第18話 白紙の手紙
王都アミエに雨が降る。
空には灰色の雨雲がひろがっている。
王城も濡れている。
いつもの黒の騎士服で、ギルバートは雨の中庭にいた。
剣の代わりにヴィーデルフェンで作られた雨を避ける『傘』をさしている。
柄の部分も含んだ芯棒の周りに八本の棒が拡がり、その間を三角布が円を描くように縫い付けられている。
これも『流生』という現象で現れた異界の道具らしい。
それをヴィーデルフェンの職人が見よう見まねで作っている。
「雨が嫌いなのに呼び出して済まなかったね。」
ランバート王がギルバートと同じ『傘』をさして中庭に下りてきた。
二人が並ぶと、金と黒の色の違いだけで、よく似ている。
王家と公爵家は、一番近しい血族だからかもしれない。
『勇者の末裔』を絶やさぬようにこの国唯一の公爵家がある。
時に応じて、互いの婚姻で後継者を残す。
事実、ランバート王とギルバートは、再従兄弟の間柄になる。
ランバートの口調はいつもとかわりなかったが、表情が暗い。
「ギルバートが王都にいてくれてよかったよ。」
「昨日、戻って参りました。」
「東の森の魔獣は減った?」
「…。」
ギルバートが目を伏せた。
「歩きながら、話そう。」
二人だけで話すことはそう無い。たいていは侍従や宰相が同席している。
でも、今日は違う。
それも雨降る外でというのは異例だ。
ランバートは上着の内側から折りたたまれた紙を取り出した。
そのまま、ギルバートに渡す。
「中を見て。」
ギルバートが紙を拡げる。
人相書きの下に金貨三百枚の文字。
「よく描けているだろう。
原画は、ジェイドの作だそうだ。」
「本人より、美人過ぎます。」
「君がそう言う?」
ランバートがくくっと笑った。
「何をしたんですか、あの娘は。
領主の暗殺未遂だなんて。」
「…。」
ランバートが足を止めた。
「『水神教』と名乗る連中がイゼーロにいる。
『水』を神だと言っている。
ダーナ・アビスがいるのにね。」
「…。」
「『水』だからね、ロシュとラナに行ってもらった。」
「…。」
「二人と、連絡が取れない。
挙句に、ラナは賞金首だ。
イゼーロの領主が賞金を懸けて、探している。」
ギルバートが溜息をつく。
息が少し白く見える。
「『王立』がそのために王都のラナの所に捜索に入るそうだ。
もちろん、君のところにもね。」
「公爵の立ち合いを求められている。
構わないよね?」
「御意。」
ランバートがまた歩き出した。
傘に当たる雨音が大きい。
「私を、イゼーロに?」
情けない溜息をギルバートがつく。
「ダーナ河を渡れません。」
「そうだね。
私たち『勇者の末裔』は河に殺されかねない。
それに『公爵』をイゼーロに行かせる気はない。」
「?」
「私はイゼーロの領主を買っているんだ。
粛清なんかしない。」
「…。」
「だけど、黒いのが、どこで魔物を葬っているか、私には預かり知らぬことだから。」
ギルバートはラナの絵姿を見つめていた。
「イゼーロの郊外にも魔獣は出るそうだよ。」
ランバートが笑みを浮かべた。
しかし、すぐに表情が硬くなる。
「河は難しいね。」
「陛下…。」
「ロシュからは、琥珀色の人間がぼんやりと見えた。
それが最後だ。」
「琥珀色…?」
「琥珀色といえば、フィアールントの…」
ランバートが聞こえないほどの小声になる。
「いやな相手だ。」
ギルバートは返事をしない。
ランバートがギルバートを見た。
「二人を頼むよ。
私の立場では手が出せない。」
ギルバートが頷いた。
「ところで、ギルバート。
誰に髪を編んでもらったの?」
ランバートがギルバートの背中の黒髪を指ではじいた。
ギルバートの黒髪が背中で一つ二つと四つ編みされていた。
髪を編んだのが誰か、彼にも心当たりがない。
ただ、酔いつぶれたあとからこうだ。
なかなか解けなくて困っている。
「随分と、かわいいじゃないか。」
ランバートが吹き出した。
◇◇◇
『王立』の騎士達が数人、ラナの下宿にいた。
ギルバートがラナの下宿に来たのは、酔って迷惑をかけて以来になる。
主のいない下宿は殺風景だった。
ギルバートは下宿の入り口に立ち、部屋をひっかきまわしている『王立』の騎士たちを見ている。
小さな食卓に彼女の荷物が集められた。
衣服が数点、食器も数点。
ペンとインク壺と白紙が数枚。
そして、赤い小さな水筒。
小さな木箱が余るほど、荷物が少ない。
(化粧道具もない。
身を飾るものもない。
贅沢をする娘ではなかったが、質素すぎる。
王命の役目でも給金は出ていたはずだ。)
ギルバートからため息が漏れた。
「班長、手紙の束です。」
文机の奥から紐で束ねられた手紙の束が出てきた。
「閣下、検めさせていただきます。」
騎士がギルバートに一礼した。
ギルバートも会釈でそれを認める。
騎士は、紐をほどき、手紙を検閲し始めた。
一通がとても薄い。
「宛名は?」
「アルフレッド・クレア、リーザ・クレア。連名です。」
「閣下、御存じですか?」
「…たぶん、彼女のご両親だと思う。」
騎士が封を切った。
中から紙を取り出す。
畳まれた紙を開くと、騎士が困惑して言った。
「白紙です。」
「え?」
ギルバートも驚く。
騎士たちが封をされた手紙を次々にあけるが中は白紙ばかりだった。
「仕掛けがあるかもしれない。」
何枚かを水で濡らしたり、火であぶったりしたが、何も出てこなかった。
「どういうことでしょうか?」
班長と呼ばれた騎士がギルバートに尋ねた。
「…。」
ギルバートも答えられない。
「『水神教』に関するものがないなら、返していただいてよろしいか。」
やっと、ギルバートが口を開いた。
「御意。」
騎士が頭を下げた。
「この後、当家に?」
「いえ、必要ないと存じます。
これも形式的なだけですし。」
「そうか。」
「あと、先ほど、花屋の者から、お嬢様に辞めていただきたいとの話がありました。」
「え?」
「『王立』に調べられるような者を店には置きたくないそうです。」
騎士が苦笑を浮かべる。
「…。」
「この荷物はいかがいたしましょうか。」
「…『王立』で必要なければ、当家で預かる。」
「では、閣下にお預けいたします。」
騎士は、白紙の手紙も箱に納めると蓋をした。
「お運びいたしますか?」
「…いや、私の従者に運ばせる。」
「それでは、われらはこれで失礼いたします。」
ギルバートを部屋に残し、騎士たちは出て行った。
ラナの小さな箱が残される。
小さな箱を両手で持ち上げた。
とても軽い…。
◇◇◇
ラナの下宿の前で、アマクが馬車を用意していた。
ギルバートの抱える箱に目をやる。
「お嬢様の?」
「ああ。」
「旦那様、お持ちいたします。」
「いや、いい。」
ギルバートは、馬車に乗り込むと向かいの席にラナの箱を置く。
「旦那様、」
「なんだ?」
「『道具屋』が会いたいと言ってきています。
いかがいたしますか。」
「…寄ってくれ。」
「承知いたしました。」
アマクが馬車を走らせ、市場の中の魔法の道に入り込む。
石畳で馬車が止まった。
「待っていろ。」
「はい。」
ギルバートは、馬車を降りると足早に『道具屋』に入った。
扉の音に『道具屋』の白い魔女が立ち上がった。
そして、ギルバートに駆け寄り、彼の上着を握りしめた。
「ベアトリス?」
ギルバートが白い魔女の名を呼んだ。
「ロシュが、ロシュが見えないのよ!」
ベアトリスの白い髪が激しく揺れる。
「ランバートに何も知らせなくても、私には必ず無事を知らせてくれるのよ。
なのに、ずっと、何もないの!」
ベアトリスがギルバートを見上げた。
「ロシュに何があったの!」
「落ち着いて、ベアトリス。」
ギルバートがベアトリスの肩を抱いた。
「ランバートもロシュが行方不明だといっていた。」
ベアトリスの肩をさすって落ち着かせる。
「まずい相手に捕まっているのかもしれない。」
「誰?」
「ランバートがロシュから最後に見えたのは、琥珀色の人間だそうだ。」
「琥珀色…。
アンバー・エイリークなの!?」
「奴がまたロシュを!」
「アンバー・エイリーク?」
ギルバートが聞き返した。
「フィアールントの魔法導師。
ロシュを化け物にした張本人。」
「また、ロシュを利用しようというのね。」
「ベアトリス?」
ギルバートが不思議そうな顔をした。
「ロシュの、フィアールントの話は聞いたことがない。」
ベアトリスがはっとしてギルバートを見た。
「…取り乱して、悪かったわ。」
「…。」
「まずい相手、なのか。」
ベアトリスが頷く。
「ロシュは、彼と交わって『絆』の印をつけられているの。
だから、アンバー・エイリークはロシュの『目と耳』を使えるのよ。
でも、近くにいなければだめなのだけど。」
「どのくらい?」
「同じ街の中、本当に近く。
ロシュがアミエリウスにいて、アンバーがフィアールントから出なければ使えない。
それに、それを遮るために私、ロシュといるのよ。」
「ベアトリス…」
「なぜ、アンバーが…」
「フィアールントが何を考えているのかはわからない。
ランバートもいやな相手だと思っている。」
「ギルバート!
ロシュを助けに行ってくれるんでしょ!」
ギルバートが顔を暗くした。
「行きたいのはそうなんだが… ダーナ河を渡る算段がつかない。」
「この前、渡ったんじゃないの?」
「その時は、ラナの『熔水剣』があった。」
「今度はない。」
ベアトリスが溜息をついた。
「じゃ、ダーナ・アビスに直談判したら。」
「え?」
「彼女は、いつもダーナクレアにいるわ。」
◇◇◇
(ダーナ・アビス様に直談判なんて…)
ギルバートは頭を振った。
ダーナ・アビス様が『勇者の末裔』に会ってくれるものだろうか。
ラナをけしかけて、ダーナ河を『勇者の血』で染めよ、という大河神なのに。
馬車が止まった。
「旦那様、着きました。」
外からアマクに声をかけられた。
ギルバートがラナの箱を抱えて、馬車を下りた。
アマクが荷物を運ぶために手を出したが、ギルバートは頭を振った。
アマクの手が引っ込められ、かわりに馬車を厩舎に向かわせた。
ギルバートは、箱を抱えたまま、使用人の勝手口へまわった。
『公爵』が使う出入り口ではないのだが、急ぎエバンズ夫人やフィイにラナの箱を頼みたかったのだ。
厨房の近くに来ると窓の隙間から甘い匂いが漏れ出ていた。
随分と甘い匂いだ。
外からの扉を開けると、料理用ストーブの前にエバンズ夫人とフィイがいた。
ストーブの上で小さな鍋がぐらぐらと音を立てている。
「エバンズ夫人、」
ギルバートの呼びかけにエバンズ夫人がびっくりして振り返った。
館の主が木箱を抱えて立っていた。
「旦那様!
こちらはいけません!」
「正面でお迎えいたしますものを!」
「いいんだ、こちらに用があって。」
フィイの表情が硬くなっていた。
騎士見習の話をした後から、何となくぎくしゃくした関係になっている。
「旦那様、
何をお持ちに?」
「ラナの荷物だ。」
「え?」
「事情があって、彼女は『王立』の調べを受けた。
それで、花屋を解雇された。」
「ラナ様が!?」
「荷物を引き取ってきた。
預かっておいてくれ。」
「はい、旦那様。」
「何をしていたんだ?
とても甘い匂いがする。」
エバンズ夫人が笑みを浮かべた。
「ラナ様のために…
今度、おいでなったらご馳走しようと。」
「食べられないだろう?」
「ですから、お飲み物を。」
「?」
「お好きなコンフェイトをお湯で溶かして、砂糖湯を。」
「砂糖…。
だから、甘い匂いか…。」
「お湯でよく溶かして、口にできるほど冷まして。」
「…。」
「お水だけでは味気ないですから。」
フィイが黙って鍋をかき混ぜている。
「皆、ラナ様が好きなのです。
ですから、笑っていただけると楽しいでしょう。」
「…気を使わせて済まない。」
「…。」
「フィイ、お鍋をおろして。
固まらないようによく混ぜて。」
ギルバートはフィイの手元を見ていた。
(皆に心配されているというのに、彼女は何をしているのか。)
「旦那様、どうぞ、お味見を。」
エバンズ夫人がギルバートにティーカップを差し出した。
白いティーカップに透き通った紫色が注がれている。
受け取ったが、甘い匂いにむせそうだ。
少し、口をつけてみた。
「甘いな…。」
眉をひそめる。
「殿方には好みではございませんね。」
「どうしたらこの色に?」
「赤いのと青いのを、カップ一杯に二つずつです。
良く溶かして、ざらつかないように。」
フィイがうつむいたまま答えた。
「そうか。」
「ラナ様のお荷物は、この前のお部屋に?」
「頼む。」
エバンズ夫人の言葉に頷いて、フィイが箱を持ち上げた。
蓋がずれて、封書が零れ落ちた。
エバンズ夫人が慌てて拾う。
蓋を開けて片付けにかかった。
「たくさん… ございますね。」
「ご両親宛のようだ。」
「ラナ様から時々、お手紙をいただいております。」
「顔を出しているのに?」
「他愛のないものです。
新しいお花の事とか。天気の話とか。」
エバンズ夫人が手紙の束をきれいに整えた。
「ご両親にお出しにならないのでしょうか?」
「さあな。」
「お手紙代はお持ちでしょうに。」
「そういえば、フィイも手紙をもらっていたな。」
フィイが頷く。
「筆まめな方のようですよ。
旦那様にも、」
「私は、もらったことは無い。」
二人が驚いた顔をした。
「好かれていないからね。」
声がない。
「荷物を頼む。」
「お、お待ちくださいませ。」
「?」
エバンズ夫人が手紙の束をギルバートに差し出した。
「お送りした方がよろしいでしょうか。」
「必要ない。」
「旦那様?」
「『王立』の検閲に立ち会った。
中は、白紙だった。」
「!」
エバンズ夫人が手紙を抱きしめた。
「エバンズ夫人?」
「白紙のお手紙…。」
「…。」
「お言葉にならないほどの… どんな思いで…」
「私にはわからないな。」
「…ご両親は、ちゃんとお判りになられます。」
「…。」
「どうか、お届けになってくださいませ。」
エバンズ夫人が頭を下げた。
「…。」
ギルバートは、束を箱に戻すと箱を持ち上げた。
「旦那様!?」
彼はそのまま黙って、出て行った。
◇◇◇
東屋のいつもの場所にいた。
アマクが出かける用意をしているのを待っている。
ラナの箱を部屋に運んだあと、手紙の束だけを持ってきてしまった。
両親に届けるべきだろうか。
余計なことではないのか。
俯いて、手元の束を見ていた。
急に頭を撫でられた。
思わず顔を上げる。
ラナが立っていた。
「!?」
驚いて声が出ない。
『なかないのよ。』
ラナが言う。
『げんき、だしなさい。』
ラナが笑う。
「…。」
スカートの裾から白いしっぽが見える。三本。
ギルバートが吹き出してしまった。
「しっぽが見えてる。」
『えー!』
ラナの姿のリルが声をあげる。
「何の真似だ?」
『だって… だれもあそんでくれないもん。
フィイはおべんきょうだし、エバンズさんはいそがしいし。
ラナはいないし。』
『くろいのだけじゃない、なにもしてないの。』
「私は… 遊び相手か?」
『でも、くろいの、なきそうよ。』
「え?」
『ラナがいないから?』
「…リルは、ラナが好きなのか。」
『うん!』
ラナの姿から白の子狼に戻る。
『だって、コンフェイトをくれるから。
あまくっておいしいの!』
「お菓子で釣られるのか。」
『ラナ、いつかえってくるの?』
「わからないな。」
『おむかえにいかないの?
フィイは、ごはんのときにおむかえにきてくれるわ。』
「迎えに行った方がいいのか?」
『おむかえにいって!
ラナ、まってる。
いつもここで、くろいの、まってるみたいに。』
「…。」
ギルバートが立ちあがった。
『くろいの?』
「リル、留守番ができるな?」
『うん。
ラナとかえってきてね!』
ギルバートが頷いた。
◇◇◇
ギルバートを乗せる黒騎は、ジェイドが仕込んだ騎馬だ。
魔物と言われても仕方のないギルバートに臆することもなく、彼の騎乗を許している。
王国一の駿馬でもある。
全身を黒一色の毛でおおわれている。
大概の魔獣にも怯むことがない。
主人を乗せて、一昼夜走り続けている。
すでにダーナクレア領に入っていた。
ダーナクレア領はダーナ河を西側に持ち、常にダーナ河の氾濫に見舞われている。
大きな洪水では、領土の半分近くが影響を受けてしまう。
その被害を小さくするために幾重にも堤防を築き、水没を免れようとしているのだ。
領土の十分の一は、高さの段違いがある堤防が拡がる光景である。
ダーナクレアの街は、その堤防で囲まれた中に点在している。
領都クレアも堤防の中にあった。
ギルバートは、従者アマクと共に領都についていた。
領都と言っても王都から見れば郊外の大きめの村ぐらいの規模だ。
ここは、ラナのいう「貧乏な」領土なのだ。
ギルバートは、馬を休ませるのに、厩舎を持つ宿屋に部屋をとった。
その間に領主のもとを訪れるつもりだった。
宿屋の受付台の前は、酒場で食事処になっている。
地元の働き手らしい男たちが酒を飲み交わしている。
そこからいろいろと話が聞こえる。
「ここ一年ほど、洪水が無くて助かるな。
堤防も壊れないし。」
「やっぱり、あの娘のせいだったのか。」
「領主の娘だろ。水色髪の。」
ギルバートの足が止まる。
「あの娘がいたときは、水魔が出たもんな。」
「追い出してから、いなくなった。」
「いいことじゃないか。
どうせ、領主の拾い子だしな。」
笑い声まで上がる。
(ラナを追いだしたというのか。
拾い子って…)
思わず、こぶしを握る。
「旦那様、ご領主の所へ。」
アマクが冷静に続けた。
「噂話でございます。
お気になさらぬよう。」
「わかっている。」
こぶしの力を抜く。
そのまま宿屋を出て、伯爵館に向かった。
伯爵館と言っても小さい館だ。
公爵家の厩舎とそう規模は変わらないだろう。
現領主であるクレア伯爵は、平民の出で、先代領主が亡くなる直前に夫婦で養子となり、跡を継いだ。
元は、ダーナ河堤防の建設・維持の土木技師だと言われている。
ラナの両親だ。
ギルバートは伯爵館の門番に公爵家の通行証を見せた。
王家の次に格が高い。
門番は、通行証の印影をとると、慌てて屋敷に駆け込んだ。
門番の代わりに細身の女性が迎えに出てきた。
歳は四十前後か。
彼女は、ギルバートの前に深く膝をおり、頭を下げた。
「ダーナクレア伯爵が家内、リーザと申します。
はるばる御足労をおかけし、恐悦至極にございます。
直ちに、館の方へご案内いたします。
主もすぐ戻ります。」
「頭を上げてください。
公式ではありません。
こちらこそ突然、伺って申し訳ない。」
リーザは、顔をあげ安堵の表情でギルバートを見上げた。
長い黒髪の背の高い青年が立っていた。
少し寂しげな眼をした、黒い騎士服の。
噂で聞く『公爵』の姿だ。
彼が領主のもとを訪れると領主が変わるという。
それも先代領主は、みな死没だ。
それゆえ、彼の訪問は「死神の訪問」と揶揄される。
(とうとう、当家も。)
不安を隠してリーザは、公爵を館に招き入れた。
小さな館だ、ギルバートはさりげなく周囲を見た。
伯爵夫人の来ている衣服もエバンズ夫人のより質素だ。
ラナが言う「とても貧乏な」伯爵領。
調度品も高価とは言えない普通の品。
生活に困らない程度の平民の暮らしだ。
リーザ夫人は、応接間に公爵を招いた。
「どうぞ、お待ちくださいませ。
ただいま、お茶を。」
リーザが部屋を出て行く。
夫人自らが給仕をするのかもしれない。
他に女の召使いを見なかった。
ラナも侍女を必要としていなかった。
応接間もがらんとしている。
洪水のたび、身の回りの物を処分して領民の暮らしを支えていた伯爵家だ。
ものがなくてもおかしくない。
だが、何か足りない気がしている。
再び応接間の扉が開いた。
初老の男が入ってきた。
慌てて着替えてきたのか、襟が曲がり気味だ。
靴のつま先には泥がついている。
堤防での作業に出ていたのか。
続いて夫人が茶器を持って入ってきた。
「アルフレッド・クレアでございます。」
深く頭を下げる。
栗色の髪に白髪が混じる。
「ギルバート・ジョージズだ。」
ギルバートは頭を下げない。
「失礼いたしました、どうぞ、おかけくださいませ。」
アルフレッドが頭を下げたままいった。
当然のごとく、ギルバートがソファに腰掛けた。
アルフレッドは立ったまま、応対する。
リーザもギルバートの前に紅茶のカップをそっと置いた。
「ありがとう。」
ギルバートの礼にリーザが意外な顔をした。
高位の貴族が下位の者に礼をいうことは無い。
「突然、訪ねて迷惑をかける。」
「いえ、」
アルフレッドが顔をあげた。
ギルバートは、上着の内側から手紙の束を取り出した。
それをテーブルの上に置く。
「これは…?」
「ご令嬢のものです。
故あって、預かったものですが、宛名がこちらになっていたので。
どうぞ、あなた方のものです。」
アルフレッドが手にして、妻にも渡す。
「封が切られています。」
「事情があって、『王立』の検閲を受けた。」
「『王立』!?」
「あなた、ラナの字です。」
リーザが小声で言う。
「中を見ても?」
リーザが二人に訊ねる。
ギルバートが頷き、アルフレッドも続く。
リーザが一つを取り出す。
白紙だった。
それを夫にも見せる。
次も開けると中身は白紙だ。
「これは?」
アルフレッドがギルバートを見る。
「…すべて白紙でした。」
「どうしてこんな?」
「…。
でも、ご両親なら判ると。」
リーザが手紙を抱きしめた。両腕から何枚かが零れ落ちる。
「リーザ?」
「行かせるのではなかったのです。
あの子が、『つらい』と言えないのを、私たち、わかっていたのに!」
リーザが座り込んだ。肩を震わせている。
「公爵様…?」
ギルバートがふいに席を立ち、足早に部屋を出た。
アルフレッドも後を追う。
「妻が、申し訳ございません。」
「いや。
私が、慣れていないので。」
「…公爵様、」
「?」
「私は、いつ、首を差し出せばよろしいのですか?」
アルフレッドの声が震えた。




