを向いた。
「首を落とす…?
ラナは、魔物ではありません!」
「『泡』が産み落としたのよ。
まだ、早いと…、我慢しろと言ったのだけど、二人ともいうことを聞かなかった。
時を間違えた『命』なんて滑稽だわ。」
「…。」
「あの娘は、無垢で、お人好し。
自分を守る力もないくせに、ダーナクレアの民を助けたいと言ったのよ。
笑えるわね。」
「…。」
「だから、条件を付けたのよ。
お前、あの娘から聞いてないの?
『勇者の血』で河を真っ赤にしたら、望みをかなえてやるって。」
「!」
「お前たちが生きているってことは、しくじっているのね。」
ダーナが溜息をついた。
「…まだ、その『時』ではないのよ。
あの娘をもう一度、生まれる前に戻すためにヒューに、ヒューバートに首を落とせといったのに。」
「そんな…」
「首を落としたら、リュートが連れてくるはずだったわ。」
「リュート?」
「お前が飲み込んだ者。」
「冥主!?」
「リュート! 聞こえているでしょう!」
ダーナはギルバートの胸に向かって叱責した。
「お前がいながら、あの娘を野放しにしているのはなぜ!」
ギルバートの胸に痛みが生じる。
左腕の腕輪が締め付けるように縮まる。
顔が歪み、痛みに身体が丸まる。
息ができなくなる。
「野放しではない。」
ギルバートから声がした。
「これに監視させている。」
(『これ』…?)
「また、逆らうの?
『人間に組するな』と言ったのに。」
「人間に組しているわけではない。
殺すべきは殺している。」
「そうね。」
「あれはまだ『人間』を知らない。
『人間』の愚かさを知ってからでよい。
それで、『神』となる…」
(何の話だ…)
ギルバートは自分から遠いところの声を聞いている。
「まあ、いいわ、退屈しているし。
面白くしてちょうだい、リュート。」
冥主リュートは返事をしなかった。
ギルバートは、急に締め付けられていた力から解放された。
思わず、地面に倒れこむ。
「お前、案外と好かれているのね。」
ダーナが笑った。
「苦痛にゆがむ顔も、なかなかの男前だわ。」
浅く息を切らしながら、ギルバートが身体を起こした。
膝をついたまま、立てない。
俯いて、酷く咳き込んだ。
ダーナが笑うのをやめた。
彼女は岩から下りるとギルバートの前に立った。
その白く透きとおった手がギルバートの頬を撫でる。
冷たいが、懐かしい感じがする。
「!」
驚いてギルバートが顔をあげる。
「お前には、私がどんな姿に見える?」
鼻先が触れそうになるぐらい、ダーナの顔が傍にあった。
(この姿… どこかで? 誰?)
「…。」
「私たちの姿は、見る者の、心の中にある逢いたい人の姿を映す。」
「お前は、誰に逢いたい?」
「…。」
一瞬、ダーナの姿が若くなる。
薄青のドレスのラナの姿。
「…。」困惑する。
「あら、だんまりなのね。
まあ、いいわ。」
ダーナが空を見上げた。
「雨になる。
あの娘が悲しくて泣くと、雨になるのよ。
セイレンと同じ…」
ダーナがつぶやいた。
「行きなさい。」
強い口調に変わった。
「え?」
「そのために来たのでしょう?」
「河を渡る…?」
「行って、あの娘の首を落としてらっしゃい!
ヒューの尻拭いをするのよ!」
「!」
(首を落とす? ラナの?)
ギルバートの顔が強張る。
「『情けで手を止めるな』、そうすれば首を落とせるわよ。」
だが、ダーナは穏やかな笑みを浮かべた。
「でもね、覚えておくのよ。
頭と心の臓が残る限り、河に触れるとあの娘の姿は元に戻るの。
それに、あの水筒が全力であの娘を守るわ。
厄介だわね。」
「!」
ダーナ・アビスが河むこうに顔をやる。
その先に岩の道が伸びていた。
ダーナ河にかかる石橋。
対岸はイゼーロだ。
黒騎がギルバートの耳元で鼻を鳴らした。
ギルバートが黒騎にまたがる。
彼はダーナ・アビスに小さく頭を下げると黒騎の腹を蹴った。
黒い姿が遠くなる。
ダーナは、岩の天辺に立っていた。
「全く…。
約束通りにあの子の母親の姿になったけど、気がつかなかったわよ。
どういう育て方をしたの、ヒューバート。」
ダーナが微笑った。
◇◇◇
息が上がったままで、身体が固まっていた。
怖くて泣きそうなのに涙も出ない。
アンバー・エイリークはラナを連れ帰ると洞窟の暗い穴の中に放り込んだ。
その背後で扉が閉められ、鍵がかけられる。
灯りのない漆黒の闇の中。
なのに、マチュアの血で汚れた両手の赤黒い跡だけははっきりと見える。
洗い流したいのに、水場は無い。手を傷つけようにもその道具もなかった。
ラナは、怯えて縮こまったまま、震えていた。
一番助けを求めたい相手の名は口にできない。きっと、叱られる。
先のことも考えられない。ただ、怖い…
穴の奥で、音がした。
布の擦れる音。
震える顔をあげて闇の穴奥を見た。
何かが蠢いている。
唇が震えて言葉が出ない。
蠢くものから音がした。
グルグル唸る声だ。
布が引きずられる音が近づいてくる。
ラナが座ったまま後ずさる。
背中が扉にぶつかった。
もう逃げ場がない。
「…ラ、…ナ。」
「え?」
何かが脇腹に触れた。
切られて青い血が滲んでいた場所だ。
触れたものが彼女の脇腹の傷をえぐった。
ラナが痛みに声にならない悲鳴を上げる。
気が遠くなりかけた。
闇の中で咀嚼音がする。
ラナの肉を食べているのか!?
低い声が地面に響く。
蠢くものが暴れている音がする。
のた打ち回っているようだ。
「…ラ、…ナ。」
塊がラナの名を呼んだ。
「…ラ、…ナ、 離れ、ろ…」
「え?」
塊が何かを吐き出した。
それを避けるために思わず立ち上がった。
足元の塊は、ぶよぶよとして彼女に近づいてきた。
塊から目玉が二つ現れた。金の光る眼玉。
怖くて足がすくむ。
金の目玉の光が塊を明るく見せた。
「!」
ラナが息を飲んだ。
塊の中にロシュの顔が半分埋まっていた。
「ロシュ様!」
「ラナ、殺して…」
「で、できない!」
「ラナ… 剣は?」
弱弱しい声だった。
「な、ないわ。どこかで無くした!」
「このままだと、魔物になる…」
「ラナを食べてしまう…」
「ロシュ様! 何を!」
塊からドロドロとした触手が伸び、ラナの左手を掴んだ。
「やだっ!」
ラナの左手は塊の中に飲み込まれた。その先のあるものを掴まされる。
(え!? 首!)
「力を入れて… 息の根を止めて…」
ロシュの言葉は懇願だった。
「だ、だめ! だめー!」
ラナの悲鳴が闇に飲み込まれた。
◇◇◇
ギルバートは、街の掲示板を見上げていた。
ラナの賞金首の張り紙。
思わず、ため息が出る。
「知ってるの?」
彼のそばで少女が声をかけてきた。
ラナと同じぐらいの年頃のソバカス顔の娘だ。
「居場所もそうだけど、知ってることを言うだけでも、金貨がもらえるのよ。」
ギルバートが眉間に皺を寄せる。
「君は、この人物を知っているのか?」
「悪い女じゃない?
領主様を殺そうなんて。」
娘が笑った。
「逃げられるわけがないわ。
金貨を欲しがる連中に追われてるもの、じきに捕まる。
生け捕りだと、金貨三百枚。
魅力的だわ。」
「なぜ、私に声を?」
ギルバートが怪訝な顔をした。
「ここの人じゃないわよね。」
「ああ。」
「騎士崩れでしょ?
お金に困ってるなら、雇われてみない?」
「困っている、か…。
そう見えるか?」
「泥だらけじゃない。」
確かにダーナ河の石橋を飛ばしてきただけあって、河のしぶきで生じた泥はねが酷い。
「…。」
「金貨二枚、でどう?」
ギルバートが娘を見下ろした。
「何をさせる?」
「あたしの護衛。」
「この娘を連れだすわ。
でも、周りが手練れでね。」
「斬れと?
それなら、二枚では少ないと思うが。」
「まあ、働きによっては考えてあげるわ。」
娘の笑みは、不敵だ。
「連れ出せるのか。」
いぶかしげに聞く。
「助けに来たって、言えば付いてくるもの。
疑いもせずに、『友達だから』ってね。
おバカさんなの。」
娘は不敵に笑ってギルバートを見上げて言った。
「…どうする?」
「居所がわかるのか?」
「雇われるなら、教える。」
「…。」
(そんな簡単に見つかるものか?
それとも?)
「おい!」
二人の背後で少年の声がした。
「なんで、お前がここにいるんだよ!」
クロルが黒い騎士服の男と娘の間に割り込んだ。
そして、娘の腕をつかんだ。
娘が顔をしかめる。
「何をする?」
ギルバートがクロルの腕を掴む。
「離せ、おっさん!
こいつは、悪もんだ!
おい! お前も一緒に攫われたんだろうが!」
「何のこと?」
「サラ!
ラナをどこへやった!」
「…。」
ギルバートがクロルの腕を離した。
「シェリー様ンとこのが見てたんだ!
お前だけ、出てきたって!」
「言いがかりよ!
雇われて、しただけよ。」
「いくらでだ!」
「金貨三枚…。」
「お前な!」
「こいつを追い払ってくれたら金貨二枚上乗せ!」
サラがギルバートに叫んだ。
「おっさん、手を出すな!」
クロルも叫び返す。
「金貨で、人を売るのか!?」
「悪い?
お金は大事よ! いつだって!」
サラが大声をあげる。
「痛いから離して!」
「それはできないな。」
白金の波打つ髪がギルバートの前を横切った。
シェリーは、サラの腕を掴んだ。
かわりにクロルの手が離れる。
「誰に接触するかと思ったら…」
シェリーはギルバートの顔を見た。
「久しぶり、ギル。」
「師匠も。」
呆気にとられているのはクロルだ。
この黒いのとシェリーが知り合いで、黒いのはシェリーのことを『師匠』と呼んでいる。
「彼とはちょっとした知り合いなんだ。
さて、サラ、一緒に来てもらうよ。」
シェリーは、部下にサラの身柄を預けた。
「領主館へ。」
彼の部下がサラの身体を引きずっていった。
「君は呼ばれていないと思ったが?」
「…魔獣狩りです。」
「どうやって、河を渡ったの?」
「…。」
ギルバートが目を伏せた。
「ええっと、シェリー様、この方は?」
クロルが不思議そうに尋ねた。
「名はギルバート、私の昔の弟子。」
クロルが首を傾げた。
「この賞金首のお嬢さんとは?」
シェリーが少し笑っている。
彼らの仲は知っているのだろうにわざと尋ねている。
「ランバート様からお預かりしているご令嬢です。
一体どうしてこんなことに。」
「『水神教』のことは聞いた?」
「少し。」
「利用されたようだよ。
イゼーロのご領主の夫君を刺した。」
ギルバートの眉間に皺が寄る。
「…亡くなったのですか?」
「自分で確かめなさい。
マリーとジェイドが来ている。」
「…。」
「皆、領主館にいる。」
「師匠は?」
「『水神教』の洞窟へね。」
シェリーがクロルに顔を向けた。
「彼を領主館に案内して。
サラの件も頼む。」
「承知いたしました。
じゃ、こっちです。」
クロルがギルバートの先に立った。
◇◇◇
領主館の庭からは、イゼーロの湖沼群が一望できる。
クロルという黒髪の少年に連れられて、ギルバートは領主館に通されていた。
廊下から眺める景色は一面の『水』。
(苦手な景色だな…)
「ギル!」
ジェイドの声だった。
館の中から懐かしい姿が出てきた。
「本物だな!」
「…嘘でどうする。」
笑いながら赤髪の友は、黒いのの肩に飛びついていた。
ギルバートは、迷惑そうにジェイドの手を払う。
「…彼女、美人に描けてただろう。
自信作!」
「だからって、金貨三百枚は…」
「マチュアが決めたんだ。」
槍を担いでグレンがゆっくりと歩いてきた。
「高く言っときゃ、情報がたくさんやってくる。
生け捕りとしとけば、死なずに済む。」
グレンが笑った。
「やっと、『自分の女』を迎えに来たか。」
ギルバートが嫌な顔をした。
会いたくなかった相手だ。
「動きがある。」
グレンが続けた。
「!?」
「連中、洞窟からいなくなった。」
グレンが言葉をつづけようとしたのを警備兵の叫び声が遮った。
「!?」
湖沼群のあたりから人影が近づいてくる。
片手に赤黒いどろどろした塊を引きずってくる。
水色の髪は、泥だらけだ。着ている物の裾もズタズタに裂けている。
「ギル…」
ジェイドを制して、ギルバートが彼女に向かって歩き出した。
彼女が足を止めた。
「何をしている、ラナ。」
ギルバートの声は怒っていた。




